木曜日, 12月 24, 2009

日は沈み、そしてまた昇る。

片山右京の事故は、
私もノボラーの端っこの端っことして見ててツラかった。
きっと山に登る人みんなが、何かを思ったよね。

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昨年から3年続けて「ダイヤモンド富士」を
見てまいりました。
やはり「高尾+イベント」の威力は強い。
参加者7人(途中から8人)の大所帯。

ダイヤモンド富士は、富士山山頂のド真ん中に
お日様が沈む現象の事で、冬至前後の数日間だけ、
位置や気象条件がそろったごく一部の場所でのみ
見ることができます。

一般に登山は、天候や日没前に下山する必要性から
早朝スタートという事が多いけど、
この日ばかりは午後2時から登山開始。
それだけでもう、なんか普通の登山じゃなくてウレシー。

さすがに高尾は登山としては
かなり簡単なほうになってきたけど、それでも山は山。
下山はナイトウォークなんであなどれない。


ま~前半はライトな山登りなのでサクっと進んだけど、
山頂に着いてビックリ!
去年もすごい人だったんだけど、昨年の何倍もの人がいる。

渋谷かっ!!

広告効果ってすごいわねー。


渋谷や新宿なら諦めるけど、
山であういう状態だとね・・・。ちょっと悲しい。

肝心のダイヤモンド富士はというと、
天気は快晴だったものの、富士山の山頂にのみ
厚い雲がかかっていて、完璧なお姿は拝見できず。。

残念! ま、自然相手である以上仕方ないんだけどね。

それよりは、こうして今年も
元気にココに来られたことに感謝です。

来年も、暖かくなったら
またいろんな山に行きたいな。



さてと。

仕事もあと2日(私は28日まで)。
今年のブログは終わりにします。

・・・2009年は個人的にはなんだか浮き沈みが多い1年で、
トータルで見るとどちらかというとキツイ事が
多かった年なんだけど(おかげで夏場痩せたけど(苦笑))、
終わってみれば、マ、それなりに
中身のある1年だったかなと。

毎年そんな感じだけどね。

今年は10ウン年の社会人生活の中で、
最も早く帰れた1年だったので、
会社帰りにあちこち出かける事ができて
本当に色々吸収できた。生涯勉強だな。

仕事が充実してれば、残業や休出も苦ではないので
それはそれで私は良いのだけど、仕事じゃーなくて
毎日の生活に「文化」が溢れているっていうのは
豊かな人生で、これもいいなと思う。ナイスバディーライフ。

年を重ね、色々な人や事に触れると、
いい意味でも悪い意味でも
考え方がかなり変わるなーと 最近とみに実感する。

・・・10年前の自分が、今の自分に会ったらなんて言うだろう?

きっと、「コイツみたいにはなりたくないわ」とか
思いつつも、心を許せるイイ飲み仲間にはなるんではないかしら?(笑)


来年も嬉しい事も哀しい事も、きっといろいろあるけれど、
自分の立ち位置だけはしっかり持って、年の終わりに
「ま、良かったんじゃん?」と言える1年であるといい。

今年、色々な経験や感動を与えてくれたみなさん、ありがとう。

そして今年、図らずも私が悲しませたり傷付けたり
してしまった人がいたら、ごめんなさい。

ちっとも成長しない、しょーもないわたくしですが、
来年もどうぞよろしくお願いします。

よいお年を。


・・おっと。 あと「メリークリスマス」ね!(笑)

月曜日, 12月 21, 2009

年の瀬ですので賑やかに。

忘年会ラッシュ中。タクシー乗り場も久々に混雑。
こないだ神楽坂から乗った運転手さんが、

「僕の長年の愛人が某有名作家で、彼女は僕との恋愛話を
 いくつか作品にしてるんだ」

と、いう話を延々してくれた。

「それ、すごいじゃないすか!!」と、
深夜料金に合わせて2割増しでオドロいてみせる私。

やー 酔っ払ってる頭で聞くそういう話は、
なかなか面白い。真偽のほどはともかく(笑)。

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なんか年末年始は、企画モノのステージも多くて、
つい足を運んでしまいます。

土曜日は、このところ定期的に誘ってもらってる
平田オリザの劇団「青年団」の舞台、

サンタクロース会議 ~アダルト編


平田オリザの脚本自体がそうなんだけど、
基本的にお芝居そのものが非常に「日常」で、
役者の会話もとても自然。

でも実は、自然な雰囲気を「わざと作る」って
とても難しかったりするので、それだけ役者さんの力量が
高いんだと思う。


お芝居そのものは、サンタクロースをテーマに
癖のあるキャラクターが「会議」という形で相談しあう
というコメディっぽいもので、強いメッセージ性が
あるわけではないけど、逆に難しい事もなく普通に楽しめた。

子供たちには、せめて小学校低学年くらいまでは、
サンタさんの存在を信じてて欲しいなあ~。

・・・とか言いつつ、帰りに、一緒に行った友達と
「クリスマスってすげーメンドー」という話をしている私たちは、
既に「立派な大人」っつーことですが。要は(笑)。



そーいや全然関係ないんだけど、この日の夜に
野球仲間と忘年会をやったんだけど、
34歳のメンバーの子が彼女を連れてきて、
それが17歳っすよ、17歳!(もちろん飲酒不可)。
それ、ほぼ・・・っていうか、完璧に犯罪だよね。

どーしたらいいんすか!?
もー世の中ワケ分からん・・。


+++++

で。日曜は、恒例「落語部」仲間との忘年企画

 柳家さん喬 一門会「師走なら手をたたこう」


さん喬一門は、大人気の喬太郎を始め、
このところ頭角を現しているお弟子さんが多い注目の一門です。

やや別格の立川流を除けば、
人気・実力・弟子の数、どれをとってもピカイチだと思う。


今回の一門会は、もう~一門のカラーがバッチリ出てました!
師匠のさん喬は人情噺の大家だし、大騒ぎするタイプではないけど
サラっと面白い事を言う、ある意味非常に「江戸前の」噺家さん。

でも、基本とても賑やかな一門なので、
落語だけでなく、歌あり、大喜利ありで終始ワイワイ。

・・ていうか、喬太郎の「替え歌芝浜」は本当にマイッタ!
あれ、ほかでもやるんだろうか・・・(笑)。

年末らしい楽しい会だったし、
一門会だから「勝手知ったる家族」と一緒に
やるようなモンで、噺家さんたちも終始リラックスムードで
見ていてとっても嬉しい気分になれた3時間でした。

そーいや「大喜利」って、いわゆる笑点的な見世物の
事をいうのかと思ったんだけど、違うんだって。
落語の世界では、落語家が落語以外でお客様に
喜んでいただくものであれば、踊りでも歌でもみんな大喜利なんだってー。

へ~。イッコお利口になった。


普段は自分のメモ用に番組をココに書いておくんだけど、
今回は、「井戸の茶碗」とか「子別れ」なんて難しい噺を
若手が「5分でやれ」なんて余興があったりして、純粋に
「落語を聴いた」とは言えないので今回は割愛だな。


で、その後はいつもの調子で忘年飲み会。

もー、どうしてもこの面子で飲むと、
話の内容が「逆・アカデミック」というかー
・・・品がないっつーかなのよね(笑)。
完璧な下世話にはならないんだけど。

ま、それが楽しいんだけどサ。

4時ジャストに落語会が終わって、
新橋のガード下で、終電まで飲み続け。

平均年齢(たぶん)40近いいいオトナ達が、
頭突合せて、まー出るわ出るわのアホ話(笑)。

でも、そういう時に一番

「あ~。私の人生って、ナンカいい感じだなー」

って思ったりもする。

オシャレな店でもなければ、高いお酒飲んでるワケでもないけど、
そういう風に心を許して、アホ話できる人が周りにたくさんいるっていうのは
本当に感謝です。

私は昔は、落語と言えば「ひとりで行くもの」
と思ってる節があったんだけど、ここ数年の落語ブームで、
「落語が趣味です」とカミングアウトできる(笑)環境ができてきたので、
いろんな人と一緒に行く機会が多くて嬉しい限り。


しかし・・・・先週辺りから本当に毎日飲んでる。

接待や仕事みたいな無理に出ている会はないので
どれも楽しいんだけど、さすがにちょっと
体力的にキツクなってまいりました。。(苦笑)

今晩は久しぶりにゆっくりできそう。

心ゆくまでボンヤリしてやるぜ!

水曜日, 12月 16, 2009

唄うの1分、“本当に”唄うの三十ウン年。

なぜだろう。
最近、高田渡とボブディランの歌詞が気になって。
「日本平和神話」が崩れつつあるから?

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昨日は今年最後のヴォーカルレッスン。

この春、先生の自宅スタジオを使えなくなってから
レッスンの回数が多くても月2回、ほぼ月イチに減ってしまったので、
あんまり「習ってる」と、大きな声で言えないのだが。

だから最近は、たまに単身でバーのジャムセッションに
参加したりして武者修行しています。
「本番に弱い」性格を見せつけまくっておりますが(笑)。

でも、こういうのってやっぱし場数だからさー。
ある程度上手くなろうと思ったら、なんかやんないとね。

私は普段あまり季節感とかで歌を選ばないんだけど、
クリスマスの時期だけは、クリスマスソングが課題曲として出ます。
今年は3曲目だから、なんだかかんだで、習い始めてもう2年半も
たってるんだなー。うーん・・・育ってナイ(苦笑)。
もはやピアノは完全に諦めモードに入ってるしな。

でも。

習い始めの頃は、4ビートの楽しい曲が好きで
そういうのばっかり歌ってたんだけど
(そういう曲のがゴマカシが効くっていうのもある)、
最近ようやくバラードっぽいのとかの「良さ」が
分かるようになってきた。

当然Jazzは黒人音楽だから、
大体Jazzのバラードって、ベッタベタ過ぎか、救いようもなく暗いか で、
例えば「Misty」とか、

Look at me. I'm as helpless as a kitten up a tree
and I feel like I'm clinging to a cloud
I can't understand
I get misty just holding your hand

(私を見て! まるで木から降りられない子猫のよう。
 雲を掴んでいるみたいに頼りない。
 どうして? あなたの手を握っているだけなのに)

みたいな、もう「大甘」を通り越して、
「勝手にすれば?(笑)」みたいな恋の歌だし、
有名な「Summertime」は、

Summertime and the living is easy.
Fish are jumping and the cotton is high

(夏になれば、きっときっと暮らしは楽になる。
 魚達は飛び跳ね、コットンは値が上がるわ)

みたいな、“有り得ない”黒人の暮らしが
ラクになる様子を延々唄った悲壮な歌なんだけど、
どちらもものすごーーく奥の深い歌で、
繰り返し唄えば唄うほど、

「あ。この歌、もしやこういう事が言いたいんじゃない?」

みたいな発見はある。


・・・前も書いたかもしれないけど、私は基本的に
Jazzは日本人には唄えない歌だと思っていて、
それでも何度も唄っていると、

 歌を歌うのはほんの数分だけど、
 その歌を「形にしていく」には、自分のこの“数十年間”の
 いろんな経験・蓄積を使う事が必要なんだ。

という事が見えてくるから不思議。

2年半、歌の力はまったく成長してない気がするけど、
得たものがあるとすれば「それが分かった」って事なのかもなー。


ちなみに先生が、来年早々から「ピアノとヴォーカルで
世界一周客船に乗り込む」、というモノすごい仕事(笑)のため、
3月までレッスンはお休み。
横浜から出る豪華客船で、毎晩のようにホールでダンスパーティが
あるんですってよ。まーセレブ!


*豪華客船、と言えばコレ。
 レオはパッとしないが、ケイトはこの頃より
 今のが全然いい女優だと思う。だってコレの時は、
 二の腕が太すぎて、ねえ~・・・(笑)。
 極寒の海でも生き残るわよ。そりゃ。

月曜日, 12月 14, 2009

ライブ・ライブ・ライブ

んー。なんか忙しいな。師走だけに。

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早くも5回目。

キンシノ ~VOL.5

落語家の立川志の吉君と、イラストレーター
キン・シオタニさんのコラボライブ。

第3回からは昼夜2回講演になったんだけど、
それでもほぼ毎回満席なんだからスゴイよね。

キンさんて、私の知ってる(自分が実際に仕事してる人や友人も含む)
イラストレーターの中ではたぶん一番しゃべる人(笑)。
この商売、無口な人が多いから。

毎回凡そのテーマは決まってるんだけど、
そこから脱線するトークになる事もしばしば。
でも、そのユルさと、それでもポイントポイントでは
緻密にまとめられてるところが、ホントすごいと思う。

今回は「風呂」がテーマ。

「銭湯は1日1件ペースで潰れてる」だとか、
「昔ながらの宮作りの銭湯の入口にある飾りは“唐破風”という」だとか、
「関東の銭湯の深さは平均92センチ」だとか、
まー どーでもいいっちゃー いい話なんだけど(笑)、
よくぞそこまで!ってくらい、知識いっぱいのキンさんの話題に、
思わず「へ~」 なわけですよ。

ちなみに、いわゆる昔ながらの「煙突・番台あり、壁に富士山」
みたいな銭湯に入った事ある人が、会場に案外少なくてビックリ。
私より世代が下の人が多いのかもだけどさ。

私は下町育ちなので、結構回りにそういう銭湯があって、
私の小学校の同級生の実家が銭湯だったから
そこにはよく通ってて、帰りにお父さんに
フルーツ牛乳かうまい棒を買ってもらうのが楽しみだった。

・・・改めて思うと、私にとって銭湯って
結構「懐かしい思い出の宝庫」、つまり源風景なんだなー。
家風呂もあったのに、なんであんなに銭湯にいったんだろ・・?

ああいう風景がどんどんなくなるのは、
自分の「子供時代」を奪われるようで寂しい。


で。志の吉君の落語は「湯屋番」。

 道楽者の若旦那が、湯屋に奉公に出て、
 番台で女湯に色々妄想をふくらます・・・

って話なんだけど、彼のそういう艶っぽい話を
聞くことがあまりないので、ファンとしてはなんか得した気分。

落語って案外お風呂の話ないんだよね。
江戸時代、床屋と風呂屋は庶民の交流の場だったから、
「そこへ行くシーン」が出てくることはすごく多いんだけど、
床屋自体、風呂屋自体を題材にした噺って意外とない。

江戸時代の人たちにとっても、あまりに「日常」すぎて、
夢がないからかしら?(笑)


・・・今年は落語もライブも映画も、ま~よく行ったな。

大体、こんな風に早く帰れる仕事、今までやった事なかったから。
仕事でテンション上がらないっていうのも、
案外イイ事もあるんだな(笑)。


次回は新年会企画があるらしい。
いつも以上にユルそうだ~。


*土曜日は友人の結婚式。横繋がりの多い人なので、
 こんなに参列者に友人がたくさんいる結婚式に
 出たのは初めてかも(笑)。なんともなごやかなイイ式だった~。
 結婚式もある意味“ライブ”だよね。
 出会いからこの日までのエピソードをかなり知ってる
 カップルだけに、とても感慨深かった。

 で、ブーケもらった。プレッシャーなのか?
 「ブーケもらったよ」って言ったら、母苦笑。
                ・・・・なんで苦笑?(笑)。
 でもすっごいキレイ。おうちに縁起物のお花があると、
 なんかそれだけでウキウキするなー。

 末永くオシアワセに!



金曜日, 12月 11, 2009

傷口に塩、な行為でした

そうか。小沢さんがゲバラなら
鳩山さんはカストロなんだな。

…って、なんかカッコヨクなっちゃうけど。

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昨日会社でイヤな事があったので
(や、昨日に限ったことではないのだが)、
気分転換で映画を観て帰った。

縞模様のパジャマの少年


 高位軍人の息子と、ナチスの収容所にいるユダヤ人の少年。
 同い年のふたりは、ふとしたきっかけで柵を隔てて知り合う。
 互いの「立場」がよく分からないまま、ふたりは友達になり……… 


もうね。

完璧に観る作品間違えました。
気分が沈んだ時に絶対観ちゃダメな映画です。

予告編観た時から明るい映画ではないと思ってはいたけど。


当時は、もうユダヤ人といったら「人」ではなくて、
家畜や虫以下だったわけです。

だから、彼らに軍人が怒るシーンがたくさんあるんだけど、
とにかく観ているほうも
あの軍人達の怒鳴り声に縮みあがるんですよ。怖くて。

ああいうなんの愛情もない、ただただ高圧的で、
自分の欲求を解消するためだけの「怒り」は、本当にオソロシイ。

そして何より衝撃のラスト!

最後の10分間はすっかり脈拍があがって、
エンドロールでは、もうなんか「グッタリ・・・」って気分。。。


・・・ナチの大量虐殺は、別にヒトラーひとりがやった事ではなくて、
いわゆる「集団心理」が働いたんだと思う。

人間は「共通の敵」がいると、驚くほど結束力が高くなるし、
大胆になるし、残酷になる。学校のいじめがいい例だよね。

そして、その集団の中に「首謀者」がいると、
将来的に自分の行為が糾弾される事になっても、
罪を背負うべきは首謀者で、「自分は命令されてやっただけだ」
という責任逃れができるので、リスクを負うことはなくなる。

そして、そんな「免罪符」を得て、社会の構造を
どんどんゆがんだ形にしてしまうのは、
申し訳ないけどいつの時代も男性だったりする。

女性のエネルギーは、そういうところに向かないよ。
不謹慎なたとえだけど、「ユダヤ人を殺してなんの得があるの?」
とたぶん思うから、そんな事はやらない。

逆に、自分の子供に危害を加えた人間を殺すような、
「現実的な残虐性」は女のがあるけどね。


・・・人類の短い歴史の中で、あの大量虐殺は、
本当に、本当に、本当に恥ずべき行為のひとつだと思う。

ああいう施策を進めたり、同意した当時の権力者達が、
自分と同じ「人間(ホモサピエンス)」だってだけで、
なんかもー、すごいイヤ!!!!


こういう事実に目をそらしてはいけないとは思うんだけど、
ちょっと神経が過敏な時とか、気力が落ちてる時には
観ないほうがいい映画かも。。。

木曜日, 12月 10, 2009

肉体は鳥が天に運ぶ

冬のボーナスがとんでもない金額になってた。小遣いか!
出るだけいいじゃん、という声もありそうだが・・・

せちがらいぜっ。

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上野の「チベット展」へ行ってきた。
平日の昼間に、何故そんなところに行けるのか?
という疑問はおいといて・・(ま、諸事情ありまして)。


チベットやネパールは、昨今かなり興味を
感じている国です。

昔からアジアの文化に関心はあったけど、
山登りを始めてさらに興味が深まった。
世界のベスト10の高さを誇る山々は、全部あの辺りにあるからね。

標高が高いから、周りの地域との行き来が長い間あまりなかった
ってこともあって、とても独特の歴史があるチベット。
今は哀しい事に政治的なところでスポットが当たることも多いけれど。。


展示会によるとチベット仏教は、独自のポン教が
インドから伝来した仏教に強い影響を受けてできあがった
ものらしいんだけど、普通宗教って、他の宗教を排除する方向に
向くことが多いから、そういう柔軟性がいかにも大陸的(笑)。

仏像もどちらかというと派手で
建立当時はもっとキンキラキンだったんだろうし、
性的な事とか、例えば悪を殺すシーンの描写とか、
そういう描写も非常に直球。

いいねー。こういうの。

日本の「わび・さび」の文化はもちろん素敵だと思うけど、
日本はそういう閉鎖的な土壌が、

「言わなくても分かる」とか
「事実上の集団的いじめ(村八分)」

みたいな要素を作り出してしまった側面もあるわけで、
チベットみたいなああいう直球な感じがあれば、
そういうのはナイだろうなーと思う。


そーいやあの辺りには鳥葬っていう、死体を鳥に
ついばませる弔い方があるけど、その「鳥葬場」を守る
神様っていうのがいて、それがまた骸骨みたいな顔で大変オソロシイ。

神様なんだけど、きっと地獄の閻魔様みたいに
生前に色々な悪さをしたした死人には罰をくだすんだわ。

ウチの会社にも、超“ついばんで”欲しい
悪の権化のような人がいるんだけど。
チベットに連れてって、鳥葬場に置いてきちゃおーかしら。

・・・あ。でも鳥葬って、チベット的にはむしろ
位の高い人が行う崇高な儀式なのよね。

それはそれで・・・フクザツだ。


※伊坂幸太郎の本にまさしく鳥葬の話が印象的に
 出てくるシーンがあって、最近読んだばっかだったので
 なんだかシンクロ。

月曜日, 12月 07, 2009

若さの刺激。

よくある番組だが、こないだテレビで
 「結婚35年間、妻を労うことなく
 自分勝手な生き方をしてきた夫が、ガン宣告を機に改心。
 妻への感謝の言葉と誕生祝いに、妻、涙。
 スタジオのゲストタレントも感動の涙」

・・・みたいな再現映像をやってた。 アレ、美談なのか?

35年間の苦労が、あれだけで
すべてチャラになるもんかね?

それを世の中が「夫婦の絆」と呼ぶのなら、
やっぱり私は妻にはなりたくないな~ぁ・・・

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友達のお誘いでコレ↓に行ってきた。

The 3rd Music Revolution

このテのコンテストは、メジャー志向の人しか出ないから
自分が聴くような音楽ではないし、そもそも
審査員が秋元康って時点でこのコンテストの意図が
はっきりしているので、「まー流して観るか」とか思ってたんだけど・・・

いやいやどーしてっ! なかなか面白かった!


出場するのは、全国の予選会を勝ち抜いてきた16組。

演奏曲はすべてオリジナルで、ジャンルは色々。
基本的には昨今のチャート上位に入るような
いわゆるJ-POP音楽が多かったけど、意外にもちょっとわかりずらい
前衛的というかサイケデリックな曲をやる子もいて、
しかもその子達が高校生だと知って、さらに驚き。

屈折してんなー。若者のクセに(笑)。今後が楽しみ。


何より、コンテストへの出場条件がそもそも「23歳まで」
なので、出てくる人たちがみんな若い若い!

もうヤングなオーラに圧倒されっぱなし!

でも ですね。

なんていうか・・・音楽なんかやってる子達なので、
それなりに斜にかまえてるというか、
若者独特の迷いというか、苦悩とか自意識過剰な感じとかがあって、
必ずしも「透明で、すがすがしい若さ」ではないんだよね。

そこがまた、いい感じなんだよ。
若いってスバラシイね。


・・・若者に限らず、人間は誰だって自己表現したいし、
自分を分かって欲しいと思うに決まってるワケで、
それを「音楽」という、とても他者に伝えやすい形でアウトプット
できるって、素直にすごく羨ましいと思う。

いいよねー。音楽ってやっぱり。

ああいう歯の浮くような恋愛歌だとか
人生応援歌みたいのって、たぶん若い時しか書けない。
・・・まー私は、若い頃も今もそういうのは描けなかったし
嫌いだったけどサ(苦笑)。

そーいや、私が最近お気に入りのPassion Pitって
英国の若者バンドがいるんだけど、
そのバンドも、喧嘩した彼女に送るため、
仲直りの印に宅録で作った曲がきっかけでデビューしたそうで。
エピソードかわいすぎ。

まさしく ひょうたんからこま。
人生何が起こるかわからないね。


・・・・あ。で、コンテストの結果なんですが。

優勝は、アコギ弾き語りの可愛い女の子。
順当。歌上手だったし、磨けば売れそうですな。

最近は、昔のアイドルコンテストみたいに
受賞が決まって「驚き顔+号泣」みたいなコは
全然いなくて、みんなサラリと嬉しそう。

湿っぽくなくていいね。


ちなみに、オーディエンス賞っていう観客の投票で
決まる賞もあるんだけど、私の投票した2組はいずれも賞取れず。

全然メジャー受けしなそうな2バンドを選んだので、
これまた順当では、ある(笑)。

しかし私は、君らの演奏が一番心に残ったぞ!
音楽は“順番”ではないんだし、それでヨイではないか!


いつの日かこの16組の中から、
何十年も活動できるような
ビッグなアーティストが生まれるのかな。

自分の可能性を信じる、ってステキだね。

金曜日, 12月 04, 2009

いろいろな成長

長い間放置していたクレジットカードの
PINナンバーが分からなくなって、
問い合わせして送られてきたハガキの番号が、
昔の彼氏の誕生日。。。

わ。フクザツ。

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久々に会社の若手女子数人と飲んだ。

・・・や、歓迎会とか忘年会とか、そういうのでは
飲むんだけど、そういう会社の行事以外で久々に。

去年までは帰りが遅かったし、ウマの合う仲間が同じ部署にいたので
結構会社帰りに一杯・・なんて言うのも多かったけど、
ここ1年はそういうのはもっぱら社外の友達。

まーでも別に、そうなってみると
会社とプライベートをしっかり分けられるようになったし、
夜の時間を有効に使えるので
そこら辺はドライにやってても支障がないんだなと思ったけど。

で。

今回飲みに行って改めて思ったのは、
なんつーか・・・話が合わないな、と(苦笑)。

年齢の問題だけじゃなくて、今回一緒だったのは
営業畑の20代半ば女子で、どちらかというとOLちゃんというか
ギャル寄りだからっていうのもあるんだけど、
なんか「物の見方・視点」とか「ライフスタイル」みたいなものが
まったく違うので、共通項が全然見つけられなかった。

日常の表面的な会話をしてる分には
なんの支障もないんだけどさ。

そういう時によくあるのが、そこにいる全員が
知っている人間の話。要は噂話だよね。

同じ部署の人だから、当然ネタは部署内の人と
いう事になるわけなんだけど、
私が、口ばっかでショーモナイと思ってる人が、
案外デキル男に見えてたり、
私としては特になんとも思ってなかった出来事を、
「あれ、すごい腹立ちましたよね~」とか言われたり・・・

なんかいちいち噛み合わないのよね(苦笑)。

ま、若い頃のようにそういう話に無理に
「だよねー」と合わせる必要もないので、
私がそうは思わなければ、「そうかな? 私はそうは思わないよー」
と言えるぶん、いまは楽っちゃーラクだけど。

これは年齢のせいなのか? 
それとも今の人間関係固有の問題なのか?

ん~・・・でも、プライベートでは
案外若手にも仲良いいのいるしなー・・・。わからん。

お店は赤提灯系で、私的にはストライクだったんだけども。


・・・「成長」って10代までは身体が大きくなる事
みたいな意味合いが強いけど、20代以降は、
経験や記憶の積み重ねで、人間の「心のサイズ」が
大きくなる事なんだと思うんだよね。セットで汚れも溜まるけど。

10近く離れた彼らと話していると、
自分が確実に「成長しているな」と思う一方、
なんとも説明しがたい切なさが襲ってくるのも事実。

今からだってなんでも始められるけど、
あの独特の、「“分かってない癖に”歩き出しちゃう感じ」って、
やっぱり絶対に戻れないゾーンだと思う。戻りたいか否かは別として。


人ってやっぱり、何よりも「経験」に価値があるのだなー。
いいことも。悪いことも。

・・・なんてことを考えた、師走の始まりでございやした。


*川治@浜町
3ヶ月先まで予約できないその秘密は、とにかく激しい食事のボリューム。
店のおじいさんが、ウチの実家近辺らしく口が悪くてイイ。

水曜日, 12月 02, 2009

形容詞は難しい

スーパーで買い物してたら、
レジのオバチャンが変なおっさんから
シツコク質問されてた。

オバチャン、おもむろに内線電話を取り
「すみません。お客さんが聞きたい事があるそうです!5番です!」。

「5番」って、「やっかいな客」っていう符牒なんだろうな~。

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人の事に腹が立つのは
心がささくれている証拠。。。(苦笑)

というわけで、穏やかになるべくこの1本。

「屋根裏のポムネンカ」 byイジー・バルタ

チェコの人形アニメです。
今年は見たなー。チェコ映画。

チェコと言えば「人形」って想像する人も多いくらい、
人形アニメが盛んな国。

ストーリーはしごく単純で、

 チェコ郊外のお家の屋根裏には、たくさんの
 古ぼけた人形やおもちゃがあって、人形達は
 夜毎楽しい毎日を送っている。
 その人形世界のアイドル、ポムネンカが、
 ある日悪の帝王にさらわれてしまう。
 ポムネンカの危機を救うため、クマのムハなど、
 個性的な仲間たちが悪に立ち向かい・・・

というお話。

もうね。

なんていうか・・・・全然カワイクないのよ! キャラが!(笑)

や、私は大好きよ。
登場する人形達が実際に売られているなら、
ぜーんぶ欲しいくらい。

でも、これってたぶんチェコの子供達が見るものだからね。
これを、小学生未満の子供達が「かわいい!」と思うのかしら?

まあ、クマさんとかカワイいんだけど、
なんていうか・・・・日本人の「かわいい」とは意味が絶対違う。
丸っこくないし、キラキラはしてないし、ピンクでもない。
声優も、日本のアニメみたいに、ニャンニャンした声の人はいないな~。

チェコって、相当シュールな国だよね。

社会主義(元も含む)の国は、得てしてそういう
シュールなカルチャーが発展する傾向にあるけど、
でも、ロシアのチェブラーシカみたいに
子供向けのものはマア可愛いじゃない?

でもこの映画のキャラって、なんだかことごとくカワイくなくて、
悪の側の手下達(おもに昆虫)なんかは、はっきり言って気持ち悪い。


・・・・や。

もしかしたら、日本人の「カワイイ」って定義が
幼稚すぎるのかもしれない。むしろ日本が異質なのかもな。

個人的には、かなり好きな映画でした。


あれだけ緻密な人形アニメを作るチェコという国が、
いかに「辛抱強い国」かがわかります(笑)。


・・・海外の子供作品(映画や本)を観ると、
日本人が、20代30代の大人になっても幼さが抜けず、
自己中心的で、自立してなくて、それでいて自分に問題意識がない
オバカさんが多い理由がなんとなく分かります。


社会の問題、学校の問題、経済的事情・・・
子供がおかしくなる理由って色々言われているけど、
やっぱり結局は親の責任なんだと思う。

犯罪を犯さないまでも、世の中で
親の教育が悪かったが故に、周りに激しく
迷惑をかけている(そして自覚がない)大人はたくさんいる。


予定はないが(笑)、もし私に子供ができたら、
子供の頃から、「オマエはどう生きたいの?」という事を
問い続け、常に子供に物事を「考えさせる」ことができる
親でありたいと思う。

少なくとも、「子供は子供として扱う」のだけはやめたい。

1歳だろうが3歳だろうが、「ひとりの人間」である以上、
精神的には、「自分の責任を自分で持てる」子供になって欲しいなあ。

頼むぜっ!
まだ見ぬ(一生見ないかもしれない)わが子よ!(笑)


*マジでこのお人形が欲しい。
 売ってないのかな?
      >Gちゃん、これを読んでたら(笑)

月曜日, 11月 30, 2009

シロコロ

ノエルってある意味すごい。だってノエルがいなきゃ
オアシスじゃないんだもん。
イチローだって、いなくてもマリナーズはマリナーズなのに。

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9月以降、3000⇒2000と降りてきまして、
たぶん1000m代今年最後であろう、丹沢の
鍋割山~塔ノ岳縦走をしてまいりました。

きっと相当寒いだろうと予想してたんだけど、
思ったより暖かくてラッキー。

ただ、それが仇となって、
景色のほうは若干ガスり気味。
富士山もほとんど拝めずで残念。。。

でも、自分でいうのもナンだけど、
この1年でコースタイムと自分の体力の配分が随分わかってきたので、
気持ちよく快適な山行でした。やっぱイイねー。やま。


塔ノ岳は以前登った事があるんだけど、
鍋割山は今回が初めて。
山荘の鍋焼きうどんが名物だそうで、
もちろんさっそく賞味。

山荘の食事とは思えない味とボリュームで、
確かにこれは「名物」の名にふさわしい!
機会があれば、ぜひ皆様もどーぞ。
ロープウエイとかないので、まあ3時間位は
山登りをしなきゃならないわけなんだけども(笑)。

今回はメンバーに韓国人の友達がいたんだけど、
韓国では登山で生のきゅうりが必須だそうで、
1本もらって食べたら、なるほど確かに一気に
水分も取れるし、なかなか優秀な山食。今度マネしよー。

早朝集合なうえ、休憩入れて8時間弱の意外とたっぷりな行程
だったにも関わらず、同行のメンバーがことごとく
呑み助で、帰りは鶴巻で温泉後に、最近B-1(B級グルメ選手権。
私は知らなかったんだけど)で第1位になったという
シロコロをめいっぱい食しつつ、ユルユルな夕飯。

飲んでるソバから忘年会の計画・・・ってどーよ(笑)。


始発で出発、終電で帰宅という、
長い、長~~い一日でしたが、
でもいろんな意味で、満腹な一日でした。


あとは、年末のダイヤモンド富士@高尾
で今年は締めかな。

・・・・やー 登ったな。今年は。

自分でも、知識や体力配分もわかってきて、
いい趣味になってきたなと思う。

海外旅行とか「横移動」は、どうしても時間とお金が
かかってしまうから回数が限られるけど、
山に登るという「縦移動」は、私にとって
リーズナブルに、日常を忘れてショートトリップする手段。

また来年も色々登れるといいな。


*塔ノ岳山頂には、まったく人間を恐れない
 ふてぶてしい鹿が。
 あ、見えない? 携帯のせいなんで。
 それを言っっちゃーおしまいさ。



(追)その後、友達に写真をもらう。
・・・同じ距離から撮ってなんでこーも違うんだ!(哀)

木曜日, 11月 26, 2009

あなたの心を満たしてくれるのは・・・?

先週忙しかったから、なんか今週は
ここぞとばかりにとっとと会社を出る日々。

火曜は映画。
昨日はハッチハッチェルライブ@渋谷。
今日は落語でい!

・・・うーん。しみじみステキだ~
前の会社では考えられない。

わたし、いま結構いい人生なのかも。

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てなわけで映画です。今回はコレ。

扉をたたく人

アメリカ映画ですが、本国でも最初は4館でしか
上映してなかったという小さな映画(その後話題になり全米に)。

 主人公は、大学で教鞭をとり社会的には恵まれた立場。
 でモ実は、妻を亡くし、仕事も惰性で、趣味もなく、
 生きる目的を見失っている初老の男性。
 彼がとあるきっかけで、シリアから不法就労で
 アメリカに来ていたジャンベ奏者の青年と出会い、
 生きる希望を見つけていくが・・・・


いい映画だった。シミジミした。

主演は、リチャード・ジェンキンスという、
多くのハリウッド映画に出演している名脇役。本作初主演。
日本で言うと、小日向文世みたいな人なんじゃないかと
私は解釈したんだけど。一見冴えない外見もなんとなく似てるし。

この映画、最終的には他民族国家であるアメリカが抱える、
9.11以降の社会的な闇がテーマなんだけど、
たぶん日本人はそっちより、主演の彼が生きる目的を失う中、
ふとした事で希望を見つける・・っていうほうに、心を動かされる
んじゃないかと思う。

こういうテーマの映画って結構ありがちだけど、
その重要なキーが、恋ではなく「ジャンベ」っていうのがミソ。

冴えない人生を開くキーが「恋愛」になると、
とたんに映画としては手垢が付いた感じになるからさ。。


ジャンベはアフロミュージックではとても
ポピュラーな打楽器で、私も夏に野外のレイブなんかに行くと
時々お目にかかる。

私は本格的なジャンベが主役のライブを聴いたのは、
NZ在住時に観に行った、とある教会での事なんだけど
(そん時の私のブログが コレ)、
なんていうか・・・あの独特の「血がたぎる感じ」って、
ちょっと言葉では説明できない。
あれ聴いて身体が動かない人がいたらウソだよな。

この映画では、ジャンベは主人公の男性の心を解放する重要なツールだけど、
同時に、アメリカに生きる有色人種の象徴でもあるんだと思う。

「男と女」「黒人と白人」「ネイティブと移民」「富と貧困」・・・などなど、
カテゴライズされた差別がこの世界からなくなる事はたぶんないけど
(なぜなら、差別があるほうが経済や政治面で得をする人が権力者だからだ)、
少なくとも私個人は、何に対してもできるだけフラットでありたいナと思う。


アメリカ映画らしくない、ハッピーエンドじゃない
静かなラストで、なんていうか・・・こういう映画がアメリカでできるという事は、
9.11以降、アメリカの中で、確実に心理的な変化の波が立ち始めてるんだなって思った。

先日オバマ大統領が来日の際に、天皇陛下にお辞儀をした事が
本国で一部「何故敗戦国に、アメリカのプレジデントが卑屈な態度をとるんだ」
という批判を浴びたってニュースを見たけど、
私はそのニュースを聞いて、オバマ大統領がさらに好きになったよ。
それは私が日本人だからという事ではなくね。

オバマ大統領は、民族や宗教という点でとても複雑な出生だから、
それぞれの国や地域が持つ文化や習慣に対してリスペクトする
気持ちが、根本に染み付いてるんだと思う。


アメリカも、ボチボチそういう「俺様ナンバーワン」は
やめたほうがいいんじゃないかなー と思うよ。余計なお世話だけど。


なんか子供みたいな感想だけど、

 世界がみんな仲良く生きていけたらいいのになー。

と、思ってしまう映画です。

火曜日, 11月 24, 2009

バージン喪失

キャッチーな件名にするとPVがあがる、
という技は、前職で鍛え上げられておりますので。
「三流マーケッター」ナメるなよ(笑)。

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ちらしなんかをお手伝いさせてもらった縁で、
友人が開業した鍼治療院に行ってきました。

仁鍼堂(じんしんどう)
京浜急行大師線 東門前駅より徒歩5分(川崎大師からも歩ける)


わたくし、何を隠そう「鍼バージン♪」でしたので、
なんというかそもそも「何をされるのか?」すらイマイチ
分かってなかったわけです。

だってさー。鍼って、なんか身体にブスブス刺すイメージがあるし、
なんていうか、年寄りとかスポーツ選手の治療 みたいなイメージない?
だから、こんな事がないと自分には無縁のものだったと思うんだよね。

そして経験して思ったのは・・・

鍼って超不思議!

そこそこの太さがある鍼があれだけ身体に刺さって、
なんで痛くないのかしら?
だって、裁縫で針が指に刺さると
超痛いじゃん? 血が出るじゃん? 不思議だよね。

中医学って蘊蓄を聞くとすごく面白くって、
「東洋医学」とか「西洋医学」とか聞くと、
まるでその2つが対極にあるものみたいに聞こえるけど、
全然違うものなんだよね。「サッカー」と「算数」くらい違う。

中医学は病気の「根」を治療するもので、
「内科」とか「耳鼻科」とか専門がない代わりに、
冷え性とか不妊治療とか腰痛とか、なんとな~く理由の分からない
体調不良なんかも、みんな網羅してるんだって。


例えていうなら・・・・・

会社で(また会社の例えか!(笑))、
普段から関係の良くない上司が
3日前の弁当のゴミをまだ捨ててなくて
「ムキーー!」ってなったとするよね?(私はする)

でもそれって、「ゴミを捨てない事」に腹が立つというより、
その上司が普段から超適当で、
資料を全然期限までに出してくれないとか、
すごいお天気屋で本音の話ができない関係だとか、
ひいては、その上司のビジネス戦略がスッカッスカで全然信用できなかったり、
腹の立つ根本の原因は、実は全然別のところにあるじゃん?

恋愛だってそうだ。

私なりに解釈するなら、

 「ひとりは寂しいから、とりあえず手近で
  一番条件のいいあの人を彼氏(彼女)に」

というのが西洋医学なら、

「私は、今は自分の底力を育てる時期だから、好きになれるその人が
 現れるまでは、自分を高める努力をしよう」

というのが東洋医学だ。と思う。

西洋医学は即効性があるから、「とりあえず今週末に予定がないのは寂しい」
とか「みんな彼氏がいるのに自分だけひとりはカッコ悪い」みたいな
“痛み”は一時的に治まるかもしれないけど、相手をリスペクトできない恋愛って
時間がたてば結局は「二人でいるのに何故か寂しい」って事にならない?

もちろん、西洋医学で「ガンの病巣を切除して劇的に回復する」
ことがあるように、恋愛だって
「惰性で付き合った関係がやがて本物になっていく」
ことだってあるわけなんだけども。

一方中医学は「まずは自分の治癒力を高める」事が主体なので、
病気を治すというより「病気に打ち勝つ「身体力」を作る」
という事が主眼になってる。
だから、時間がかかるわけなんだけども、その分完成度が高い。

それにもともと中医学は、特定の痛みを取り去るというより、
「身体の総合力・バランス力を高める」目的があるので、
例えば、もしひとつの恋愛が終わった時、西洋医学のように
「また寂しい“痛み”を抱える生活に逆戻り…」と急激に弱ってしまったり、
結局その痛みに耐えられず、またすぐに
「もっと強い薬を!もっと私の心の隙間を埋めてくれる人を!」と、
強烈な依存とか副作用になっていく事がない。

結局、誰かの力を借りるのではなくて、
自分自身が日頃から身体力をつけていれば、
「痛みや体調不良と上手に付き合える自分」は
、誰と付き合っても誰と別れても残るので、
非常に「基礎抵抗力の高い自分」になることができるってわけだ。


・・・あ。

なんかこの話、中医学を分かりやすく書くつもりが
相当複雑になってる気が・・(笑)。

 「要は、“痛みに直接効かせる”というより、“体質改善”なんです」

と、ひとことで言ってしまったほうが
よっぽど早い&分かりやすかったと思われる(笑)。


ま、いーや。

細かい事は気にしない人なんで
このまま進みます。

なにはともあれ・・・

正直に言いますが、鍼治療で「1度で劇的に変化する」のは
なかなかナイのではないかというのが個人的な感想です。
だから「20年以上付き合ってるアトピーを1か月でなんとかして!」とか、
そういうのには向いてない。

でも一度やると、

「お? なんだか私の身体の中で、今までクズグズ、
ダラダラとなまけてたヤツが動いてるみたいだぞ?」

という感覚が体験できるかと思います。

高い志のある院長なので、なんとなく体調に
不安を抱えてる人はぜひお試しあれ。

普段は非常に多弁で、「おまえは小学3年生かっ!」と
思わずツッコミを入れたくなるバカ真っ直ぐな発言満載の院長ですが、

「仕事では大人です。施術中はしゃべらない」、

と嘘のようホントの宣言をしておりましたので、
頼りになるかと思います(笑)。


*串のネギマみたいだけど違います。
 鍼にお灸を付けてるon私の背中。

月曜日, 11月 16, 2009

スープは、決して手に入らない。

コッチでは「え~!すごいですね~!」なんて
笑顔で答えてても、
アッチでは「あの男サイテー!」とか言っちゃうんだもんな。

若い女子ってコエーな ・・・。
私も10ウン年前そうだったのかしら??。。。

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チェコ在住の友達夫婦が2・5週間の
里帰りの後 日曜に帰国。サビシー。
てなわけで、帰国直前の土曜に
他のチェコ日カップルも一緒に中目黒でランチ。

旦那はチェコ語と英語。
さすがにチェコ語は無理なので、
久々フツーに英語を使う時間を過ごして、
自分の英語力の減退に衝撃。。。
もっと勉強せねばな。

友達夫婦は出会って約5年、結婚して3年位だと思うけど、
今回2人揃って会ったのは2年ぶりで、前よりもグッと
夫婦らしい印象を受けた。
これが「円熟味を増す」ってヤツなのかしら?

国際結婚は、私が想像するより何倍もの
大変な事があると思うけど、結局夫婦で
協力して壁を乗り越えていかなければならないのは
日本人同士が結婚しても同じ事だから、
年齢とか人種とかではなく、彼女は
「そういう人に会えた」わけで、それはやはり羨ましいー。

先週の「芝浜」じゃないけど、
このところ、結婚願望が薄めの私の周りで
「夫婦っていいな・・・」と思わせる現象が増加中。

なんだ? ウチの両親の刺客か?(笑)


・・・てゆーか、中目黒で飲んだ珈琲が
久々に美味だった。
美味しいコーヒーって実は案外出会わないのでウレシス。


また会おうぜ!Gちゃん。 日本か、ヨーロッか。
場所はどこにせよ(笑)。


****

その日の晩は、友達が誘ってくれた
お芝居に行ってまいりやした。

『チャイニーズスープ』


 東西ドイツが統一され職を失った年配のスパイ2人が、
 それぞれの「あの頃」と「今」を語りながら、
 社会の変容と、生きる意味、のようなものを見つけていく2人芝居。

正直、舞台上の2人の会話のみで展開するお芝居だから
決して「笑い満載」「ハラハラドキドキ」
「飽きさせない展開」という訳でもなく、
なかなか解釈の難しい話だったんだけど、
たぶん「ゴドーを待ちながら」という有名なお芝居に
近いメッセージ性があるのかなと思いました。

舞台は、とあるレストランのような設定で、
芝居のタイトルにもなっている「チャイニーズスープ」は、
舞台上の二人が注文したメニュー。
いつまでたってもやってこないスープを待ちながら、
二人は思い出話をつづります。

元はと言えば、東西に分かれて敵同士だった二人。
だましだまされの、緊張感のある毎日。

それが今は、互いの年金を気にしてタメ息ついたりするわけだ。

国は平和になり、東西の人々が手を携えて生きていけるようになったけれど、
じゃあそれで、なにもかもが「ハッピーになった」かというと、
それもチト違う。そんなに世の中は単純じゃないよね。


・・・人間って、本当に様々な要素に翻弄されるんだなって思う。

何千年っていう単位はもちろん、
自分が生まれてから死ぬまでの、たかが100年弱の間ですら、
価値観はコロコロと変わる。

お金も絶対じゃない。
会社も絶対じゃない。
結婚も絶対じゃない。
国や社会も絶対じゃない。
まして恋愛なんて、絶対だと口にする事すら
ナンセンス。それくらい、脆く、危うい。


結局、強い人になるには、折れる事のない「自分」を持てるかどうか。
なんだよな。「誰か」や「何か」と比べず、対外的な出来事に
翻弄されず、ただ自分の考える「あるべき方向」を持ち続ける事。

頭で考えるのは簡単だけど  ね・・・(苦笑)。


解釈は人によって違うのだけど、
劇中で二人が待ち続ける「チャイニーズスープ」は、

 待っていても、決して向こうからはやってはこない
 “人は何故生きるか?”という質問の答え

のメタファーなのかもしれないね。

だとすると、「スープ」はきっと、永遠にやってこない。

だから私たちはせめて、ただ待つだけでなく、
「自らの手で、完成しないかもしれないスープを作り続け」
なくちゃいけいないんだ。



*ちなみに日曜は友人の元板前・S氏の協力のもと寿司パーティ。
どーよ!この握り。普段あんまりイイモン食べてないから
胃に染みますな。

金曜日, 11月 13, 2009

もう芝浜。

もはやライフワーク。

立川志の吉独演会@八重洲 Vol.18

やばいです。
これは、記念の次々回VOL20で
この会も終わってしまうんじゃないかという不安が。。

や、完全な思いこみかもしれませんが。
というのも今回の演目。

・子ほめ(前座;めんそーれ)
・疝気の虫
・芝浜

!!

まさかの「芝浜」ですよ。
二つ目で芝浜・・・・。
もう完全に真打秒読みの予感です。

真打になったら、もっと大きな会場になって、
チケット取るのも大変になって…。
今みたいに月1ペースでは観られないんだろうな~。
まして錦糸町みたいに、あんな間近では観られなくなっちゃうんだろーなー。

あー。嬉しいんだけどとっても複雑。これがファン心理。

。。。とマア、暴走気味の妄想は置いといて(笑)。

今回は、「枕と噺×2」というオーソドックスな進行に戻りました。
個人的にはこっちのがいいと思う。

「疝気の虫」は久々に高座で聞いた噺だけど、
今回はなんと言っても「芝浜」でしょ!
ネタおろし(=お客さんの前で初めて演じる事)だったのかな~。
少なくとも私は彼の芝浜は初めて。

「芝浜」は、落語の世界では大ネタ中の大ネタです。
人情噺なので笑い所が少ない。そして難しい。

でもその分、噺がハマるととても感動的で、
ちなみに去年は私は、さん喬の芝浜で
思わず泣いてしまいました。

もちろん何度も聞いた噺だし
よってストーリーもすべて分かってる。
でも泣いちゃうんだよ~。これがスゴイ噺家がスゴイ所以。

芝浜は演者だけでなく、観客側にもある程度の素養とか
経験値が求められる噺だと思っていて、実は20代の頃は
この噺をイイナと思ったことないんだよね。
大人になったんだな~。私も(笑)。

大晦日が出てくる噺なので、落語ファンは
この噺が高座にかかるようになると、
「ああ~………今年も終わりだなー」と季節を感じます。


今回の志の吉君の芝浜は、さすがにファンのひいき目で見ても
「よ!名人芸!」………とまでは言えない段階ですが(笑)、
でも、最後におかみさんが嘘を告白するシーンなんかは、
なかなかグッと来るものがありました。
女性の出る噺が上手だなー。やっぱ。

芝浜は、夫婦のあり方を見せる噺なので、
主役の夫婦をどんな性格にするかによって
噺家の演出が違うんだけど、私はどっちかっていうと、
改心する前の旦那が過剰なまでに傍若無人なほうが好き。

その点、志の吉君は本人がまっすぐな人っぽいから損だ(笑)。

でも本人も、そして観客も、まだまだこれからなのは
きっと分かっていて、だからこその「独演会」なんだと思う。


 「ダメかもしれない」「上手にできないかもしれない」
 「期待してくれてる人に悪いから」 などなど……

そんな気持ちで、いつまでたってもチャレンジしなければ
前へは進めないもんね。
まずはできる限りの準備はして、そして「やってみる」。
これってすごく大事。

・・・今回は落語を楽しんだだけじゃなくて、
そういう、ある意味生きるうえでの「気持ちの持ち方」
みたいなものも思い出させてもらえたような気がします。


私も前へ進まなくちゃ ね。

水曜日, 11月 11, 2009

私のミュージックヒストリー(後編)

どうも会社でいろんなドメインを
立ち上げていて(この不況下に!)、
「似たようなビジネスが社内でカニバって共倒れ」
みたいな状況になりつつある。

あ~ あ~ あ~・・・(失笑のタメ息)。

-----

そしてやっと後編なのでした。

***

■第三期:音楽熱再燃期(1998年~)

何がきっかけか分からないけど、23~4歳の頃、音楽熱が突如再燃。
このころ電気グルーブが変にポップっぽいのを止めて
すごいイイ感じになってて、それを聴き始めたのはなんとなく覚えてる。
でも、2000年代になって初めて買ったCDはプライマル
なんじゃないかと思うけど。

たぶん私は、20代前半の「突っ走って生きる時期」が終わって、
“「ひと皿いくら」の女の子”から脱皮したかったんだと思うのよね。
ボンヤリではあったけど、この「若い女の子として扱われる状態」
が終わったらどうなるかって事を、ちゃんと考えないとなー と思ってた。

この時期から20代終わりまでは、脱皮のひとつの方法論として
結婚に向かう女子もいたけど、そういうのは他力本願的幸せ探しだと
冷ややかな目で見てた気がする(今思えば、そういう生き方もあったと思うが(笑))。
私はそこで「自分と向き合う(内省)」という方向に向かったんだな。

その「自分を取り戻す」ひとつのきっかけが、
音楽熱再燃だったのではなかろーかと。

10代の頃の音楽の聴き方って、洋楽に関しては全部「回顧」で、
60~80年代のもう生きてないバンドも多かったけど、
再燃期は結構現役のアーティストを聴いてる。

ブランクがあったので、私が聴いてない間に
音楽スタイルが激変したU2とかRadioheadは、
浦島太郎状態で聴いてました。でも後半のが好きだな。どっちも。

この時期はどちらかというとテクノとかトランスとか
電子音ぽい音楽に傾いてたので(今もだけど)、
聴くのが現役アーティストにならざるを得ないっていうのもあったけど。
この頃のCDは、ケミカルとかオービタルとかビッグネームが多くて、
Aphex twinはちょっと別格で好きだった。もちろん今も超好き。
内向的な音だなーと思うけどね。アレ(笑)。

火が付くのに決定的だったのは、たぶん周りに音楽好きが何人かいたので、
音楽の話したり、フェスに行ったりする機会ができたから。


■第四期:成熟期(2005年~)

27、28歳位の小休止を経て、かなり音楽的思考が
幅広くなったのは、ホントこの4~5年。
NZに行ったのが大きな転機だったのは間違いない。

NZって地上派TVが3チャンネルしかなくて、
その中のひとつが、C4っていうMTVみたいな音楽PVばっか
流すチャンネルで。滞在時の前半はそればっか見てた。

だから2005年の英の音楽チャートは詳しいよ(笑)。
フランツとかコールドプレイにはエネルギーもらって、
それで好きになったようなトコあるもんな。
Jack johnsonの「Bad day」て曲のPVが超カワイクて、
それ見てちょっと泣いたなー。

ホームシックの自覚はなかったけど、
なんかNZでは、これまでの人生を振り返ることが
多かったので(それまではそんな余裕なかった)、
すごく感受性が強まってた時期なんだと思う。


音楽だけじゃなくて、芝居にしても映画にしても、
昔はサブカルっぽいのを「カッコツケ」で観てた側面があるので、
「分かって観てたか」と言われるとかなり怪しい。

でも、あのころ以降はかなり「認識して見てる」気がする。
素直に「おもしろそう!」と思ってるから、観るし、聴く。

嫌いな音楽を「ケ!あんな音楽」と過剰に攻撃せず、
あくまで周りは関係なく、自然に自分の好きなものをチョイスしてる感じ。
それを周りがどう思うかも、特に気にならない。
本質的には結構自意識過剰な人間だと思うのよ。あたし(笑)。

JAZZとかも腰をすえて聞き出したのはここ数年だし、
ヒップホップを除いて、ほぼなんでも聴く雑食系になりました。

今は昔に比べれば自由になるお金も多いし、
音楽情報もネットに溢れているから、

 情報を手にする⇒興味を持つ⇒買う

っていうスピードが速くなってて、
昔よりもCDが増えるスピードが格段に速くなった。
それはつまり、「金を使うようになった」という事で。

アマゾンで一気に枚数が増えたアーティストが
結構いるんだよね。私。Talking headsとか。

ネットって罪だー(苦笑)。


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・・・こうして振り返ると、結局音楽って、
「孤独」とか「屈折」とか「マイノリティー」とかって
キーワードが頭にある人の趣味のような気がするよ(笑)。

だから、自意識過剰で仲間はずれを極端に恐れる時代
(中~高校生)は、あまりそういう音楽好きな自分を前面に
出せていなかったんだと思う。私はね。

ほかの人はどうだか分からないけど。

まあ、肌にツヤがなくなるとか、
疲れがなかなか取れないとか、
年とともに肉体的には衰えていくわけなんですけれども(笑)、
大人になるっていうのは、ある種の「開放」もあるので
スバラしいなー と、こうして思い返すとシミジミ思う。


* 第二の青春の入口

月曜日, 11月 09, 2009

美しき女の闘い

社会的な体裁や、「ないよりはマシ」
という理由で、好きでもない人や物や場所と
一緒にいるのって、かなりの苦行だと思うんだけどな。。

それ、案外多いよね。世の中。

だから私はダメなのか? 人として何か欠けてるのかも?

-----

知り合いがテコンドーの試合に出たので、
後楽園ホールに観に行ってきました。

後楽園ホール・・・縁がないな~(笑)。
格闘技好きの間では聖地だよね。

格闘技は面白そうだなとは思うし、
ジムでボクササイズやコンバットくらいはやるけど、
観戦するほうに興味が向いた事はなかった。

テコンドーに限らず、格闘技のルールは
正直よく分からないんだけど、
素人でも間近で観ていれば(一番前の席だったので)、
「あ、あの人はちょっと疲れちゃったな」とか
「あ、あのパンチは相当ダメージあったな」とか
っていう程度は分かるので、なかなか見ごたえがあります。

蹴られた時の、あの「バズっ!」っていう鈍い音、
身内の人は観てるのイヤだろうな~とか思うんだよね。
イヤじゃないのかな。

テコンドーや空手には「型」という競技もあって、
対戦相手がいるのではなくて、その動きや技の美を
競う競技もあるんだけど、
こういうのって、たぶん知らなければ一生縁がないから
私も今回初めて観れて面白かった。

素人が見ても、綺麗な所作の人っていうのは、
美しいんだねー。


男性の格闘技好きは、「鍛え抜かれた肉体の美学」とか
「戦うという男の本能」がその本質にあるように思うんだけど、
女性の場合は、どうなんだろ・・・? 
今回観に行った友人は女性選手なので、
そんな事をシミジミ考えました。

ストレス解消 とかもあるんだろうけど、
後楽園ホールで試合するまでになる人は、
殴るだけじゃなくて、殴られる事も多々あるわけだし、
趣味気分でやってるだけじゃー無理だよね。

なんとなくなんだけど、女性で格闘技するタイプは、

「強くなりたい!」「私が一番!」という強烈なセルフイメージが
格闘技という方法でアウトプットしている人

と、

自分をとことんまで追い込む事で快感や満足感がある、
究極のストイックというか、要はM(笑)

な人と、大きく分けて2種類いるような気がする。

私はかなり後者寄りなので、やれば
きっと頑張ってしまうほうかも(笑)。
今回観に行ったMさんも、どっちかっつーと後者の気がするなー(笑)。

友人はなんと女子の部で優勝しまして(やったね!)、
私も気分よく家路に着く事ができました。


でも、優勝した事はもちろん素晴らしいのだけど、
個人的には、あのリングに立つまでに
何十、何百時間の練習をして、数え切れないほど
殴ったり殴られたりしている彼女の
たゆまない努力を想像して、そこにグっときました。

「純粋に“何か”に向かっている人」って、
言葉がいらないよね。

その所作だけでメッセージが伝わってくる。

・・・いつもだと疲れちゃうけど(笑)、
ある期間、「他のすべてを犠牲にして」
ひとつの事に向かっていくっていうのは、
必要な事なんだと思う。

大事なのは「他のすべてを犠牲にして」ってトコね。

2匹も3匹もウサギを追っかけられるほど、
もはや体力ないもの(笑)。

きっとひとりの人の中でも、
時代時代でテーマは変わると思うんだよね。
20代と40代では人生に求めるテーマも違うだろうし、
年齢以外でも、変化のきっかけはあると思う。


そういうテーマや、自分にピッタリのスピードを
その時時で見つけられたら、
その人はきっととっても幸せなんだよね。

木曜日, 11月 05, 2009

レベルアップした 気がする。

本日は2本立てで。
※あ、音楽ヒストリー後編は近日中よ!(苦笑)

----

先週末は、友人の学生時代の友達が
やってるお芝居へ。

劇団「キンダースペース」
短編演劇アンソロジー六 芥川龍之介篇その二
「架空線の火花」羅生門・或阿呆の一生より

「キンダー」なんて言うから、子供向けの
お話かと思ったら全然違った(笑)。

基本は、芥川龍之介の原作に忠実で、
短編をオムニバス風につなげていく2時間くらいの舞台。

私はこの手の日本文学をベースにした
お芝居をあんまり観たことがないので、単純に楽しかった。
小さなハコだから役者さんの息遣いも間近だしね。

芥川の作品って「人間が生きるうえで犯してしまう罪」
とか、「必要悪」みたいなものに迫ったものが多いので、
いかんせん 暗い んだ。コレが(苦笑)。

まあそれも演劇のあるべき姿のひとつなのだけど。

お芝居とか音楽をやってる人って、
私は「ウマの合う人」になりやすいので、
その人とは初対面だったんだけど、
舞台明けに本人と飲んでみたら
やっぱり「友達」みたいだった(笑)。

・・・どんなに有名になろうが、どんなにお金持ちになろうが、
舞台出身の役者の原点は「コレ」なんだよね。

芝居をやっている人って、みんな「原点」というか「芯」の
ようなものを持っていて、言葉で説明するのは難しいんだけど、
やっぱりほかの人とは違うなって思う。


****

文化の日は、今年最後(であろう)2000m級登山。
山梨の「大菩薩嶺」日帰りです。

今年は随分登ったな~。やま。

登り始めの標高が比較的高い山なので、
4時間強の無理のない行程。充実の山行でした。

天気はバッチリだったものの3日は急激に冷え始めたので、
閑散としているだろうと思いきや、
富士山の眺めで有名な山だそうで
かなり登山客で賑わっていました。

前評判通り、富士山は完璧なたたずまい!

日本人で、「富士山に興味がない」って人
いるのかしらねー?
・・・っていうくらい、みんな富士山好きだよね。

もしかしたら、富士山て、
人が「こんな風になりたいなー」と思うエッセンスが
全部入ってるから、自分が清らかになった気になれるのかも。

堂々として、
それでいて奢らず、
シンメトリーの美しい所作と、
夏のおだやかさと、冬の厳しさを兼ね備え・・・

みたいなね。

人間もそうありたいじゃん?


ホラ。受験生の時に本屋さんの参考書売場に行くと、
なんか頭良くなった気がするじゃん。

なんも変わってないんだけど(笑)、
少なくともちょっと気分がよくなる。

あの感じに近いのかもしれないな と。


・・・って、例えがチンケすぎ?(苦笑)


* 帰りにほうとう食べた。
その店にあったひょうたんの飾り談議で、
清らかな富士山の思い出がブチ壊しに・・(笑)。

木曜日, 10月 29, 2009

信念か。現実か。

なんか今週は風邪引いたのに
なんかアクティブ。

-----
さっそく「沈まぬ太陽」を観て来ました。
封切りの映画、久々に観たな。

脅威の200分超え! なんと途中に10分間の休憩が
入ります。そんな映画、初めてだよ。

・・・しかしこの時期にこの映画が公開されるっていうのも
絶妙なタイミングだよね。J○Lはさぞご立腹でしょう。

実は、映画になると決まった時から楽しみにしていたのですが、
反面、原作の本が最高にすごいので(私もだいぶ前に図書館で
借りて、ちょっとふるふるした)、映画を観てガッカリしたら
どうしよう……と、複雑な気持ちも一方ではありました。
そういうケース、ままあるからね。

でも・・・結論から言うと、すごくよかった!!

ストーリーはほうぼうで紹介されているので
割愛するとして・・・・

原作のパワーが、しっかり映画に投影されてたなという気がします。

原作では前半の「10年の僻地勤務編」と、後半の「御巣鷹の事故編」とは
明確に分けて書かれていたと思うけど、映画はどちらかというと、
事故編が主軸になっていて、僻地勤務は「回想」っぽく
織り込まれてる感じでした。でも、仕方ないと思う。
カラチ、テヘランなんていうところで、臨機応変な撮影を
する事自体が、たぶん不可能なんだろうね。

でも、私が原作を読んだ時にすごく心に残った、
ケニア駐在時に主人公が精神を病んで、
錯乱して家にある剥製を銃で連射するシーンがあるんだけど、
あれは、私が頭に思ってたイメージに超近くて、かなりゾクっときた。


前にも似たような事を書いたかもだけど、
私は、あの日航ジャンボの事故には特別な思いがあって、
あれを題材にした本や映画を観ると、それだけで
ストーリーとは関係なく、心臓がドキドキして涙が
止まらなくなっちゃうんだよね。。

この映画も、事故の衝撃的なシーンが比較的前半に
集中して出るんだけど、開始早々に涙がジャンジャン出て困った(苦笑)。
全然泣くトコじゃないから、
隣のオバサンにチラチラ見られちゃうしさ~。。

さすが山崎豊子作品だけあって、
別のドラマなんかでは主役・準主役級の人も
チョイ役でいっぱい出てます。

今回はやっぱり渡辺謙の演技が秀逸だし、
三浦友和をあえてダークサイドで使うあたり、かなりハマってたけど、
私は実は、香川照之が一番よかったと思ってる。
アノ人、ちょっと心の病んだ役をやらせると、
本当に鬼気迫るものがあるんだよね。

映画では、主人公の次に労組の代表になって
最後は非情な末路をたどる役なんだけど、
ある意味、日本のサラリーマンが一番感情移入するのは
彼なんじゃないかなー。。。 

 信念か。現実か。

誰もが様々な形で苦しむテーマだし、
美しく信念を貫ける恩地のような人は
むしろ少数派でしょうからね。。


この映画、たくさんの人に観て欲しい。

「会社? ヤなら辞めちゃえば?」という感覚の
世代には、結構カベの高い話だけどね(笑)。

ただ。

別に航空会社の肩持つわけじゃないけど、
この映画を観て、「J○Lってなんて酷いんだ!」
と思うのはちょっとキケンだと思う。

映画では、善悪をはっきり描き分けたほうが分かりやすいから
そうしているけど、実際は主人公(映画では恩地、モデルは小倉さんという人)
は、あの事故で遺族の世話係はやっていないし、
あの会社を腐敗させた理由は、別に賄賂や労組闘争だけじゃなくて、
もっともっと複雑なんだと思う。

世の中というのは、小説のようにシンプルじゃないよ。

あくまで「フィクション」として観てください。
それがこの映画を楽しむコツかもしれないよ。


*エンドロールまで観ると、これだけの大作に
 大手広告代理店やテレビ局の名前が全然出て
 こない事に改めて驚きます。
 よっぽどニラまれたくないんだろうな~・・・
 ま、確かに、これで渡辺謙がJ○LのCMに起用
 される事は一生ないだろうけどね。

月曜日, 10月 26, 2009

ラクゴのダンゴ

なんだなんだ!?この寒さは。

-----
このところ週末は、「土日両方やま」とか、
「土日両方飲み」とか、なんか同じような予定が
ダンゴになる事が多いんだけど、
先週末は「土日両方落語」(笑)。

しかも何故か新作(=みんながやらないような話)づいていた。

土曜日は、ほとんど部活と化している(笑)
落語仲間と、企画モノの興行へ。

三三⇒喬太郎⇒百栄⇒白鳥

という、ある意味一貫性のまったくない
組み合わせでなかなか面白かった。

落語が分かる人には分かると思うけど、
後半に行くにつれ「それって落語なのか?」みたいな
話をする人になっていくので、
最後の白鳥の、ま~締まりのない事と言ったら(苦笑)。

三三や喬太郎あたりは、このところいつ行っても
ほとんどハズレがないので、
あとはその組み合わせが「吉と出るか凶と出るか」
みたいなところはあるんだよね。
そこからすごいケミストリーがある時もあるんだけどさ。

この面子と落語にいくと、なぜかその後の飲み会が
アダルティな話題になる事が多くて(笑)、
まー今回もそんな感じで、ゆるーく飲んで最後はバカ話で解散。
楽しいよなー。バカ話で飲むのって(笑)。

だから、落語がズルズルで終わっても
・・マ、文句は言えないわ。


*****

日曜は、新宿で開催された「芸協まつり」に
行ってきました。

一応説明しておくと、関東の落語家は大抵「落語協会」と
「落語芸術協会」のいずれかに所属してるんだけど(例外あり)、
今回のは、このうち「芸術協会(略して芸協)」のほうが開催したイベント。

こういうのに行くっていうのは、超コアな落語ファン
って感じに聞こえるけど、今回は別の目的があって、
芸協が主催している「落語教室」で学んでいる知り合いがいて、
その人の発表会があるので、それをメインに出かけたのでした。

彼は上手いんだよー。落語。
芸達者な人っていうのは、ホント見てて楽しい。
彼が落語を始めてからまだ1年たってないけど、
人って、いつからだって新しい事を
はじめられるんだなーって楽しくなっちゃう。

会場は新宿の廃校になった小学校で、
各教室で小さな落語会もいっぱい催されるので、
もちろんそっちも楽しみましたけどね。

こういうイベントって、言ってみれば
「フジロック」とか「モーターショウ」みたいなモンで、
普段は見ない噺家さんを見て
「お。この人面白いじゃん」って人がいれば、
今度はその人の独演会に行ってみるとか、
そういう「品評会」みたいなノリだから、
噺家の人も、緊張しつつも持ち時間が短いので
かるーい感じでやってて、それが逆にヨイんだよね。

ファンサービスの意味合いが強いので、
芸協の看板芸人、春風亭昇太はず~~~~っと、
写真とサイン攻めになってました。

あの寒空の中。ずっと笑顔で。
きっと本当にいい人なんだなー。昇太って(笑)。


ところで、今回見た新作落語の中で、
「チョココルネ(あのうずまきパンの)」の話題が
出てたんだけど、一緒にいた関西出身の人が、
あのパンを「チョココルネ」って言うのを初めて聴いた。

って言うんだよね。

チョココルネの東西の文化の違いを知っている人、
誰かいないかしら・・・?


いい感じにユルイ、
楽しい週末でした(って、子供の絵日記みたいなシメだな)。


*人ごみの向こうにはナイツ。
 ナイツは芸協所属の芸人さん。落語ファンは、
 ナイツは「寄席で見た」って人が圧倒的に多いと思う。
 私もそのひとり。もうずいぶん前だけど。
 吉本全盛のお笑い界の中で、ああいう
 気骨のある若者にもぜひ頑張っていただきたい。

木曜日, 10月 22, 2009

私のミュージックヒストリー(前編)

スポーツでも、仕事でも、
たった1つのスーパープレイが生まれるまでに
費やされた時間は、驚くほど長い。

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なんだか今週は、「仕事」というキーワードで
思うところが多かったんだけど、
あんまり面白い話じゃーない(というより、書いててヘコむ)
ので別の話にしよう。


こないだ、いいかげんCDがグチャグチャしてきたので、
実家にあるぶんもまとめて整理したら
すごい懐かしいCDとかカセット(!)が出てきた。

ノスタルジックな3時間でした。

そんな訳で、なんとなく
私の音楽遍歴を思い返してみた。
たぶん、同世代の人しか面白くない話題満載(笑)。



■第一期:邦楽興味と洋楽への移行期(80年後半~90年前半)

具体的に音楽に興味を持ち始めたのは
小学校5~6年頃だと思うけど、この時期は邦楽。
アイドル全盛期だったけど、さすがにそっちは興味なくて、
小学校時代の友達と、米米クラブやユニコーンのコンサートに
行った記憶がある(コンサートに行ったのは中学になって
からだけど)。でもベスト10とかトップ10はよく観てたな。

日清パワステのレピッシュのライブ(ゲストでアンジーの
水戸さんが出てた)が妙に印象に残ってる。ナゼだ?
誰と行ったかも覚えていないのに。
PATI-PATIとGBが愛読書だったあたり、いま思えば明るい(笑)。

ちなみに「初めて自分のお金で買ったレコードは?」ってネタ、
たまに友達とするけど、私は何故かゴダイゴの「ガンダーラ」。
多くの人が、初自腹レコードは「今となってはナゼ?」って
タイトルだったりするみたい(笑)。

当時ようやくCDが一般的になってきた時で、お小遣いが少なくて
買うのは難しかったけど、ウチの近所にできた
「YOU&I」っていうレンタルCDショップによく通ってた。
小学校の時には作れなかった会員券を、中学生になって
初めて手にできた時は、大人になった気がしたな~。

あの頃の実家のCDプレイヤーって、シングルCDはアダプターを付けないと
聴けないやつで、中学の入学祝いでシングルCDが聴ける
自分用のラジカセ買ってもらった時は最高に嬉しかった。
そのラジカセのCMってレピッシュが出てて、私が「○○がCMに出てるから」
という理由でモノを買った数少ない経験ですな。

基本的にはレンタルでCD借りたり、兄・姉のいる友達から
CD借りたりして、それをカセットに録音するってーのが多かったな。
だから、サザンとかRCサクセションなんて、みんなカセットで聴いたよね。

「イカ天」とかすごい夢中で見てたけど、イカ天の後半(「たま」が
チャンピオンになったあたり)から、邦楽に急速に興味を失いだして、
好きなバンドの人が、雑誌の取材で「好き」とか「影響を受けた」とか言ってた
海外のアーティストを聞くようになったんだよね。

だから、スペシャルズとか、プライマルスクリームとか
あの辺りはこの時代(高校生くらい)が私の中でスタートだな。

特にベトナム戦争(60s)のサイテデリックな音を好んで聴いていたので、
ビートルズも、イージーリスニングではなくて、ちゃんと聴くように
なったのは中学生の後半以降だったように思う。

思えばあの頃は、洋楽を好きになりつつあるを「大人っぽい」と
自負する気持ちと、何故か「恥ずかしい」と思う気持ちがあって、
友達とかと音楽の話をした記憶がほとんどない。

男の子は、この時期にバンドに興味を持って、
「モテたい」という原動力で楽器をやり始める人もいたけど(笑)、
何故か女子はそういう人少なかったし、私も「自分でバンドを
やろう」という方向にはベクトルが向かなかった。

プリプリが流行ってたのでコピーバンドやってる子はいたけど、
あの路線の音楽に興味がなかったのと、仲良い友達にそういう人が
いなかったので。
周りにそういう友達がいれば、また違ったかもしれないな。


私の学生時代って、本当に自分を閉じてたというか、
“らしくない”時代だったんだなー と、イマサラながら改めて思う。



■第二期:音楽無関心期(90年代後半)

10代後半から20代の前半って、ほかに楽しい事がいっぱいあるから、
音楽への興味を完全に失ってた時代。
音楽だけじゃなくて、芝居とか映画とか、そういうモノにも
あんまり時間とお金をかけてなかった時期だね。
私のこれまでの人生の中で、最も“俗っぽい”5年間(笑)。

だから今思い出しても、そういう事に関する記憶がほとんどないし、
実際その頃に買ったCDってほとんどない。

ちょうどこの頃って、日本の音楽もいわゆる「コムロ系」の
わたしが嫌いなサウンド全盛になっていて、そういうのが
すごい嫌だったっていうのもあるし。

当時付き合ってた人が、車でGroveとかかけてて
すごい嫌だったんだけど言えなかった。
・・・・今なら「人は人」だと許容できるけどさ(笑)。

今はコーネリアスも好きだけど、あの頃はいわゆる「渋谷系」
と言われたお洒落サウンドにも、どうも抵抗があったのよね。
今思えばもったいないな。


もちろん楽しかった時期だし、すごい色んな事を吸収した時代で、
アレがあるから今の自分がある とハッキリ言えるんだけど
・・・アホだったよな~。あたし(苦笑)。



・・・・あ。
なんか長くなっちゃったぞ。2回に分けよう。

というわけで、続きは後編で。


*ゴダイゴ。これぞ青春。

火曜日, 10月 20, 2009

上司論

最近CD買い過ぎ。
何かの「衝動」なのか? 分からん・・・。

-----
先週末、立て続けに「上司」と飲んだ。
といっても、「元上司」と「別部署の上司」。

どっちも結構ちゃんと“仕事話”で、
主は自分の話ではないんだけど、
なんだか参考になったり、怒ったり、感心したり、ヘコんだり、
色々考えさせられた。
私も、仕事における自分の立ち位置を見直す年齢なのかもな。

いずれにしても、自分が大きい組織に
「まったく向いていない!」事だけは、分かった昨今ですが。

****

世の中に「上司」と呼ばれる人はたくさんいて、
社長だって一種の「上司」だし、要はひとりでも
部下が付けば、それは上司ということだ。

どうあれ、上司はやはり部下から「すごい」と
思われたほうが良いと思う。上司・部下の関係がある場所は
必ず「組織」であるから、上司が部下に「すごい」と思われた
ほうが組織は円滑だからだ。

もちろん「すごい」の種類は色々あるわけで、
夫婦みたいなモンで、上司・部下の組み合わせの数だけ
「すごい」の意味合いも違ってくるし、その「すごい」を
部下が感じるためにはそれなりの時間が必要なのだけど、
私の考える本当にすごい上司って、

 「これは自分が間違ってるかも?」とか、
 「自分の意見(方法)で本当にいいのか?」とか、

とにかく立ち止まって、
考えて、考えて、考え尽くせる人の事だと思う。

それは「部下のため」とかそういう事じゃなくて、
とにかく「この会社(組織)に利益を生むために」
どうすべきかだけを、頭から煙が出るほど熱く、
南国の海ほどピュアに考えられるかという事だと思う。

結果、組織が活き活きしたり、
部下がハッピーになったり尊敬されたりしたとしたら、
それは幸せな事だけど、副産物でしかない。


「ナニを当たり前な。上司は“考える”ものでしょう」と言われそうだけど、
私は、10数年の社会人生活の中で、
世の中あまりに「考えて上司やってる人が少ない」事実に
結構驚いたりしている。

私は幸か不幸か、「この人はすごい!」という上司に
出会った事があるので、逆にそうではない上司の
「考えてなさぶり」がものすごく気になるというのもあるかも。

人間的な完成度と、上司として「すごい人か」という事は
別問題だけど。

時々若手(営業マンとか)が、上司批判で
「そんなに言うならオマエがやってみろ!」
とか言うけど、そんな若手の上司批判は超クソで、
上司が末端の若手がやる仕事なんかやってちゃダメだ。
本当は上司って、「やってはいけない人」なんだと思う。

やらなくていいから、考えなくちゃ!

会社になんて居なくていいから、
オゴってなんてくれなくていいから、
とにかく、血を吐くほど頭使わなくちゃ!

上司という「商売」は、言ってみれば「社内ブローカー」
みたいなモンで、自分の考えた事を、周り(部下)にできるだけ
完全に実現させる事によって、そこからの利益の中間マージンを
取る(=それが給与)役割なんだと思う。

でも、今「上司」と呼ばれる人の多くは、

「自分もいちサラリーマンであり、会社から給与をもらう人である」

と思っていて、結局はそれが
会社をダメにするし、部下だってやりがいを持って
仕事できない事に繋がるんじゃないかなと思う。


・・・もちろん。

この話は、「自分はソレをできている」という事ではないよ。
第一いまは私、部下いないしね。

あくまで「私の思う“良い上司”とは」という題名の作文でしかない。

でも。
私も、大小はともかくなんらかの組織に所属して
仕事をし続けていく以上は、いつかは嫌でも「上司」的な
人になっていく可能性があるわけで、
そういう時のために、自分のオピニオンは整理しておきたいな。
と、思いまして。

ま。
今の会社を全然愛してなくて、もはや「家庭内離婚」状態の
私が言えた話じゃ~ないんだけどねー。

それに、今は評価されるような仕事の仕方をしてないので、
こんなカタイ事書いてるけど、全然ユルユルなんだけどね~。

オー ホホホホ~♪

木曜日, 10月 15, 2009

大人の胸キュン

混んだ電車でひとつだけ席が空いた時、
小学生くらいの自分の子供にその席を譲る親は、
「子供への愛情が強い」 と 言えるのか……?

------

秋の夜長は映画っすよ。

今回は、エリック・ロメール「恋の秋」

ロメール監督の四季シリーズ4部作は、
これでようやく全部、ちゃんとシアターで観た事になります
(実は「冬物語」は、だいぶ昔でほとんど覚えてないけどね)。

で。「恋の秋」。

もーねっ!
待ってました!って感じ。

ロメールの恋愛映画は私の肌に合う。

恋愛映画をほとんど観ない私の心にも、
しっかり響いてくれる。

 フランスのぶどう農園で、ひっそり暮らす
 変わり者だけど快活な女性、マガリ。
 既に夫はなく、2人の子供達もひとり立ち済み。
 日頃は元気だけど、心に寂しさを持っている彼女を心配する
 親友や、息子の恋人が、マガリのボーイフレンド探しに奔走する。。。

というのが話の概要。

でね。

このマガリがいいんですよ。
40代のこの女性の生き方に
とっても共感できる部分が多い。

自立した素敵な女性なんだけど、
自分が寂しいという事にはとっても素直。


親友が紹介してくれるのは、自分が身代わりになって広告を出した
結婚相手募集の記事に応募してきた男性なんだけど
(欧米の映画ではよくある)、なかなかいい感じの人が現れたわけ。

で、その親友は、二人を「改めて紹介する」んじゃなくて
自分の娘の結婚式に二人を呼んで、
自然に引き合わせようとするの。

 *外国のガーデン式の結婚式って、
 *どっちかっていうと「週末のホームパーティの豪華版」みたいな感じで、
 *結構、新郎新婦を直接知らない人もよく参列したりするんだよね。
 *ちなみに私もNZに住んでる頃、そういうタイプの結婚式に
 *2度程出た事がある(1組はどちらも知らない人)。


そんな二人の出会いを見ているとね、
なんだか高校生みたいなの。

40代のマガリのピュアさに比べ、
彼女の息子の恋人(たぶん20歳位?)は、
逆に大人びてるというか
こまっしゃくれたところがあるから、
その対比が、実に実にヨイのです。

マガリは、大人になって
「1周回ってピュアになってる」感じとでも言うのか。

「あ。この人いいカモ」とお互いに直感で思っているのに、
自分の言葉を素直に出せなくて、ついクールを装ってみちゃったり。

でも、ロメール(というかフランス文化)特有の
ウィットに富んだ哲学的な掛け合いは健在。

まあ、元々は親友がダマして二人を引き合わせたわけで、
それが元でちょっとゴチャゴチャしたりするんだけど、
結局最後は「幸せの予感」を示唆して終わります。

で、これがいいんだけど、ラストは
特に熱い抱擁やキスシーンがあるんわけじゃない。涙もない。
誤解が解けて、二人の気持ちが近づいた後、
実は男性のほうは先に帰ってしまうんだけど、
「一緒に行かなくていいの?」と聞く親友に、マガリは

 「いいのよ。縁のある人なら、きっとまた会うわ。
 それに今日の私、あんまり魅力的じゃないもの」

とか、言うわけ。

キャ~っ! すてきだ~~!

急がない。
虚勢を張らない。
でもちゃんと恋の駆け引きはする。

大人だー。

南仏の小さな田舎町のお話だから、
洗練された服も、オシャレなレストランも
バリキャリおねーさんも出てこないけど、
とにかくなんとも言えないあったかさ。


・・・・マガリもそうなんだけど、思えば私も、
今まで「この人に会わなければ良かった。あんたなんか不幸になれ!」
みたいに終わった恋愛ってないんだよね。
いっとき恨んだりしたことはあっても。

それってつまり、今となっては縁のない人であっても、
「しなきゃ良かった恋愛」ってナイ という事なのかな と。

そう考えると、やっぱり生きるエネルギーとか、
人間を豊かにしてくれる学びの場として、
「恋」というのはとても大切な要素なんだよな、と思うわけですよ。

私は「恋がしたい」のであって、
「付き合いたい」わけではないので、
「居心地の悪い人と無理に一緒にいる」のは嫌だけどね(苦笑)。


とにかく「大人の胸キュン映画(笑)」です。

女性の共感が多いだろうけど、監督は男性だからね。
きっと男性も、頭の中がバラ色(エロなほうじゃなくて)気分に
になれると思います。

DVDもあるし。ぜひ!

火曜日, 10月 13, 2009

国にも人にも「境」はないから。

友達の結婚式に出た。
この1~2年、従兄弟の結婚式くらいだったので
油断していたら、10・11・12月とダンゴ。

メデタイんだけど、ふ、フトコロが・・・。

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NZ在住時の友達と「青空鍋」をやる。

最初にお誘いうけた瞬間、「青空鍋」という
ステキすぎる響きにかなりグっときた(笑)。

だってBBQじゃないんだよ! 鍋だよ。外で。
炊き出しみたいじゃん(笑)。

神奈川のほうに住んでる友達なので、会場は某海岸。
恒例の集まりで私も何度かお誘いを受けてるんだけど、
あいにく都合が付かず、今回が初めて。

この友人はもともと旅好きで、
昨年旅仲間のひとりと結婚しているので、
ほかのメンバーも旅繋がりの人が多い。

なんと言っても、ほとんどの参加者が日本人で
あるにも関わらず、「日本ではない国」で知り合った
仲間というのが、コレまたかなりステキです。

自己紹介をすると「旦那とインドで知り合った○○さんと、
○○ちゃんがベトナムで知り合った△△ちゃんと、奥さんが
オーストラリアで知り合った××ちゃんと・・・」てな具合で、
なんとも脈絡のないつながり。
まあ私も、その友達とはNZで知り合ってる訳で。

遠い地でのそれぞれの出会いが一期一会にならずに、
こうやって時々集まる仲間として繋がっているって
本当にすばらしいと思う。

主催してくれた夫婦が相当入念な準備をしてくれてて、
ビールはなんとサーバの生ビール!
そして鍋は中華街の火鍋。

近所のスーパーで買った食材をブチ込んだだけの
安くて気軽な料理だけど、性別も国籍も世代もなにもかもがバラバラの人たちと、
まるでアジアの屋台街のような、なんとも言えない雰囲気に包まれて
ユルい会話で楽しんでいると、
「もしかして、こんなに贅沢な時間ってナイんじゃないか・・」と
結構本気で思ったりした(笑)。


普段会社で 日々の暮らしのためにカリカリ、あくせく している自分と、
こういう時に、お金ではない「最高の贅沢」を満喫している自分、
どっちも「自分」なんだけど・・・・。


 一体、自分は どうしたいのか?


そんな事を、酔っ払った頭で
ついつい考えてしまう、
そんなセンチメンタルなひとときでした。



*お天気が最高で、綺麗なサンセットを
 拝むことができた。
 夕焼けは、ステキで、切ない。

金曜日, 10月 09, 2009

キーワードは「切なさ」なんだ。

「ナントカシェアリング」流行り。
「物をみんなでシェアし、無駄なものは持たない」
という思想はいいと思う。

個人的には、コレの究極は
「嫁(旦那)シェアリング」だと思っている。
少子高齢化が加速度的に進む今、まんざら笑い話でもない気が(笑)。

-----

Oh イエ~!
行ってきました、ハッチハッチェルバンドワンマン@高円寺。

東京では初のワンマンなんだって。意外~。

小さなハコとは言え、お客さんパンパン。
ハッチさん すげー。

さすがワンマンなだけあって、
これまで見た中で一番曲数が多かった(当たり前よね)。
2回のアンコールを含め、15曲近く かな?

もちろん最高でした!
いち早くソロアルバムもGET。


・・・ハッチハッチェルバンドって
私のよく聴く音楽の中ではかなり異質で、
ピコピコもしてないし(Aphex twin的な)
ワールドミュージックっぽくもないし(Talking heads的な)、
キラキラもしてない(アニコレ的な)けど、
なぜかすごいファン。

なんでかな~と自分でもずっと思ってたんだけど、
昨日考えたのは、
まずはハッチさんのトークが秀逸なのと(笑)、
もちろん演奏のレベルそのものが高いのと、
あと私はハッチさんの音楽を、
落語とかJAZZに近い楽しみ方をしているんだな と。


「楽しむ」って色々種類があるじゃん?

旅行に行ったり、友達と美味しい酒を飲んだりする楽しさと、
登山とか仕事みたいに、結構シンドイとこもある
楽しさとではちょっと質が違ったりするわけですよ。

私は音楽は、「あー なんか言葉にできないけどComfy~」っていう
視点で好きになるケースが多いんだけど、
ハッチさんの音楽の場合は、どっちかっていうと、
そこに隠れてる「切なさ」みたいなものにピンと
来ているんじゃないかね? (「ないかね?」って言われても ねえ~(笑))

落語もJAZZも、お仕着せなお涙とか、
言葉でハッキリと「私って辛いの。カワイソウなの!」
と言う事はほとんどないけど、聴いてる側はその作品のどこかに
なんともいえない「切なさ」を感じるんだよね。
ハッチハッチェルハンドの演奏が、実際に
JAZZっぽいとか、落語っぽいとかいうことではないんだけど。

ハッチさんの音楽も、その材料をバラすと、

 ノータリン30%+クダラナ40%+カーニバル20%+切なさ10%

みたいな感じなのよ。

そこはかとなう漂う切なさ。渋さ。

・・・聴いた事ない人には、この説明
サッパリわかってもらえないだろうけどさ(笑)。


私自身が目指す人間性も、
そういう「切なさ」を持ったもの。
「深み」とか「憂い」と言い換えてもいいかもね。

と同時に、そういう作品(を作った人)の根底にある、目に見えない
「切なさ」を、しっかり受信できる人間でありたいと思うよね。


ちなみにハッチハッチェルバンド、
ゴールはカーネギーホールらしいので(ライブのMCにて(笑))
その節はぜひNYに応援に行きたい。
実現して欲しいよ。私が死ぬ前に(笑)。


*一度あの界隈(高円寺~吉祥寺)に住んでみたいなー。
 東京生まれの東京育ちなのに」、あの辺りはサッパリ縁がない。
 初・西東京引越し、考えてみますか。

水曜日, 10月 07, 2009

神は(紙は) 細部に宿る。

台風が来ると、
自転車通勤は非常にキツイんだよねー。
でも乗るけど。

------
ごくささいな事だけど、たったひとつの行動で
その人の本質がかいま見えるって事ってたまにある。

その行動ですべてを知ったとは思わないまでも、
「あ・・・・・そういう感じの人なんだ~」と、
良くも悪くも判断すること、というか。

例えば、普段とてもキレイにお化粧して着飾っている女性なのに、
旅先で部屋をちらかしまくる。

「ああ・・・。この人いつもキレイだけど、きっと家は
 荒れてるんじゃないかな」と 思う。

人当たりもよくていつも周りに気遣う人なんだけど、
たまたま会った人の中に自分より明らかに立ち位置が低い
(例えば住んでる家がボロイとか、学歴が低いとか)人がいると、
その慈愛の心が急に“上から目線”(哀れみの感情 とでもいうのか)になる人。

「ああ・・・。この人は普段優しいけど、相手次第で
 変わる“イミテーションなやさしさ”なんだな」と 思う。

・・・そーいうのを見てしまった瞬間って ちょっと悲しい。

もちろん「苦手と思っていた人の、思いがけず素敵な一面を見た」
みたいな逆パターンもあるけれど。

自分はそんな部分が無いパーフェクトな人間だ
なんてもちろん全然思ってなくて、そういう出来事があるたびに、
「自分も気をつけなくちゃな!」と、反面教師にしているわけだが。

****

先日、会社でこんな事があった。

今、会社では不景気で経費節減が繰り返し叫ばれていて、
コピー代の節約もよく出るテーマ。

「社内の文書はモノクロで」
「裏紙を使おう」
「トナーは割安なリサイクル版を」

・・・これらは別に、不景気だからやる事というより
いつも心がけるべき事だと思うんだけど、今回の主題はそこではないので、
まーそれは置いといて。

繰り返しアナウンスされているので、
若手の営業マン達も、自分のPCの印刷設定を
変えるとか、少しづつ貢献している。

もちろん私もすべて実行し、
無駄なカラーコピーは一切しない。
大体私、そーいうことが別に苦じゃないというものあるし。


ところが、そんな中でも頑なにすべてをカラーコピーをし続けて、
まったく協力の意思がない人がいる。必要なものならともかく、

「参考程度に人に見せたいWEBサイト(の画面)」
「自分用のメモとしてだけ使う書類」
「今日訪問する客先の地図」

・・・・中には、印刷する必要のないものすら、
彼は悪びれずひたすらカラーコピーをし続けるのだ。
システム担当者なので、設定の仕方が分からないわけはない。


その「彼」とは、私がココに時々書く、
コミュニケーション能力ゼロのシステム担当者氏。

 ・とにかく自らの非は決して認めず、
 ・他者と交わらずにブラックボックスで仕事をし、
 ・代理店の小さなミスに延々嫌味を言い続ける、

・・・・そんな人。


そんな彼のコピーに対する態度を見た時に、
彼の本性を見た気がした。

「あ、この人やっぱり“そういう人”なんだ」 と思った。

たかがコピー。
ごくごく瑣末な事だし、
ほかの人が同じ事をやっても、どーって事ないと思うかもしれない。
でも、そういう細部の事ほどその人の「本質」がにじみ出る。

本当の人間の姿は、
見逃してしまいそうな小さな事にこそ現れる。

もしかしたらそれは「無意識な行動」かもしれない。
「誰も見てないよね」と軽く考えてる事かもしれない。

でも。周りの人は、驚くほどそういうところを見ているものです。


「周りにどうみられるか」
「周りと比べて自分はどうか」といった事を気にしたりするのは
アホらしい事だと思うけど、そういう事と、

 「他者の気持ちを想像し、社会の中で気持ちよく共生していく」

事とは本質的にまったく違う。

そういう人ほど、

 「自分は自分のやるべき事をやっているし、
 自分のオリジナリティやライフスタイルを貫いている」

って言うけど、それは
「自分勝手」と「自分らしさ」を完全に
履き違えた考え方だと思う。


「気持ちよくオリジナル」 でありたいね。

月曜日, 10月 05, 2009

「いい質問には、答えがない」のだよ。

今朝、自民の中川さんが
亡くなった事を知ってかなりショック。
政治家としては不器用すぎたのかな。。。

日本の根底にある「失敗を許さない社会」
の真髄を見た気がして、怒りすら感じます。

深い意味もなく口にした発言や
「自分が幸せならいい」と無意識に思う気持ちが、
いかに他者を傷付けているかを
日本人はもっともっと自覚したほうがいい。

もちろんまだ死因は分からないし、
例の事件との因果関係も不明。
でもまだ56歳。お父さんが亡くなったのが57歳。
何かを感じずにはいられないね。

ご冥福をお祈りします。。

-----

先に業務連絡。
仏前結婚式、普通にあるらしいよ。

*****

で。
週末はまた山に登ってきました。
箱根の「明神ヶ岳」。
♪足柄山~の でおなじみ、金太郎で有名な
金時山のお隣に位置する山です。

もともと1泊で土曜の早朝出発予定だったんだけど、
土曜に天気が崩れたので、日曜スタートに変更。
金曜に飲んでたので、個人的には結果オーライだけども(笑)。

このところ、私は山に行くと必ず雨が降っていたので、
自分が雨女なんじゃーないかとちょっとヘコんでいたんだけど、
日曜日はスッキリ晴れて気分爽快!

もともと明神ヶ岳の今回登ったコースは、
標高を一気に上げる最初の30分以降は
大きなアップダウンがあまりない竹藪のような道を
数時間かけてずんずん進むコースなので、
天気のよさもあって、終始気分よく歩き続けることができました。

や~ 快適快適。

スッカリ秋の気配を漂わせた
箱根の山を満喫してまいりました。


最近は、私にとって山での時間は「いらんモンを出す」行為なので、
トイレに行かない訳にはいかないのと同様に、
山にも「登らない訳にはいかない」感じになっております(笑)。

スキーに凝ってた頃は、毎週行かずにはいられなかったし、
クラブ通いしてた頃は、踊らずにはいられなかったし。
方法は全く違えど、私って常に「出さずにはいられない」人なのかも。

マ、みんなそうかね。

もちろん、日々のゴチャゴチャを
全て出し切る事はできゃしないけどさ。


・・・昨今、登山人口が増えている背景には、
大金をかけて作られた「お仕着せの施設」よりも、
本当は、すべてを自力でこなす事や、何気ない自然や
友達との会話が何より楽しく・贅沢だということを
多くの人が分かってきたからだと思うんだけど、
その一方で、自己中心的な人や、他人への中傷をやめられない人は
その「悪さ加減」「闇(病み)加減」に
ますます拍車がかかっている気がしてならない。

様々な「格差社会」が問題視されているけれど、
もしかしたら、経済格差や教育格差以上に、
いわば「性格格差」のようなものが、今、一番問題なのかもしんないね。

人間が生きるって、実は本来すっごいシンプル
な事なんだと思うんだけどなー。

なのに、こんなにカオスな社会にしているのは
一体全体誰(何)なのかしらねえ。。


*山の注意標識には、何故か
 こういうダジャレものが多い。
 私も 鹿に“鹿られない”ようにしないとな。
 あ、あと今回の件名は意味はありませんので(笑)。

木曜日, 10月 01, 2009

人前に出る練習

仏にワーホリしていた知り合いが
帰国したので、一緒に飲んだ。

一度“外”に出ると、変わるもの、変わらないものがあって、
似たような経験をした私は、なんとなく彼女の気持ちが分かる気がした。

-----
そーいやこないだ、
ジャズセッションに参加してきました。

存在そのものを知らない人もいると思うので
簡単に説明しますと・・・

・ジャズをやりたい素人がお店に行って、
 その場で知らない人たちと即席バンドを組む。
 またはバンドの一部はプロで、サックスだけ、ヴォーカルだけが
 素人・・・という混成のケースも多い。

・一部のジャズバーやジャズ喫茶が開催しているケースが多い。

・ヴォーカル、サックス、ピアノなど、
 ジャズをやる人なら誰でもオッケー。

・参加者は演者でもあり、聴き手でもある。

と、いったようなシステムです。


これはポピュラー音楽にはたぶんできないシステムだね。
なにせ曲が無数にあるわけだから。

ジャズは「定番」と呼ばれている曲が数百曲あって、
その「なにが定番か」という価値観がジャズマンの間の
共通概念としてあるので、こういう遊びが可能なわけです。

そもそもジャズという音楽そのものが
「即興」を基本としているっていう成り立ちもあるしね。


今回私が行ったのはバッキングのトリオ(=p/Dr/b)は
全員プロの方で、ヴォーカルのみ店のお客。
(もちろんレベルはいろいろなんだけど)

自分が歌いたい曲、練習したい曲を、
順番に唄っていくわけです。

分かりやすく言ってしまえば
「贅沢な生演奏カラオケ(ただし選曲はジャズのみ)」と
いう事になるのだけど(笑)。


ジャズって元々決まったメロディがあってないようなもので、
コード進行に沿ってどんどんいじれちゃう。

だから、同じ曲でもみんな
全く違う歌い方をする人わけです
(極端なものになると、もはや原曲がなんだか分からないほど
 崩す人もいる)

そういう意味で、他人の歌を聞いている時間もとても勉強になります。
「あ、その崩し方かっこいいー」っていうのがあるからね。

人間(つか私だけ?)って勝手なもので、
たとえ好きな事をやっていても、やはり定期的に
それなりの目標や緊張感(刺激)がないと、
続けられないし、上達しない。

今春から先生の事情でレッスンの回数が減ってしまったので、
なかなかヴォーカルも先に進めなくて、なんとなく停滞気味だったのですが、
これからも自ら定期的にこういうセッションとかに出向いてやっていこうと。

音楽って「人に聴かせて上達させる」方法もあるので、
例えばロックギターだと、練習といっても、
どうしても自宅で1人でつま弾くって事が多くなっちゃうので、
そういう意味ではジャズっていうのは、練習環境には恵まれた
音楽なのかもしれない。


自分のキーの譜面を起こさないとならないので、
それがわたくし苦手なんですけどね。。。(苦笑)

まーそれもまた修行。

大変な事、面倒な事を乗り越えながら
覚えていく過程って、とても楽しい(Mなモンで)。


*セッションはジャズバーの定番イベント

月曜日, 9月 28, 2009

身体に悪いけど、いい。

久しぶりに服と靴のショッピング。
ディスプレーの服は、完全に秋冬モード。
なんつーか、店全体がモコモコしているな。

もう今年も終わりジャン!!

------
夏から毎週のように外モノ健康イベントが続いたと思ったら、
この週末は飲みに行ってばかり。
まーダメじゃないんだけど、
なんかバランスが極端・・。

****
土曜は吉祥寺にある、ライブハウスというか
飲み屋に行ってきました。

ここは吉祥寺の店でもかなりの老舗なんだけど、
10月いっぱいで店を閉めるそうで、
一緒に行った人はここの常連でもあり
ここでライブをやるバンドマンでもあるので
閉店まで足繁く通うんだとか。

私は、そこへはライブを観に数回行っただけだけど、
味があって独特の雰囲気のあるお店です。
吉祥寺には、そういう「オシャレじゃないけど、昔は
論戦好きな若者が集まったんだろうな」的な店が今も結構あって、
私は、それが渋谷や青山といったほかの街と違う
この街の魅力になってると思う。

店には閉店を惜しむ人が
ほかにもたくさん通ってきているらしく、
一緒に行った人の音楽仲間もたくさん来ていた。
みんな気さくで素敵な人ばかりだー。

ある意味、そういう店にピッタリの

「いかにして自分の気持ちに嘘をつかずに生きるか」

という話題で盛り上がる。

深そうで、そうでもない。それが酒席の話(笑)。


で。
日曜は、山登り繋がりの知り合いの
お誘いを受け、何故か十条の飲み屋へ。

私はその時「初めまして」の人が何人もいたんだけど、
来ている人がいちいち多彩なキャラで、
話を聞いてると全然飽きない。
ああいう会は本当に面白いね。

 会った事がない男女が集って
 飲み屋で大騒ぎ

って図式は、文字だけだと合コンみたいなんだけど(笑)
あの頃と劇的に違うのは、もうみんな大人で、
来ている人たちそれぞれがそれぞれの「世界観」を
ちゃんと持っているので、話の内容がとても“厚い”。


・・・吉祥寺でもそう思ったんだけど、
年を取ると、「みんなと一緒じゃない事を恐れない」人が
どんどん増えるので、飲んでても実りのある話を聞ける
機会が格段に増える。
もちろん「相変わらず」な人もいるだろうけども(苦笑)。


自分で言うのもナンだけど、20代の頃は
かなり合コン的なところに参加してたほうだと思うけど、
未だに話を覚えてる・・というか、「この人すごいなー」とか
思った記憶が全然残ってない。

マ、それはお互い様だと思うけどね(笑)。

なんか若い頃って、そんなに違いが出るほど
人間に円熟味がないからさー。
(だから、若いうちから“特別な人”っていうのは
 ある種のもどかしさがあって、そんで突っ張ってみたり
 するんじゃないかと。イチローとか、ヒデとか。石川遼は違うけど)


酒席(の話)は、身体にはよろしくないですが、心にはイイ。
そんな週末。


*そーいや「みずの実」という
 粘り気のある山菜を初めて食べた。秋田のものらしい。 
 これは美味しい! お酒に合うね。

木曜日, 9月 24, 2009

パーマンのコピーロボット

ニンテンドーDSのドラクエにある
「すれ違い機能」をやってみたい。

ドラクエは特にやりたくないけど。

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休みが明けて会社に来てみるともう木曜日。
明日働いたらまた休み。アラ嬉しい。

そんな訳で、いい連休でしたか?

私はまた山に行ってきました。
東北の蔵王・月山に登る1泊2日の山行。

20代の頃、スキーに夢中になっていた時期があるんだけど、
その頃出かけた多くの山が、現在ことごとく登山対象の山になっております。
スキーも登山も同じ「山」のスポーツだから当然と言えば当然だけど、
まるで違う山みたいで、なんだかすごく不思議な気分。

「元彼に10年ぶりにバッタリ街で出会ったら激変してた」、的な(笑)。

夏にフジロックで苗場に行った時もよく思う。
私にとっては、山は「雪がある」ほうがなじみがあるからね。


私は土日に用事があったので、
後から新幹線で山形に向かって、土曜日から先行で登っているチームと
合流したんだけど、行きでいきなりのハプニング。


新幹線乗り間違えちゃってさー 凹。


・・・というより、福島から前後の車両が分かれて
行き先を変える電車に乗ったことを知らず、ipodを付けたまま爆睡。
気が付いたら、「次は~ 終点、仙台~」のアナウンス。

「ん?? かみのやま温泉に行くのに、なんで終点なんだ!??」
と、思った時には既に遅し。。。。
結局、手に汗握る乗り換え術の末、なんとか1時間強遅れで合流。

しかし・・・新幹線が途中で別れるなんて、反則だと思うのよっ!
西側に行く新幹線にはそんなのないしさー。。(ブツブツ

社会人ルーキーの時に出張で新大阪に行く時、
間違えて「こだま」に乗ってしまった時以来のJRトラップ。

電車って怖いわ~・・・。快適だけど。

で。

肝心の登山のほうはというと・・・
初日(蔵王)。天気バッチリ。ロープウェイでかなり高度をかせぐし、
行程も3時間程度なので、
体力の消耗もほとんどなくのんびりお散歩気分。

2日目(月山)。登り始め1時間は晴天で、息をのむほど綺麗な紅葉を
満喫するも、その後天気が急変。頂上に着くころには
横なぐりの雨が降り、「アララ~」という感じで下山。

でも、東北の山はもうかなり寒かったので、
下山後に食べた「いも煮」が、個人的には超ー胃に染みて美味かったっす。


・・・よく言われることですが、「山登りは人生に似ている」。
山に登るたびに私もその言葉を実感します。

天気が激変したり、寒かったりと試練を与えられるけど、
努力して立ち向かえばちゃんと乗り越えられるし、
思いがけないごほうび(雄大な景色とか)もある。

登山では誰も助けてはくれないけど、
それは「孤独」というのとはちょっと違う。

何より、「頂上のない山はない」という事に非常に勇気付けられます。
でも山は登りきっても、今度は下りも自力で降りなくちゃならないので、
頂上がゴールか?というと、そういう事でもない。

・・・結局「(人生の)ゴールってなんだろ?」という問いに、
登山は「そんなの死ぬまでありません!」、という非常に明快な(笑)
答えを出してくれているような気がします。


人間は、「いま生きている人生」しか経験する事は
できないわけだけれど、多くの人はきっと
「○年前のあの時、もし逆の選択をしていたら
 自分は今、どうなっていたんだろう?」という記憶を持っていると思う。

そういう経験がない人だって、
「もし自分が○○だったら」という想像はすると思う。

でも人生に「If」はない。

だから、ありえない「もうひとつの自分の人生」を、
山に登る事で体験しているのかも。

なんていうか・・・・・

そう。

パーマンのコピーロボット みたいな(笑)。


【今回学んだ事】

・9月の山は0度近くまで下がる。くれぐれも防寒着を忘れずに。
・でも帰りのSAで、半袖の人の隣でフリースとか着てると変人と思われるので注意。
・靴下の替えは多めに持って行く事。
・田舎の大衆浴場は、洗髪代が別のシステムだ。でも常連のオバチャンは優しい。
・郊外の焼肉屋探しは難しい。
・北のほうに行く新幹線は途中で分離する。


*この携帯で写真を撮るたびに、
 買い換えようと思うわけなんですよ。
 もう・・・・何撮ってるかわかんない!!(逆ギレ)

木曜日, 9月 17, 2009

グローカル

スタジオボイス休刊。
ダカーポ、エスクァイア、広告批評・・・・
好きな雑誌が次々なくなります。ショック・・・。

-----
「声明(しょうみょう)」を観てきました。

知ってる? ・・・私は知らなかったんだよね。

wikipediaによると、こういう事らしい。

まーなんだな。簡単に言えば「宗教ミュージック」ですな。

・・・考えてみれば不思議ではない。

キリスト教にはゴスペルがあるし、
ヒンズー教にもガムランみたいなお経があるよね。

仏教だけが、そういうメロディーラインのあるお経が
ナイわけないんだよね。

でも・・・・なんか、すごい不思議。

お経といえば、葬式と法事でしか縁がない私としては、
これを単独で「人に見せるために」ステージでやるって
いうだけでかなり不思議。

そもそもは、舞台監督もやってる友人がやってるバーで
たまたま打ち合わせがてら飲みに来ていた
僧侶の方が今回の企画の主催者で、
話を聞いてるうちにどうしても観たくて、
お願いしてチケットを確保してもらったもの。

もちろん袈裟を着て飲みにきてたわけじゃないけど(笑)、
なんとなくオーラのある人で、
「ナルホド。神の使いって感じだのお」とか思った。

もちろん細かい事を言ってしまうと、宗派だとかで
細かい分類があるみたいなんだけど(今回は真言宗)、
私はその辺は全然分からないので、単純に音楽を聴く
「オーディエンス」という立ち位置で出かけました。


ひとことで言うとですね。
・・・・もう「圧巻!!」のひとことでした。

鮮やかな(ある意味「和服でしか許されない配色の」)袈裟を
まとった総勢20人の僧侶が、ものすごい声量で節のあるお経を
唱えていく。

ステージから漂うのはお線香の香り。

経典をアコーディオンのように括りながら、
節のあるお経(でもやっぱりお経)を続ける。

最後は、(そういう趣向の会なので)
力強い和太鼓の演奏で〆。


・・・「何!なんなの!?コレ」と思わずにはいられない空間です。

いわゆる「エンターテイメント」ではないけど、確実に「楽しい」。
なんていうかスカッとする。
こんなに楽しく短時間で功徳を積めるなら大歓迎だわ。

私、最初に「宗教ミュージック」って書いたけど、
これは「トランスミュージック」かもね。

音楽や祭りの原点は、やっぱり宗教なんだよね。

こういう文化を、もっともっと
たくさんの人に知って欲しい。


・・・・こないだ読んだ本で、
「グローカル」という言葉かある事を知ったんだけど、
「グローバル+ローカル」の造語らしい。

 交通や通信が飛躍的に発展し、文化の「コラボ」
 が盛んに行われ、結果すばらしいカルチャーがたくさん生まれた。
 でも、人類はここに来て、こういう時代だからこそ
 「自分の(国の)アイデンティティ」を、再度見つめなおしている。
 それは、振り子のように「逆の方向に触れた」のではなくて、
 “螺旋階段のように”円を描きながらも、上昇は続けているのだ

と、いう解釈。

私、この「螺旋階段」という考え方にえらく共感したんだけど、
今回の「声明」は、まさにそんな「螺旋階段」・・・つまり、
自分の国の文化とか、思想の素晴らしさみたいなものを、
“様々なカルチャーを経験したから今だからこそ”
すごい!と感じる事ができたんだと思う。


やー やっぱすごいわ。宗教って。

信仰心ゼロの私にも、「すごい」って事だけは分かりました。

触れる機会のなかなかないモノなので、
発見したらマストチェックです!


*これは別の写真ですが、
 今回私が観たのもこんな感じ(+太鼓7台)です。

月曜日, 9月 14, 2009

文化部。

【告知】
ひょんな事から、今週末9/19(土)の
下北沢「おぼん・こぼん」のお笑いライブの
チケットを頂きました(ナゼ?というのは渡す人に説明します(笑))

私は別件で行けないのですが、
ペアチケットですんで、興味のある方はご連絡おくれやす!

-----
最近文科系が充実しているのは積極的な自分の行動?
それとも仕事からの逃避?(笑)

・・・マ、それはいいとして。


土曜日は友人のお誘いで、
平田オリザ脚本の舞台へ。

ある時期小劇団にハマったものの、
ここ10年は年に数回お芝居を観るだけなので、
こういうお誘いがとっても嬉しい。
「演劇ぶっく」の愛読者だったというのに!

今回の「青木さん家の奥さん」は、
酒屋の配達をする若者達が、町内一の美人「青木さん家の奥さん」
宅への配達を巡って繰り広げる会話がストーリーの中心。

結論から言うと、とても面白かった!


芝居中に、実際の「青木さんの奥さん」は出てこないんだけど、
配達のオニーチャンたちの話から、観客にもどんどん想像が広がって、
自分も「なんか、青木さんの奥さんに会ってみたい!」とか思っちゃう感じは、
お芝居のひとつの定番スタイルです。


私は平田オリザのお芝居は観た事がなかったんだけど、
元々「芝居を、いかに日常との接点を持ったままで作るか」って
いうのが基本にある方らしくて、芝居が始まる前から、
既に舞台に役者が“それとなく”いたりして、芝居の始まりがとても曖昧。

この芝居でナニを伝えたいか?みたいな
根底にあるメッセージは分からなかったけど(笑)、
なんか「マ、それでいいや!」と思わせる面白さがありました。
展開がとても自然で、私個人の笑いのツボにもハマってた。

そして青年団の役者達がとても若いので、
話自体は若いバイト君達の話だからチャラ男風なんだけど、
なんかすごい「若々しいサワヤカさ」があって、
甲子園を観たときのように感動してしまったよ(笑)。


平田オリザ世代の演劇人は、唐十郎あたりを筆頭に
難解な脚本を書く人が多い(というイメージ)ので、
彼の脚本に、こんなに素直な感じのものがあるなんて
知りませんでした。またゼヒ観たい!


*****

日曜は、スッカリおなじみ? ハッチハッチェルライブ。

・・・といっても、とある場末(!)の喫茶店での
ハッチさん1人のワンマン。

店の(ライブの)お客も、近所のオジサンとか
子連れのおかーさんばっかりで、雰囲気は150%「寄り合い」(笑)。

私は今回一応ライブのお客として行きましたが、
なんだか店の下町然としたナイスキャラのマスターに
ビールなんか頂いちゃって(店なのにお金も払わず・・)、
いいのか? って雰囲気。


そーいや昔、ウチの実家の近所の大人たちって
こういう感じだったよなー ってーニオイがプンプンで、
ハッチさんも、まるで昔気質の流れの弾き語りよろしく
ギターをかき鳴らしてまして、
なんとも居心地のよい空間でした。


・・・・ダメだ・・・。ああいう空間、超スキ。

時々出会うんだよね。
ああいう場所に。だから酒が辞められない(笑)。


オシャレでもクールでもなくて、店には家で使うような
座布団があったり、もうメニューの紙なんて
端っこが日焼けして茶色くなっちゃってるような店なんだけど、
ああいう空間にどうしようもなくシンパシーを感じてしまう自分は、
やっぱりどうしようもなく「下町の商売人の子供」
なんだなー と思う。

ハッチさんの歌も、まさしく「ああいう店にいる人達」を
主役にしたものが多いから、すごくしっくりくる。

思わず「お父さん、元気かな・・・」とか思ってしまう(笑)、
そんな郷愁そそるライブでした。


惜しむらくは、日曜日だったので長居出来なかったこと。
ああいう空間では、知らないオジサン達と
だらだらと酒を酌み交わしたかったよ。

いつものハジけたライブもいいけど、
またああいうの、絶対やって欲しいっす!

木曜日, 9月 10, 2009

やりすぎもダメ、やらなすぎもダメ。

東西線の事故、絶対居眠りだと思ったのに違ったー。
でも 居眠り だと思う。それかケータイ見てたか。
そういうトホホな展開がいい。

-----
もうお腹いっぱいですか?

ハイそうですか。でも書きます。

昨日は隔月恒例の「立川志の吉独演演会」。
私はもう何回目だ? 10回目?11回目? 来たな~。

回を重ねるごとにどんどんお客さんが増えてる感じで、
とにかく今後が楽しみな噺家さんです。

もう完全に自分用メモになってますが、
一応演目をば・・・

・金明竹(前座)
・ぞろぞろ
・オリジナル(プロレスファンと三沢に捧げる)
・片棒
・千両みかん


あくまで個人的な印象ですけど・・・
今回、なんかいろんな趣向をやりたがった様子が見えたんだけど、
個人的には「マクラと落語」という実直なスタイルで2~3席
やってもらう ってほうが好き。


最後の「千両みかん」は、高座で聴いたのは初めて。

サゲも含めとっても分かりやすい噺なのだけど、
昨日は微妙~な違和感を感じつつ聴いていたら・・・・
さっき、これが元は上方の噺だと知って、納得。

やっぱりねー。商いの話は、絶対上方のがしっくり来るんだよね。
どっちが良い・悪いはないけど、「お金」に対する
感覚って東西で全然違うからなんだと思う。

だから「文七元結」とか「井戸の茶碗」は逆に上方では
すごく違和感のある話だと聞いたことがある。

自分の娘が身売りして作った大金を、
見ず知らずの自殺しかかった人にあげちゃうなんて、
関西では「美学でもなんでもない」という感じでしょ。

日米の経済感覚の違いに似たものがあるというか。


あとは、昨日の志の吉君のみかんは、
身体を使った演出が派手すぎなんだよな~。。。
あくまで個人の好みの問題ですけど。

噺の実力がちゃんとあるんだから、
もっとちゃんと噺だけで笑わせられるのに。もったいない。

もちろんお客さんの客層とか、落語体験の度合いで
派手なアクションは必要だと思うけど、
独演会って「彼目当て」で来てる人ばっかりなんだから、
もっとシンプルにチャレンジしてもいいのにな、と思いました。

・・・アラ。
噺家に嫌われる エラソーな落語ファンになってるわ。私ってば(笑)。

ま、芸能に限らず、どんな仕事でも
「サジ加減」って難しいものですよね。

火曜日, 9月 08, 2009

力を抜いて会える。

父の誕生日に携帯をプレゼント。
70ウン歳にして携帯デビュー。

着信音にビクっとなってた。
カワイイ人だ(笑)。

----
久しぶりに高校の部活時代の友人に会う。

マメに会ってる人もいるけど、
10数年ぶりの人もいる。

私の代は部員が9人で、そのうち5人が
来たんだから、まーすごいよね。

5人中3人はもうお母さん。

高校を卒業して20年弱。
当たり前なのだけど、
みんなが変わってないだけに
時の流れを感じずにはいられません。

もちろん「変わってない」といったって、
外見はもちろん、それぞれの人生の積み重ねが
あって、それは確実に変わってるわけなんだけど。


今は、もしかしすると「みんなそうだったのかも」と思うんだけど・・・

思えば私は高校生くらいまでは、
いや、もしかしたら20代前半くらいまで、
すごく「自分らしくない」生き方をしてたなと
実は思っていて、どこかで「マイノリティに魅力を感じる自分への否定」とか
「楽しまなくちゃいけない強迫観念」みたいなのがあって、
はたからみれば、その時代の「若い女の子」らしく
やりたい事やってるように見えただろうけど、
無理して“らしくしてた部分”も多分にあったなと思う。

いや、楽しかったんだよ。楽しかったんだけどさ。


そういう意味では、今の自分の生き方のほうが
圧倒的に「ラク」だなと思うし、
だから久しぶりに会った学生時代の友達とも、
なんというか変に肩に力入れずに
無理にはしゃいだり、懐かし話ばっかしたり、
空白の時間に自分がどれだけ充実してたかをことさらに語ったり 
・・・しないで済むんだと思う。


学生時代の友達を、本当に「いいな」と思うのって、
もしかしたら自分が大人になれる30代以降だったり
するのかも。

なーんて事を思った休日でした。


マ、あとは私には旦那も子供もいないので、
「自分のために使える時間」が圧倒的に多い分、
そういうアホな事をいっぱい考える っつーのもあるかもね(笑)。


*同窓会って、この年になると男性のほうが
 悲劇だったりするよね。髪の毛まわりとかさ・・・

木曜日, 9月 03, 2009

感動しません。泣けません。 それが何か?

ピクルス漬けた。
うまーい。

-----
映画を観たので その話なぞ。

「英国王給仕人に乾杯」


チェコの映画監督、イジー・メンツェルの最新作です。

チェコに住んでいる友達がいる事や、
実際にプラハで見た文化への関心、
そして先日観た同じくチェコの監督
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画が面白かったので、
ある意味「チェコもの」のリピートです(笑)。

物語は、再教育施設(まーようは政治犯なんかが入る監獄です)
から出てきたチェコの老人、小男ヤンの回想で進みます。

舞台の中心はドイツ占領下前後のチェコ。

この時代の中欧・東欧あたりは
東西の圧力がすごかったし、いわば“当事者ではない”
戦争の巻き込まれ方をしているので、どうしても苦労ネタが多い。

でも主人公ヤンは、「百万長者になる」という夢を土台に、
ラッキーあり、でもその後必ず不運あり、
数々の美女と出会って寝たりなんかもして、
でもってなんとなく、飄々と、小賢しく、
なのに波乱万丈に年を重ねていくわけです。

テーマは暗めなんだけど、全体としてヤンの人間らしい毒っ気と、
コミカルで明るい性格が、思わずクスっと笑えるシーンをたくさん作っています。


前にも似たような事を書いたけど、
日・米なんかの大作と、ヨーロッパのこういう映画の
一番の違いは、米は「プラス」の文化で、欧は「マイナス」の文化
なんじゃーないかなと。

制作費の違いもあるけれど、
音楽や演出をゴテゴテを付け足していくのが米流、
不要な要素をできる限りそぎ落として作品を作っていくのが
欧流って気がする。もちろん、そうやってカテゴライズできない
作品もたくさんあるわけなんだけれど。


話をだいぶ横道にそらしますが・・・・

カルチャーの話でいうと、
世の中の「主流(マジョリティ)」は、
いつの時代も経済力と政治力のあるものだと思うけど、
過去を振り返ると、時代は定期的にその主流に反発するものを生み出す。

60~70年代のカウンターカルチャーしかり、
日本なら安保後しかり、バブル崩壊後しかり。

反骨心に溢れて、独創性に富んでいて、
それでいて屈折してまとまりのない・・・・・ そんな文化。


ここ数年、以前ならB級と言われてしまいそうな映画が
ちゃんと表舞台に出て、多くの人に支持されるという
傾向が強くなってきている気がする。
前述の、「文化の定期的な反発期」が確実にやってきている。

今までのように「対権力」とか「対戦争」とか
分かりやすい圧力がないだけに、やや変化形の反発だなとは思うけど。


喜ばしい事だと思う。

今の世の中、
「心を健康にして」生きていくのはとても難しい。

だから、
「こう生きなければならない」という型もないし、
「これが正しい」というモデルも存在しない今、
本当に必要なのは良質なカルチャーと、それを積極的に
開拓し選択する個々の気持ち、なんじゃないかとシミジミ思う。

そうでもしないと、大衆性が高くて量産される
「受身専門」の文化・情報にどんどん毒されてしまうと思う。

それって主体性がなくなるという事で、
もっと分かりやすく言えば「分かった気になる」
というヤツで、そういう人が増えるのは
とてもオソロシイ事だということを自覚しておいたほうがいい。


そういう風に、自分が“日々、毒されている”と、
気付きすらしない人は・・・・

・・・・まー それはそれで、
オメデタイ人 って事で仕方ないですけど。

でもメイワク。

月曜日, 8月 31, 2009

すごい人も普通の人だから。

選挙行きましたかー。
別に誰がいいとかないけど、
選挙に行かないと政治に文句言う権利もないと思うので
行ってまいりやした。

しかし自民負けすぎ。

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結局この数ヶ月、週末は全然家にいない。
今年は冷夏っていうのもあったけど、
そのおかげで今年もクーラー買わずに済んだ。エコ。

というわけで、今週末は鎌倉の友達のところで
ボディボードを教えてもらいつつ(@鵠沼)、観光&ビーチパーティ。
しかし上手くなんないな。。ボディボード。集中的に練習したい。
基本負けず嫌いなモンで。

たぶん10数年ぶりに鎌倉の大仏様を見てきました。
あんなに小さかったっけねえ~。

仏教に限らず神様の目って、
眠たそうな目をしてるじゃない?
あれって、
「開いている下側で現世を、閉じている上側(というか目蓋の中)で
 あっちの世界をご覧になっている」
って事らしいんだけど、あの目って、どの位置から見ても
「見つめられてる気がする」んだよねー。私、後ろ暗いところがあるのかしら?(笑)

夜は友達主催のビーチパーティ。
ビーチフラッグ大会に飛び入り参加しました。
女子部だったけど、たぶん10以上若い女子達に圧倒されて
準決勝敗退。残念~。

基本負けず嫌いなモンで(笑)。


久々に夏らしい日差しに照り付けられて、
盛りだくさんな一日でした。

*****

日曜はいつもの「落語部」メンバーで鈴本@上野へ。
この夏最後の浴衣・・・と思ってたんだけど、あいにくの天気で断念。
もっと着たかったなー。浴衣。

寄席って当たり外れが多いもんだけど、
今回は明らかに「退屈」って感じる人が全然いなくて、
個人的にはここ数年で一番の番組だったと思う。

やはり寄席も、ホール落語に負けまいと
切磋琢磨しているんじゃないかな。
「ライバルがいる」ってすごく大切な事だよね。伸びが違う。

自分用メモで、以下出演者と演目を。


(前座)歌る美・・・牛ほめ
三遊亭 ぬう生・・・新聞記事
春風亭 正朝・・・・祇園祭
橘家  半蔵・・・・代書屋
古今亭 志ん五・・・真田小僧
柳家  さん喬・・・替り目
古今亭 菊之丞・・・天狗裁き
柳亭  市馬・・・・高砂や
桃月庵 白酒・・・・壷算
桂   藤兵衛・・・そば清


白酒の「壷算」は脅威の15分!
もともと丁寧にやると1時間近くかかる話なので、
壷算が始まった時は、隣に座ってた落語に詳しい人と
思わず目を見合わせてしまった。「終わんのか?」と。

でもちゃんと時間内に終わる。さすがプロ!!!

最近イチローが出てるなんかのCMで、
「毎日の確実な1歩からしか、遠くへは行けない」
みたいな事を言うCMがあって、あれが私大好きなんだけど、
結局各分野のプロとか偉大な人も、別にモンスターって訳じゃないのよね。

逆に、影には人並み外れた努力があるわけで、
そういう努力や経験なしに「分かったふう」な事を
言ったりやったりする人が、最近昔以上に鼻につく。

なんかすっごい「薄い人間」な感じがして。

20代の頃は自分も若いから同じ失敗をしてても
分からないんだけど、30過ぎてからの「知ったかぶり」とか
「俺が俺が」な態度って、ホントーにみっともない。アホっぽい。

世の中には、そういう「自分のアホっぽさ」に気付かずに
自分を「大人だ」と思ってる人のなんと多い事か。。

恥ずかしい。

自分も気をつけなくっちゃ。


・・・あ。なんか話ズレた。

というわけで、また次回。


*横からも見られてる気が・・・。

木曜日, 8月 27, 2009

心のバスタイム

もーいい加減いいでしょ。ノリピー。

日本がドラッグにこんなに過剰反応するのって、
「逆に興味がある裏返しなんじゃなねーの?」
っていう気がするのは私だけ?

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たぶんこの夏最後になる、3000m峰登山。
南アルプスの甲斐駒ケ岳と仙丈ケ岳に登ってきた。

7月はお天気に泣かされたけど、
今回は2日間サワヤカな晴天で、もうそれだけで
半分は成功だね。登山って。

南アルプスは、北アに比べると玄人向けの山が多いんだってさ。
だからなんとなく地味っつーか、
山小屋とかも華がない(笑)。

でもそこが、レジャー化してないというか、
むしろ私が昔から思っていた「山」に近くて好きかも。

1日7~8時間×2日間の山行なので、
さすがに体も疲労溜めまくり。

でも、ちょうど登山を始めて3年位で、
できるだけ体力を温存する歩き方とか、
分かりずらい道の探し方とかのコツが
ようやく分かってきた感じ。

スポーツでも仕事でも、なんなら恋愛も、自分が急速に成長している感じが
実感できる時期っていうのがあって、その時が一番面白いよね。
その時期より前は、コツが分からないから案外ツライ事が多いけど(笑)。

逆に言うと、それを実感する前に辞めちゃったものっていうのは、
その本質を分かってないって事のような気がする。
だから私は、あまり深入りせずに終わってしまった事に関しては、
仮に経験した事であっても、なるべく知ったふうな
感想を言わないようにしてる。
2~3回の経験で、訳知り顔に話す人っているけど、
そういうのってなんか見苦しいじゃん?

・・・おっと。閑話休題。

で。高い山に登ると、2500m前後から景色がジャンジャン変わるので、
とにかく飽きない(晴れてたら、だけどね)。
だからやっぱり3000m級の山が圧倒的に楽しい。

道も、樹林帯から徐々に木々が低くなってきて、
最後は岩場だとか壁みたいなところになって・・・って感じで
すごく変化に富んでるしね。
今回は、甲斐駒のラストの直登ルートが超楽しくて、
ああいう岩登りみたいのって、なんつーか子供の頃の
ジャングルジムとか、そういう遊びに通じるものがある。


・・・これまでいろーんなスポーツとか芸能とか遊びとかに
首を突っ込んで来た自負があるけど、登山ほど
「魅力を言葉で説明する術がない」趣味に
出会ったのは初めてかも。

それは、キムタクのかっこよさは説明いらずだけど、
阿部慎之介が超カッコイイと思う私の感覚を
他人に説明する難しさに似ている(そうか?)。


山って「何が楽しいのか」と聞かれると本当に難しい。
大体外から見ても「ただ歩いてるだけ」だから
別に面白そうでもないし、
中高年の健康維持手段ってイメージ強いし、
やたら早起きだし、トイレとかキレイじゃないし、
歩くだけだから特別な技術は必要なさそうに見えるし。

10年前なら絶対にハマらないスポーツだね。
だいいち、山って午前3時半起床とか平気であるけど、
3時半って、20代ならまだ外で飲むか踊るかしてた時間だよ(笑)。


自然に親しむだけならただのトレッキングでいいわけなんだけど、
きっと私が登り下り合わせて7時間とか8時間もかけて頂上へ行くのは、
あのピークに着いた時の独特の達成感とか、
細かい事なんかどーでもよくなっちゃうような、
いっぱい付いてた小さなゴミがサーッと流れていくような、
あの爽快な感じが理由なんだよね。

・・・あーそうか。

登山て「心のバスタイム」なのかも。


百名山がどーだとか、記録がどーだとか、
そういうことには私はあまり興味がないので、
これからも「なんかイイな」と、インスピレーションを感じた山に
ひとつずつ気長に登れたらいいなと思います。


*私の携帯の古さばかりが際立つ
 ボケボケの御来光(甲斐駒行き、仙水峠より)。
 カメラマンの技術では決してない。はず。

火曜日, 8月 25, 2009

ダメな男の描いたものが。

ゴーギャン展、ようやく行ってきました。

ゴーギャンの絵は、なんと言っても人間が持っている
荒々しいまでの生命力みたいなものを
絵に表現しているって事が魅力だと思うけど、
私が最初にゴーギャンに興味を持ったのは、
彼が一度ビジネスマン(株売買の仲介人)として成功して、
その後絵画の世界に入ったって事だったんだよね。

もちろん「月と六ペンス」で
彼のダメっぷりを読んで、より思い入れを深めた(笑)。

だってさー。
確かに彼は多くの芸術的作品を残してるけど、
現代の尺度で見ると、

・急に脱サラして「絵描きになる!」とか言い出した。
・嫁と子供を捨てて勝手に海外へ移住。
・友人(ゴッホ)と同居して、相手が錯乱して耳切っちゃうとか、事件多発。
・愛人に子供を孕ませたあげく、責任持たず


・・・ってな具合で、要は

 ダメ男じゃん!

って事なわけですよ。

でもさ。時が過ぎると、そういう人でも
絶対的な才能で「すばらしい作品を残した偉人」とか
言われちゃうわけよ。
人間がいかに勝手か・・・というのがよく分かります(笑)。

結局、最終的には「自分の 心の声 に従って生きる」
のが一番イイんじゃないか、って思うよ。彼の生き方をみると。

今回の展示の目玉、

「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。」

って作品は、掛け値なしに絶対見ておいたほうがいい作品です。

絵を見に行って、久々に1つの作品の前に
20分近く居続けるという経験をしちゃった。

題名の付け方も秀逸だよね。
ボブディランの「ライク・ア・ローリングストーンズ」ばりの、
ものすごい広がりのある世界観。


タヒチの大地のエネルギーみたいなものは、
NZに住んでた頃、先住民のマオリ族に感じたそれと
通じるものがあって、それもなんだか親近感がありました
(というより、タヒチとマオリはルーツが一緒なのよね。
 言語もマオリ語。ゴーギャンの作品にも、マオリ語でタイトルが
 付いたものがたくさんあります)

会期が結構長いので、お時間ある方はぜひ!


*ゴーギャンと言えば、豊満な裸婦像だけど、
 実は端っこにチョロっと描いてある動物がナニゲに好き。
 すべての動物はなんらかのメタファーになっていて、
 一説によると、犬はゴーギャン自身を現してるんだとか。

水曜日, 8月 19, 2009

空いた時間を埋めるべく。

イチローの盗塁とドカベンの盗塁の成功率は
さほど変わらない。と思う。
「警戒されているか否か」による結果の違いは大きい。

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あちーね。

・・・すっかりご無沙汰してしまいました。
見たら2ヶ月以上空いたのか~。

まー何も書かなくても結構・・・というか、むしろいつもより
精力的にアッチコッチへ動いてはいたんだけど、
色々ありまして、なんとなく文章を書く気にならず、
気がつけばこんなに間が空いてしまってました。

私の場合、気力のないときに文章書くと
客観性に欠ける文章になりがちなので、
そういう時は沈黙に限る と思ってさ。

でも、なんか最近たまたま読んだ雑誌やメールなんかで、
立て続けに

「文章を書くという行為が、人間にとって
 非常にリハビリというかリラクゼーションになる」

という記事を読みまして、安直ながら
「まー確かにその通りだな」なんて思ったので、
再会しよーかなと。

でも改まって仕切り直すときって、
何を書いたらいいもんかと逆に迷ってしまうので、
とりあえずは自分の備忘録で、
この期間に行った事とかやった事を
覚えてる範囲でメモっとこうかな。

なので、今回はあんまり
人に読ませるためのものじゃなくてごめんなさい。


◆6月

気力・体力が一番消耗してた時期なんだけど、
なぜかアメリカに旅をした。かなり思いつきで。

LAからラスベガス~グランドキャニオンを回る旅。

私はアメリカって全然興味のない国だったけど、
つくづく旅って、「どこへ行くか」ではなくて
「何をしたか」が重要なんだなーと思った。

グランドキャニオンの吸い込まれるような大きさに
エネルギーをもらえた旅でした。
旅がもたらす、説明できない「スカッと感」、本当に旅はやめられない!
私がハリウッドにいた時に、ちょーどマイケルがお亡くなりに
なったので、時期的にも記憶に残る旅だった。

そーいや行き帰りの飛行機で5本も映画を観てしまったわ。
泣ける映画ばっかりで機内で大泣きして、
スッチーに心配されたさ。

あ、あと、またイッコ年を取ったわよ。6月に。

軽井沢行ったりとかもしたな。
久々にチャリンコ飛ばして爽快だったー。
特別な事が何もなくても、
気のおけない仲間と飲んだりしゃべったりは、
それだけで嬉しい気持ちにしてくれます。

この旅にちなんで、この月のボーカルレッスンの
課題曲は「Route66」にしてもらったりした。いい歌だ。

私にしては珍しくアメリカナイズされてた6月。


◆7月

なんだか酒量が異常に多い月でした。

相変わらず映画観たりとか、落語観たりとかはよくやってた。
友達とBBQやったりとか。あ、浴衣パーティも7月だったっけね?

7月の2大イベントは、登山とフジロック!

登山は白馬の予定だったけど、麓までいくも雨で断念し
南アルプスの日本第2位の高峰、北岳に登りました。
富士山が日本一高いのは有名だけど、
「日本で2番目に高い山」って言われると、案外答えられないよね。

天気は最悪で久々にかなりシンドかったけど、
最終日だけは完璧に晴れて、
「どんな事にも“救い”ってあるんだなー」とか思ったら
ちょっと泣けました。
やっぱり好きだなー。山登り。きついけど。

フジロックは今年も3日間の通し参戦。
初日の豪雨にはさすがに参ったけど、
終わってみると不思議とイイ事しか覚えてないのが、
フジ・マジック。

個人的に一番ハジけたのは2日目のヘッドライナー、フランツだけど、
ステージ自体はsimian mobile discoとかRoyksoppが良かった。
念願のアニコレも見れたし。野外にピッタリだ!

今年もドラゴンドラ乗ってハッチさんに会えたし、
友達のチビの成長も見れたし、
「ドッカーン」という感じじゃなくて、丸1日煮込んだカレーのような
「ジックリ、濃厚」な満足感でした。

それにしても、7月は天気に泣かされる事が多かったなー。。


◆8月

6-7月で結構な散財してるので、小ぶりな感じで過ごしてます。

友達がアーティストとして参加したので、
神奈川のアンビエント系の小さいレイブに行ったり、
恒例の「キンシノ(落語家とイラストレーターのコラボライブ)」
に行ったりしました。

サマソニも1日だけ参加。
Specials、もうきっと二度と見られないなー。

あ、こないだ会社の近所のらくごカフェにも初めて行った。
いい感じのサイズのハコで、とても見やすい。
この夏は、結果として立川流ばっかりだな。

先週末は友達と河口湖にツーリング。
天気がイマイチでしたが、なんとか降られずに終了。
ほうとうとアイス食べただけって感じだけど(笑)、
大人の遊びはせかせかしてなくて、それがイイね。

平日にサクっとお休みとって
サーフィンも行ったりなんかして。
台風通過中の割には、あまり波が育ってなくて、
私はともかく同行した友達はちょっと物足りなそうでした。

ボディーボードも、いい加減なんとか上手くなりたいけど、
自然相手のスポーツはなかなか上手くならんね~。


・・・・しかしこの夏は忙しい(仕事以外が)。

自分でもナニやってんだと思うんだけど、
充実してっから、まーいいか。
一緒に遊んでくれる仲間達に感謝です。

仕事の非充実と、プライベートの充実。
人生とは、かくもバランスが取れてるものです(苦笑)。


あとは、うちのウサギが高齢でちょっと元気がないので、
この夏を乗り切れるか心配。病院の先生は大丈夫だっていうけどさ。


[NOTE]この期間に見た映画

幕末太陽傳
ラースとその彼女
愛を読む人
ワルキューレ
おくりびと
フラガール
グラントリノ
剣岳~点の記
ダウト


・・・さ。 気持ち切り替えてっと。

次回からはフツーな感じでいきます。
またよろしく。

※朝日に照らされる間ノ岳は、
ただただ、美しい。