火曜日, 3月 30, 2010

思い焦がれて、死んでゆく。

週末にお花見強行した人は、
ほぼ罰ゲームだったんでは。

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別にノルマにしているわけではないけど、
映画と落語は、気付いたら最低月2回くらいは観てる。

音楽もそうだけど、基本的に
「人が表現しているもの」から
何かを感じ取るのが好きなんだと思う。
メッセージを感じたときのあの感覚は、
何事にも変えがたいものがあるね。


で。
週末は落語。今年初、談春@新宿へ。

談春は立川談志の後半の弟子で、志の輔の弟弟子にあたります。
いま落語界で、チケットがなかなか取れない人を
5人あげろと言われたら、真っ先に名前が出るひとりです。

今回は初めから「たちきり」をやると
決まっていて、当日の番組を並べると・・・

・粗忽の使者
・愛宕山
 --仲入り--
・たちきり


たちきりは本当に笑いのない話なので、
前半二つで笑わせた感じ。
「愛宕山」は落語を知らない人も知っているわりと有名な噺。

私、太鼓持ちの出る話が大好きなんだー。
西洋の「ピエロ」に通じるものがある。
“顔で笑って、心で泣いて”ですね。

しかし今回の目玉はやっぱり「たちきり」!


 とある置屋の娘・小糸にほれ込んだ若旦那。
 小糸も本気で若旦那を愛すのですが、道楽者の
 息子を憂いた若旦那の父と番頭が、若旦那を
 100日間蔵に閉じ込めてしまいます。
 
 そうとは知らずに、連絡の取れなくなった若旦那に恋焦がれ、
 毎日文を送る小糸。返事の来ない文を送り続ける小糸は、
 日に日にやつれ・・・

 そんな事も知らない若旦那は、蔵の中で苦悩の日々を
 送ります。ようやく年が明けて外に出る事ができた若旦那は、
 あわてて置屋に駆け込みます。
 そこで若旦那を迎えたのは、仏壇に置かれた
 真新しい小糸の位牌だった・・・・



もーね。
とにかく切ない噺なんですよ!

私はむかし、さん喬の「たちきり」で大泣きしたことがあるんだけど、
そん時も会場中からシクシクとすすり泣きが響いてね。

この噺の何が悲しいって、序盤の蔵に閉じ込められるシーンとか、
小糸が恋焦がれる相手に文を送るシーンは
あくまでも回想で、若旦那や小糸自身が出てくるわけではない。

1時間以上の高座のほとんどは、
蔵から出た若旦那が小糸の死を知らされた後、
小糸が衰弱して死んでゆくまでを若旦那に語る
置屋の女将(=小糸の母親)の語りで進行してゆきます。


・・・恋愛話を、主人公である当の男女に
直接演じさせるのは正直簡単なわけですよ。

でもそれだと、「世界の中心で・・・」的な、
ベッタベタの「お涙頂戴もの」でしかない。

大体、他人の惚れた腫れたなんて
他人が聞いてもさして面白いもんじゃないし、
悲しいエピソードともなればよっぽど話に深みがないと
鼻白んだものになりがち。

でも「たちきり」では、娘を亡くした親の視点から
話が進んでいくわけです。そこがある意味壮絶。

とはいえ、酸いも甘いも知り尽くした置屋の女将である母親は、
取り乱すでもなく、恨むでもなく、“娘の死の原因”でもある若旦那に、
小糸の生前の様子を淡々と伝えていきます。

女将の有名な台詞で、

 「人間はね、生きていると、良い事も悪い事も忘れてゆくんですよ。
  小糸は・・・・・忘れたくなかったんでしょうねえ。若旦那を。
  このまま若旦那に会えなくても、生きていればいつかはあの子も
  傷が癒え、別の誰かと一緒になったかもしれません。
  きっと それが許せなかったんでしょうねえ・・・・。あの子は」


っていうのがあって、今回も私はこの場面で もー涙、涙。
談春演じる女将はわりと淡々とした女性で、
それが逆に、小糸が衰弱していく様子をより物悲しくさせるんだよね。

この話には、若旦那を蔵に閉じ込めた番頭も、
実は若い頃芸者と本気の恋に落ちて、
結局結ばれる事がなかった・・・という裏エピソードがあって、
通常ここはあまりジックリ語られる事はないんだけど、
談春のたちきりでは、わりとこのシーンに時間を割いていて、
「番頭の人柄(=決して若旦那を恨んで閉じ込めたわけではない)」を
しっかり描いていました。


それぞれが精一杯生きていたって、
ほんの少しづつ狂った歯車が、ある時大きな悲劇を生んでしまう・・・。


「生きる」というのは、かくも哀しい事なのか。


でも、「最愛の人を思い焦がれて死んでいった」小糸、
仏前で「女房と呼ばれるものは、今後一切持たない」と
若旦那に誓わせた小糸に対し、美しさや羨ましさではなく、

やっぱり死んだら負けだよ・・・

と、思ってしまう私は、
ヨロヨロとこの空虚な現代社会で
これからも生き続けなくちゃならないわけです。。

ハア~。

そりゃ、虚しさで落語の後にボトルも空けるわ
(言い訳 笑)。

金曜日, 3月 26, 2010

生き生きと、死ぬ。

世界の山ベスト10の中では、
カンチェンジュンガ(3位)と
チョ・オユー(6位)が断然好きだ。

なんたって、名前が変でイイ。

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久々と言えば久々、映画ですのよ。

「イングロリアス・バスターズ」
~Inglourious Basterds


 舞台はナチ占領下のフランス。
 ユダヤ人の大量虐殺を行うナチがいる一方、
 ドイツ兵を残虐に殺すことを目的とする集団が
 アメリカにあった。それが「イングロリアス・バスターズ」。
 ある日、ナチの高官だけを集めた映画の
 プレミアム上映が実施される事になった。
 小さな映画館で、ナチを一網打尽にできると考えた
 バスターズ達は・・・・・


親日家なのは嬉しいが、最近出すぎな「世界のタラちゃん」が監督、
プラピ主演のハリウッド映画です。

元々タランティーノの映画を好んで観るほうではないです。
彼の映画は、本当に人が次々、しかも残忍な方法で死んでいくし、
どうも心から笑えない部分があるんだよね。

ただ、北野武の映画なんかがそうであるように、
深層にある「暴力性」とか「自己愛」とか「笑い」って
表裏一帯なところがあるじゃん?

私も例えば、近所の猫を残虐に殺す男のニュースがあれば、
「コイツも猫達と同じ方法で、苦しめて苦しめて
殺してしまえばいいのに!!」とか思うわけですよ。

死んだ猫への情愛と、犯人の男への残忍さは、
全く違うようで、わりと同質のところから生まれた感情です。

・・・要は「人間のエゴをえぐる作品を作る」
という意味ではタランティーノはすごい監督なので、
そんなわけで、タイミングが合えば観ていました。

で、観終わって思ったのは・・・

この映画のレビューとか全然読んでないんだけど、
これを「コメディ」と捉えるか、「ヒューマンドラマ」と
捉えるかで、全然見え方が違うような気がする。

これがコメディだとすると、結構すんなり「娯楽映画」
だと言えちゃう。
バスターズのトップはマイクマイヤーズ(オースティンの)だし、
バスターズの敵となるドイツ兵高官のキャラもちょっとブッ飛んでる。
最後はヒトラーもまとめてブチ殺しなので、
史実とは全く関係ない展開だし。

アメリカ自国で作った映画は、字幕付きの映画が本当に少ないんだけど
(アメリカのそーゆートコが嫌いなんだよな~・・・)、今回は
ドイツ語、フランス語、そして話のキーにもなるイタリア語が錯綜して、
それがまたおかしさを強調してるんだよね。


でも一方・・、この映画の素材がユダヤ人の大量虐殺である以上
そこになんらかのメッセージ性を見つけようとしちゃうと、
とたんに“血なまぐさい”映画になっちゃう。

後半なんて、わりと主要な人物も
ジャンジャンハチの巣にされちゃうし。

でも、人間が「人を殺すときに感じるであろう逡巡、葛藤」が
ひとっつも描かれていないので、それが逆にリアリティを
消し去っているんだろうな。


好き嫌いはあるものの・・・・例えば、映画を観た事が
ない人に「映画ってどんなものですか?」って
聞かれたら、この映画をひとつとしてあげてもいい。

そんな感じの「映画らしいエッセンスが詰まった」
映画だなと思います。


世界大戦を扱った映画で、ヒトラーがあんなに
あっさり死ぬ作品ってきっとほとんどないので、
人は、わりとそこに爽快感を感じるかもしれない。

「爽快感」って言葉は変だけど、
実際モンダイ、そういう感覚なのですよ。困った事に(苦笑)。

最後の映画館大爆発は、
西部警察バリの(や、予算はその何十倍だろうけど)
火薬使いすぎ的シーンですよ。


* こういう映画のブラッドピットって
 生き生きしてます。いつまでもオコトマエだな~。
 役の人格を自分と同化させる必要がないから、
 「着ぐるみの中の人」みたいに
 苦悩せず演じられるんだと思う。

水曜日, 3月 24, 2010

感謝の気持ち、伝えたい。

今の自分の会社への思いは、
昔の彼氏への思いに似ているな。

「感謝してる。でも愛はない。」(笑)

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「旅立ち」がキーワードの連休でした。
3月は色々と動きが多いからかね。


登山の基本を教えてくれた山師匠の
転勤による送別会(×2回笑)

前職の社長が退職されたので、
当時の部署仲間が集まってのお疲れ様会。

そして、友達のバンドのメンバー入替えに
ともなう、バンド“一旦”解散ライブ。


・・・それぞれいろんな理由があって
“変わって”いくわけなんだけど、
どういう形であれ、別れというのはシミジミ寂しい。

もちろん、一生会えなくなるとか
そういう事でもないのだけど。


様々な別れは、大抵「送られる側」がその後
色々と大変なケースが多い。
転勤なら新天地の家探しから、土地になじむまでは大変だし、
退職は、その後の生活が完全に様変わりする。

そう考えると、「送る側」は
本当は笑顔で見送ってあげたいところなんですが、
心情的にはやっぱりなんとなく湿っぽい。

それは、その人と今までのような付き合いが
できなくなる寂しさと同時に、自分が「置いてきぼり」
を食ったような気持ちがあるからなのかも。

学生時代のように、同じ学年の友達が一斉に
卒業する時なんかには、そういう感情はあまり生まれないけれど、
大人になってからの「別れ」には独特の焦燥感がある(私だけ?)。

それは、私自身が「送られる側」であったとき・・・
例えば前職を辞めた時とか、海外移住を決めた時なんかの、
不安な気持ちと「新天地へ羽ばたく」独特の高揚感が
ない交ぜになったあの感覚が、大好きだからなんだと思う。

「変わる」というのはリスクが多い。

変わった後、しばらくすると待っているのは
「日常」である事も知っている。


・・・でもやっぱり、個人的には「イイナ~」という
気持ちのほうが大きいかな。これは人によるんだろうけど。

その変化が大きければ大きいほど、
不安も、期待も大きい事を経験から知っていると、
「停滞」している自分がイヤになったりもする。


・・・もうすぐ春か。。

私もなにか、変わってみようかな。


それぞれ「旅立つ」みなさん、本当にありがとう。
どうぞお元気で! Please Keep in touch!

そして、新天地で“ワクワク”してくださいね!

木曜日, 3月 18, 2010

みんな見ている。みんな傷付ける。

ラジオ難聴地域に朗報。
著作の問題等で実現できていなかった
ネットラジオ(サイマルラジオ)の試験運用が、
日本でもようやく始まりました。

ハブサイトのRadiko.jpは安定しないので、
目当ての局のページ直接行ったほうがいいです。

とりあえず嬉しい。

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こないだジムで、今月から新しく配属されたと
思われる新顔のトレーナーさんから声をかけられた。

もちろん一度も話した事のなかった人だ。

私はいつもわりとアスリートっぽいウエアを
着ているんだけど、気に入ったヤツを着続ける
傾向があるので、結果いつも同じ格好をしている。
そのトレーナーが、開口一番私に言ったのが「いつもそのウエア見かけると
“お、やってる(=本格的な)人なのかなー”と思ってたんですよ~」。

うーん。そうなのかー・・・。
「見ている」んだな。。

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話は変わるが、先日4月の人事異動があった。

私の部署でも人の異動があったので、
部署全体の送別会の前に、わりと面識が深い人達の
間での「プレ送別会」があったんだけど、
その中である女の子(仮にY子とする)が、これから異動していく人に、
異動先にいる課長が、いかにやっかいで嫌な奴かという事を延々話し始めた。

Y子は、以前その課長と2年間一緒に仕事をしたことがあるのだ。


Y子の性格から考えて、まったく悪気はないと思う。
ただ、自分の知っている人間の情報を、
面白おかしく話して酒席を盛り上げたに過ぎないと思っているはずだ。

でも、これからその課長と一緒に仕事をする人に
してみたらどうだろう・・・?

もし本当にその課長が嫌なやつだったとしても、
一緒に仕事する前からウンザリした気分にはなりたくないだろう。

Y子は以前も、少し前に彼氏と別れた同僚(友達)を前にして、
最近付き合い始めた自分の彼氏のエピソードを延々語ったことがあり、
私は見ていて気が気ではなかったが、当の本人はわりと気にしていない風だった。

Y子は決して悪い人じゃないが、どうもそういうところが「鈍感」で、
その時も、私はだいぶ先輩なので「友達に彼氏の話をするのは悪い事じゃないけど、
相手のその時の心理状態によっては、傷付けることもあるよ」
とやんわり諭したところ、「あ!そうですね!」と、
言われて初めて気が付いて反省していた。



・・・先のジムの話とY子の話、全然関係ないようで、
私には同じ教訓を与えた。

それは、

 「人は、自覚していなくても他人にあらゆるところを見られていて、
  無意識のうちに被害者にも加害者にもなりうる」

という事。


自分の事で言えば、30数年生きてくると、たくさんの人に会うし、
たくさんの経験を積んでくる。
友人の話はもとより、本や映画で、
自分とは別の世界を見ることもある。

自分のいい面も悪い面も、なんとなく
「持ち駒は出し尽くした感」がある。


そうすると・・・・知らないうちに「これが当たり前」という
感覚が身に付き、自分では柔軟なつもりでいても、
実は自分の中にある「そうであるはずだ」という考え方に囚われ、
それが他者に思いがけない影響を与えてることがあるんだよね。

逆に、周りからそういう「これであるべきだ」という砲火を
浴びて、シンドイ気分になった事もある。
相性のよくない人はもとより、
普段仲良くしている人からでもね。。。


・・・普段からこんな面倒な事を
考えてるわけじゃないのよ(笑)。

大体、目的意識がしっかりあって、本当に「ブレない」人は
そもそこんな事を考えなくても、最良のスタイルで生きてる
んだと思う。

でも、私は凡人だ。

だから、
「他人からどう思われるかを気にする」とか、
「他人の顔色を伺う」とか、そういう事とは全然別の次元で、

 「人を気にする事ができる」

人間でありたいな~ と、思ったわけなのでした。


人生には、1日1つは学びの場があるね。

月曜日, 3月 15, 2010

群れは繁栄の証

今月も丹沢なのよ。
一応、4月から転勤になる山師匠の送別登山ですが、
ま、個人的には月イチのレギュラー企画です(笑)。

 超余談だけど、登山をするようになって、
 朝5時台の電車がこんなに混んでいる事にビックリした。

その時間の電車って、レジャーに向かう人か、
朝まで遊んで帰る人しかいないんだと思ってたんだけど、
わりと「これから仕事です」みたいな人も多い。

世の中って、自分が寝てる間にも
いろんな人が動いているんだなーと思うと、
改めて感謝したい気持ちになるよ。

最初は、秦野から塔の岳に向かう8時間近い
わりと長距離コースの予定でしたが、
諸事情あり大山へ。

数週間前にお隣の山に登っているから、
季節の変化がよく分かってそれはそれで楽しかった。

みんな、もう春だよー。
春の準備(ってナニ?)しとけよー。

先月はシンと締まって生命のエネルギーが
あまり感じられなかったところも、今回は
春に向けて「やるぜ!」っていう空気が感じられました。
だんだん緑色が増えてきてるからそう感じるんだろうな。


大山ってコレで3回目なんだけど、
山頂で天気がよかった試しがない。

今回も、雨こそ降らないものの風が強くて寒い。
珈琲の入れかたも失敗するしさ。。。

大山は昔から信仰の山として有名だから、
私は神様に見放されてんのか~ と思いきや、
大山は別名「雨降山」という名前を持つくらいで、
山頂の晴天率は低い山らしい。

私だけじゃないのね! 良かった。

コースは雪が残っているものの、全体的に雪解けの
グッチャリコースで、どっちもこっちも
ドロドロになりました。

でも全体的に体力も時間も余裕を持って登れる行程で、
本格的な登山シーズンの足ならしとしてはちょーどよかった。

花に詳しい師匠に、「木から直接生えるのは梅で、
茎(みたいの)が枝分かれしてまとまって生えるのは桜」
と教えてもらいました。

桜のように、複数の花がまとまって“もさっ”と
咲くほうが子孫を残すには効率がよいので、
そういう花のほうが歴史的に新しい(=進化している)んだって。

そうかー。
人間も、群れると新人類で、
おひとり様は旧人類なのかも。

私、絶対旧人類だなー。150%。
子孫残せねー。


・・ま、それもまた人生。

さて。今度はどこに登ろうかなー


*写真ではイマイチサイズがわからんが、
 大変立派なペアの木。既に根元はミックスしてますが、
 木の種類は全然違います。これぞ国際結婚







*私のお得意の「山のメヒョー(女豹)ポーズ」
 を、先取りしている竜神様が。せくすぃー

水曜日, 3月 10, 2010

「情報」と「意味」を知る

週末にハッチさんのライブに行く。
大好きなシミジミ系喫茶店
(カフェではなくあくまで「喫茶店」)でのライブは、
私の癒しタイムです。マスターのキャラがいーんだ。また。

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最近は、情報番組が百花繚乱。

私は観たことがないんだけど、
話題の本やスポットの「あらすじ」だけを、
かいつまんで説明する番組もあるんだそうで。

私の会社にも、テレビや雑誌で見た知識(雑学ともいう?)
を、訳知り顔で披露する人がいる。

私は最近、こういう話を聞くたびに、
どうにも隠し切れない違和感を感じていた。

・・・いや、私だって「知ったかぶり」はするけれど、
そういう「コマ切れの情報」で知ったふうになることに
対する、ある種の危機感みたいなものは ある。


そしてそんな違和感の答えが、とある
メルマガで分かったような気がした・・・。

そのメルマガ、某企業のCEOの方が発行しているもので、
私が登録したわけじゃないのだけど、名刺交換をした縁で送られてくる。

これまでのメルマガを見ても
この方と感性がなんとなく似ているので
(趣味とか、ある種の説教臭い性格も似てる(笑))
ヒマな時に結構まとめて読んでいる。

そんなメルマガの一節を引用すると・・・

  #僕は先週のメールマガジンで「キャンプに観光は必要か?」
  #と題したコラムをアップした。

  #一言で言えばこういう内容だ。僕は自然の中でボーッとする
  #ことを目的にキャンプへ行った。しかし友人はキャンプ場で
  #ボーッとするのは退屈だと言う。せっかくだから周囲の観光
  #スポットへ出かけようと言うのだ。僕たちは違う目的で
  #同じ旅に出てしまった。同床異夢だったのだ。

  #という内容だ。

  #僕はそこから、目的や価値観の共有なしに行動することは、
  #企業が経営理念を共有せずに社員と仕事をしているのと同じだ、
  #と論を展開した。

  -----(中略)-----

  #しかし、僕はコラムにこだわりたい。そしてメールマガジン
  #という体裁にこだわりたい。そのためには「情報」の羅列では
  #いけない、と思う。

  #そこに「意味」づけをする。その「意味」づけに意外さや
  #深みを加味出来た時に僕のコラムに価値が発生するのだと思う。

  #「意味」づけに個性が表れる。例えばあなたが友人と二人で
  #映画を見に行ったとしよう。もちろん二人は同じ映画を同じ
  #「スクリーンで同じ時間に共有する。
  #「しかし、終わった後にあなたが友人と映画を振り返った時に
  #「気づくはずだ。二人の感想がまったく違うのだ。

  #「同じ映画という「情報」を見ても、そこからくみ取る
  #「「意味」が異なる。だからこそ、「意味」のくみ取り方に価値がある。
  #「個性があるのだ。


そうか。
私の違和感は「情報」と「意味」の違いなんだな。


結局、「情報の提供」は誰にもできる ということだ。

ましてや、テレビでそんな「あらすじ番組」が人気を博し、
ネットの検索で欲しい情報を瞬時に手に入れられる現代は、
情報そのものの価値は著しく下がったと言える。

だけど「意味」は、違う。

意味は、個々人が、またはなんらかのグループが、
時間をかけ、考え、頭を悩ませた結果生まれたもの。

だから、受け入れられる物とそうじゃない物があるけれど、
そんな風に「これはいいか・悪いか」と、第三者の議論の対象に
なった時点で、その「意味」には価値があるという証拠でもある。

本や映画のあらすじだけ説明されたって、
その作品の意味もへったくれも分からないもん。

仕事でも、例えば「この運用方法には問題があるんですよ-」
と言ってくるものの、「じゃ、あなたはどうしたいわけ?」
と聞いても、特に代替提案はなく、
ただ「問題は直したほうがいいと思うんです」と言う人がいるけど、
アレと一緒だ。

20代ではギリで許されるけど、30代ではやっちゃダメなアレ(笑)。


・・・・仕事に限らず、日々の暮らしの中でも、
情報に「意味」という付加価値を付けられる人間で
ありたいなー と、思います。


*祭りのやぐら(?)のような提灯劇場。
 この写真の赤みがかった感じが、淫靡でまた イイ。

水曜日, 3月 03, 2010

自分メンテナンス

フジ第一弾発表。
MUSEとかBOOMBOOMとか、
わりと大物が早くもアサイン。

この後、尻すぼみになったらヤだな~

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週末は、知り合いの治療院
「仁鍼堂」にて鍼治療。

だいたい月イチペースで通うようになりました。

私の場合、冷え性や強い生理痛、アレルギーなんかが主な症状で、
「腰が痛くて歩けない」とか
そういう症状で行ったわけではないんだけど、
なんとなく治療後は身体がラクになるというか。

上手く言えないんだけど、3回目にしてやっと


 「鍼の力をキャッチできてる」
 「体のいろんなトコのバランスがよくなってる」

感じなので、エステなんかと同じノリで通っています。


何回かやってみて思ったけど、
鍼って、正直「劇的に症状が直った!!」という
たぐいのものではないんだと思う。

もちろん、肩や腰の痛みをたちどころに
直すこともできるのかもしれないけど、
私の場合は、車で言えば「車検」みたいなもので、
定期的な体のメンテナンスをしているって感じ。

 そーいや私のバイク、250ccで車検がないから、
 このところ立て続けにおかしくなって、
 エッラい修理代かかってるからな・・・(チッ)。



話はずれるが・・・

前に、日本のタオル生産のメッカ「今治」のタオルが
中国産の安価な製品に押されて衰退していたのを、
今治の人たちが「今治ブランド」として見事立て直した
って話をどこかのドキュメンタリーでやってた。

今治のタオルが何故よみがえったかというと、
高級ホテルなどが、その質の高さに驚いて
こぞって自分のホテルに採用したからなんだって。

実は今治タオルって、未使用時の光沢とか肌触りは
中国産には勝てないんだそうです。

だから、パッと見はみんな安くて良さそうな
中国産を手に取ってしまうわけ。

でも今治タオルは、非常に丁寧な作りになっていて、
使い込むほど吸水力があがって
肌触りもよくなるし、耐久性にも優れているので
結局は高価でも今治タオルのほうが賢い選択だ
・・・って感じの番組だったのね。

NHKの番組なので、広告チックなところは
一切ないわけよ。


・・・で。遠回りしましたが、
鍼治療も、私にとっては今のところそんなイメージかも。

普段から身体が本来持つ力を高めて、
病気になったら ではなくて、
病気になる前に 身体の事を考えてあげる。

そーゆー事なんだと思う。

結局、良い物を「良い」と実感するには、
それなりの時間と投資が必要なんだろうなー
というのが本音。


今治タオルがそうであるように、
それなりにコストはかかるわけだけど、
長期で見たら結局いいのかな。

そして、今治タオルが質で勝負して
高級ホテルに一目おかれたように、
私も、質勝負で高級なメンズに一目おかれるオンナに・・・


・・・ならないか。 えぇ なりませんね。
分かっていますとも。


鍼の後はいつも身体があったかくなるので、
その日はポカポカで眠りについたわけですが、
翌日久々にスキーに行ってしまい
思いっきり芯まで冷えてしまいましたとさ。

ダメじゃんねー。


仁鍼堂 -じんしんどう-
神奈川県川崎市(川崎大師そば)
044-288-1089