月曜日, 11月 09, 2009

美しき女の闘い

社会的な体裁や、「ないよりはマシ」
という理由で、好きでもない人や物や場所と
一緒にいるのって、かなりの苦行だと思うんだけどな。。

それ、案外多いよね。世の中。

だから私はダメなのか? 人として何か欠けてるのかも?

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知り合いがテコンドーの試合に出たので、
後楽園ホールに観に行ってきました。

後楽園ホール・・・縁がないな~(笑)。
格闘技好きの間では聖地だよね。

格闘技は面白そうだなとは思うし、
ジムでボクササイズやコンバットくらいはやるけど、
観戦するほうに興味が向いた事はなかった。

テコンドーに限らず、格闘技のルールは
正直よく分からないんだけど、
素人でも間近で観ていれば(一番前の席だったので)、
「あ、あの人はちょっと疲れちゃったな」とか
「あ、あのパンチは相当ダメージあったな」とか
っていう程度は分かるので、なかなか見ごたえがあります。

蹴られた時の、あの「バズっ!」っていう鈍い音、
身内の人は観てるのイヤだろうな~とか思うんだよね。
イヤじゃないのかな。

テコンドーや空手には「型」という競技もあって、
対戦相手がいるのではなくて、その動きや技の美を
競う競技もあるんだけど、
こういうのって、たぶん知らなければ一生縁がないから
私も今回初めて観れて面白かった。

素人が見ても、綺麗な所作の人っていうのは、
美しいんだねー。


男性の格闘技好きは、「鍛え抜かれた肉体の美学」とか
「戦うという男の本能」がその本質にあるように思うんだけど、
女性の場合は、どうなんだろ・・・? 
今回観に行った友人は女性選手なので、
そんな事をシミジミ考えました。

ストレス解消 とかもあるんだろうけど、
後楽園ホールで試合するまでになる人は、
殴るだけじゃなくて、殴られる事も多々あるわけだし、
趣味気分でやってるだけじゃー無理だよね。

なんとなくなんだけど、女性で格闘技するタイプは、

「強くなりたい!」「私が一番!」という強烈なセルフイメージが
格闘技という方法でアウトプットしている人

と、

自分をとことんまで追い込む事で快感や満足感がある、
究極のストイックというか、要はM(笑)

な人と、大きく分けて2種類いるような気がする。

私はかなり後者寄りなので、やれば
きっと頑張ってしまうほうかも(笑)。
今回観に行ったMさんも、どっちかっつーと後者の気がするなー(笑)。

友人はなんと女子の部で優勝しまして(やったね!)、
私も気分よく家路に着く事ができました。


でも、優勝した事はもちろん素晴らしいのだけど、
個人的には、あのリングに立つまでに
何十、何百時間の練習をして、数え切れないほど
殴ったり殴られたりしている彼女の
たゆまない努力を想像して、そこにグっときました。

「純粋に“何か”に向かっている人」って、
言葉がいらないよね。

その所作だけでメッセージが伝わってくる。

・・・いつもだと疲れちゃうけど(笑)、
ある期間、「他のすべてを犠牲にして」
ひとつの事に向かっていくっていうのは、
必要な事なんだと思う。

大事なのは「他のすべてを犠牲にして」ってトコね。

2匹も3匹もウサギを追っかけられるほど、
もはや体力ないもの(笑)。

きっとひとりの人の中でも、
時代時代でテーマは変わると思うんだよね。
20代と40代では人生に求めるテーマも違うだろうし、
年齢以外でも、変化のきっかけはあると思う。


そういうテーマや、自分にピッタリのスピードを
その時時で見つけられたら、
その人はきっととっても幸せなんだよね。

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