火曜日, 12月 28, 2010

年の瀬に携帯は壊れたけれど。

忘年会ラッシュも30日でようやく終結。。
今年はやけに多くて、数えたら月の2/3は飲んでた。

1回1回セーブしたつもりだけど、
それでもさすがに胃腸が弱っていて、
先週末は、仁鍼堂にて強烈なヤツをやってもらいました。。。

ありがとう、院長。

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仕事は今日(28日)まで。
実は結構やることがあるんだけど、
気持ち的には既に“余熱”で働いてる状態であります。

今年は山やクライミングが充実したのはもちろんよかったけど、
それ以外も本当に「文化的」な1年だったな。

こんなに時間の使い方が変わったのは20歳の時以来かも。

20代の10年間を仕事モードで駆け抜けたので、
自分の中では、最近は「別人の自分」に接しているような気分。


落語、映画、本、美術展、音楽・・・
「芸術系」の好きなものに存分に時間(と、お金(笑))を
費やした1年だったように思う。

そういう時間を通じて、人間関係が広がった1年でもあったし。


「忘年会」とか「年忘れ」という言葉は
日本独特のものだと聞いた事がある。

人生って、たぶんトータルするとイイ事よりも
悪い事のほうが多いんだと思うんだけど、

そういった悪いことを、年越しとともに忘れて
「来年はまた明るい気持ちでスタートしようよ!」という
前向きな言葉ともとれるし、
年を越す事で、前年のいろんな事を“なかった事にする”という
日本人らしい都合のよさをあらわした言葉、という気もする。

ただ、いずれにしても、人って「リスタートしたい」って
思いが常に頭の片隅にあるんじゃないかなー とは思う。


人生に「If」はないけど、もし今晩私の目の前に神様が現れて、

 「明日から別の人間に生まれ変わらせてやってもいいよ」

って言われても、私はたぶん断るだろうな~。。。


トホホなところが超いっぱいあるけど、
今の自分が結構気に入ってるからね。
20代の一時期、あんなに自分が嫌いだったのに。

30ウン年かけて創った甲斐があったよ(笑)。


私は「ガンバッテ」人生生きてないので(笑)、「来年もガンバロウ」
とは思わないけど、来年も、「なんだか今日は1コ良い事あったな~」と
毎日思えたらよいと思うし、そうなるように暮らしたい。

結局、1分の60回が1時間で、1時間の24回が1日で、1日の365回が1年だという事だからね。

当たり前のこと、なんだけど。


正直あんまり年末の実感はナイですが、では皆様よいお年を~

水曜日, 12月 22, 2010

「夫婦の信頼」は年末の風物詩

知り合いのサイトに寄稿した記事がアップ。
お時間あれば。

第1便~ 旅の“OMOTENASHI”に想う
http://epstein-s.net/archives/category/visits_kyoto

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さて。
いつもの面子で、今年も「落語聴き納め」。

※本当は志の吉君で締めだったのに、
 会社の忘年会に潰された・・・。チッキショ~!


【医と可笑し~ 立川談春独演会】

・談春の雑談
・「人はなぜ癌になるのか」 ~慶応大学教授公園
・癌をテーマに活動する団体への寄付セレモニー等
 -- 休憩 --
・談春「芝浜」


実は、チケットを買った時はまったく知らなかったんだけど
(第一そんなアナウンスはほとんどなかった!)、
製薬会社がスポンサーについた癌撲滅のチャリティーイベントだったらしく、
単なる落語会ではなく、途中に癌に関する講演が挟まったりしてビックリなイベントでした。

講演自体は、癌の発生のメカニズムと最新医療の様子を
分かりやすく説明していて「ナルホドな~」とは思ったんだけど・・・
いかんせん心の準備が・・・・(苦笑)。

完全に「落語を聴くぞ」モードで会場に行ってるから、
なんというか、パワポのデータとか見てると段々仕事な気分に・・・(苦笑)。

談春の噺は1本のみ。「これで“独演会”はナイヨナ~」と思ったけど、
癌のチャリティーにささやかながら貢献したわけで・・・マ、いっか。

そんなわけで、ある意味初体験の落語会になっちゃったわけなんだけど、
やっぱり最後は談春師匠キメテくれました。

『芝浜』


 # 腕はいいがサボってばかりの魚屋の勝五郎。
 # そんな勝がある日芝の浜で革財布を拾います。
 # 財布の中には大金。勝は「これで借金を返し、飲んで暮らせる」と大喜び。
 # これを心配した女房は、「財布を拾ったのは夢だったんだ」と大芝居をうち、
 # 勝が再度働きに出る意欲を持つように仕掛けます。
 # 心を入れ替えて働き始めた勝五郎。女房は3年後の大晦日に、ついに嘘を打ち明け・・


なんだかんだ言っても、落語ファンはコレを聴かないと
年末って気分になれないよねー。

大ネタだけど、とても有名な噺だけにやってる人は大勢いて、
私もこれまでに、実際の高座だけでなくCDなどでも何度も聴いているけど、
談春師の「芝浜」はこれが初めて。

談春版「芝浜」は、魚屋の勝公がこれでもかと単純でバカな感じに描かれていて、
そのあたりはなんというか「立川の香り」というか、
要は談志の心得が見え隠れしてた。

この噺は忠実にやろうとすると、勝五郎が革財布を拾うまでのシーンが
とても長いんだけど、談春版はこのシーンは回想のみ。
談春は、最後の女房に嘘を打ち明けられた後、勝が3年間断っていた酒を
飲もうか飲むまいか逡巡するシーンに長く時間を割いています。

完全に筋を知っている話でも、
最後のシーンで、・・・・やっぱり泣きました(苦笑)。

だって談春版の勝五郎、カワイイんだも~ん!

酒を飲みたい!でも飲んだらまたダメになる!って悩むトコとか、
嫁に「バカやろう!」「言う事聞け!」と怒鳴りちらしながらも、
心底女房に惚れてる様子が伝わるんだよ。ダメンズにはたまらないかも(笑)。


途中、地噺っぽく談春が解説を入れてたんだけど、

 「財布を拾ったのは夢だったと分かった勝五郎は
  その後、心を入れ替えて真面目に働くようになり・・・って~話なんだけど、
  人間そんな簡単に心を入れ替えられねーやね(笑)。でもまあ、一生懸命
  働くようになったわけで・・・」


って話を入れて、なんだかやけに納得しちゃったんだよ。

そりゃそーだ。
人間、そんな簡単に変わらないよ。

噺家も、そう思って喋ってるんだ。なんかホっとした。


・・・・なにはともあれ、消化不良な部分もありましたが、
年末気分を味わったからヨシとしましょう。

今回は会場が関内だったので、
帰りは中華街で、知る人ぞ知る、身体に優しい薬膳中華料理を出す小さなお店で、
身体に良さそうなお食事と、身体に悪そうな大量の紹興酒(笑)を
頂いて帰りました。

楽しい面子と飲むお酒はホント美味しい。


私は前職が出会い業だから、当時は

 「寒い季節には人恋しくなる・・・云々」

っていう広告コピーをよく書いてたけど、
私自身がこの時期に珍しく人恋しくなるのは、
寒いからじゃなくて、「芝浜」の夫婦に感化されるからかもしんない(笑)。

本当の意味での「信頼」が、あの夫婦にはある気がするから。

月曜日, 12月 20, 2010

時は待ってくれないから。

8日がジョンの命日だったので、
ビートルズを聴く事が多い今月。

聴けば聴くほどやっぱビートルズって偉大だ・・・・。

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冬は気分も落ちるし、今年は早い時期から忘年会エンジンがかかっていて
宴席ばかりだから疲労もたまり気味なのだけど、
昔に比べると、「酒のせいで翌日の休みがフイになる」
みたいな飲み方はもうしたくないしできないので、
週末は、ちゃんと有効に時間を使えている気がします。


で。
今年も行ってきました。「ダイヤモンド富士@高尾」。

個人的にはもはや「登山」とは言えない高尾山ですが、
さすがに4年目(5年目?)となるとこれだけは外せない。

最近は、これをもって「今年も終わるなー」という
『〆』気分になったりします。

空には雲ひとつない快晴。
寒いながらもちょっと登ると汗ばむような陽気で、
登山には申し分のない一日でした。

大してルート図も見ずに、おしゃべりしながらユルユルと登っていけば
あっという間に薬王院。その先はすぐ山頂。

正直疲労はほとんどなくて、手前ミソですが
高尾山に登ると、4~5年前から自分の登山レベルが飛躍的に
上がっている事を実感します(マア、逆にそれに慢心してちゃダメだ
という戒めの気持ちも感じるけど)。

今年はズバリの23日に都合がつかず、ちょっと手前の週末。

そのせいなのか、京王線のCMが弱かったのか、
今年は昨年に比べるとギャラリーはグっと少なめ。
日没に向けて山頂に登っていくので、途中下山する方に
「今から登るの?泊まり?」なんて何度か聞かれて、
ダイヤモンド富士の知名度が若干下がった感がありました(笑)。

ていうか「泊まり?」・・・・って(笑)。
高尾山で泊まりかー。ある意味やってみたいかも。


山頂には日没の30分程前に着。

事前に陣場のほうから登ってきた友達と合流後、
せっかくだから山気分を楽しもうと山頂でコーヒーなんか沸かしてたら
あれよあれよという間に日が沈んでしまい、
富士山山頂にお日様がかかったのを見れたのはほんの十数秒・・・(笑)。

「わ、わ、わー」とか言って眺めに行った頃には、
もうお日様はすっかり富士山の後ろに隠れてしまっていました。

なんていうか・・・、なんのために登ったのやら(苦笑)。


でも、なんかそれも私らしくていいかなと個人的には思った。

山に登るという行為の中で、「山頂」や「サンセット」は
確かに“到達点”ではあるけど、重要なのは実はそこではナイっていうのが
私の人生観なわけだし。

時は待ってくれないし、日が沈んで初めて「あ、ワタシ出遅れた!?」って
気が付いちゃうのも、自分らしくていいや(笑)。

・・・サンセットを見たかどうかより、ある目的に向かってみんなで進み、
今年も“その日”に元気に山頂にいることができたというのが、何より嬉しかった。


下山は、年に一度の「故意にナイトウォーク(笑)」で、
1時間程度で下りてしまいます。

最後に、八王子のフラっと入ったにしちゃー味のある沖縄料理屋で、
プチ忘年会ってことで、美味しいお酒とゴハンを頂いて帰りました。


今年も色々あった。
楽しい事もあったし、辛い事ももちろんたくさんあった。
それでも、こういう1日を過ごすと

「う~ん。今年はいい1年だったかもな。うん、そうだな」

っていう気持ちになれるモンです。

単純。そして安あがり(笑)。


*そんなわけで、すっかり日が沈みきった
 シルエットの富士山の写真が残るばかり。

水曜日, 12月 08, 2010

ルール大事。経験も大事。

私が読んでる仕事系メルマガの先週号
http://www.faith-h.net/tabid/84/EntryID/50065/Default.aspx

う~む。面白い。とても示唆に富んだ話だ。

リーダーの素質の話でありながら、「役割論」でもあるね。
私はさしずめフォロワータイプで決してリーダーにはなれないけど、
それが私の役割だし、そんな自分にわりと満足している。

仕事に限らず、与えられた立ち位置で最大のポテンシャルを
発揮できる生き方をしたいと思う。

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また山ネタですが、ちょっと前に
こんなのにもシレっと参加したりして。

机上講習
「チャレンジ!初めての冬山」by カモシカスポーツ

http://kamobaba.jugem.jp/?day=20101202

最近すっかり壁にハマってしまっているわけですが、
山のほうもちゃんとレベルアップしてゆきたいという願いを込めて(笑)。

講師はカモシカの笹原さん。
すごいユルくて、お話上手な人でした! 一発でファンになった。
こういう人に学校で授業をして欲しい~(笑)。

笹原さんのお話がうまいので、
楽しく話を聞いているうちにあっという間に2時間が過ぎた感じです。

基本的には冬山未体験、もしくは初心者の人のため講習なので、
必要な装備や歩き方など、冬山の基礎技術がメイン。
「知らなかった~」ってことはそんなに無かったけど、
改めて基礎知識を固めるという意味でとても勉強になった。

山岳会に入ってれば
この辺りはもっとクリアになるのだろうけど。

山岳会加入者がまわりにめっきり増えたことだし、
来年はちゃんと会に入ってやろっかな。。。


登山は何より経験がモノをいうので、
一般の登山書に書かれていない「本には書いてないこと」
をたくさん聞けるのがこういう講習会の醍醐味。

登山では、「テント内で煮炊きしない」とか、
「12本爪アイゼンは○○の場所で使ってはならない」とか、
そういう身を守るためのルール(主に『コレやっちゃダメ』ってのが多い)
みたいなことがたくさんあって、それはそれで大事なわけなんだけど、
一方で実際の登山シーンでは、ルールより、いかに自分の中で「生き抜く」
ための方法論を見つけるかなんだよね。

そういう絶対的な基準のない中で、自由に(それは「自由に」であっても
「勝手に」ではない)できることが登山の面白さなわけだし。

笹原さんは、そういう事を十分理解したうえで説明してくれるので、
一応通りいっぺんの説明をした後で、

「・・・と、いう事に基本はなってるけど、今は道具も良くなってるし、
 全然そんなこと気にしなくていいと思いますね~」

という結論に持っていくんですよ。このユルさ!分かりやすい!(笑)

参加者の質問中も、インナーの新しい素材の話が出たりすると、
「それってなんですか?」って、笹原さんのほうが逆にお客さんに聞いちゃったりして。

すっごい好感持てる。知ったかぶりせずに素直に聞いちゃうなんて
人間のフトコロの大きさが出てるっていうか。

大体、登山用品店が主催する講習会なので、
道具に関する話が主体になるかと思いきや、開口一番、

「別に、夏山の道具で使い回せるものはたくさんあるんですよね。
 だから、よっぽど厳冬期に厳しい登山するとかじゃないのなら、
 ほとんど代用がきくんですよ」

と。

すごいな!

・・・でも、これぞ商売上手。だと思う。

結局、そういうお話のほうがお店のファンになって、
またカモシカで道具を買おうって思うもんね。


結局、「信頼」こそが人やモノの品格を決めるんだろうなー。
「信頼」は、転じて「尊敬」や「愛情」にもなるわけだし。

なんか「冬山」の勉強をしに行ったのに、
人間観察みたいになってしまいましたけども(笑)。

山に登る人たちが共通して持っている、

「自分の事は自分の責任」

という芯の強さを、また垣間見た気がします。

素敵だな。

これからも、強く、楽しく、山に登りたい。


*冬山もクライミングもケアする山岳保険は
 いきなり金額が上がる。それだけ、死ぬぞって事なんだな(笑。

月曜日, 12月 06, 2010

表現はしても、伝えることはない。

先日、年代がバラバラ(私は真ん中)な人がいる宴席で、
ラジオの話で盛り上がった。
私より少し上の世代は「スネークマンショー」、
私達の世代は「オールナイトニッポン」や「ヤンパラ」が響くわけで。

でも、今の20代ってそもそもラジオを聴いた記憶が
あんまないみたいなんだよね。

ラジオが若者の新しいカルチャー発信源になっていた時代は、今や昔・・・・。

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お芝居を観てきました。

青年団リンク本広企画
『演劇入門』
原作:平田オリザ/脚本:岩井秀人/演出:本広克行


やーーー 良かった!
すごく良かったよ!

演劇に興味がないというか、
芝居独特の「オオゲサ感」に違和感を感じてる人にこそ観て欲しい。

これまで友達の縁で平田オリザさんのお芝居は
何度か観させてもらっていて、わりと関心を持っていたので、
このお芝居の原作である「演劇入門」も既読でした。

原作は別に脚本になっているわけではなくて、ごく普通の文体。
平田さんの真骨頂である「お芝居と日常の境目を究極に曖昧にする感じ」の
理論が、とても分かりやすく書いてある本です。

今回の芝居のほうは、脚本家である岩井さんがこの原作を大幅にアレンジし、
若い頃に様々なお芝居を経験する岩井青年が、「なんか違うな~~」と
思っていた芝居の手法に少しづつ手を加えて、
自分なりの方法論を見つけていく・・・というスタイルで進んでいきます。


すごく印象的だったのは、途中平田さん(のダミーである人形(笑))が
解説する人役で出てくるシーンがあって、その平田人形に、演出家役の人が

 「この芝居で君が伝えたい事はなんだ! メッセージは!?」

と詰め寄った時に、平田人形が

 「表現したいことは無限にあるけど、伝えたいことは特にない」

と言う場面。


・・・モノっすごい共感しました!!

私も、考え方はかなりそれに近い。

自分が生み出すものは、文章やデザインに特定の「意味」を持たせない事で、
観る人の感性が強く刺激されるモノであって欲しい、と、思ってる。

私の書くものは、「私を理解してもらうため」のものでも、
「人を感動させるためのもの」でもなくて、
「無限に生み出される自分の中に存在する“表現”を、アウトプットする手段」だと思っている。


・・・こういう考え方って、落語とかもそうなんじゃないかなー。
落語も、古典は噺の本筋が決まっていて、そこに演出家である噺家が
様々な表現を加えていくわけだ。

だけどそこに、噺家独自のメッセージが加わる事はあまりないし、
舞台装置は扇と手ぬぐいだけだから、高座に広がる世界観は、
すべて聴き手の想像力にゆだねられるわけで。

聴き手はそれだけ難易度が高いわけだけど(何しろ全部自分で考えないと
いけないわけだから)、その分、共鳴した時の感激とか、自分なりに
理解が深まった時の「なるほど!」って感じはひとしお。


もちろん私は、宝塚や劇団四季のようなお芝居を否定しているわけではなくて、
当然ながらあれもひとつの方法論で、あの舞台の中に日常では到底あり得ない
言ってみれば「汗臭くない」ドラマを観て感動する・・っていう考え方もあると思う。

観客の目の中にハートマークが出て、「わ~~~ 素敵ね~~(ウットリ)」
みたいなね(笑)。

新感線とかナイロンのお芝居も、今回の平田さんの考え方とは全然違うし、
昔の状況劇場とか天井桟敷みたいなアングラ系なんて、もっと違う・・・
というか、そもそもみんな「演劇」という概念でくくる事自体に無理があるような(笑)。


・・・なにはともあれ、目の前で、役者さんの息遣いが分かる距離で
観ることができるのが芝居の醍醐味。

演出の本広克行氏は「踊る大走査線」なども手がけた
売れっ子演出家だし、こういう著名な人の名前をきっかけに
お芝居を体験してみるっていうのもいいかもよ。

商業演劇は、チケット8000円、1万円が当たり前の中、
3000円台で楽しめちゃいますし(笑)。駒場で今週末まで。よろしければゼヒ。


*原作の本のほうも面白いのでおすすめ。

木曜日, 12月 02, 2010

ひとりでも、たくさんでも、山はいい。

私はスマートフォンは持ってないけど、
持ってたとしてもフォースクエアは
できないような気がする。

「自分の居場所をわざわざ人に教える」なんて、
私の価値観の中では絶対にあり得ん・・・。

自分の価値観と世の中が、ますます離れていくことに
一抹の不安を覚える昨今・・(苦笑)。

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こんなの↓に行ってきました。

谷甲州×山野井泰史「ひとりで山に登る」

 『単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝』
 『ヤマケイ文庫 垂直の記憶』発売記念講演会



1)谷甲州さんの執筆秘話
2)山野井さんの単独行をテーマにしたスライド&エピソード
3)二人のトークセッション

という3部構成。

・・・まーーー とにかくヘンです(笑)。

これまで、登山で名の知れた人の講演会とか講習会を
何度か聴きに行ったけど、みんなことごとく変。

上手く説明できないんだけど、
「居心地のいいヘン」とでもいいましょうか?(笑)

海や山に行った時に感じるようなあのリラックスできる空気を、
人間そのものが持ってるって感じの人たちなんだよね。


今回は、「単独行」がテーマでした。

私は、特別単独行が好きだというわけではないです。
実際、単独で山に登ったのは数えるほどしかないし。

でも、単独行というのは山登りの原点だという気はします。

技術的な点から言えば、単独も複数も登山であっても、
全員が登山に関する知識や道具を持ち、
「連れて行ってもらう」感覚で登ってはならないわけで、
それは単独も複数も関係ない というが山登りの基本。

その一方、精神面で言うと、単独行というのは複数で山に行くのとは
根本的に違うモノなんじゃないかという気がします。
それは、水泳とスキーくらい違うんじゃないかと。
どちらも楽しいんだけど、楽しさの種類がまったく違う。


それっぽい言い方をするのであれば、「自然との対話」は、
ひとりで登ったほうが・・というより、ひとりで登ることでしか
できないのじゃないかと。

山野井さんも言ってたけど、
「ひとりで山に登ったほうが、山は大きく見えるし美しい」し。
「ひとりで山に登るのは、より安全な登山だ」と。

実際は、遭難事故は単独行が圧倒的に多いんだけど、
「単独行が、より安全な登山だ」と彼が言うのは私もなんとなく賛成です。

ひとりでいれば100%自分の速度で進めるわけだから、
自分のレベルを正確に知ってさえいれば、決して無理をすることも
ペースを乱されることもないわけで。本来であればね。


・・・・それにしても山野井さんですよ。

あの人何度も死にそうになってるし、
山屋の宿命として、友人を何人も山で亡くしてるわけでしょう?

そういう、ひとつのエピソードだけで
映画が1本作れちゃうような経験を、

「まぁ、僕もこの山では死にそうになっちゃいましたけどねー」

みたいに飄々と語っちゃうって・・・すごいよね。
オオゲサなところが全然ないの。

それでいて、決して俗世から完全に離れてないわけで、
抜群のバランス感覚の持ち主なんだろうなと思う。

講演会ではわりと前のほうに座っていたので、間近に手を見てたんだけど、
あの短くなった指で5.11や5.12を登るって、正直驚異的だと思う。
いったいどういう身体の構造してんだ・・・。


なかなか刺激になる講演会でした。

私はプロを目指してるわけでも、ストイックな登山を
追求しようとも思ってないけど、
もう少し、単独で山に行こうという気分になった。

日常的にわりとひとりが平気な人なので、単独で山に行くと
ある種の孤独感が強烈に増幅されて、周囲の人への感謝の気持ちが
強くなるしね。

あ。
別に普段も感謝してますけれどもね。みなさんに(笑)



*単独行の永遠の名著といえばコレですね。
 ただ、「登山のイメージを著しく暗いものにした
 新田次郎の責任は大きい」、という人も、一部、いる。