金曜日, 4月 30, 2010

プロにも色々ある。

友達の制作会社で、ちょっと面白そうな
セミナーやります。

私も行くんで、よかったら一緒にぜひー。
人と会うこと、人に影響を受けることが好きな人にお勧め。
http://www.office-santa.co.jp/cafe/index.html

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定期的に通う店がある。

そこのマスターは20代の頃からの友人なのだけど、
そのマスターと、こないだ「プロとは何か」という話になった。

その人はバーのマスターだけど
音楽関連の興行を取り仕切るもうひとつの仕事を持っていて、
どちらが本業という感じでもなく両方をこなしている。

イベントの内容によっては、地域団体や自治体なんかと
打ち合わせの上に実施するものも多いらしいんだけど、
興行を取り仕切る際に同じスタッフ仲間が
「素人が口出しする」のを極端に嫌がり、
打ち上げなどで「これだから素人は……」
という愚痴を聞くことに違和感を感じるんだそうだ。

素人とは、得てして思いつきを口にする。

例えば興行で言えば、「ここの休憩を10分から15分にしたい」
なんてことを、開催日ギリギリになって言い出したりするわけだ。

確かに素人から見れば、たかだか5分の延長は
どうという事のない話。

けれど、すべての段取りを分刻みで組んでいる
プロデューサーから見れば、その5分を変えた事で
多方面に影響を与える事はわかりきっている。

だからこそ、そういう「思いつき」の進言を
毛嫌いするのだと思う。

すご~く気持ちは分かる。私も、WEBの知識がない上司に
思いつきや、個人的な好みで改修を指示されて腹を立てた
事は一度や二度ではない。
※上司は上司であっても、WEBの「プロ」ではないから。


ただ・・・、
「素人の口出し」を全否定することには
私も強い違和感がある。

確かに、思いつきや個人的な好み、
自分がこの場に口を出せる権利がある事を主張するためだけの提案・・・
そういうものはできる限り駆逐していきたい。

でも、そのタスクに関する「強い情熱」から
“素人”が意見をしてくるケースというのもあるはず。

イベントの興行で言えば、確かに素人は全体を俯瞰できる視点はなくても、
そのイベントに対する熱い思いが溢れ出るケースもあるよね。

知識がないと、それを上手に言葉で表現することはできないし、
自分の提案がどれだけ多方面に影響を与えるか想像できないけど、
そういう「少しでもこれをいいものにしたい!」という熱意から
生まれた提案は、少々強引であっても、
「なるほどな」と思わせる一面が確かにあるんじゃないかと思う。


そういう意味でいうと・・・

 「プロ」ってなんなのか?

その答えは、大きい時限で言えば、何かやってお金を頂く人は
すべて「プロ」だと私は思っている。もちろんサラリーマンも。

でも、今回の話をしていて、
プロっていうのは

 「【本物】を見分ける能力があるか否か」

というところが、非常に大きいのではないか?
と思ったりした。

例え、その分野に関して高い知識があったとしても、
「ワガママ」と「情熱」、「本物」と「偽者」を見分けられない人は、
プロではあっても、プロとしては失格ではないのではないか、と。

極端な事を言えば、野球で言うと「いつでもホームランを打てる人」
であっても、試合の局面を読んだうえでの判断でなければ
それはプロ失格だし、冷静に試合展開を見て、必要に応じて
地味なプレーもいとわない人はプロとして本物なんだと思う。


結局突き詰めると、「プロ=○○が上手い人」ではなく、
「プロ=判断力」なんだと思う。

 「判断力」というのは、普遍性があり、汎用性が高い。

だから例えばイチローは、別に野球をやってなくても
ビジネスマンとして一流にもなっただろうし、
音楽をやったならその世界でも一流になれた人なんだと思う。

もちろん、「その世界を選んだ」からこそ
より高みに上ることができる・・という部分もあるわけなんだけど。

翻って自分はどうだろ?

・・・・う~ん。

「プロ」の道は険しいな・・・。


*プロ論、という本もあるよね。

火曜日, 4月 27, 2010

ストレス解消は「忘れる行為」

春だね。

私にとって 暖かくなる=お金がかかる。

外出・娯楽が多くなるからな。
ボーナス大幅減、痛いよな~ぁ。。

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天気のよい週末は気分もいい。

てなわけで、週末数年ぶりに
友達とテニスをしてまいりました。

私の時代、テニスというと
短いスカートからヒラヒラなパンツが見えて
「セクシー」と「健康的」のギリギリのラインを
いかに維持するか という感じの格好が多かったけど、
いまはそんな格好でテニスしてる人っていないね。

・・・他のスポーツでも思うんだけど、
水泳しかり、ダンス系しかり、
スポーツにおける女子の露出度は、この数十年で
南極の氷が溶けるスピードに反比例して減り続けていると思う。

それがイイとか悪いとかではなくて、
そういうところも、「男子の女子化」「女子の男子化」に
影響を与えてるのかしらねー なんて思ったりした。

あと、男子がカワイソーだ。楽しみが減って。


正直テニスは得意じゃないので、
力の調節ができずに次々にホームラン。。。
ボール取りに行ってる時間が相当長かった気も・・(苦笑)。

でも、スポーツは何であっても気持ちがハツラツとするのでいい。

場所がわりとセレブなマダムがいるエリアだったので、
帰りにちょっとオサレなカフェでお茶でも・・・なんて
立ち寄ったら、おしゃべりが止まらずお茶で4時間居座り!

庶民の女子高生がマックで長居するのと全然変わらん。
成長してねー。


****

で、日曜は恒例のライブ「キンシノ Vol.6」。

今回のテーマは「ものの覚え方、忘れ方」。

・・・といっても、このライブはテーマは
毎回あってないようなモンなので、
テーマの話がたまに混ぜられつつ、
フリートークで話は進んでくんだけど。

・・・確かに、人間の「忘れる」という能力は
偉大だし、不可欠なものだと思う。

試験の前だとか電車に忘れ物した時なんかは
アチャーと思うけど、やっぱり人間はいろんな事を
忘れていかないと生きていけない。

辛く苦しい思い出を、体験したその時と同じ濃度で
覚え続けてたら、人なんてみんな狂っちゃう。

「忘れる」という能力は、人が「優しく」
なるために必要な能力なんだと思います。

そーいや、キンさんも似たような事を
言ってたけど、私もモノを覚える時は
「関連付け法」を使います。

例えば、今晩家に帰ったら必ずやらなくちゃいけない事が
ある場合、朝、わざと椅子の上にいつも置いてないモノを
置いたりとかしておくんです。

そうすると、家に帰った時に、
「あれ?なんでこんなモノがこんなところにあるんだ?」
っていう違和感から、必要な記憶が呼び起こされるわけ。

暗記系の試験(歴史とか)で、覚える時に練り消しの
ニオイをかいで、試験の時にその練り消しを筆箱に
入れておき、ニオイをかいで思い出す・・・なんて方法もあるね。

でも、高校の頃一度それを実践した私は、
筆箱の中で練り消しの匂いがまざって
異臭を放って以来、使ってません。。。


悲しい事も、嬉しい事も、その時の衝撃が
大きければ大きいほど、記憶として残りやすいもの。

そういう自分の「記憶」は、
良く悪くも「今の自分を作った財産」なわけだから、
悲しい記憶であっても大切にして
これからも付き合っていきたいと思う。


ちなみに今回志の吉君の高座は「金明竹」。
俗に言う前座噺なんだけど、
笑いどころの多い話で私は好き。

あの関西弁、関西出身の人でも
全然わかんないらしいけどね(笑)。

*こちら、会場の晴れ豆

水曜日, 4月 21, 2010

音と空想の世界に遊ぶ

最近ガッカリしたこと。

 図書館で借りた本が、
 両方とも「上巻」だった。。

ガッカリを通り越して、
自分のアホさに悲しくなったよ。

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一旦エンジンがかかると、
しばらく続く傾向がある私の映画熱。

というわけで、また観てきました。

THE LIMITS OF CONTROL
 by ジム・ジャームッシュ

 「自分が一番偉大だと思っている男を墓場に送れ」
  ・・・謎の指示を受けた男が、スペインの街をさすらい、
  その場所場所では、わずかなヒントを与える人物に
  次々出会い・・・


私のホームとも言える早稲田松竹は名画座なので、
2本立ては1度の入場で両方観れるんだけど、
今回同時に上映した「コーヒー&シガレッツ」は
前にみたことがあるので、今回はこちらの1本を。

この人の映画も、こないだのゴダールじゃないけど
「意味を探そう」とすると難しいんだよねえ~。

でもジャームッシュの映画は、
観る私のほうが、映画ではなく「音楽」として
捉えているようなところがあるので、
ある意味「安心して」観ていられます。

ジャームッシュは音楽業界との繋がりが深い人で、
ジョーストラマー(クラッシュの)、ディランなど
60~70年代のビッグアーティストの映像も多く残しています。

そんな事もあってか、作品全体がPVっぽい
というか音楽っぽい。
当然、作中に流れる音楽がすごくイイ!(私好み)。

ストーリーは結局「?」って感じで終わるんだけど、
退屈しないし、それが許される映画なんじゃないかと。

感覚的には、シュールレアの絵を見ている時のような感じ。

作品に「意味付け」をしない事で、
逆に自由度が高いものになるというか。

例えば推理モノの映画を観て、「あのシーンで
主人公のネクタイが赤いのは矛盾がありおかしい」
とか指摘したりするようなタイプの人は、こういう映画観れない。

そーいう人には、
なんじゃコリャ? だと思う。


ちなみに工藤夕貴が出てます。

この人、すごいと思う。
当時は、結構アイドル顔なのでそのままアイドル路線で
行くのかなーと思いきや、ハリウッドの厳しい世界に
自ら飛び込んで、それなりの功績をあげたわけですから。

自分の感性と現実とのギャップを埋めるために、
そして、世の中で「常識」「普通」だと言われる事を捨て、
あえて新しい世界に飛び込んでゆく人は、どんな人でも美しいと思う。


映画に、わりとはっきりとした「ストーリー性」
を求める人は眠くなっちゃうかもね。

私も、中盤同じようなシーンが続いたところでは、
「おなかすいたなー」とか思って集中してなかったしね。

あ~あ~。
結局人間は、業と本能には勝てないんだわ(笑)。

月曜日, 4月 19, 2010

あやゆる意味で、健康にいい。

まさか雪が降るなんてねー。

武蔵小金井在住の友人は、
屋根に積もったそうで。

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定期的に落語を観に行くメンツで
今年も春興行へ。

「よってたかった春らくご」@練馬


これは、「よってたかって~」という
季節に応じて定期的に開催される興行で、
以前これの「秋らくご」を観に行った事があります。
今回は、

 柳家禄君(前座。花禄の弟子) :たらちね
 柳家喬太郎 :道灌
 柳亭市馬 :七段目
   - 仲入り -
 春風亭百栄 :新・生徒の作文(新作)
 三遊亭白鳥 :ラーメン千本桜(新作)

という顔ぶれ&番組。

この会は基本4人会で、今回は秋の時と3人同じ。
前、柳家三三だったところに今回は市馬師匠。

 
・・・分かる人は分かると思いますが、
素直に「落語聴いた」と言えるのは仲入り前までです(笑)。

前半の三人はすべて柳家小さん門下なので、
いわゆる「キホン的な噺」はしっかりやるタイプです。

一方、後半の二人は・・・ねえ~。

上手いとか下手とかではなくて、
彼らは新作専門で、常に「チャレンジ」する事に存在意義がある
噺家なので、エンターテイメントと落語の狭間を行ったり来たり・・・。

でも、以前東西の落語家が混ざった
興行を見た時も思ったんだけど、
こういう一貫性のない顔ぶれというのは
普段とは違った面白さがあるからね。
コラボっつーの?ケミストリーっつーの?(笑)


喬太郎の道灌は圧巻でしたねー。
「道灌」は、小さん一門が入門後最初に教わる噺と
言われていて、柳家一門の中では基本中の基本なんだけど、
いわゆる前座噺だから最近はあんまりやらないのか、
この日の喬太郎は、ま~ 噛みまくる噛みまくる(笑)。

しかも肝心のサゲの導線で間違えて、
さすがは喬太郎の咄嗟のフォローだったけど、
本人も少々ビックリしてたんではないかと。

最近、落語の感想をブログに書く人が多いせいか、
「ブログに書かないよーに」としきりにネタで言ってましたが、
・・・書かれちゃいますよね~。そりゃ(笑)。

喬太郎の次に出てきた市馬が、
「小さんも天国で泣いてますよ」と
自分のマクラで喬太郎をいじって(冗談でね)、
喬太郎が舞台袖に飛び出して土下座、
なんていうファンサービスもありました。


まあでも、喬太郎ファンの中にはああいう
「ココにいる人しか聴けないライブ感」
みたいなものに期待している人も多いので、
それはそれで「さすが!」と思ったなー。


高座にいると惚れ惚れする居住まいの市馬
(この人は元気な頃の志ん朝みたいな所作があるから、
 あと10年たったらすごい人になるんだろうなー・・)、
ヤル気があるんだかないんだかで、面白い事やっちゃう百栄、
汗だっくだくの体育会系落語の白鳥と、
とにかくバラエティーパックな興行でした。


帰りは、私の希望でバッティングセンター
でちょっと時間つぶしをしまして(久々!)、
その後は例のとおりグダグダな打ち上げ。

池袋の「アジアの裏通り」風なコ汚い四川料理屋で、
日本人の味覚に合わせない本格派な感じが超~おいしかった!

ああいうお店は当たりが多いな~。


笑って、打って、食べて、飲んで、しゃべって・・・。

酒はいっぱい飲んだものの、
わりと(心も体も)健康にはよいんではないかと
いう気がする一日でした。

金曜日, 4月 16, 2010

愛がなければ、死ぬしかない。

先輩が拾った1万円で、あぶく銭だからと
築地でお寿司おごってくれました!
(ちゃんと届けて落とし主ナシで戻ってきたヤツね)

いや~ 本当にありがとうございました。
神の(紙(幣)の?)恵みに感謝! 器がデッカイ。
美味しぅございました。

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映画です。ゴダールです。

「男性 女性」
  監督:ジャンリュックゴダール

 コケティッシュなマドレーヌに惹かれるポール。
 あの手この手でマドレーヌの気を引くわけですが・・・


いつも思うんだけど、ゴダールの映画って
どーしてこうも難解なのかしらね。
難しく観ようとしすぎてるのかな~・・。

しかも、時代的に新しい映画であればあるほど難解なんだよな。

一般にゴダールの作品群は3期に分けるらしく、
後半になるにつれ政治的な色合いが強くなって
くるんだけど(ゴダールはコミュニスト)、
今回の「男性 女性」はちょうどその狭間辺りで
制作された映画。ゴダール最後のモノクロ映画です。

ゴダール映画を「偉大なる退屈」って
表現する人もいるけどね。 うーん、確かに。

ゴダールの手法は自然すぎるほど自然で、
時々、後ろの雑踏の音がリアルに入りすぎて、
肝心の主人公の台詞が聞き取れないことがあるほど。

ある意味、スクリーンに映すには過剰なほど自然。

一方で、途中何度かストーリーと関係なく
人が銃で撃たれたりするんだけど、
あのあたり、私はまったく意味は分からなかったよ。。

ゴダールの映画は、極端な話
「やおい(=やまなし、オチなし、意味なし)」の
走りとも言えるかも(笑)。

・・・まあでも、基本的には前期も後期も、
ファム・ファタル(=運命の女)を主要テーマに
していることに変わりはなくて、どの映画にも
知的で、キュートで、可憐で、大胆で、ずるくて、セクシーな
女性が出てきます。

そういう意味では、私の場合、ゴダール映画は
映画としての面白さウンヌンより
ファッション雑誌感覚で見ている側面があるかもしんないな。

ゴダールの【ポップなアート性】に影響受けたのが
ピチカートファイブなら、【影の部分】に影響を受けたのが
岡崎京子・・・と言えば、分かりやすいかしら(笑)。


この映画に関していうと、若者(当時のフランスの10~20代)
の感性をメインとしたストーリーになっていて、
もはや私には、若い頃の
「エネルギーは溢れんばかりにあるのに、
なぜかモンモンとして、消化不良な八方塞り感のある葛藤」
みたいなものがリアルに理解できない・・ってことも、
この映画を分からなくしている原因なのかも。

そういう意味では、10代20代の頃のほうが
このテの映画は、分からないなりに「ある種の共感」
を持って観てたかもしれない。
ま、当時は当時でやっぱり「・・・?」と思ってたけどね(笑)。


タイトルは、ポールがマドレーヌと寝る前に言った言葉。
「愛がなければ、死ぬしかない。」
確かにそれはそーかもね。愛は大切だ。男女の愛だけでなく。

個人的にゴダールは、初期の頃(=アンナ・カリーナ時代)
が一番好きだなー。

あの時代(60~70年代)独特のフレンチカルチャーが、
無条件に男と女をステキに見せちゃうんだよな。

日本人に生まれた時点で、もう負けだってば(笑)。

木曜日, 4月 15, 2010

ダメオトコの色気

熊谷達也のマタギ3部作を読み終えた。
楽しい本が読み終わるっていうのは寂しい。。

熊谷達也は、知り合いに勧められて読んだのだけど、
こういう本との出会い方ってステキだと思う。

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立川志の吉独演会<その20>@八重洲。

いよいよ20回ですよ!
早いなー。
私、もう何回彼の高座を観たんだろ?


独演会なので、他の会に比べて
自由な志の吉君を観られるわけなんだけど、
回を重ねる毎に真打への道筋がハッキリしてきます。

私は彼とは1つ2つしか違わないんだけど、
私達くらいの年ってスポーツ界では種目によっては
もう引退するような世代でしょう?

ビジネス界ではちょうど中間管理職の入口で円熟期だし、
一方、落語の世界ではまだまだヒヨっこで、これから
本当の意味での「落語家」になるための入口に立つ世代。

若くして脚光を浴びたスポーツ選手は後が辛いし、
若い頃苦労した芸人は、その後ちゃんと報われる。

・・・と、言うのはたやすいけど、そういうふうに名前が
知られていく人の影には、結局苦しんで苦しんで、
芽が出ないまま終わってしまう人もゴマンといるよね。
そういう人も、今はきっと、
目指した道とまったく違う世界で全力で生きている。


・・・同世代というのは、同じ時間だけ生きているけど、
生きている世界や、思想ひとつでまったく違う人生を
歩んでいて、本当に生き方は多様だな~ とシミジミ思う。

個人の考えや力量だけじゃなくて、
運や社会の世相というのも大いに関係してくると思うし。


どの人生が正しいとかではなく、
「どれも正しい。どれもアリ。」と、
社会全体が思える世の中であって欲しいと思う。


****

おっと、閑話休題。

今回は前座も入れてこの4本。

・元犬(前座:志の春)
・寿限無
・六尺棒
- 仲入り -
・竹の水仙


前座さんは久々に満足の行くレベル(笑)。上手いね。
時々「どうしよう・・・」って人が出るからなー。

前半はかなり軽い噺で、(高座で「寿限無」聴いたの久々かも)
後半の2つは、実は初めて聴いた噺でした。

最後の「竹の水仙」は、落語ファンの間ではおなじみの
左甚五郎シリーズです。

 左甚五郎は大工で、いわゆる「芸術家肌」の人です。
 毎晩飲んだくれてるんだけど、一旦スイッチが入ると
 寝食を忘れて作品作りに没頭する。

 その作品は高値で取引されるけど、
 本人は地位や金にはてんで無頓着・・・。

という、愛すべき存在。

この人を主人公にした噺が落語にはいくつもあるんだけど、
共通しているのは、およそ俗っぽい事に興味がない甚五郎が、
つましい暮らしをしている人たちを自分の作品で救う・・っていう、
勧善懲悪な点。

「一見貧乏くさくて邪魔者な人が、実はすごい人だった」

っていうのは、水戸黄門があれだけ長寿番組なので分かるように、
日本人の好きなテーマなんだろうね。


・・・正直に言いますとですねー(笑)。

この噺、志の吉君は少々苦手にしているんではないかと。

「竹の水仙」は、小さな旅籠に泊まった甚五郎が、
最初は無銭宿泊を疑われるんだけど、作品が高額で売れてめでたしめでたし・・
って噺なんだけど、旅籠の夫婦の会話シーンはしっかり聞き込めるんだ。

特に、落語によく出てくる「頭の回転の早い女将さん」
みたいなのは彼はとても上手で、見ているほうも引き込まれる。

でもいかんせん、主人公の甚五郎の演出に、
イマイチ入り込んでいけないんだよね・・・・。

落語には、この手の

「飲む・打つ・買うのどーしようもない男だけど、
 実は腕の立つ憎めないヤツ」

ってキャラがよく出てくるけど、
志の吉君はどーもこのジャンルが苦手(だと感じる)。

私は、落語に関してアカデミックな批評をするほど
詳しくないし、いちファンでしかないんだけど、
この点に関してはわりと自信を持っていえるんだよね。

だって、こういうキャラって
現代で言えば「ダメんず」でしょう?


私は数多くのダメんずに接触してきた経験から(笑)、
「本当にダメ」な人と、「今はダメだけど見込みあり」な人を、
いかに見分けるかという研究に長年心血を注いできたわけだ。

そういう経験が、落語を聴いている時も
生きているわけなんだね(笑)。


見た目や世間体がなさけないヤツでも、
本当に秘めたものがある本物の男は、
150%「人と比べること」をしない。
「人に分かってもらおう」ともしない。

志の吉君演じる甚五郎には、
そういう「“超えちゃった男”独特の色気」が
まだまだ足りないんだよねえ。。

もちろん、これからが楽しみだからこその
エラソーな感想なのだけど。

・・・人の成長を定点観測するっていうのは、
とても刺激になる。次回も楽しみだな~。


* 「そのダメんずを見分ける目は、プライベート
  では役に立ってないの?」という質問にはお答え
  できかねますのであしからず。
  7月は国立演芸場。なにやるのかなー。

火曜日, 4月 13, 2010

実は・・・初めてなんです(後)

さて。

順調に進んでいたかに見えた初・単独行ですが、
落とし穴はすべて下山時に凝縮されていました。

***

まず、下山直後にちょっと考え事を
しながら歩き始めたため、自分の進路に自信がなくなり、
5分程道を戻りました(結局合ってたんだけど)。

その時地図を見たら、なんだか地図の端っこが丸まっている・・・。

なんと。お昼にバーナーで地図を燃やしてしまったのでした。
ションボリー。

・・そして、その時すれ違ったことが縁で、
あるオジサンと話ながら降りたんだけど、
これが大きなトラップだった!(苦笑)


このオッサン、とにかく しゃべる しゃべる。

大げさじゃなく、ビックリするほどノンストップなんだよ。
息してんの?ってほどに。
私がひとりなので、話やすかったんだと思うんだけど。

あまりにノンストップなので、「私、先に行きますね」とも
「お先にどーぞ」とも言えず、しかも“会話”ではなくて
オッサンの一方的な体験告白なので、私は
「へー」「そうですかー」「なるほどー」「すごいですねえ」など、
あいづち用の単語を、私のボキャブラリーの引き出しから
出しまくってうなずくのみ・・・。


そしてココで私は、ある選択ミスをします。

下山後1時間、オッサンが前を歩いてたんだけど、
オッサンはしゃべりに夢中で巻き道(迂回路)に入っていきます。

実は私は、予定では巻き道ではなくて本線を
使うつもりだったんだけど、オッサンは話に夢中だし、
ま、最終的には同じところに出るからいっかと思って
私は、違う道に入ったことは知ってたんだけど、黙ってあわせました。

・・・・だってさー。

このオッサン(60代)の話、壮絶なんだよ。

 4年前に熟年離婚。自分は離婚したくないと嫁にすがったがダメで、
 ひとり暮らしとなった矢先、自分にガンが見つかり、一昨年に胃を全摘出。
 入院中には、唯一のよりどころだった18歳の飼い猫が病気になり、
 自分の退院と入れ替わるように他界。
 元々会社人間で、プライベートな友人がいないので、それ以降は、
 ひとりであらゆるところに出かけていて、今日の川苔山は今年20座目である・・・

と。

こんなタクシーの運転手バリの壮絶な告白を聞いてる途中に、
「あ!すみません。私ここで曲がるんで」
とか、さえぎれないつーの(苦笑)。
遮ったとしても、たぶん付いてきたね。あの調子じゃ。


結局、そのままオッサンと付かず離れずで下山。
途中、歩幅を変えて一時離れてホッとするも、前を行くオッサンが
倒木で迂回路ができてる道を間違えて
どんどん脇にそれてくので、さすがに私も黙ってられずに

「あの、たぶんそっちの道、間違いですよー」

と指摘した事が縁で再度合流(トホホ・・・)。


そしてその後・・・・・本線に戻るための道が、
なんと雪による倒木で通行止めになっていたんです!

結局、サブルートのままで
最後まで下山することに。。

このサブルート、下まで細道が続くため追い越しもできず、
またもオッサンと付かず離れず。。。

途中オッサンが、

 普段ひとり暮らしだから寂しいしさー。
 こないだ、山で若いお兄さんと会ってずっとしゃべってたら、
 お兄さんが「よくそんなしゃべって疲れないね!? ちょっと黙ってて!」
 って、怒られちゃったよ。ワッハッハ~。

という話をしだした時は、

「人に指摘されたことあるんじゃん!
 その“空気読めない”感じが、熟年離婚の原因じゃ?」

と、ノドまで出かかったよ(苦笑)。

・・・まあ、悪い人じゃない。
ないんだけどさ~。。。(><)


私は今回、ある意味山に「黙りにきた」感じだったので、
ああいう人もいるんだなー と。
おしゃべりしたいなら、山より別のところのほうが
友達見つかりそうなもんだけど。

結局、最後の30分位のところでなんとなく
休憩時間を調整してオッサンを振り切り、
ひと足先に私が鳩ノ巣駅に到着。

また会ったら大変なので、トイレもそこそこに、
立川行きの電車に飛び乗ったのでした・・・・

****

結局、登り下りのトータルタイムは、約5時間半。
モデルタイム通り。
登りの貯金は、下山時にほぼ使い切った感じです。

人のせいにしたかーないけど、
下山に時間がかかったのは、絶対オッサンのせいです。
そこは言っておきたい(笑)。


・・・・ま。
色々小さなトラブルもありましたが(笑)、
個人的にはほぼ満足の初ソロでした。


【今回分かったこと】

・単独行は「究極の自己責任」なので、
 心も体も両方トレーニングできる。

・最近は外国人登山者も多いので、
 わりと英語の勉強にもなる。

・山というのは、天候やルート以外にも、
 思いがけないトラップがあるものだ。
 例えばおっさんのおしゃべりとか。

・こないだ買ったアウトドア時計の標高表示が、
 実際とかなり違くてショック。
 デジタルなものを信じすぎるのはよくない。

・山の地図はコーティング加工されているので、
 火に近づけると、燃えずに丸まる。

・ひとりだと、色々な人から声かけられたりするんだけど、
 (登山者の中では)若い女性の単独行には、
 どーもふたつのイメージがあると分かった。
 
 それは、
 「熟練クライマー」か、
 「訳ありの寂しい女性」。
 
 私はそのどちらでもない(と、思っている)ので、少々居心地が悪い。
 マイノリティが生きづらい世の中よのお~。
 でも人の考えることが見えるってちょっと面白かった。

・壮絶な人生を送っているオッサンだが、先日諏訪に行った時に、
 樹齢1000年のケヤキの木をなでながら「長生きできますように」と、
 祈ってきたそうだ。
 そんな人生でも、長生きはしたいモンなのか・・・。ちょっと考えさせられるな。



・・・本格的な登山シーズンスタート。

今年も、頑張らず、人のためでなく、
マイペースでボチボチ登っていこうと思う。

月曜日, 4月 12, 2010

実は・・・初めてなんです(前)

ねづっちって
(いい意味で)ヤボったい芸やる人だなーと思ってたら、
あの人、浅草の寄席芸人なのか。ちょー納得。

若い時の修行の影響って大きい。

-----
「登山をやってます、やってます」
・・・といいながら、実は私は単独行をやった事が
ありませんでした。

なんとなく「登山の一人前=ソロ」というイメージが
あった私としては、どーも大手を振って
「山やってます」と言えなかったので、夏山シーズンを前に
いっちょ片付けておくか!という事で、単身出かけてまいりました。

まず。
結論から言うとですね、なんというか・・・・、
「すっげー楽しかった!」とかいうことじゃないんだけど、
きっと登山の醍醐味は、ひとりの時により強く感じる事ができる
んじゃないかと思う。
「エキサイティング」というより「サティスファクション」なんだよな。

登った直後より、1日たってからのほうが
「またやろう」って気分になった。

同じ登山でも、複数で登るのと単独行は、
別物だと思ったほうがよさそうだ。


で、ですね。さっそく記録がてら
以下書き記しておきますと・・・・

【早朝、4時過ぎ起床。】
前日だいぶ早く撤収したのに、
朝起きたらちょっと酒が残ってて迷ったんだけど、
初志貫徹って事で元気に起床。

【5時過ぎ、始発に乗車。】
週末の始発って酒くさいんだよね。
20代の朝帰りの頃を思い出した。
あん時は、朝食べた牛丼で門仲辺りで
よく気持ち悪くなってたなーと。

終点の中野で降りたのに、車内にはなお多数の爆睡中の方々が。。。

東西線の中野は、終点といっても中野でまたすぐ折り返しちゃうので、
車掌さんとかが起こしてくれないんだよね。
あの人たち、西船橋とかで目覚めてビックリなんだろうなあー。ご愁傷様。

【8時。奥多摩駅着】
今回選んだのは奥多摩・川苔山!
登り慣れた高尾や丹沢よりは、
ちょっと難易度を上げてみました。

今回の目標は、山の地図に書いてあるコースタイム
通りに進む事。ちなみにモデルタイムは5時間半。

天気・気温ともに最高!
やまびよりなのでテンション上がります。

【8時50分、登山開始】
川乗橋バス停⇒百壽の滝

ここまで1時間チョイ。ん~ 順調順調。

川苔山は、ありそうで実はあまりない
沢伝いの登山道がずっと続くので、滝など見所も多いし、
とにかくマイナスイオン浴びまくりです。









滝の後、しばらく急坂になりますが、
決して登山客も多くはないのでマイペースで登って、
12時チョイ前に山頂到着!

予定時刻より約30分ショートで到着。
おおー!すごいじゃん。オレ。
気象条件や体調がちゃんとしてれば、
それなりのタイムで歩けるんだな。ちょっと自信がつく。









山頂では、本日第二の初「ガスバーナー」で、
コーヒーをいただく。んー 満足だ。

正味40分ほどの休憩中には、
のんびり景色を見たり、地図をみながら山座同定。

あとは、MTBで(!)外人さんが来ていたので、
話しかけてみたり。奥多摩駅から2時間かけて
自転車で登ったんだって。徒歩でも難儀する急坂なのに。すげー。
基本日本語ダメな人だったので、英語の練習に最適でした。


・・・なんか充実してるなー。

特に問題なく、このままだと
私は天狗になってしまうかもしれない。


・・・などと、思っていたのですが!

落とし穴は、下山時にあったのでした・・・・。

マジすかー。


                 <後編につづく>

水曜日, 4月 07, 2010

似たような事を前にも書いたけど。

先日倒れた巨人のコーチ・キムタクが亡くなった。
享年37歳。ニュースを聞いて自分でも驚くほどショック。
とてもファンに対して温かい人で、
カミサマは何故ああいう人を先に連れて行ってしまうのかな・・
と、つい思ってしまいます。

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草野球シーズンがスタート。
週末は決起会も兼ねて仲間と試合後に花見。

今年は寒暖の差が激しくて
桜が長持ちしてくれているけど、
花見中は寒くてたまらん。トイレが近くて。

10代からの友達が多い仲間なので気楽な反面、
毎年、嫁や子供の参加者が増えていったり、
生活環境の変化で、家族持ちとひとりモンの私では
いろんな考え方や意見が少しづつずれていくので、
立ち位置が難しくもあるのだが・・・(苦笑)。


さて。
この花見で、登山の話になった。
私以外、登山をやる人はいない。

聞かれるがままに答えたのだけど、
彼ら(=登山はやらないが、体力にはわりと自信がある人)
にとっては、登山というのはヒマラヤやK2にでも
登らない限り、「体力さえあればなんとなるスポーツ」で、
特別な技術はない・・・と思っているんだよね。

「俺も数年前富士山に登ったよ。」


・・・ああ~ 分かるな。彼らの気持ち。

私も初めはそうだった。
登山というのは、技術というより体力勝負だと思ってた。

だから、事前の準備や、自分は自分で守るという
「自己責任感」みたいなものが欠けてたなと思う。

でも、ある程度足を踏み入れた今は、
逆に昔よりずっと登山が怖くなった。

登山の「本当の姿」が見えつつあるからだと思う。
本当の姿を知ると、その奥深さが分かるので
知らなかった頃より、いい意味でも悪い意味でも慎重になる。


趣味に限らず、仕事や、日々の生活の中でも
知ってるつもりになっているケースは多々あるよね。

特に危ないのが、登山のように
「一見誰でもできちゃいそうに見える」もの。

フィギアスケートだとか、スキージャンプだとか、
誰が見たって「誰でもできるもの」じゃない場合は、
話はわりと簡単。みんなが「できない」を共有しているから。

でも、芸能で言えば落語や歌手なんかは、
ちょっとしゃべりや歌が上手ければできちゃうと
勘違いしてる人もいるし、もっと顕著なのは仕事や日常生活。

他の人が「当たり前のように作った資料」が、
誰にでも作れるものというわけではないという事実に
気が付いていない人は多い。


「あ~ それでしょ。知ってる知ってる」
「別にできるでしょ。俺でも」
「別にすごくないよね。それ」

・・・言葉に出さないまでも、そういう態度を
丸出しにしている人の、なんとみっともないことか。

「知ったかぶり」とは違う惨めさがある。

自戒の念をこめて、自分を卑下しろって言う事ではないけど、
いつも「等身大の自分を把握」できる人でいたいと思う。



今年の新人が、今日から全体研修を終えて
各部署に配属になり、ウチにも1人営業の子が来たけど、
あの新人クンたちもいつか知るんだろうか。

「知っていた」「できていた」と思っていたことが、
実は「知ってたつもり」だったことに。


でもな~。
「本当の姿」から目を背け続けてきたまま大人に
なった人もたくさん見ているからな~・・・。

どうなることやら。


*花見の帰りがけ(17時近く)に撮った一枚。
 まだ結構いるな。。 もー我慢大会と化してるよ。

金曜日, 4月 02, 2010

20代の顔は天から授かった顔、30代の顔は生活を写し、50代の顔はあなたの責任。

悲観主義者が、人の魂に触れる
新しい扉を開いたことはない。
       by ヘレンケラー

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観たいものは観たい!
そんな訳で、定時ダッシュで駆け込み鑑賞。

「ココ・シャネル」
 監督:クリスチャン・デュゲイ


シャネル大大大好き!


・・・が、もちろんシャネルの服やアクセサリーが
好きなわけではありませんよ。

じゃなくて、ガブリエル・シャネルが好きなんです。

これまで出てる伝記本はかなり読んでると思います。

孤児院で育ったココが
自らの力で帽子デザイナーとなり、
不屈の精神で「シャネル」を一大ブランドにまで
育て上げたその半生記は、自立して生きたい女性なら
誰しも共感してしまうんではないかと。

シャネルは決して、「綺麗事」だけで
社会を生き抜いてきたわけじゃないんです。

時にはライバルを蹴落としたり、
男の(金の)力を利用したりもしました。

でもそれが 人間としてとても生々しくて、
逆に彼女の魅力を際立たせてる気がします。

この映画はわりとコ綺麗にまとめられていて、
どちかかというと、シャネルがファッション界で
確固たる地位を確立していくまでのサクセス
ストーリーになってるんだけど、
シャネルの魅力って、もっと別のところにも
あるような気がするんだよね。

映画はすごい良かったんだけどね~

フランス人のシャネルが主役の映画なのに、
終始すべてのキャストに英語をしゃべらせるのは
かなり解せないんだけどさ。

シャネルが唯一、人生で結婚を考えた
カペル卿とのいろんなシーンなんかは、
女性の自立が今の何倍も困難で、
当然男性の「女は男の飾り」的な風潮も
今の何倍も強かったあの時代に、
本当に心の底からジンワリさせられます。

映画館が暗くてよかった~。
すごいデレーっとした顔して見てたと思うから。私。

1000円足らずで(ラスト割引だったんで)、
あんなに幸せな気分になれちゃうんだから、
映画ってすごいなー(なんか淀川さんみたいなコメントだ)。


「女を可愛がる」ことが愛情だ なぞと
思っているすべてのオトコに見て欲しい(笑)。


二人は最後苦しい別れを迎えるんだけど、
互いに、
決して幸せではない生い立ち、
自立の心と不屈の精神、
そして強烈な上昇志向と才能、
誇り高きプライド。

・・・結局、シャネルとカペルはあまりにも似すぎてたんだよね。
似すぎた男女は、苛烈に愛し合う事はできても、
平穏な日々は望むべくもないんだよな・・・。

本当に「幸せ」の意味って、本人にしか
分からないんだなーとシミジミ思います。


シャネルの創業に賭けたスピリットを思うと、
日本人の10代20代のコたちが
身の丈を超えた金額のシャネルブランドをジャラジャラと
身につけて歩いてるのを見るのは本当にツライ。


でも。
映画の終盤、70代のシャネルがファッション界に
復帰した時のショーのシーンがあるんだけど、
その時に出てきた白のコートは素敵で素敵で・・・・ 
・・・もうウットリなのよ。私も物欲には勝てん。

あれきっとオートクチュールだね。
1970年代の話だけど今でも全然通用するデザイン。

あ~ でも、
シャネルファッションの持つ気高さと優美さを着こなすには
一体あと何年かかるのかしら(一生駄目かもな・・・)。


*カベル役のオリヴィエ・シトリュクっていう
 俳優がいいんだ また。
 私、ああいう東洋と西洋が絶妙なバランスで
 混ざった顔って大好き。

 ちなみにタイトルは、シャネルの有名な言葉です。