木曜日, 10月 29, 2009

信念か。現実か。

なんか今週は風邪引いたのに
なんかアクティブ。

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さっそく「沈まぬ太陽」を観て来ました。
封切りの映画、久々に観たな。

脅威の200分超え! なんと途中に10分間の休憩が
入ります。そんな映画、初めてだよ。

・・・しかしこの時期にこの映画が公開されるっていうのも
絶妙なタイミングだよね。J○Lはさぞご立腹でしょう。

実は、映画になると決まった時から楽しみにしていたのですが、
反面、原作の本が最高にすごいので(私もだいぶ前に図書館で
借りて、ちょっとふるふるした)、映画を観てガッカリしたら
どうしよう……と、複雑な気持ちも一方ではありました。
そういうケース、ままあるからね。

でも・・・結論から言うと、すごくよかった!!

ストーリーはほうぼうで紹介されているので
割愛するとして・・・・

原作のパワーが、しっかり映画に投影されてたなという気がします。

原作では前半の「10年の僻地勤務編」と、後半の「御巣鷹の事故編」とは
明確に分けて書かれていたと思うけど、映画はどちらかというと、
事故編が主軸になっていて、僻地勤務は「回想」っぽく
織り込まれてる感じでした。でも、仕方ないと思う。
カラチ、テヘランなんていうところで、臨機応変な撮影を
する事自体が、たぶん不可能なんだろうね。

でも、私が原作を読んだ時にすごく心に残った、
ケニア駐在時に主人公が精神を病んで、
錯乱して家にある剥製を銃で連射するシーンがあるんだけど、
あれは、私が頭に思ってたイメージに超近くて、かなりゾクっときた。


前にも似たような事を書いたかもだけど、
私は、あの日航ジャンボの事故には特別な思いがあって、
あれを題材にした本や映画を観ると、それだけで
ストーリーとは関係なく、心臓がドキドキして涙が
止まらなくなっちゃうんだよね。。

この映画も、事故の衝撃的なシーンが比較的前半に
集中して出るんだけど、開始早々に涙がジャンジャン出て困った(苦笑)。
全然泣くトコじゃないから、
隣のオバサンにチラチラ見られちゃうしさ~。。

さすが山崎豊子作品だけあって、
別のドラマなんかでは主役・準主役級の人も
チョイ役でいっぱい出てます。

今回はやっぱり渡辺謙の演技が秀逸だし、
三浦友和をあえてダークサイドで使うあたり、かなりハマってたけど、
私は実は、香川照之が一番よかったと思ってる。
アノ人、ちょっと心の病んだ役をやらせると、
本当に鬼気迫るものがあるんだよね。

映画では、主人公の次に労組の代表になって
最後は非情な末路をたどる役なんだけど、
ある意味、日本のサラリーマンが一番感情移入するのは
彼なんじゃないかなー。。。 

 信念か。現実か。

誰もが様々な形で苦しむテーマだし、
美しく信念を貫ける恩地のような人は
むしろ少数派でしょうからね。。


この映画、たくさんの人に観て欲しい。

「会社? ヤなら辞めちゃえば?」という感覚の
世代には、結構カベの高い話だけどね(笑)。

ただ。

別に航空会社の肩持つわけじゃないけど、
この映画を観て、「J○Lってなんて酷いんだ!」
と思うのはちょっとキケンだと思う。

映画では、善悪をはっきり描き分けたほうが分かりやすいから
そうしているけど、実際は主人公(映画では恩地、モデルは小倉さんという人)
は、あの事故で遺族の世話係はやっていないし、
あの会社を腐敗させた理由は、別に賄賂や労組闘争だけじゃなくて、
もっともっと複雑なんだと思う。

世の中というのは、小説のようにシンプルじゃないよ。

あくまで「フィクション」として観てください。
それがこの映画を楽しむコツかもしれないよ。


*エンドロールまで観ると、これだけの大作に
 大手広告代理店やテレビ局の名前が全然出て
 こない事に改めて驚きます。
 よっぽどニラまれたくないんだろうな~・・・
 ま、確かに、これで渡辺謙がJ○LのCMに起用
 される事は一生ないだろうけどね。

月曜日, 10月 26, 2009

ラクゴのダンゴ

なんだなんだ!?この寒さは。

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このところ週末は、「土日両方やま」とか、
「土日両方飲み」とか、なんか同じような予定が
ダンゴになる事が多いんだけど、
先週末は「土日両方落語」(笑)。

しかも何故か新作(=みんながやらないような話)づいていた。

土曜日は、ほとんど部活と化している(笑)
落語仲間と、企画モノの興行へ。

三三⇒喬太郎⇒百栄⇒白鳥

という、ある意味一貫性のまったくない
組み合わせでなかなか面白かった。

落語が分かる人には分かると思うけど、
後半に行くにつれ「それって落語なのか?」みたいな
話をする人になっていくので、
最後の白鳥の、ま~締まりのない事と言ったら(苦笑)。

三三や喬太郎あたりは、このところいつ行っても
ほとんどハズレがないので、
あとはその組み合わせが「吉と出るか凶と出るか」
みたいなところはあるんだよね。
そこからすごいケミストリーがある時もあるんだけどさ。

この面子と落語にいくと、なぜかその後の飲み会が
アダルティな話題になる事が多くて(笑)、
まー今回もそんな感じで、ゆるーく飲んで最後はバカ話で解散。
楽しいよなー。バカ話で飲むのって(笑)。

だから、落語がズルズルで終わっても
・・マ、文句は言えないわ。


*****

日曜は、新宿で開催された「芸協まつり」に
行ってきました。

一応説明しておくと、関東の落語家は大抵「落語協会」と
「落語芸術協会」のいずれかに所属してるんだけど(例外あり)、
今回のは、このうち「芸術協会(略して芸協)」のほうが開催したイベント。

こういうのに行くっていうのは、超コアな落語ファン
って感じに聞こえるけど、今回は別の目的があって、
芸協が主催している「落語教室」で学んでいる知り合いがいて、
その人の発表会があるので、それをメインに出かけたのでした。

彼は上手いんだよー。落語。
芸達者な人っていうのは、ホント見てて楽しい。
彼が落語を始めてからまだ1年たってないけど、
人って、いつからだって新しい事を
はじめられるんだなーって楽しくなっちゃう。

会場は新宿の廃校になった小学校で、
各教室で小さな落語会もいっぱい催されるので、
もちろんそっちも楽しみましたけどね。

こういうイベントって、言ってみれば
「フジロック」とか「モーターショウ」みたいなモンで、
普段は見ない噺家さんを見て
「お。この人面白いじゃん」って人がいれば、
今度はその人の独演会に行ってみるとか、
そういう「品評会」みたいなノリだから、
噺家の人も、緊張しつつも持ち時間が短いので
かるーい感じでやってて、それが逆にヨイんだよね。

ファンサービスの意味合いが強いので、
芸協の看板芸人、春風亭昇太はず~~~~っと、
写真とサイン攻めになってました。

あの寒空の中。ずっと笑顔で。
きっと本当にいい人なんだなー。昇太って(笑)。


ところで、今回見た新作落語の中で、
「チョココルネ(あのうずまきパンの)」の話題が
出てたんだけど、一緒にいた関西出身の人が、
あのパンを「チョココルネ」って言うのを初めて聴いた。

って言うんだよね。

チョココルネの東西の文化の違いを知っている人、
誰かいないかしら・・・?


いい感じにユルイ、
楽しい週末でした(って、子供の絵日記みたいなシメだな)。


*人ごみの向こうにはナイツ。
 ナイツは芸協所属の芸人さん。落語ファンは、
 ナイツは「寄席で見た」って人が圧倒的に多いと思う。
 私もそのひとり。もうずいぶん前だけど。
 吉本全盛のお笑い界の中で、ああいう
 気骨のある若者にもぜひ頑張っていただきたい。

木曜日, 10月 22, 2009

私のミュージックヒストリー(前編)

スポーツでも、仕事でも、
たった1つのスーパープレイが生まれるまでに
費やされた時間は、驚くほど長い。

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なんだか今週は、「仕事」というキーワードで
思うところが多かったんだけど、
あんまり面白い話じゃーない(というより、書いててヘコむ)
ので別の話にしよう。


こないだ、いいかげんCDがグチャグチャしてきたので、
実家にあるぶんもまとめて整理したら
すごい懐かしいCDとかカセット(!)が出てきた。

ノスタルジックな3時間でした。

そんな訳で、なんとなく
私の音楽遍歴を思い返してみた。
たぶん、同世代の人しか面白くない話題満載(笑)。



■第一期:邦楽興味と洋楽への移行期(80年後半~90年前半)

具体的に音楽に興味を持ち始めたのは
小学校5~6年頃だと思うけど、この時期は邦楽。
アイドル全盛期だったけど、さすがにそっちは興味なくて、
小学校時代の友達と、米米クラブやユニコーンのコンサートに
行った記憶がある(コンサートに行ったのは中学になって
からだけど)。でもベスト10とかトップ10はよく観てたな。

日清パワステのレピッシュのライブ(ゲストでアンジーの
水戸さんが出てた)が妙に印象に残ってる。ナゼだ?
誰と行ったかも覚えていないのに。
PATI-PATIとGBが愛読書だったあたり、いま思えば明るい(笑)。

ちなみに「初めて自分のお金で買ったレコードは?」ってネタ、
たまに友達とするけど、私は何故かゴダイゴの「ガンダーラ」。
多くの人が、初自腹レコードは「今となってはナゼ?」って
タイトルだったりするみたい(笑)。

当時ようやくCDが一般的になってきた時で、お小遣いが少なくて
買うのは難しかったけど、ウチの近所にできた
「YOU&I」っていうレンタルCDショップによく通ってた。
小学校の時には作れなかった会員券を、中学生になって
初めて手にできた時は、大人になった気がしたな~。

あの頃の実家のCDプレイヤーって、シングルCDはアダプターを付けないと
聴けないやつで、中学の入学祝いでシングルCDが聴ける
自分用のラジカセ買ってもらった時は最高に嬉しかった。
そのラジカセのCMってレピッシュが出てて、私が「○○がCMに出てるから」
という理由でモノを買った数少ない経験ですな。

基本的にはレンタルでCD借りたり、兄・姉のいる友達から
CD借りたりして、それをカセットに録音するってーのが多かったな。
だから、サザンとかRCサクセションなんて、みんなカセットで聴いたよね。

「イカ天」とかすごい夢中で見てたけど、イカ天の後半(「たま」が
チャンピオンになったあたり)から、邦楽に急速に興味を失いだして、
好きなバンドの人が、雑誌の取材で「好き」とか「影響を受けた」とか言ってた
海外のアーティストを聞くようになったんだよね。

だから、スペシャルズとか、プライマルスクリームとか
あの辺りはこの時代(高校生くらい)が私の中でスタートだな。

特にベトナム戦争(60s)のサイテデリックな音を好んで聴いていたので、
ビートルズも、イージーリスニングではなくて、ちゃんと聴くように
なったのは中学生の後半以降だったように思う。

思えばあの頃は、洋楽を好きになりつつあるを「大人っぽい」と
自負する気持ちと、何故か「恥ずかしい」と思う気持ちがあって、
友達とかと音楽の話をした記憶がほとんどない。

男の子は、この時期にバンドに興味を持って、
「モテたい」という原動力で楽器をやり始める人もいたけど(笑)、
何故か女子はそういう人少なかったし、私も「自分でバンドを
やろう」という方向にはベクトルが向かなかった。

プリプリが流行ってたのでコピーバンドやってる子はいたけど、
あの路線の音楽に興味がなかったのと、仲良い友達にそういう人が
いなかったので。
周りにそういう友達がいれば、また違ったかもしれないな。


私の学生時代って、本当に自分を閉じてたというか、
“らしくない”時代だったんだなー と、イマサラながら改めて思う。



■第二期:音楽無関心期(90年代後半)

10代後半から20代の前半って、ほかに楽しい事がいっぱいあるから、
音楽への興味を完全に失ってた時代。
音楽だけじゃなくて、芝居とか映画とか、そういうモノにも
あんまり時間とお金をかけてなかった時期だね。
私のこれまでの人生の中で、最も“俗っぽい”5年間(笑)。

だから今思い出しても、そういう事に関する記憶がほとんどないし、
実際その頃に買ったCDってほとんどない。

ちょうどこの頃って、日本の音楽もいわゆる「コムロ系」の
わたしが嫌いなサウンド全盛になっていて、そういうのが
すごい嫌だったっていうのもあるし。

当時付き合ってた人が、車でGroveとかかけてて
すごい嫌だったんだけど言えなかった。
・・・・今なら「人は人」だと許容できるけどさ(笑)。

今はコーネリアスも好きだけど、あの頃はいわゆる「渋谷系」
と言われたお洒落サウンドにも、どうも抵抗があったのよね。
今思えばもったいないな。


もちろん楽しかった時期だし、すごい色んな事を吸収した時代で、
アレがあるから今の自分がある とハッキリ言えるんだけど
・・・アホだったよな~。あたし(苦笑)。



・・・・あ。
なんか長くなっちゃったぞ。2回に分けよう。

というわけで、続きは後編で。


*ゴダイゴ。これぞ青春。

火曜日, 10月 20, 2009

上司論

最近CD買い過ぎ。
何かの「衝動」なのか? 分からん・・・。

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先週末、立て続けに「上司」と飲んだ。
といっても、「元上司」と「別部署の上司」。

どっちも結構ちゃんと“仕事話”で、
主は自分の話ではないんだけど、
なんだか参考になったり、怒ったり、感心したり、ヘコんだり、
色々考えさせられた。
私も、仕事における自分の立ち位置を見直す年齢なのかもな。

いずれにしても、自分が大きい組織に
「まったく向いていない!」事だけは、分かった昨今ですが。

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世の中に「上司」と呼ばれる人はたくさんいて、
社長だって一種の「上司」だし、要はひとりでも
部下が付けば、それは上司ということだ。

どうあれ、上司はやはり部下から「すごい」と
思われたほうが良いと思う。上司・部下の関係がある場所は
必ず「組織」であるから、上司が部下に「すごい」と思われた
ほうが組織は円滑だからだ。

もちろん「すごい」の種類は色々あるわけで、
夫婦みたいなモンで、上司・部下の組み合わせの数だけ
「すごい」の意味合いも違ってくるし、その「すごい」を
部下が感じるためにはそれなりの時間が必要なのだけど、
私の考える本当にすごい上司って、

 「これは自分が間違ってるかも?」とか、
 「自分の意見(方法)で本当にいいのか?」とか、

とにかく立ち止まって、
考えて、考えて、考え尽くせる人の事だと思う。

それは「部下のため」とかそういう事じゃなくて、
とにかく「この会社(組織)に利益を生むために」
どうすべきかだけを、頭から煙が出るほど熱く、
南国の海ほどピュアに考えられるかという事だと思う。

結果、組織が活き活きしたり、
部下がハッピーになったり尊敬されたりしたとしたら、
それは幸せな事だけど、副産物でしかない。


「ナニを当たり前な。上司は“考える”ものでしょう」と言われそうだけど、
私は、10数年の社会人生活の中で、
世の中あまりに「考えて上司やってる人が少ない」事実に
結構驚いたりしている。

私は幸か不幸か、「この人はすごい!」という上司に
出会った事があるので、逆にそうではない上司の
「考えてなさぶり」がものすごく気になるというのもあるかも。

人間的な完成度と、上司として「すごい人か」という事は
別問題だけど。

時々若手(営業マンとか)が、上司批判で
「そんなに言うならオマエがやってみろ!」
とか言うけど、そんな若手の上司批判は超クソで、
上司が末端の若手がやる仕事なんかやってちゃダメだ。
本当は上司って、「やってはいけない人」なんだと思う。

やらなくていいから、考えなくちゃ!

会社になんて居なくていいから、
オゴってなんてくれなくていいから、
とにかく、血を吐くほど頭使わなくちゃ!

上司という「商売」は、言ってみれば「社内ブローカー」
みたいなモンで、自分の考えた事を、周り(部下)にできるだけ
完全に実現させる事によって、そこからの利益の中間マージンを
取る(=それが給与)役割なんだと思う。

でも、今「上司」と呼ばれる人の多くは、

「自分もいちサラリーマンであり、会社から給与をもらう人である」

と思っていて、結局はそれが
会社をダメにするし、部下だってやりがいを持って
仕事できない事に繋がるんじゃないかなと思う。


・・・もちろん。

この話は、「自分はソレをできている」という事ではないよ。
第一いまは私、部下いないしね。

あくまで「私の思う“良い上司”とは」という題名の作文でしかない。

でも。
私も、大小はともかくなんらかの組織に所属して
仕事をし続けていく以上は、いつかは嫌でも「上司」的な
人になっていく可能性があるわけで、
そういう時のために、自分のオピニオンは整理しておきたいな。
と、思いまして。

ま。
今の会社を全然愛してなくて、もはや「家庭内離婚」状態の
私が言えた話じゃ~ないんだけどねー。

それに、今は評価されるような仕事の仕方をしてないので、
こんなカタイ事書いてるけど、全然ユルユルなんだけどね~。

オー ホホホホ~♪

木曜日, 10月 15, 2009

大人の胸キュン

混んだ電車でひとつだけ席が空いた時、
小学生くらいの自分の子供にその席を譲る親は、
「子供への愛情が強い」 と 言えるのか……?

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秋の夜長は映画っすよ。

今回は、エリック・ロメール「恋の秋」

ロメール監督の四季シリーズ4部作は、
これでようやく全部、ちゃんとシアターで観た事になります
(実は「冬物語」は、だいぶ昔でほとんど覚えてないけどね)。

で。「恋の秋」。

もーねっ!
待ってました!って感じ。

ロメールの恋愛映画は私の肌に合う。

恋愛映画をほとんど観ない私の心にも、
しっかり響いてくれる。

 フランスのぶどう農園で、ひっそり暮らす
 変わり者だけど快活な女性、マガリ。
 既に夫はなく、2人の子供達もひとり立ち済み。
 日頃は元気だけど、心に寂しさを持っている彼女を心配する
 親友や、息子の恋人が、マガリのボーイフレンド探しに奔走する。。。

というのが話の概要。

でね。

このマガリがいいんですよ。
40代のこの女性の生き方に
とっても共感できる部分が多い。

自立した素敵な女性なんだけど、
自分が寂しいという事にはとっても素直。


親友が紹介してくれるのは、自分が身代わりになって広告を出した
結婚相手募集の記事に応募してきた男性なんだけど
(欧米の映画ではよくある)、なかなかいい感じの人が現れたわけ。

で、その親友は、二人を「改めて紹介する」んじゃなくて
自分の娘の結婚式に二人を呼んで、
自然に引き合わせようとするの。

 *外国のガーデン式の結婚式って、
 *どっちかっていうと「週末のホームパーティの豪華版」みたいな感じで、
 *結構、新郎新婦を直接知らない人もよく参列したりするんだよね。
 *ちなみに私もNZに住んでる頃、そういうタイプの結婚式に
 *2度程出た事がある(1組はどちらも知らない人)。


そんな二人の出会いを見ているとね、
なんだか高校生みたいなの。

40代のマガリのピュアさに比べ、
彼女の息子の恋人(たぶん20歳位?)は、
逆に大人びてるというか
こまっしゃくれたところがあるから、
その対比が、実に実にヨイのです。

マガリは、大人になって
「1周回ってピュアになってる」感じとでも言うのか。

「あ。この人いいカモ」とお互いに直感で思っているのに、
自分の言葉を素直に出せなくて、ついクールを装ってみちゃったり。

でも、ロメール(というかフランス文化)特有の
ウィットに富んだ哲学的な掛け合いは健在。

まあ、元々は親友がダマして二人を引き合わせたわけで、
それが元でちょっとゴチャゴチャしたりするんだけど、
結局最後は「幸せの予感」を示唆して終わります。

で、これがいいんだけど、ラストは
特に熱い抱擁やキスシーンがあるんわけじゃない。涙もない。
誤解が解けて、二人の気持ちが近づいた後、
実は男性のほうは先に帰ってしまうんだけど、
「一緒に行かなくていいの?」と聞く親友に、マガリは

 「いいのよ。縁のある人なら、きっとまた会うわ。
 それに今日の私、あんまり魅力的じゃないもの」

とか、言うわけ。

キャ~っ! すてきだ~~!

急がない。
虚勢を張らない。
でもちゃんと恋の駆け引きはする。

大人だー。

南仏の小さな田舎町のお話だから、
洗練された服も、オシャレなレストランも
バリキャリおねーさんも出てこないけど、
とにかくなんとも言えないあったかさ。


・・・・マガリもそうなんだけど、思えば私も、
今まで「この人に会わなければ良かった。あんたなんか不幸になれ!」
みたいに終わった恋愛ってないんだよね。
いっとき恨んだりしたことはあっても。

それってつまり、今となっては縁のない人であっても、
「しなきゃ良かった恋愛」ってナイ という事なのかな と。

そう考えると、やっぱり生きるエネルギーとか、
人間を豊かにしてくれる学びの場として、
「恋」というのはとても大切な要素なんだよな、と思うわけですよ。

私は「恋がしたい」のであって、
「付き合いたい」わけではないので、
「居心地の悪い人と無理に一緒にいる」のは嫌だけどね(苦笑)。


とにかく「大人の胸キュン映画(笑)」です。

女性の共感が多いだろうけど、監督は男性だからね。
きっと男性も、頭の中がバラ色(エロなほうじゃなくて)気分に
になれると思います。

DVDもあるし。ぜひ!

火曜日, 10月 13, 2009

国にも人にも「境」はないから。

友達の結婚式に出た。
この1~2年、従兄弟の結婚式くらいだったので
油断していたら、10・11・12月とダンゴ。

メデタイんだけど、ふ、フトコロが・・・。

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NZ在住時の友達と「青空鍋」をやる。

最初にお誘いうけた瞬間、「青空鍋」という
ステキすぎる響きにかなりグっときた(笑)。

だってBBQじゃないんだよ! 鍋だよ。外で。
炊き出しみたいじゃん(笑)。

神奈川のほうに住んでる友達なので、会場は某海岸。
恒例の集まりで私も何度かお誘いを受けてるんだけど、
あいにく都合が付かず、今回が初めて。

この友人はもともと旅好きで、
昨年旅仲間のひとりと結婚しているので、
ほかのメンバーも旅繋がりの人が多い。

なんと言っても、ほとんどの参加者が日本人で
あるにも関わらず、「日本ではない国」で知り合った
仲間というのが、コレまたかなりステキです。

自己紹介をすると「旦那とインドで知り合った○○さんと、
○○ちゃんがベトナムで知り合った△△ちゃんと、奥さんが
オーストラリアで知り合った××ちゃんと・・・」てな具合で、
なんとも脈絡のないつながり。
まあ私も、その友達とはNZで知り合ってる訳で。

遠い地でのそれぞれの出会いが一期一会にならずに、
こうやって時々集まる仲間として繋がっているって
本当にすばらしいと思う。

主催してくれた夫婦が相当入念な準備をしてくれてて、
ビールはなんとサーバの生ビール!
そして鍋は中華街の火鍋。

近所のスーパーで買った食材をブチ込んだだけの
安くて気軽な料理だけど、性別も国籍も世代もなにもかもがバラバラの人たちと、
まるでアジアの屋台街のような、なんとも言えない雰囲気に包まれて
ユルい会話で楽しんでいると、
「もしかして、こんなに贅沢な時間ってナイんじゃないか・・」と
結構本気で思ったりした(笑)。


普段会社で 日々の暮らしのためにカリカリ、あくせく している自分と、
こういう時に、お金ではない「最高の贅沢」を満喫している自分、
どっちも「自分」なんだけど・・・・。


 一体、自分は どうしたいのか?


そんな事を、酔っ払った頭で
ついつい考えてしまう、
そんなセンチメンタルなひとときでした。



*お天気が最高で、綺麗なサンセットを
 拝むことができた。
 夕焼けは、ステキで、切ない。

金曜日, 10月 09, 2009

キーワードは「切なさ」なんだ。

「ナントカシェアリング」流行り。
「物をみんなでシェアし、無駄なものは持たない」
という思想はいいと思う。

個人的には、コレの究極は
「嫁(旦那)シェアリング」だと思っている。
少子高齢化が加速度的に進む今、まんざら笑い話でもない気が(笑)。

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Oh イエ~!
行ってきました、ハッチハッチェルバンドワンマン@高円寺。

東京では初のワンマンなんだって。意外~。

小さなハコとは言え、お客さんパンパン。
ハッチさん すげー。

さすがワンマンなだけあって、
これまで見た中で一番曲数が多かった(当たり前よね)。
2回のアンコールを含め、15曲近く かな?

もちろん最高でした!
いち早くソロアルバムもGET。


・・・ハッチハッチェルバンドって
私のよく聴く音楽の中ではかなり異質で、
ピコピコもしてないし(Aphex twin的な)
ワールドミュージックっぽくもないし(Talking heads的な)、
キラキラもしてない(アニコレ的な)けど、
なぜかすごいファン。

なんでかな~と自分でもずっと思ってたんだけど、
昨日考えたのは、
まずはハッチさんのトークが秀逸なのと(笑)、
もちろん演奏のレベルそのものが高いのと、
あと私はハッチさんの音楽を、
落語とかJAZZに近い楽しみ方をしているんだな と。


「楽しむ」って色々種類があるじゃん?

旅行に行ったり、友達と美味しい酒を飲んだりする楽しさと、
登山とか仕事みたいに、結構シンドイとこもある
楽しさとではちょっと質が違ったりするわけですよ。

私は音楽は、「あー なんか言葉にできないけどComfy~」っていう
視点で好きになるケースが多いんだけど、
ハッチさんの音楽の場合は、どっちかっていうと、
そこに隠れてる「切なさ」みたいなものにピンと
来ているんじゃないかね? (「ないかね?」って言われても ねえ~(笑))

落語もJAZZも、お仕着せなお涙とか、
言葉でハッキリと「私って辛いの。カワイソウなの!」
と言う事はほとんどないけど、聴いてる側はその作品のどこかに
なんともいえない「切なさ」を感じるんだよね。
ハッチハッチェルハンドの演奏が、実際に
JAZZっぽいとか、落語っぽいとかいうことではないんだけど。

ハッチさんの音楽も、その材料をバラすと、

 ノータリン30%+クダラナ40%+カーニバル20%+切なさ10%

みたいな感じなのよ。

そこはかとなう漂う切なさ。渋さ。

・・・聴いた事ない人には、この説明
サッパリわかってもらえないだろうけどさ(笑)。


私自身が目指す人間性も、
そういう「切なさ」を持ったもの。
「深み」とか「憂い」と言い換えてもいいかもね。

と同時に、そういう作品(を作った人)の根底にある、目に見えない
「切なさ」を、しっかり受信できる人間でありたいと思うよね。


ちなみにハッチハッチェルバンド、
ゴールはカーネギーホールらしいので(ライブのMCにて(笑))
その節はぜひNYに応援に行きたい。
実現して欲しいよ。私が死ぬ前に(笑)。


*一度あの界隈(高円寺~吉祥寺)に住んでみたいなー。
 東京生まれの東京育ちなのに」、あの辺りはサッパリ縁がない。
 初・西東京引越し、考えてみますか。

水曜日, 10月 07, 2009

神は(紙は) 細部に宿る。

台風が来ると、
自転車通勤は非常にキツイんだよねー。
でも乗るけど。

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ごくささいな事だけど、たったひとつの行動で
その人の本質がかいま見えるって事ってたまにある。

その行動ですべてを知ったとは思わないまでも、
「あ・・・・・そういう感じの人なんだ~」と、
良くも悪くも判断すること、というか。

例えば、普段とてもキレイにお化粧して着飾っている女性なのに、
旅先で部屋をちらかしまくる。

「ああ・・・。この人いつもキレイだけど、きっと家は
 荒れてるんじゃないかな」と 思う。

人当たりもよくていつも周りに気遣う人なんだけど、
たまたま会った人の中に自分より明らかに立ち位置が低い
(例えば住んでる家がボロイとか、学歴が低いとか)人がいると、
その慈愛の心が急に“上から目線”(哀れみの感情 とでもいうのか)になる人。

「ああ・・・。この人は普段優しいけど、相手次第で
 変わる“イミテーションなやさしさ”なんだな」と 思う。

・・・そーいうのを見てしまった瞬間って ちょっと悲しい。

もちろん「苦手と思っていた人の、思いがけず素敵な一面を見た」
みたいな逆パターンもあるけれど。

自分はそんな部分が無いパーフェクトな人間だ
なんてもちろん全然思ってなくて、そういう出来事があるたびに、
「自分も気をつけなくちゃな!」と、反面教師にしているわけだが。

****

先日、会社でこんな事があった。

今、会社では不景気で経費節減が繰り返し叫ばれていて、
コピー代の節約もよく出るテーマ。

「社内の文書はモノクロで」
「裏紙を使おう」
「トナーは割安なリサイクル版を」

・・・これらは別に、不景気だからやる事というより
いつも心がけるべき事だと思うんだけど、今回の主題はそこではないので、
まーそれは置いといて。

繰り返しアナウンスされているので、
若手の営業マン達も、自分のPCの印刷設定を
変えるとか、少しづつ貢献している。

もちろん私もすべて実行し、
無駄なカラーコピーは一切しない。
大体私、そーいうことが別に苦じゃないというものあるし。


ところが、そんな中でも頑なにすべてをカラーコピーをし続けて、
まったく協力の意思がない人がいる。必要なものならともかく、

「参考程度に人に見せたいWEBサイト(の画面)」
「自分用のメモとしてだけ使う書類」
「今日訪問する客先の地図」

・・・・中には、印刷する必要のないものすら、
彼は悪びれずひたすらカラーコピーをし続けるのだ。
システム担当者なので、設定の仕方が分からないわけはない。


その「彼」とは、私がココに時々書く、
コミュニケーション能力ゼロのシステム担当者氏。

 ・とにかく自らの非は決して認めず、
 ・他者と交わらずにブラックボックスで仕事をし、
 ・代理店の小さなミスに延々嫌味を言い続ける、

・・・・そんな人。


そんな彼のコピーに対する態度を見た時に、
彼の本性を見た気がした。

「あ、この人やっぱり“そういう人”なんだ」 と思った。

たかがコピー。
ごくごく瑣末な事だし、
ほかの人が同じ事をやっても、どーって事ないと思うかもしれない。
でも、そういう細部の事ほどその人の「本質」がにじみ出る。

本当の人間の姿は、
見逃してしまいそうな小さな事にこそ現れる。

もしかしたらそれは「無意識な行動」かもしれない。
「誰も見てないよね」と軽く考えてる事かもしれない。

でも。周りの人は、驚くほどそういうところを見ているものです。


「周りにどうみられるか」
「周りと比べて自分はどうか」といった事を気にしたりするのは
アホらしい事だと思うけど、そういう事と、

 「他者の気持ちを想像し、社会の中で気持ちよく共生していく」

事とは本質的にまったく違う。

そういう人ほど、

 「自分は自分のやるべき事をやっているし、
 自分のオリジナリティやライフスタイルを貫いている」

って言うけど、それは
「自分勝手」と「自分らしさ」を完全に
履き違えた考え方だと思う。


「気持ちよくオリジナル」 でありたいね。

月曜日, 10月 05, 2009

「いい質問には、答えがない」のだよ。

今朝、自民の中川さんが
亡くなった事を知ってかなりショック。
政治家としては不器用すぎたのかな。。。

日本の根底にある「失敗を許さない社会」
の真髄を見た気がして、怒りすら感じます。

深い意味もなく口にした発言や
「自分が幸せならいい」と無意識に思う気持ちが、
いかに他者を傷付けているかを
日本人はもっともっと自覚したほうがいい。

もちろんまだ死因は分からないし、
例の事件との因果関係も不明。
でもまだ56歳。お父さんが亡くなったのが57歳。
何かを感じずにはいられないね。

ご冥福をお祈りします。。

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先に業務連絡。
仏前結婚式、普通にあるらしいよ。

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で。
週末はまた山に登ってきました。
箱根の「明神ヶ岳」。
♪足柄山~の でおなじみ、金太郎で有名な
金時山のお隣に位置する山です。

もともと1泊で土曜の早朝出発予定だったんだけど、
土曜に天気が崩れたので、日曜スタートに変更。
金曜に飲んでたので、個人的には結果オーライだけども(笑)。

このところ、私は山に行くと必ず雨が降っていたので、
自分が雨女なんじゃーないかとちょっとヘコんでいたんだけど、
日曜日はスッキリ晴れて気分爽快!

もともと明神ヶ岳の今回登ったコースは、
標高を一気に上げる最初の30分以降は
大きなアップダウンがあまりない竹藪のような道を
数時間かけてずんずん進むコースなので、
天気のよさもあって、終始気分よく歩き続けることができました。

や~ 快適快適。

スッカリ秋の気配を漂わせた
箱根の山を満喫してまいりました。


最近は、私にとって山での時間は「いらんモンを出す」行為なので、
トイレに行かない訳にはいかないのと同様に、
山にも「登らない訳にはいかない」感じになっております(笑)。

スキーに凝ってた頃は、毎週行かずにはいられなかったし、
クラブ通いしてた頃は、踊らずにはいられなかったし。
方法は全く違えど、私って常に「出さずにはいられない」人なのかも。

マ、みんなそうかね。

もちろん、日々のゴチャゴチャを
全て出し切る事はできゃしないけどさ。


・・・昨今、登山人口が増えている背景には、
大金をかけて作られた「お仕着せの施設」よりも、
本当は、すべてを自力でこなす事や、何気ない自然や
友達との会話が何より楽しく・贅沢だということを
多くの人が分かってきたからだと思うんだけど、
その一方で、自己中心的な人や、他人への中傷をやめられない人は
その「悪さ加減」「闇(病み)加減」に
ますます拍車がかかっている気がしてならない。

様々な「格差社会」が問題視されているけれど、
もしかしたら、経済格差や教育格差以上に、
いわば「性格格差」のようなものが、今、一番問題なのかもしんないね。

人間が生きるって、実は本来すっごいシンプル
な事なんだと思うんだけどなー。

なのに、こんなにカオスな社会にしているのは
一体全体誰(何)なのかしらねえ。。


*山の注意標識には、何故か
 こういうダジャレものが多い。
 私も 鹿に“鹿られない”ようにしないとな。
 あ、あと今回の件名は意味はありませんので(笑)。

木曜日, 10月 01, 2009

人前に出る練習

仏にワーホリしていた知り合いが
帰国したので、一緒に飲んだ。

一度“外”に出ると、変わるもの、変わらないものがあって、
似たような経験をした私は、なんとなく彼女の気持ちが分かる気がした。

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そーいやこないだ、
ジャズセッションに参加してきました。

存在そのものを知らない人もいると思うので
簡単に説明しますと・・・

・ジャズをやりたい素人がお店に行って、
 その場で知らない人たちと即席バンドを組む。
 またはバンドの一部はプロで、サックスだけ、ヴォーカルだけが
 素人・・・という混成のケースも多い。

・一部のジャズバーやジャズ喫茶が開催しているケースが多い。

・ヴォーカル、サックス、ピアノなど、
 ジャズをやる人なら誰でもオッケー。

・参加者は演者でもあり、聴き手でもある。

と、いったようなシステムです。


これはポピュラー音楽にはたぶんできないシステムだね。
なにせ曲が無数にあるわけだから。

ジャズは「定番」と呼ばれている曲が数百曲あって、
その「なにが定番か」という価値観がジャズマンの間の
共通概念としてあるので、こういう遊びが可能なわけです。

そもそもジャズという音楽そのものが
「即興」を基本としているっていう成り立ちもあるしね。


今回私が行ったのはバッキングのトリオ(=p/Dr/b)は
全員プロの方で、ヴォーカルのみ店のお客。
(もちろんレベルはいろいろなんだけど)

自分が歌いたい曲、練習したい曲を、
順番に唄っていくわけです。

分かりやすく言ってしまえば
「贅沢な生演奏カラオケ(ただし選曲はジャズのみ)」と
いう事になるのだけど(笑)。


ジャズって元々決まったメロディがあってないようなもので、
コード進行に沿ってどんどんいじれちゃう。

だから、同じ曲でもみんな
全く違う歌い方をする人わけです
(極端なものになると、もはや原曲がなんだか分からないほど
 崩す人もいる)

そういう意味で、他人の歌を聞いている時間もとても勉強になります。
「あ、その崩し方かっこいいー」っていうのがあるからね。

人間(つか私だけ?)って勝手なもので、
たとえ好きな事をやっていても、やはり定期的に
それなりの目標や緊張感(刺激)がないと、
続けられないし、上達しない。

今春から先生の事情でレッスンの回数が減ってしまったので、
なかなかヴォーカルも先に進めなくて、なんとなく停滞気味だったのですが、
これからも自ら定期的にこういうセッションとかに出向いてやっていこうと。

音楽って「人に聴かせて上達させる」方法もあるので、
例えばロックギターだと、練習といっても、
どうしても自宅で1人でつま弾くって事が多くなっちゃうので、
そういう意味ではジャズっていうのは、練習環境には恵まれた
音楽なのかもしれない。


自分のキーの譜面を起こさないとならないので、
それがわたくし苦手なんですけどね。。。(苦笑)

まーそれもまた修行。

大変な事、面倒な事を乗り越えながら
覚えていく過程って、とても楽しい(Mなモンで)。


*セッションはジャズバーの定番イベント