月曜日, 11月 30, 2009

シロコロ

ノエルってある意味すごい。だってノエルがいなきゃ
オアシスじゃないんだもん。
イチローだって、いなくてもマリナーズはマリナーズなのに。

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9月以降、3000⇒2000と降りてきまして、
たぶん1000m代今年最後であろう、丹沢の
鍋割山~塔ノ岳縦走をしてまいりました。

きっと相当寒いだろうと予想してたんだけど、
思ったより暖かくてラッキー。

ただ、それが仇となって、
景色のほうは若干ガスり気味。
富士山もほとんど拝めずで残念。。。

でも、自分でいうのもナンだけど、
この1年でコースタイムと自分の体力の配分が随分わかってきたので、
気持ちよく快適な山行でした。やっぱイイねー。やま。


塔ノ岳は以前登った事があるんだけど、
鍋割山は今回が初めて。
山荘の鍋焼きうどんが名物だそうで、
もちろんさっそく賞味。

山荘の食事とは思えない味とボリュームで、
確かにこれは「名物」の名にふさわしい!
機会があれば、ぜひ皆様もどーぞ。
ロープウエイとかないので、まあ3時間位は
山登りをしなきゃならないわけなんだけども(笑)。

今回はメンバーに韓国人の友達がいたんだけど、
韓国では登山で生のきゅうりが必須だそうで、
1本もらって食べたら、なるほど確かに一気に
水分も取れるし、なかなか優秀な山食。今度マネしよー。

早朝集合なうえ、休憩入れて8時間弱の意外とたっぷりな行程
だったにも関わらず、同行のメンバーがことごとく
呑み助で、帰りは鶴巻で温泉後に、最近B-1(B級グルメ選手権。
私は知らなかったんだけど)で第1位になったという
シロコロをめいっぱい食しつつ、ユルユルな夕飯。

飲んでるソバから忘年会の計画・・・ってどーよ(笑)。


始発で出発、終電で帰宅という、
長い、長~~い一日でしたが、
でもいろんな意味で、満腹な一日でした。


あとは、年末のダイヤモンド富士@高尾
で今年は締めかな。

・・・・やー 登ったな。今年は。

自分でも、知識や体力配分もわかってきて、
いい趣味になってきたなと思う。

海外旅行とか「横移動」は、どうしても時間とお金が
かかってしまうから回数が限られるけど、
山に登るという「縦移動」は、私にとって
リーズナブルに、日常を忘れてショートトリップする手段。

また来年も色々登れるといいな。


*塔ノ岳山頂には、まったく人間を恐れない
 ふてぶてしい鹿が。
 あ、見えない? 携帯のせいなんで。
 それを言っっちゃーおしまいさ。



(追)その後、友達に写真をもらう。
・・・同じ距離から撮ってなんでこーも違うんだ!(哀)

木曜日, 11月 26, 2009

あなたの心を満たしてくれるのは・・・?

先週忙しかったから、なんか今週は
ここぞとばかりにとっとと会社を出る日々。

火曜は映画。
昨日はハッチハッチェルライブ@渋谷。
今日は落語でい!

・・・うーん。しみじみステキだ~
前の会社では考えられない。

わたし、いま結構いい人生なのかも。

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てなわけで映画です。今回はコレ。

扉をたたく人

アメリカ映画ですが、本国でも最初は4館でしか
上映してなかったという小さな映画(その後話題になり全米に)。

 主人公は、大学で教鞭をとり社会的には恵まれた立場。
 でモ実は、妻を亡くし、仕事も惰性で、趣味もなく、
 生きる目的を見失っている初老の男性。
 彼がとあるきっかけで、シリアから不法就労で
 アメリカに来ていたジャンベ奏者の青年と出会い、
 生きる希望を見つけていくが・・・・


いい映画だった。シミジミした。

主演は、リチャード・ジェンキンスという、
多くのハリウッド映画に出演している名脇役。本作初主演。
日本で言うと、小日向文世みたいな人なんじゃないかと
私は解釈したんだけど。一見冴えない外見もなんとなく似てるし。

この映画、最終的には他民族国家であるアメリカが抱える、
9.11以降の社会的な闇がテーマなんだけど、
たぶん日本人はそっちより、主演の彼が生きる目的を失う中、
ふとした事で希望を見つける・・っていうほうに、心を動かされる
んじゃないかと思う。

こういうテーマの映画って結構ありがちだけど、
その重要なキーが、恋ではなく「ジャンベ」っていうのがミソ。

冴えない人生を開くキーが「恋愛」になると、
とたんに映画としては手垢が付いた感じになるからさ。。


ジャンベはアフロミュージックではとても
ポピュラーな打楽器で、私も夏に野外のレイブなんかに行くと
時々お目にかかる。

私は本格的なジャンベが主役のライブを聴いたのは、
NZ在住時に観に行った、とある教会での事なんだけど
(そん時の私のブログが コレ)、
なんていうか・・・あの独特の「血がたぎる感じ」って、
ちょっと言葉では説明できない。
あれ聴いて身体が動かない人がいたらウソだよな。

この映画では、ジャンベは主人公の男性の心を解放する重要なツールだけど、
同時に、アメリカに生きる有色人種の象徴でもあるんだと思う。

「男と女」「黒人と白人」「ネイティブと移民」「富と貧困」・・・などなど、
カテゴライズされた差別がこの世界からなくなる事はたぶんないけど
(なぜなら、差別があるほうが経済や政治面で得をする人が権力者だからだ)、
少なくとも私個人は、何に対してもできるだけフラットでありたいナと思う。


アメリカ映画らしくない、ハッピーエンドじゃない
静かなラストで、なんていうか・・・こういう映画がアメリカでできるという事は、
9.11以降、アメリカの中で、確実に心理的な変化の波が立ち始めてるんだなって思った。

先日オバマ大統領が来日の際に、天皇陛下にお辞儀をした事が
本国で一部「何故敗戦国に、アメリカのプレジデントが卑屈な態度をとるんだ」
という批判を浴びたってニュースを見たけど、
私はそのニュースを聞いて、オバマ大統領がさらに好きになったよ。
それは私が日本人だからという事ではなくね。

オバマ大統領は、民族や宗教という点でとても複雑な出生だから、
それぞれの国や地域が持つ文化や習慣に対してリスペクトする
気持ちが、根本に染み付いてるんだと思う。


アメリカも、ボチボチそういう「俺様ナンバーワン」は
やめたほうがいいんじゃないかなー と思うよ。余計なお世話だけど。


なんか子供みたいな感想だけど、

 世界がみんな仲良く生きていけたらいいのになー。

と、思ってしまう映画です。

火曜日, 11月 24, 2009

バージン喪失

キャッチーな件名にするとPVがあがる、
という技は、前職で鍛え上げられておりますので。
「三流マーケッター」ナメるなよ(笑)。

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ちらしなんかをお手伝いさせてもらった縁で、
友人が開業した鍼治療院に行ってきました。

仁鍼堂(じんしんどう)
京浜急行大師線 東門前駅より徒歩5分(川崎大師からも歩ける)


わたくし、何を隠そう「鍼バージン♪」でしたので、
なんというかそもそも「何をされるのか?」すらイマイチ
分かってなかったわけです。

だってさー。鍼って、なんか身体にブスブス刺すイメージがあるし、
なんていうか、年寄りとかスポーツ選手の治療 みたいなイメージない?
だから、こんな事がないと自分には無縁のものだったと思うんだよね。

そして経験して思ったのは・・・

鍼って超不思議!

そこそこの太さがある鍼があれだけ身体に刺さって、
なんで痛くないのかしら?
だって、裁縫で針が指に刺さると
超痛いじゃん? 血が出るじゃん? 不思議だよね。

中医学って蘊蓄を聞くとすごく面白くって、
「東洋医学」とか「西洋医学」とか聞くと、
まるでその2つが対極にあるものみたいに聞こえるけど、
全然違うものなんだよね。「サッカー」と「算数」くらい違う。

中医学は病気の「根」を治療するもので、
「内科」とか「耳鼻科」とか専門がない代わりに、
冷え性とか不妊治療とか腰痛とか、なんとな~く理由の分からない
体調不良なんかも、みんな網羅してるんだって。


例えていうなら・・・・・

会社で(また会社の例えか!(笑))、
普段から関係の良くない上司が
3日前の弁当のゴミをまだ捨ててなくて
「ムキーー!」ってなったとするよね?(私はする)

でもそれって、「ゴミを捨てない事」に腹が立つというより、
その上司が普段から超適当で、
資料を全然期限までに出してくれないとか、
すごいお天気屋で本音の話ができない関係だとか、
ひいては、その上司のビジネス戦略がスッカッスカで全然信用できなかったり、
腹の立つ根本の原因は、実は全然別のところにあるじゃん?

恋愛だってそうだ。

私なりに解釈するなら、

 「ひとりは寂しいから、とりあえず手近で
  一番条件のいいあの人を彼氏(彼女)に」

というのが西洋医学なら、

「私は、今は自分の底力を育てる時期だから、好きになれるその人が
 現れるまでは、自分を高める努力をしよう」

というのが東洋医学だ。と思う。

西洋医学は即効性があるから、「とりあえず今週末に予定がないのは寂しい」
とか「みんな彼氏がいるのに自分だけひとりはカッコ悪い」みたいな
“痛み”は一時的に治まるかもしれないけど、相手をリスペクトできない恋愛って
時間がたてば結局は「二人でいるのに何故か寂しい」って事にならない?

もちろん、西洋医学で「ガンの病巣を切除して劇的に回復する」
ことがあるように、恋愛だって
「惰性で付き合った関係がやがて本物になっていく」
ことだってあるわけなんだけども。

一方中医学は「まずは自分の治癒力を高める」事が主体なので、
病気を治すというより「病気に打ち勝つ「身体力」を作る」
という事が主眼になってる。
だから、時間がかかるわけなんだけども、その分完成度が高い。

それにもともと中医学は、特定の痛みを取り去るというより、
「身体の総合力・バランス力を高める」目的があるので、
例えば、もしひとつの恋愛が終わった時、西洋医学のように
「また寂しい“痛み”を抱える生活に逆戻り…」と急激に弱ってしまったり、
結局その痛みに耐えられず、またすぐに
「もっと強い薬を!もっと私の心の隙間を埋めてくれる人を!」と、
強烈な依存とか副作用になっていく事がない。

結局、誰かの力を借りるのではなくて、
自分自身が日頃から身体力をつけていれば、
「痛みや体調不良と上手に付き合える自分」は
、誰と付き合っても誰と別れても残るので、
非常に「基礎抵抗力の高い自分」になることができるってわけだ。


・・・あ。

なんかこの話、中医学を分かりやすく書くつもりが
相当複雑になってる気が・・(笑)。

 「要は、“痛みに直接効かせる”というより、“体質改善”なんです」

と、ひとことで言ってしまったほうが
よっぽど早い&分かりやすかったと思われる(笑)。


ま、いーや。

細かい事は気にしない人なんで
このまま進みます。

なにはともあれ・・・

正直に言いますが、鍼治療で「1度で劇的に変化する」のは
なかなかナイのではないかというのが個人的な感想です。
だから「20年以上付き合ってるアトピーを1か月でなんとかして!」とか、
そういうのには向いてない。

でも一度やると、

「お? なんだか私の身体の中で、今までクズグズ、
ダラダラとなまけてたヤツが動いてるみたいだぞ?」

という感覚が体験できるかと思います。

高い志のある院長なので、なんとなく体調に
不安を抱えてる人はぜひお試しあれ。

普段は非常に多弁で、「おまえは小学3年生かっ!」と
思わずツッコミを入れたくなるバカ真っ直ぐな発言満載の院長ですが、

「仕事では大人です。施術中はしゃべらない」、

と嘘のようホントの宣言をしておりましたので、
頼りになるかと思います(笑)。


*串のネギマみたいだけど違います。
 鍼にお灸を付けてるon私の背中。

月曜日, 11月 16, 2009

スープは、決して手に入らない。

コッチでは「え~!すごいですね~!」なんて
笑顔で答えてても、
アッチでは「あの男サイテー!」とか言っちゃうんだもんな。

若い女子ってコエーな ・・・。
私も10ウン年前そうだったのかしら??。。。

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チェコ在住の友達夫婦が2・5週間の
里帰りの後 日曜に帰国。サビシー。
てなわけで、帰国直前の土曜に
他のチェコ日カップルも一緒に中目黒でランチ。

旦那はチェコ語と英語。
さすがにチェコ語は無理なので、
久々フツーに英語を使う時間を過ごして、
自分の英語力の減退に衝撃。。。
もっと勉強せねばな。

友達夫婦は出会って約5年、結婚して3年位だと思うけど、
今回2人揃って会ったのは2年ぶりで、前よりもグッと
夫婦らしい印象を受けた。
これが「円熟味を増す」ってヤツなのかしら?

国際結婚は、私が想像するより何倍もの
大変な事があると思うけど、結局夫婦で
協力して壁を乗り越えていかなければならないのは
日本人同士が結婚しても同じ事だから、
年齢とか人種とかではなく、彼女は
「そういう人に会えた」わけで、それはやはり羨ましいー。

先週の「芝浜」じゃないけど、
このところ、結婚願望が薄めの私の周りで
「夫婦っていいな・・・」と思わせる現象が増加中。

なんだ? ウチの両親の刺客か?(笑)


・・・てゆーか、中目黒で飲んだ珈琲が
久々に美味だった。
美味しいコーヒーって実は案外出会わないのでウレシス。


また会おうぜ!Gちゃん。 日本か、ヨーロッか。
場所はどこにせよ(笑)。


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その日の晩は、友達が誘ってくれた
お芝居に行ってまいりやした。

『チャイニーズスープ』


 東西ドイツが統一され職を失った年配のスパイ2人が、
 それぞれの「あの頃」と「今」を語りながら、
 社会の変容と、生きる意味、のようなものを見つけていく2人芝居。

正直、舞台上の2人の会話のみで展開するお芝居だから
決して「笑い満載」「ハラハラドキドキ」
「飽きさせない展開」という訳でもなく、
なかなか解釈の難しい話だったんだけど、
たぶん「ゴドーを待ちながら」という有名なお芝居に
近いメッセージ性があるのかなと思いました。

舞台は、とあるレストランのような設定で、
芝居のタイトルにもなっている「チャイニーズスープ」は、
舞台上の二人が注文したメニュー。
いつまでたってもやってこないスープを待ちながら、
二人は思い出話をつづります。

元はと言えば、東西に分かれて敵同士だった二人。
だましだまされの、緊張感のある毎日。

それが今は、互いの年金を気にしてタメ息ついたりするわけだ。

国は平和になり、東西の人々が手を携えて生きていけるようになったけれど、
じゃあそれで、なにもかもが「ハッピーになった」かというと、
それもチト違う。そんなに世の中は単純じゃないよね。


・・・人間って、本当に様々な要素に翻弄されるんだなって思う。

何千年っていう単位はもちろん、
自分が生まれてから死ぬまでの、たかが100年弱の間ですら、
価値観はコロコロと変わる。

お金も絶対じゃない。
会社も絶対じゃない。
結婚も絶対じゃない。
国や社会も絶対じゃない。
まして恋愛なんて、絶対だと口にする事すら
ナンセンス。それくらい、脆く、危うい。


結局、強い人になるには、折れる事のない「自分」を持てるかどうか。
なんだよな。「誰か」や「何か」と比べず、対外的な出来事に
翻弄されず、ただ自分の考える「あるべき方向」を持ち続ける事。

頭で考えるのは簡単だけど  ね・・・(苦笑)。


解釈は人によって違うのだけど、
劇中で二人が待ち続ける「チャイニーズスープ」は、

 待っていても、決して向こうからはやってはこない
 “人は何故生きるか?”という質問の答え

のメタファーなのかもしれないね。

だとすると、「スープ」はきっと、永遠にやってこない。

だから私たちはせめて、ただ待つだけでなく、
「自らの手で、完成しないかもしれないスープを作り続け」
なくちゃいけいないんだ。



*ちなみに日曜は友人の元板前・S氏の協力のもと寿司パーティ。
どーよ!この握り。普段あんまりイイモン食べてないから
胃に染みますな。

金曜日, 11月 13, 2009

もう芝浜。

もはやライフワーク。

立川志の吉独演会@八重洲 Vol.18

やばいです。
これは、記念の次々回VOL20で
この会も終わってしまうんじゃないかという不安が。。

や、完全な思いこみかもしれませんが。
というのも今回の演目。

・子ほめ(前座;めんそーれ)
・疝気の虫
・芝浜

!!

まさかの「芝浜」ですよ。
二つ目で芝浜・・・・。
もう完全に真打秒読みの予感です。

真打になったら、もっと大きな会場になって、
チケット取るのも大変になって…。
今みたいに月1ペースでは観られないんだろうな~。
まして錦糸町みたいに、あんな間近では観られなくなっちゃうんだろーなー。

あー。嬉しいんだけどとっても複雑。これがファン心理。

。。。とマア、暴走気味の妄想は置いといて(笑)。

今回は、「枕と噺×2」というオーソドックスな進行に戻りました。
個人的にはこっちのがいいと思う。

「疝気の虫」は久々に高座で聞いた噺だけど、
今回はなんと言っても「芝浜」でしょ!
ネタおろし(=お客さんの前で初めて演じる事)だったのかな~。
少なくとも私は彼の芝浜は初めて。

「芝浜」は、落語の世界では大ネタ中の大ネタです。
人情噺なので笑い所が少ない。そして難しい。

でもその分、噺がハマるととても感動的で、
ちなみに去年は私は、さん喬の芝浜で
思わず泣いてしまいました。

もちろん何度も聞いた噺だし
よってストーリーもすべて分かってる。
でも泣いちゃうんだよ~。これがスゴイ噺家がスゴイ所以。

芝浜は演者だけでなく、観客側にもある程度の素養とか
経験値が求められる噺だと思っていて、実は20代の頃は
この噺をイイナと思ったことないんだよね。
大人になったんだな~。私も(笑)。

大晦日が出てくる噺なので、落語ファンは
この噺が高座にかかるようになると、
「ああ~………今年も終わりだなー」と季節を感じます。


今回の志の吉君の芝浜は、さすがにファンのひいき目で見ても
「よ!名人芸!」………とまでは言えない段階ですが(笑)、
でも、最後におかみさんが嘘を告白するシーンなんかは、
なかなかグッと来るものがありました。
女性の出る噺が上手だなー。やっぱ。

芝浜は、夫婦のあり方を見せる噺なので、
主役の夫婦をどんな性格にするかによって
噺家の演出が違うんだけど、私はどっちかっていうと、
改心する前の旦那が過剰なまでに傍若無人なほうが好き。

その点、志の吉君は本人がまっすぐな人っぽいから損だ(笑)。

でも本人も、そして観客も、まだまだこれからなのは
きっと分かっていて、だからこその「独演会」なんだと思う。


 「ダメかもしれない」「上手にできないかもしれない」
 「期待してくれてる人に悪いから」 などなど……

そんな気持ちで、いつまでたってもチャレンジしなければ
前へは進めないもんね。
まずはできる限りの準備はして、そして「やってみる」。
これってすごく大事。

・・・今回は落語を楽しんだだけじゃなくて、
そういう、ある意味生きるうえでの「気持ちの持ち方」
みたいなものも思い出させてもらえたような気がします。


私も前へ進まなくちゃ ね。

水曜日, 11月 11, 2009

私のミュージックヒストリー(後編)

どうも会社でいろんなドメインを
立ち上げていて(この不況下に!)、
「似たようなビジネスが社内でカニバって共倒れ」
みたいな状況になりつつある。

あ~ あ~ あ~・・・(失笑のタメ息)。

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そしてやっと後編なのでした。

***

■第三期:音楽熱再燃期(1998年~)

何がきっかけか分からないけど、23~4歳の頃、音楽熱が突如再燃。
このころ電気グルーブが変にポップっぽいのを止めて
すごいイイ感じになってて、それを聴き始めたのはなんとなく覚えてる。
でも、2000年代になって初めて買ったCDはプライマル
なんじゃないかと思うけど。

たぶん私は、20代前半の「突っ走って生きる時期」が終わって、
“「ひと皿いくら」の女の子”から脱皮したかったんだと思うのよね。
ボンヤリではあったけど、この「若い女の子として扱われる状態」
が終わったらどうなるかって事を、ちゃんと考えないとなー と思ってた。

この時期から20代終わりまでは、脱皮のひとつの方法論として
結婚に向かう女子もいたけど、そういうのは他力本願的幸せ探しだと
冷ややかな目で見てた気がする(今思えば、そういう生き方もあったと思うが(笑))。
私はそこで「自分と向き合う(内省)」という方向に向かったんだな。

その「自分を取り戻す」ひとつのきっかけが、
音楽熱再燃だったのではなかろーかと。

10代の頃の音楽の聴き方って、洋楽に関しては全部「回顧」で、
60~80年代のもう生きてないバンドも多かったけど、
再燃期は結構現役のアーティストを聴いてる。

ブランクがあったので、私が聴いてない間に
音楽スタイルが激変したU2とかRadioheadは、
浦島太郎状態で聴いてました。でも後半のが好きだな。どっちも。

この時期はどちらかというとテクノとかトランスとか
電子音ぽい音楽に傾いてたので(今もだけど)、
聴くのが現役アーティストにならざるを得ないっていうのもあったけど。
この頃のCDは、ケミカルとかオービタルとかビッグネームが多くて、
Aphex twinはちょっと別格で好きだった。もちろん今も超好き。
内向的な音だなーと思うけどね。アレ(笑)。

火が付くのに決定的だったのは、たぶん周りに音楽好きが何人かいたので、
音楽の話したり、フェスに行ったりする機会ができたから。


■第四期:成熟期(2005年~)

27、28歳位の小休止を経て、かなり音楽的思考が
幅広くなったのは、ホントこの4~5年。
NZに行ったのが大きな転機だったのは間違いない。

NZって地上派TVが3チャンネルしかなくて、
その中のひとつが、C4っていうMTVみたいな音楽PVばっか
流すチャンネルで。滞在時の前半はそればっか見てた。

だから2005年の英の音楽チャートは詳しいよ(笑)。
フランツとかコールドプレイにはエネルギーもらって、
それで好きになったようなトコあるもんな。
Jack johnsonの「Bad day」て曲のPVが超カワイクて、
それ見てちょっと泣いたなー。

ホームシックの自覚はなかったけど、
なんかNZでは、これまでの人生を振り返ることが
多かったので(それまではそんな余裕なかった)、
すごく感受性が強まってた時期なんだと思う。


音楽だけじゃなくて、芝居にしても映画にしても、
昔はサブカルっぽいのを「カッコツケ」で観てた側面があるので、
「分かって観てたか」と言われるとかなり怪しい。

でも、あのころ以降はかなり「認識して見てる」気がする。
素直に「おもしろそう!」と思ってるから、観るし、聴く。

嫌いな音楽を「ケ!あんな音楽」と過剰に攻撃せず、
あくまで周りは関係なく、自然に自分の好きなものをチョイスしてる感じ。
それを周りがどう思うかも、特に気にならない。
本質的には結構自意識過剰な人間だと思うのよ。あたし(笑)。

JAZZとかも腰をすえて聞き出したのはここ数年だし、
ヒップホップを除いて、ほぼなんでも聴く雑食系になりました。

今は昔に比べれば自由になるお金も多いし、
音楽情報もネットに溢れているから、

 情報を手にする⇒興味を持つ⇒買う

っていうスピードが速くなってて、
昔よりもCDが増えるスピードが格段に速くなった。
それはつまり、「金を使うようになった」という事で。

アマゾンで一気に枚数が増えたアーティストが
結構いるんだよね。私。Talking headsとか。

ネットって罪だー(苦笑)。


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・・・こうして振り返ると、結局音楽って、
「孤独」とか「屈折」とか「マイノリティー」とかって
キーワードが頭にある人の趣味のような気がするよ(笑)。

だから、自意識過剰で仲間はずれを極端に恐れる時代
(中~高校生)は、あまりそういう音楽好きな自分を前面に
出せていなかったんだと思う。私はね。

ほかの人はどうだか分からないけど。

まあ、肌にツヤがなくなるとか、
疲れがなかなか取れないとか、
年とともに肉体的には衰えていくわけなんですけれども(笑)、
大人になるっていうのは、ある種の「開放」もあるので
スバラしいなー と、こうして思い返すとシミジミ思う。


* 第二の青春の入口

月曜日, 11月 09, 2009

美しき女の闘い

社会的な体裁や、「ないよりはマシ」
という理由で、好きでもない人や物や場所と
一緒にいるのって、かなりの苦行だと思うんだけどな。。

それ、案外多いよね。世の中。

だから私はダメなのか? 人として何か欠けてるのかも?

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知り合いがテコンドーの試合に出たので、
後楽園ホールに観に行ってきました。

後楽園ホール・・・縁がないな~(笑)。
格闘技好きの間では聖地だよね。

格闘技は面白そうだなとは思うし、
ジムでボクササイズやコンバットくらいはやるけど、
観戦するほうに興味が向いた事はなかった。

テコンドーに限らず、格闘技のルールは
正直よく分からないんだけど、
素人でも間近で観ていれば(一番前の席だったので)、
「あ、あの人はちょっと疲れちゃったな」とか
「あ、あのパンチは相当ダメージあったな」とか
っていう程度は分かるので、なかなか見ごたえがあります。

蹴られた時の、あの「バズっ!」っていう鈍い音、
身内の人は観てるのイヤだろうな~とか思うんだよね。
イヤじゃないのかな。

テコンドーや空手には「型」という競技もあって、
対戦相手がいるのではなくて、その動きや技の美を
競う競技もあるんだけど、
こういうのって、たぶん知らなければ一生縁がないから
私も今回初めて観れて面白かった。

素人が見ても、綺麗な所作の人っていうのは、
美しいんだねー。


男性の格闘技好きは、「鍛え抜かれた肉体の美学」とか
「戦うという男の本能」がその本質にあるように思うんだけど、
女性の場合は、どうなんだろ・・・? 
今回観に行った友人は女性選手なので、
そんな事をシミジミ考えました。

ストレス解消 とかもあるんだろうけど、
後楽園ホールで試合するまでになる人は、
殴るだけじゃなくて、殴られる事も多々あるわけだし、
趣味気分でやってるだけじゃー無理だよね。

なんとなくなんだけど、女性で格闘技するタイプは、

「強くなりたい!」「私が一番!」という強烈なセルフイメージが
格闘技という方法でアウトプットしている人

と、

自分をとことんまで追い込む事で快感や満足感がある、
究極のストイックというか、要はM(笑)

な人と、大きく分けて2種類いるような気がする。

私はかなり後者寄りなので、やれば
きっと頑張ってしまうほうかも(笑)。
今回観に行ったMさんも、どっちかっつーと後者の気がするなー(笑)。

友人はなんと女子の部で優勝しまして(やったね!)、
私も気分よく家路に着く事ができました。


でも、優勝した事はもちろん素晴らしいのだけど、
個人的には、あのリングに立つまでに
何十、何百時間の練習をして、数え切れないほど
殴ったり殴られたりしている彼女の
たゆまない努力を想像して、そこにグっときました。

「純粋に“何か”に向かっている人」って、
言葉がいらないよね。

その所作だけでメッセージが伝わってくる。

・・・いつもだと疲れちゃうけど(笑)、
ある期間、「他のすべてを犠牲にして」
ひとつの事に向かっていくっていうのは、
必要な事なんだと思う。

大事なのは「他のすべてを犠牲にして」ってトコね。

2匹も3匹もウサギを追っかけられるほど、
もはや体力ないもの(笑)。

きっとひとりの人の中でも、
時代時代でテーマは変わると思うんだよね。
20代と40代では人生に求めるテーマも違うだろうし、
年齢以外でも、変化のきっかけはあると思う。


そういうテーマや、自分にピッタリのスピードを
その時時で見つけられたら、
その人はきっととっても幸せなんだよね。

木曜日, 11月 05, 2009

レベルアップした 気がする。

本日は2本立てで。
※あ、音楽ヒストリー後編は近日中よ!(苦笑)

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先週末は、友人の学生時代の友達が
やってるお芝居へ。

劇団「キンダースペース」
短編演劇アンソロジー六 芥川龍之介篇その二
「架空線の火花」羅生門・或阿呆の一生より

「キンダー」なんて言うから、子供向けの
お話かと思ったら全然違った(笑)。

基本は、芥川龍之介の原作に忠実で、
短編をオムニバス風につなげていく2時間くらいの舞台。

私はこの手の日本文学をベースにした
お芝居をあんまり観たことがないので、単純に楽しかった。
小さなハコだから役者さんの息遣いも間近だしね。

芥川の作品って「人間が生きるうえで犯してしまう罪」
とか、「必要悪」みたいなものに迫ったものが多いので、
いかんせん 暗い んだ。コレが(苦笑)。

まあそれも演劇のあるべき姿のひとつなのだけど。

お芝居とか音楽をやってる人って、
私は「ウマの合う人」になりやすいので、
その人とは初対面だったんだけど、
舞台明けに本人と飲んでみたら
やっぱり「友達」みたいだった(笑)。

・・・どんなに有名になろうが、どんなにお金持ちになろうが、
舞台出身の役者の原点は「コレ」なんだよね。

芝居をやっている人って、みんな「原点」というか「芯」の
ようなものを持っていて、言葉で説明するのは難しいんだけど、
やっぱりほかの人とは違うなって思う。


****

文化の日は、今年最後(であろう)2000m級登山。
山梨の「大菩薩嶺」日帰りです。

今年は随分登ったな~。やま。

登り始めの標高が比較的高い山なので、
4時間強の無理のない行程。充実の山行でした。

天気はバッチリだったものの3日は急激に冷え始めたので、
閑散としているだろうと思いきや、
富士山の眺めで有名な山だそうで
かなり登山客で賑わっていました。

前評判通り、富士山は完璧なたたずまい!

日本人で、「富士山に興味がない」って人
いるのかしらねー?
・・・っていうくらい、みんな富士山好きだよね。

もしかしたら、富士山て、
人が「こんな風になりたいなー」と思うエッセンスが
全部入ってるから、自分が清らかになった気になれるのかも。

堂々として、
それでいて奢らず、
シンメトリーの美しい所作と、
夏のおだやかさと、冬の厳しさを兼ね備え・・・

みたいなね。

人間もそうありたいじゃん?


ホラ。受験生の時に本屋さんの参考書売場に行くと、
なんか頭良くなった気がするじゃん。

なんも変わってないんだけど(笑)、
少なくともちょっと気分がよくなる。

あの感じに近いのかもしれないな と。


・・・って、例えがチンケすぎ?(苦笑)


* 帰りにほうとう食べた。
その店にあったひょうたんの飾り談議で、
清らかな富士山の思い出がブチ壊しに・・(笑)。