月曜日, 5月 31, 2010

穴ラバー

実家の近くに中国人学校があり、
その生徒さん達のサワヤカすぎる挨拶に、
ウチの父親の中国人に対する評価がうなぎのぼり。

単純なヒトだ。しかし単純って、実はシワワセ(笑)。

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ツーリングに行ってきた。

過去、このメンツで行くと
「雨でもなく、晴れでもなく・・・なーんともビミョウ」
という天気になるというジンクスがあるのだか、
今回もご多聞に漏れずドンヨリ天気。
しかも1ヶ月前の寒さというから、ここで中止にしても
よかったのだけど、先行で伊豆方面に入ってるヒトがいて、
「こっちは薄日が差して気持ちいいよー」という声に負けて、
朝からいそいそと出かけてまいりました。

このメンツでのツーリングは、
天気も曖昧なら企画そのものもやたら曖昧、
毎回、はっきりした目的はない。

でも、ご存知の通り(笑)私はそういうのが
嫌いではないので、ガチガチの行程より
わりと気楽に行けたりします。

※だいたい、先行で伊豆に入ったリーダーが、
 旅立つ木曜日に「じゃー、待ち合わせは11時に伊豆で!」
 という、あまりにもザックリすぎる無謀な場所指定の言葉を残して
 出かけてしまうという時点で、もう曖昧さ炸裂です。


今回は、「どこに行こうか」という話合いの段階で、何故か

「穴」

がキーワードになっており、基本「穴」中心に
攻めることに決まっていました。

穴ってねー 日本に本当にいっぱいあるんだよ。
それも、穴の成り立ちによって、噴火が原因だったり
海に侵食されたりと色々あって、その表情はかなり違う。

今回は、そんな「穴ラバー」達が愛してやまない、
富士山麓エリアを目的地としました。

待ち合わせを沼津にしたのに、ルートが悪く
海を見る事は一度もなく内陸に入ってしまい(ザ・無計画!)、
おやつタイム前には目的地直前のドライブイン着。

しかし、寒さと曇り空のせいか、ドライブインは
ヤル気のかけらすら感じられません。




「グルメソフト」という看板の「グルメ」の
部分だけを隠している意味も全然分かりません。


それでも! 富士山は裏切らないね!
私たちに素晴らしいお姿を見せてくれました。





・・・・という事はもちろんあり得なくて、
これは撮影スポットの写真。




晴天時には、この方向に写真のような
富士山が見えるらしいのですが、
まー「影も形もない」ってこういう事を言うのね。

でも、人間て不思議なもんで、
最初からダメだと分かってた事には
あまり落胆しないですよね。


この後、主目的だった「鳴沢氷穴」「富岳風穴」の、
「穴のハシゴ」を実行。

走ってる間、ずーっと「寒い寒い」を連発していたのに、
駐車場の入口で「本日の洞内温度・・・・0度」という看板を見て、
「ゼロ度だってー!」と、テンションを上げる私たち。アホか。

結論から言うとですね。
穴、いーっすよ。なんか妙に楽しい。
母体回帰の気分とでも言うんでしょうか。

鳴沢氷穴にいたっては、奥にヒトの入れない横穴があり、
そこは昔から「江ノ島に繋がってる」という伝説まであるらしい。

あり得ん!都市伝説!(笑)

しかし、今回の洞窟は、青木が原樹海のすぐ横にあるため、

「樹海で自殺しそうな人に、どうせ死ぬならこの穴で
 江ノ島までいけるか試して欲しい」
だの、
「でも、本当に江ノ島にいけたら、きっと生きる気力が沸いてくる」
だの、
「樹海がよく火サスで使われてた」だの、
「火サスのタイトルは何故あんなに長いのか」

・・・・だのと話しているうちに、あっという間に
穴を歩き終えてしまい、なんだか全然内部を
鑑賞できていないのでした。

でも、昔ここで氷を切り出して
江戸の殿様に献上しただとか、
そういうあまり役立たなそうなコネタは学んだ。


帰りは中央道で、案の定八王子の手前で
雨に降られたものの、基本的には楽しく走れました。


今回の件で、ちょっと穴に興味を持ち始めております。

登山家は自分達の事を「山屋」というけれど、
穴を愛する人たちにも「穴屋」という集団がいて、
世の中の様々な穴を渡り歩いているらしい。

「作業洞窟(石炭の掘り出し跡等)」
「観光洞窟(鑑賞できるよう整備されている)」
「廃洞(今は既に入る人もいない)」

・・・などなど、洞窟にも相当数のバリエーションがあり、
上級者になると、人ひとりがやっとという太さの縦穴を
何十メメートルも下って中を探検する人もいるらしい。

そして! 素晴らしい事に、「穴屋」の多くは、
同時にクライマーだったり、沢登りのスペシャリスト
だったりするようだ。

登山関連の趣味は無数のバリエーションがあるな。。
私もいつか、険しい竪穴に入りたいぞ!

木曜日, 5月 27, 2010

「自分と同じ人」が どこかにいる。

先日営業課の人に、ある書類が
どうしても間に合わないと言われ
特別に早く対応してあげたら、
「頼めばやってもらえる」と学習されて、
またもギリギリで頼まれた・・・・  くそっ。

そこで一句。

 “3度目は あると思うな イレギュラー”

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さて。映画。

ふたりのベロニカ
監督:クシシュトフ・キエシロフスキー

監督はポーランドの人ですが、
映画はフランスとの合作(1991年)です。

 同年同日に生まれた、フランスとポーランドの
 二人の「ベロニカ」。
 容姿・性格・才能までが酷似した二人のベロニカは、
 互いの存在を知らないで生きていますが、どこかで
 「もうひとりの自分」の存在を感じている。
 ある日、ポーランドのベロニカは、舞台上で死んでしまう。
 一方フランスのベロニカは、人形師の男に何故か惹かれ・・・


「自分に似た人は世界中に3人いて、
 その人に会うと死んでしまう」という
 ドッペルゲンガーの話があるけど、
 着想はその辺からなんではないかと。

事実、ポーランドのベロニカは
フランスのベロニカを目撃してしまって
(ただ相手側は気付いていない)、
その直後に突然死してしまうし。


二人の関係(互いは互いを知らないが、
その存在は、それぞれなんとなく感じている)とか、
そのあたりの神秘性は、フランスと言うか、
中央ヨーロッパ“らしさ”が溢れてます。

わりと極限まで説明を排除している映画なので、
難解といえば難解かなー。

でも、場面展開とか、音楽を効果的に使った
ベロニカの心の描写がとても美しいです。


恋愛とか人間関係において、
ヨーロッパは、日本人とあまりにも違うと
本当にいつも思います。

恋愛にも性にも奔放。
だけどすべてが自己責任。
彼らは自分の感情に対してとても正直。

・・・・「和を以って尊し成す」「以心伝心」という
日本の考え方は嫌いではないけれど、
結局、言いづらい事をオブラートに包んだり、
体裁だけを整えた言い方って、
後で人によって捉え方が違うと
TPOによってはそれが諍いのタネにもなるよね。


余談だけど・・・たとえば

「嫌いじゃない」とか、
「機会があれば」という言い方は、

日本ではよく使われるけど非常に曖昧で
言われた側は戸惑うことが多い。


私は、30代になってから思うところあって
できるだけこういう曖昧な表現を使わないように
意識しているけど、やってみて分かるのは、
そうすると、ダイレクトな表現をした事で傷付けた
相手にちゃんと謝るとか、自分のほうが間違っていた
という事に気付かされるとか、
ちゃんと「自分のケツを拭く」事を求められる機会が増えた。

本来の遠回りな言い方をしていれば、
本音を言えないフラストレーションがたまる代わりに、
人と衝突してイヤな思いをする事もないからね。


「自己主張」を、単なる「欧米的合理性」や
「自論の押し付け・我侭」として実行している人がわりといるけど、
本来「自己主張」というのは、

自分の発言と行動に責任を持ち、
場合によっては、素直に過ちを認めたり、
きちんと人に謝罪したりできる事

が前提なんだと思う。


「オイシイとこ取りの自己主張」
ではいけない事を、
ヨーロッパの映画は教えてくれます。

火曜日, 5月 25, 2010

YOUKOSO JAPAN

エライ雨だったね。
低い雲が垂れ込めて、上部がまったく見えない
スカイツリーは、まるでバベルの塔みたいでした。

私、あの建物がどうも苦手。
人間の奢りの象徴みたいな気がして・・・。

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箱根に行ってきました。

「あれ? 先週、金時山に登ってなかったっけ?」

と思ってくれたあなた、ブログ常連さんぷりに感謝です。

そうなんです。
諸事情ありまして、2週連続箱根に行ってました。
ナニやってんだって感じですな(笑)。

先週は登山が目的だったので
ほとんど街に入っていませんが、
今週は「箱根と言えばコレ」的な
ベッタベタな観光旅行で、

・ケーブルカー
・ロープウエー
・大涌谷
・芦ノ湖遊覧船
・食事と温泉
・湿生花園
・ポーラ美術館

と、文句なしの鉄板コース(笑)。

箱根に保養所がある関係上、箱根には何度も
足を運んでいますが、山登りが多いので
わりと観光スポットは知らなかったりします。

なので、こういう「お約束」的な旅は、
それはそれで楽しかったりするなー。

ポーラ美術館はなかなか良かった。
特別展では、杉山寧という日本画家をフューチャーしていて、
この作家の作品がわりと自分に合ったからかな。

この人の作品って、なんていうか・・・
絵に全然「感情」がないの。言い方が変かもだけど。

筆致はシュールレアっぽくて、
過剰な陰影で造形物を引き立たせているんだけど、
そこから喜怒哀楽をあえて排除していて、作品の解釈は、
あえて見る側に委ねられている感じ。また観たいなー。


しかし・・・。
1泊2日の旅行で、ナニがビックリしたって
外国人観光客の多さ!!

もー、「日本語ではないどこかの言葉」が
これでもか、これでもかと観光スポットに錯綜していて、
ここが日本であることすら忘れてしまいます。

私が子供の頃(20~30年前?)は、
外国人を目撃すること自体が珍しかったような
気がするんだけど、今じゃ場所によっては日本人と
同じだけ外国の人がいるんだもんね。

中国・韓国が圧倒的に多いのはまあ分かるとして、
東南アジア・中東系の人とか、ヨーロピアンもかなりいる。

こうやって、日本が中と外の両方から
どんどん柔軟に変わっていけばいい。

仕事関係の知り合いに、外国人向けのフリーペーパーの
広告営業をしている人がいるんだけど、
飲食店なんかでは、まだまだ「外国人に来てもらって
マナーを乱されたら困るから・・・」という理由で、
外国人招致に消極的な店もあるらしい。

今、客商売でそんな事を言ってちゃ、
全然ダメなんじゃないだろーか。

これまでは「グローバル」というと、
日本の外に飛び出していく というニュアンスが
強かったけど、これからは「グローバル」というのは
日本国内でどれだけ外国人と上手く共生していくか・・・
極端な話、自国民と外国人の垣根がまったくないくらいに
生きていけるかどうか という意味合いになってゆくのじゃ
ないかと思う。

大きな 大きなビジネスチャンスが ある気がする。

*遊覧船から写真を撮ったら、外国人ばかり写る。
 後姿のおにーさんも、どこぞのアジアな人です。

金曜日, 5月 21, 2010

手がプルプル。

なんだか急に夏気分だ~。
でも冷房きつくなって寒い・・

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クライミングジムに
行ってきました。

随分前に吉祥寺のジムで、いわゆる
「お試し」をやった事はあるのですが、
その時は今ほど登山に入れ込んでなかったし、
遠いこともあって通うには至りませんでした。

最近、家の近所(自転車で行けるような距離)に
ジムができた事を知ったので、
やまライフを充実させる一助になればと
お得なレディースデーを狙って(主婦!)
行ってまいりました。

実はひとくちに「クライミング」と言っても色々で、
道具を多用するものや、ロープを使うものまで様々
なんですが、ジムで主力になっているのは「ボルダリング」
と呼ばれる、カラフルな石がついた人工壁をよじ登るもの。

ロープもハーケンも不要、
道具は実質チョークとシューズだけという気軽さが魅力です。

基本的なルール(レベルごとに同じ色のテープのところを登る)は
どこのジムも同じですが、実質初めてのようなもんなので、
スタッフの方に簡単なレクチャーを受けて、さっそく開始。

この日は割引デーだった事もあってとても混んでいたので、
ヘタくそとしては背中越しに見られて恥ずかしい限りなのですが(笑)、
そんな事を言ってると練習にならないので、ガンガン登ります。


結論から言うと、

 見た目と実際にやった時とで、
 こんなに印象の違うスポーツも珍しい

というのが、個人的な感想。

上手な人を見ていると、まるで手が岩に
吸い付いているようにスイスイと登るので
ものすごく簡単に見えるんだけど、
実際にその岩に手をかけてみると、つかみどころのない
ツルツルの岩だったりして、「なんでこの岩がつかめるんだ?」と
ビックリしてしまいます。

結局3時間近くジムにいたけど、
登ったのは、失敗も含めて正味10本ちょっと。

混んでたので待ち時間が長かったのもあるけど、
何よりそんなに何度も連続で登れない。
それくらい、一度の登坂で一気に筋肉が疲労する。


ボルダリングは、高く登る事が目的なのではなく、
あくまで難易度の高いコースを制覇する事が目的だし、
身体の確保なしでするスポーツなので
壁の高さはせいぜい5~6m。

だから、正直見た目はジミ(笑)。

レディースデーって事もあって
女性のグループが結構いたんだけど、
「そういうスポーツかなー?」て思っちゃった。

女子がワイワイと、かしましくやるというより、
わりと一人ストイックかつ地味に、黙々と練習するほうが
イメージには合ってる。精神論では、マラソン的な
要素が多分にあるんじゃないかと。


負けず嫌い・・というか、Mッケがあって、「自分に負けたくない」
みたいな感覚がある人には、なかなか魅力的なスポーツだ(笑)。

ジムではロープクライミングもできるので
そっちも興味あるんだけど、
「○○登り」のすべての原点はボルダリングにある気がするので、
家も近い事だし、しばらく定期的に通ってみようと思う。


ちなみに筋肉痛は半端ないです。

痛さはさほどでもないけど、
翌朝はヨーグルトのスプーンすら持てず、
コップを持ち上げるとプルプルして危ないので、
机に置いたコップに口を付ける「犬食い」で朝食食べました。

できれば休み前にやるのが望ましいのでは(笑)。


クライミングジムは一般にシャワールームはないのですが、
まー私のウチにかなり近いので、
ジムにお越しの際にはお気軽にお立ち寄りを。

シャワーとお食事を格安でご提供しますわよ(笑)。

RockLands
 江戸川区東葛西(東西線:「葛西」駅より徒歩)

水曜日, 5月 19, 2010

ヌーーーーヴェルヴァーグ

こないだ飲みに行った店は、
グルメな知り合いのチョイスなんだが、
予約の際に「ウチは酒屋母体の店なので、
来られる方全員がワイン飲めないと予約は受け付けない」
と、言われたんだそうです。

なんつー強気なっ!

・・・いいよ。いーんだけど。全員飲むから。でも ねー。

でも、すごい美味しかったので
まー文句は特にないです(笑)。

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基本、チェコ映画はなるたけ観るのです。
で、これ。

ひなぎく - Sedmikrasky -
監督 ヴェラ・ヒティロヴァ


1966年公開の、チェコスロヴァキア時代のチェコ映画です。
「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」
(なんてのがあったのね。フランスだけかと)の代表作だって。


・・・「ヌーヴェルヴァーグ」って聞けばお分かりかと思いますが、
全然分かりません(笑)。

基本、観念的な映画なので、
筋を追いかけようとして観る映画ではないことは確かです。

でも、ゴダールに比べるとひねくれてない気がするし、
何よりオンナノコはわりとこういうのが好きな人がいる。
私もそうだけど。

ギャルでもコンサバでもストリートでも森ガールでもゴスでもなくて、
キッチュでラヴリーでクールな感じ。・・・お分かり?

個人的には、ゴダールよりは「観ている人に歩み寄ろう」という感じがした。
「アメリ」を、ものすごーく分かりずらくしたバージョンとでも言おうか(笑)。


イェツィンカとヤルミラのふたりの姉妹が繰り広げるいたずら、
そして、おかしくも退廃的な世界観。

二人の姉妹の行動はいつも突然で、とても奇異なんだけど、
レストランのシーンなんかではそれに眉を潜める
「一般の常識人」がたくさん出てくるので、
そこが現実の世界(=なんでもありのフィクションではない)である事が分かる。


でも・・・なぜだろう?

周りの人に眉を潜められる二人の姉妹のほうが、その一般人たちより
「生きてる!」って感じがするし、なんか正しい感じがするんだ。

それは単に「好き勝手やってる」っていうんじゃなくて、
自分の心の中身を、すべて明け透けに人にさらけ出してしまってるから。
だから、単なる「エゴ」ではなくて、同時にすごく「危うい感じ」も
あるんだと思う。 


・・・しかし、60年代の共産主義下のチェコスロヴァキアで、
こんな映画が作れたって事自体が奇跡だ。

まー 案の定監督は、当時この作品を発禁にされて、
しばらく表舞台から姿を消していたらしいのだけど(苦笑)。


60年代の欧米で作られた芸術は、本・映画・音楽、
どれをとっても良質で、今でも十分通用するものが多い。
社会が混乱している時っていうのは不幸だけど、
アートにとっては決して悪い事ばかりじゃないよね。

よく、欧米の芸術はキリスト教を知らずして
理解できないっていう話があるけど、それは当然って気がする。

だって、誤解を承知で言えば
「アート=宗教」といっても過言ではないでしょ。

アートも、宗教も、結局は人が

 「救いと答えを求める場所」

なんだと思うよ。私は。

・・・と、30ウン年間、たくさんの
映画や本、芝居や絵画に触れた私は、
そういう事を、最近ようやく実感として思うのでした。


アートの理解は一日にしてならず。
漆塗りのように何度も何度も塗り重ねて、
ようやく、「自分なりの解釈」が見えるのがアートなんだね。


今度は一体、どんな作品との
出会いがあるのかしらー。

月曜日, 5月 17, 2010

「私」以外は、「私じゃない人」。

ジュースをこぼした友達(29歳)に、
「わーっ ちり紙ちり紙!」と言ったら、
「ちり紙って・・・。お母さんじゃないんだから(笑)」 といわれた。

ガーン。
ヤング達は「ちり紙」て言わないの?

ベストは「チョッキ」だし、生地は「コールテン」でしょ。
パフスリーブ ってなんだよ。アレは提灯袖って言うんだいっ!

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まず、「山の前日に飲んではいけない」という前提が
あるわけなのだが、悲しいかな、週末休みの
サラリーマンではそう簡単に調整もできず
そういう事もあるのです(言い訳)。


****
というわけで、土曜日はご主人がフランス人の
友達のお誘いを受けて、お誕生会(メインは別の女性の
誕生会だったらしいが(笑))に行ってまいりました。

日本って、この10年で本当に外国人が
増えたよなーと、ああいう景色を見ていると思う。

素晴らしいよね。
そうやって外の価値観を受け入れていく事で、
柔軟な心が培われていくのだと思う。

主役も外国人なので、集まるお友達も外国人が多い。
奥さんが日本人という人も多いが、そういう会に
来るような奥さんはとても社交上手だ。見習いたい。

ああいうタイプのパーティ(=一応開始時間はあるものの、緩やかに始まり
緩やかに終わる。繋がりが不明な人もたくさん来るので、改まった乾杯や挨拶はなく、
もちろん三本締めはしない(笑))は、日本人がなかなか自然に振舞えないものなので、
こういう会があると練習になってよいかもしれない。

というより、私はこういうパーティは、
むしろ郊外に住む人のほうがスムーズに
受け入れられるんじゃないかと思っている。

郊外の人は住環境もいいので、
好きな人は自宅でしょっちゅうバーベキューやパーティを
やるけれど、あれはとても外国的だ。
私も家に庭があったら絶対やりたいもん。

私はNZに住み始めた時、着いた翌日に
ホームステイ先のマザーに、車で2時間の
姪っ子のホームパーティ(向こうでは、21歳の誕生日を
盛大に祝う風習がある)に連れていかれ、今以上に英語が
まったくダメだった私は、ある種いきなりの外国の洗礼を浴びた。

こういう経験は本当に貴重だ。

ただ・・・私は、最近はああいう場面に出くわすと、
自分の英語力が、もはやどーしようもない状態に
なっている事を突きつけられるので、実はちょっとヘコむ(笑)。

それに、私は初対面の人に会う事が好きなので
わりと心臓に毛が生えてる系だと思われるが、
そんな事はないのよ。

私なりに緊張するから、座を保つために
逆に余計なことを話してしまったりして、
それで後でいたく反省することなんてしょっちゅう。。

もう大人なんだから、
そういう失敗はもう辞めにしたい(苦笑)。

*結婚式以外ではめったにみかけない
 シャンパンタワー。絢爛。








*****

そんなわけで飲酒してしまったため、
下北沢の先輩の家に泊めてもらい睡眠時間を稼いで
(先輩、マジお世話になりました!)
日曜日は、やまへ行ってまいりました。

今回は、箱根・金時山です。

♪ マーサカリ かーついだ~

でおなじみ、金太郎伝説のある山ですね。


会社の保養所があのあたりにあるので、
ここ数年でずいぶんと箱根は詳しくなりました。

でも、金時山は実はまだ2回目。

山頂までのラスト20分位はわりとハードなところもあるけど、
基本的には「箱根の高尾山」と言ってもいいほど、登りやすい
やまなので、天気さえよければ鼻歌気分で登れます。

今回は天気はよかったものの、
ガスがかかっていて、雄大な富士の姿は拝めず。・・・残念!

山頂に到着すると、本当に「高尾山かっ!」と思うような人手!
前に来たとき、こんなんだったかなー・・・?

登山ブームを実感しますね。

金時娘(有名らしい)には会えませんでしたが、
山頂の茶屋で昼食を取った際、そこのおじさんが
ともかく陽気な人で、店中のお客さんをいじりながら
笑いをとっていくので、
そのオジサンの芸(?)を見れただけで満足です。

個人的には、おじさんが容姿も芸風もちょっとヨネスケ風だったので、
それに気付いて、ひとり心でウケていた(笑)。

帰りは、お約束の温泉&ビールコース。
やっぱ山はコレっすよ。


・・・今回は初めましての方と登ったのだけど、
登山という共通の目的があるので、
そういう意味ではとても話が早い。


蛇足だけど、先日の講演会に影響を受けて、
いま「フィンランドメソッド」の本を読んでるんだけど、
フィンランドでは学校に「部活動」というものがなく、
基本学生は、地域のスポーツ部や文化部に所属するのだという。

学校でもそれは「勉学の一貫」とされているけれど、
実際は地域が運営していて、その団体には男女・年齢・職業問わず、
様々な人が所属しているので、若者は早くからそういう雑多な社会に
なじんでいく術を身につけていくのだという。

とてもいい事だなーと思う。
日本もやればいいのに。


今週末は、結果として初対面の人と
話す機会が多かったわけだけど、
「人から知ること」「人から教わること」はとても多い。

それは、単に「人が何か貴重な事を教えてくれる」ってだけじゃなくて、
初めての人と話しているうちに、その人に自分を照らして、
自分の良い部分や悪い癖に気付かされることも多いから。

・・・なんか、コミュニケーション論的な話が続いたな。


ま、そんなコ難しい事を考えて人と話すわけではないけど、
そういう事を「大切だ」と思える精神だけは失いたくないな。


*山のお昼は、茶屋の名物 「まさカリー」。
 ダジャレかよ と(笑)。

金曜日, 5月 14, 2010

まず、「人は違う」事を知る。

こないだ久々にJAZZの生演奏を聴いた。
詰めれば40人は入るバーに、私たち入れて計3人。
一方バンドメンバーは5人。

もちろんちゃんとしたプロで、上手な人でした。
ある意味すごい贅沢な時間だったんだけど、
なんだろう・・・この例えようのない居心地の悪さは(笑)。
混むのもイヤだけど、すき過ぎるのも悲しいわね。

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前にココでもお知らせした
講演会に出かけてきました。

サンタカフェ
http://www.office-santa.co.jp/cafe/index.html


元々は、「演劇ワークショップ」という
演劇を通じてコミュニケーション能力を培っていこうという
企業向けプログラムの販促イベント的な講演会なんだけど、
トークセッションに登場した、劇作家の平田オリザさんのお話が
とにもかくにも面白かった!!

今回、明確なテーマは決まってなかったみたいなんだけど、
やはり「演劇とコミュニケーション」というのが軸です。


ノッケから、学生時代平田さんが韓国に留学してた話で、
いっきに「おおー」と興味津々。

私、以前ココに「女房に逃げられた」みたいな、「メイワクの受身」
という表現が、日本人の主体性のなさを現してると考える言語学がいる・・・
って話を書いたんだけど、文法の似ている韓国語でもそれは同じらしいのね。

韓国語も日本語同様、主語がハッキリしない言語だし、
受身の表現にも独特なものがある。

でも、韓国の言語学者は「我々も似たような文法の言語を使っているが、
日本人のように主義主張をハッキリ言わない文化ではない。一緒にするな!」
と、日本の言語学者に噛み付いてる人がたくさんいるんだって。

・・・そっかー。確かに、コリアンってアツイもんね。

だとしたら、今の日本人の主体性のなさは
どこから来ているのかしら・・?


ほかにも、平田さんご自身がたくさんの小学校を回った中で、
コミュニケーションの授業を子供達が面白いように吸収していく様子とか、
観光事業が成功している北海道・富良野のお隣、厚別の悲惨な観光業事情とか、
重度の自閉症の方のコミュニケーション法とか(=自閉症の方は、その病が原因で
“他人の気持ちを理解できない”人が多いので、人付き合いがとても難しい)・・・・・

とにかく具体例をたくさん交えながら、


 「人と人が交わるという事は、一体どういうことなのか」

という事を、すごく分かりやすく話されていました。

本当に「話の上手い人」と言うのは、コ難しい事を難しく話したり、
思いついたままを話したりするのではなくて、
自分の中で、きっちり物語ができてる人なんだなー 
というのが改めて分かります。


「会話(対話)」上手な人ってたくさんいるけど、
そういう人って無意識に会得した能力だったりするから、
人に説明したり、教えたりするようにプログラム化するのって
かなり難しいと思うんだよね。

そういう意味で、平田さんのように、それをしっかり言語化し
人に伝える手法を持っているっていうのは、すごい「強い」と思う。


講演の終盤、昨今話題の「フィンランドメソッド」の話の中で
平田さんがおっしゃっていた

 これからは、インプットはみんなバラバラでいいと思う。
 でも「アウトプットはひとつに束ねる」という事がとても重要だね。
 つまり、「まとめる能力」がある人というのが、大きな力を発揮するんです。

という話が、とても印象的でした。

・・・確かに日本の文化は、国語のテストで
「この作家の考えを40字以内でまとめなさい」
的な問題が出ることに象徴されるように、
考えを画一化する教育をしすぎていたんだと思うんだよね。

逆に仕事・社会では、実際にお金や作品を生み出す人が重用され、
「束ねて、まとめて、整理する」というディレクション的な仕事をする人が
軽視されすぎてきたきらいがある。


 「それでも僕ら(平田さんはたぶん50代)の世代は、
  友達や周りの大人との関係性の中で人と対話する術や、
  社会での自分の立ち位置を学んで行く事ができたけど、
  日常生活でそれが学べない今の子供がこのままいくと、
  世界の中では日本は絶対に生き残っていけないよね」

という平田さんの言葉に、ふか~~ぁく
うなずいてしまいました。


ITが普及し、合理化万歳の現在の風潮の中で、
実は大変面倒で手間のかかる「人と人との生の繋がり」に、
真摯に向き合っている人って、いったいどれくらいいるんだろ?

「必要な手間」と、「いらない手間」との見極めが
しっかりできる人でありたい・・・ と、思います。


*「他人と自分は違うんだ」という前提に立つ事が
 コミュニケーションのスタートライン。
 言うのは簡単だけど、本当に分かっている人が
 果たしてどれだけいるのか・・・。

水曜日, 5月 12, 2010

身体は嘘をつかない

谷亮子、出馬ってなんなのさ。
嫌い度アップ。

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なんか今週は忙しいな。

だからというわけではないですが、
ほぼ月イチで通ってる、川崎の仁鍼堂にいった。

最近は、鍼独特の“響き”(痛いような、神経が無意識に
動いちゃうような感覚)にも慣れてきて、そういう感覚がないと
逆に「なんか効いてない・・・」と、思ってしまいます。

私の場合、立てないほどの腰痛とか
吐き気がするほどの肩こりとか、
そういうものを抱えて治療に行った事がないんだけど
(個人的には、そういう症状が出たらもう遅いと思っている)、
今回、たまたま治療の数日前から暴飲暴食が続き、胃か疲れていた。

でも、原因が飲酒だと分かっていたし、
そういう意味では自業自得なので問診の時に特に何も言わずにいたら、
ベロ見て「あれ、胃が弱ってるね?」だって。

・・・バレバレじゃーないっすか(苦笑)。


治療前には「舌診」と呼ばれるベロを見て
その時の体調を見る診断があるんだけど、
最初、それまでベロなんてまじまじと眺めた事がなかったから、
そんな事で体調が分かっちゃうなんてすごい不思議でした。

今回は、治療しているその時に「体調悪いなー」と
感じていたので、リアルタイムに「お、良くなった!」
という感じを実感できました。

マッサージとかと違って、治療直後に
「あ~、気持ちよかった!」みたいなスッキリ感が
あまりないのが鍼治療(と私は思ってた)なので、これまで物足りなさを
感じる事もあったんだけど、実際に体調が悪い状態で行くと、
わりと実感できるんだなーって思った。

だからって、「体調悪くなりたい」わけではないのだが(笑)。


・・・・「健康」って、「なくなって初めてありがたみが分かるもの」の
最たるものなんじゃないかって最近よく思う。

私はいわゆる「健康オタク」ではないので
健康食品とかに詳しいわけでもないけど、
本当は、できるだけお日様のサイクルに合わせて生活し、
バランスのよい食事と、運動、睡眠をとることが、
結局心にも身体にも一番よい事だし、
自分もなんかイイ気分でいられる って事なんだと実感する。
年とともに(笑)。


今後も、夜遊びや美味しい物を無理して我慢はしないけど、
そうやってできるだけ“自然のサイクルと同化”する事で、
「心身のグラフ」のようなものが乱高下しないように
していきたいなー と思います。

規則正しい生活と鍼で医者要らず。(あ、鍼もお医者か)


* 人生、「晴耕雨読」といきたい
 もんですがねー。

金曜日, 5月 07, 2010

都民ですから。

今年もあと2/3ですな。
うひゃー。

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こんなに天気のよい日が続いた
GWも珍しいんではないかと。

毎日バラバラの用事があって
わりと外出してたんだけど、それは室内モノが多かったので、
なんといってもこの「お天気」の恩恵に預かったのは
雲取山への山行です!

雲取山は、いわずと知れた(でもナイ?)、
東京都の最高峰(2017m)。

富士山にも百名山にも興味がないわたくしですが、
実は全国の各都道府県の最高峰っていうのには登ってみたい。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~happy-sanpo/shiryou/kenhighyama.index.htm

千葉県サイコー。
あえて、最低峰コンプリートなんてのもいいな。天邪鬼なもんで。


今回は、アルプスなどの3,000峰の
前哨戦的な位置付けでテント泊をしてきました。


行きの道中では、さすが好天のGW、
150%登山スタイルに身を包んだ人たちがテンコ盛り。

鴨沢バス停からの初日の登りは5時間強。
頂上までの登山道は、正直ビックリするほど整地されていて、
2000オーバーの山ですが個人的には難易度はさほど高くないと
感じました。さすが人気の山。さすが百名山。

テント泊で荷物が(たぶん)今までで一番重かったので、
まーアレくらいの感じのほうが助かったけれども。


一応「東京都最高峰」として有名な山なんですが、
県境の山なので、頂上には「東京都」「山梨県」「埼玉県」の
3つの山頂標識があって、各エリアの自己主張っぷりを感じました。







ちなみに東京の標識が一番ボロかった。
石原さぁーん、オリンピックとか呼んでる場合じゃないから。
まず標識直してよ。

山の夜は早いので、ビールと焼酎で小宴会しつつ、20時には就寝。
年をとってからのほうが、わりとどこでも寝られるようになった。ナゼ?


翌日は、寝たらわりと復活したので
予定を変更して奥多摩駅までの縦走コース、8時間超え!

途中平坦で退屈な道もあるんだけど、
キツイ登りの後には、ちゃんと絶景という“ご褒美”があったりして、
腕試しにはピッタリ。

最後の最後でアスファルトの林道が
20分位あって、それがさすがにキツかったんだけど、
ものすごい達成感がありました。

帰りは、大混雑必至の奥多摩周辺を避けて、
拝島まで戻ってひとっ風呂。ビールが半端なく進みました。



・・・・と、こうやって書いてしまうとアっという間だけど、
休憩も入れて正味13~14時間歩き続けてるわけだからね。

途中、

 「・・・わたし、なんのために歩いてるんだ?」

とか思わないわけがないんですよ。ジッサイ。

でも、それが「私にとっての山登りの醍醐味」
なんじゃないかと最近は思い始めてる。

自分でも、数年前まで週末の夜に昼夜逆転で遊んでた人と
同じ人間とは思えないんだけど、あの時もたぶん自分の中に
「なんでこんな眠くて死にそうになってまで遊んでんだ?」
とか思ってる部分があって、要は、そういう“Mっ気”のある
遊びが好きなんだと思うんだよね(笑)。


今年は、いろんな山に登れそうな予感。

お天道様を味方に付けられるといいな~。