月曜日, 9月 28, 2009

身体に悪いけど、いい。

久しぶりに服と靴のショッピング。
ディスプレーの服は、完全に秋冬モード。
なんつーか、店全体がモコモコしているな。

もう今年も終わりジャン!!

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夏から毎週のように外モノ健康イベントが続いたと思ったら、
この週末は飲みに行ってばかり。
まーダメじゃないんだけど、
なんかバランスが極端・・。

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土曜は吉祥寺にある、ライブハウスというか
飲み屋に行ってきました。

ここは吉祥寺の店でもかなりの老舗なんだけど、
10月いっぱいで店を閉めるそうで、
一緒に行った人はここの常連でもあり
ここでライブをやるバンドマンでもあるので
閉店まで足繁く通うんだとか。

私は、そこへはライブを観に数回行っただけだけど、
味があって独特の雰囲気のあるお店です。
吉祥寺には、そういう「オシャレじゃないけど、昔は
論戦好きな若者が集まったんだろうな」的な店が今も結構あって、
私は、それが渋谷や青山といったほかの街と違う
この街の魅力になってると思う。

店には閉店を惜しむ人が
ほかにもたくさん通ってきているらしく、
一緒に行った人の音楽仲間もたくさん来ていた。
みんな気さくで素敵な人ばかりだー。

ある意味、そういう店にピッタリの

「いかにして自分の気持ちに嘘をつかずに生きるか」

という話題で盛り上がる。

深そうで、そうでもない。それが酒席の話(笑)。


で。
日曜は、山登り繋がりの知り合いの
お誘いを受け、何故か十条の飲み屋へ。

私はその時「初めまして」の人が何人もいたんだけど、
来ている人がいちいち多彩なキャラで、
話を聞いてると全然飽きない。
ああいう会は本当に面白いね。

 会った事がない男女が集って
 飲み屋で大騒ぎ

って図式は、文字だけだと合コンみたいなんだけど(笑)
あの頃と劇的に違うのは、もうみんな大人で、
来ている人たちそれぞれがそれぞれの「世界観」を
ちゃんと持っているので、話の内容がとても“厚い”。


・・・吉祥寺でもそう思ったんだけど、
年を取ると、「みんなと一緒じゃない事を恐れない」人が
どんどん増えるので、飲んでても実りのある話を聞ける
機会が格段に増える。
もちろん「相変わらず」な人もいるだろうけども(苦笑)。


自分で言うのもナンだけど、20代の頃は
かなり合コン的なところに参加してたほうだと思うけど、
未だに話を覚えてる・・というか、「この人すごいなー」とか
思った記憶が全然残ってない。

マ、それはお互い様だと思うけどね(笑)。

なんか若い頃って、そんなに違いが出るほど
人間に円熟味がないからさー。
(だから、若いうちから“特別な人”っていうのは
 ある種のもどかしさがあって、そんで突っ張ってみたり
 するんじゃないかと。イチローとか、ヒデとか。石川遼は違うけど)


酒席(の話)は、身体にはよろしくないですが、心にはイイ。
そんな週末。


*そーいや「みずの実」という
 粘り気のある山菜を初めて食べた。秋田のものらしい。 
 これは美味しい! お酒に合うね。

木曜日, 9月 24, 2009

パーマンのコピーロボット

ニンテンドーDSのドラクエにある
「すれ違い機能」をやってみたい。

ドラクエは特にやりたくないけど。

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休みが明けて会社に来てみるともう木曜日。
明日働いたらまた休み。アラ嬉しい。

そんな訳で、いい連休でしたか?

私はまた山に行ってきました。
東北の蔵王・月山に登る1泊2日の山行。

20代の頃、スキーに夢中になっていた時期があるんだけど、
その頃出かけた多くの山が、現在ことごとく登山対象の山になっております。
スキーも登山も同じ「山」のスポーツだから当然と言えば当然だけど、
まるで違う山みたいで、なんだかすごく不思議な気分。

「元彼に10年ぶりにバッタリ街で出会ったら激変してた」、的な(笑)。

夏にフジロックで苗場に行った時もよく思う。
私にとっては、山は「雪がある」ほうがなじみがあるからね。


私は土日に用事があったので、
後から新幹線で山形に向かって、土曜日から先行で登っているチームと
合流したんだけど、行きでいきなりのハプニング。


新幹線乗り間違えちゃってさー 凹。


・・・というより、福島から前後の車両が分かれて
行き先を変える電車に乗ったことを知らず、ipodを付けたまま爆睡。
気が付いたら、「次は~ 終点、仙台~」のアナウンス。

「ん?? かみのやま温泉に行くのに、なんで終点なんだ!??」
と、思った時には既に遅し。。。。
結局、手に汗握る乗り換え術の末、なんとか1時間強遅れで合流。

しかし・・・新幹線が途中で別れるなんて、反則だと思うのよっ!
西側に行く新幹線にはそんなのないしさー。。(ブツブツ

社会人ルーキーの時に出張で新大阪に行く時、
間違えて「こだま」に乗ってしまった時以来のJRトラップ。

電車って怖いわ~・・・。快適だけど。

で。

肝心の登山のほうはというと・・・
初日(蔵王)。天気バッチリ。ロープウェイでかなり高度をかせぐし、
行程も3時間程度なので、
体力の消耗もほとんどなくのんびりお散歩気分。

2日目(月山)。登り始め1時間は晴天で、息をのむほど綺麗な紅葉を
満喫するも、その後天気が急変。頂上に着くころには
横なぐりの雨が降り、「アララ~」という感じで下山。

でも、東北の山はもうかなり寒かったので、
下山後に食べた「いも煮」が、個人的には超ー胃に染みて美味かったっす。


・・・よく言われることですが、「山登りは人生に似ている」。
山に登るたびに私もその言葉を実感します。

天気が激変したり、寒かったりと試練を与えられるけど、
努力して立ち向かえばちゃんと乗り越えられるし、
思いがけないごほうび(雄大な景色とか)もある。

登山では誰も助けてはくれないけど、
それは「孤独」というのとはちょっと違う。

何より、「頂上のない山はない」という事に非常に勇気付けられます。
でも山は登りきっても、今度は下りも自力で降りなくちゃならないので、
頂上がゴールか?というと、そういう事でもない。

・・・結局「(人生の)ゴールってなんだろ?」という問いに、
登山は「そんなの死ぬまでありません!」、という非常に明快な(笑)
答えを出してくれているような気がします。


人間は、「いま生きている人生」しか経験する事は
できないわけだけれど、多くの人はきっと
「○年前のあの時、もし逆の選択をしていたら
 自分は今、どうなっていたんだろう?」という記憶を持っていると思う。

そういう経験がない人だって、
「もし自分が○○だったら」という想像はすると思う。

でも人生に「If」はない。

だから、ありえない「もうひとつの自分の人生」を、
山に登る事で体験しているのかも。

なんていうか・・・・・

そう。

パーマンのコピーロボット みたいな(笑)。


【今回学んだ事】

・9月の山は0度近くまで下がる。くれぐれも防寒着を忘れずに。
・でも帰りのSAで、半袖の人の隣でフリースとか着てると変人と思われるので注意。
・靴下の替えは多めに持って行く事。
・田舎の大衆浴場は、洗髪代が別のシステムだ。でも常連のオバチャンは優しい。
・郊外の焼肉屋探しは難しい。
・北のほうに行く新幹線は途中で分離する。


*この携帯で写真を撮るたびに、
 買い換えようと思うわけなんですよ。
 もう・・・・何撮ってるかわかんない!!(逆ギレ)

木曜日, 9月 17, 2009

グローカル

スタジオボイス休刊。
ダカーポ、エスクァイア、広告批評・・・・
好きな雑誌が次々なくなります。ショック・・・。

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「声明(しょうみょう)」を観てきました。

知ってる? ・・・私は知らなかったんだよね。

wikipediaによると、こういう事らしい。

まーなんだな。簡単に言えば「宗教ミュージック」ですな。

・・・考えてみれば不思議ではない。

キリスト教にはゴスペルがあるし、
ヒンズー教にもガムランみたいなお経があるよね。

仏教だけが、そういうメロディーラインのあるお経が
ナイわけないんだよね。

でも・・・・なんか、すごい不思議。

お経といえば、葬式と法事でしか縁がない私としては、
これを単独で「人に見せるために」ステージでやるって
いうだけでかなり不思議。

そもそもは、舞台監督もやってる友人がやってるバーで
たまたま打ち合わせがてら飲みに来ていた
僧侶の方が今回の企画の主催者で、
話を聞いてるうちにどうしても観たくて、
お願いしてチケットを確保してもらったもの。

もちろん袈裟を着て飲みにきてたわけじゃないけど(笑)、
なんとなくオーラのある人で、
「ナルホド。神の使いって感じだのお」とか思った。

もちろん細かい事を言ってしまうと、宗派だとかで
細かい分類があるみたいなんだけど(今回は真言宗)、
私はその辺は全然分からないので、単純に音楽を聴く
「オーディエンス」という立ち位置で出かけました。


ひとことで言うとですね。
・・・・もう「圧巻!!」のひとことでした。

鮮やかな(ある意味「和服でしか許されない配色の」)袈裟を
まとった総勢20人の僧侶が、ものすごい声量で節のあるお経を
唱えていく。

ステージから漂うのはお線香の香り。

経典をアコーディオンのように括りながら、
節のあるお経(でもやっぱりお経)を続ける。

最後は、(そういう趣向の会なので)
力強い和太鼓の演奏で〆。


・・・「何!なんなの!?コレ」と思わずにはいられない空間です。

いわゆる「エンターテイメント」ではないけど、確実に「楽しい」。
なんていうかスカッとする。
こんなに楽しく短時間で功徳を積めるなら大歓迎だわ。

私、最初に「宗教ミュージック」って書いたけど、
これは「トランスミュージック」かもね。

音楽や祭りの原点は、やっぱり宗教なんだよね。

こういう文化を、もっともっと
たくさんの人に知って欲しい。


・・・・こないだ読んだ本で、
「グローカル」という言葉かある事を知ったんだけど、
「グローバル+ローカル」の造語らしい。

 交通や通信が飛躍的に発展し、文化の「コラボ」
 が盛んに行われ、結果すばらしいカルチャーがたくさん生まれた。
 でも、人類はここに来て、こういう時代だからこそ
 「自分の(国の)アイデンティティ」を、再度見つめなおしている。
 それは、振り子のように「逆の方向に触れた」のではなくて、
 “螺旋階段のように”円を描きながらも、上昇は続けているのだ

と、いう解釈。

私、この「螺旋階段」という考え方にえらく共感したんだけど、
今回の「声明」は、まさにそんな「螺旋階段」・・・つまり、
自分の国の文化とか、思想の素晴らしさみたいなものを、
“様々なカルチャーを経験したから今だからこそ”
すごい!と感じる事ができたんだと思う。


やー やっぱすごいわ。宗教って。

信仰心ゼロの私にも、「すごい」って事だけは分かりました。

触れる機会のなかなかないモノなので、
発見したらマストチェックです!


*これは別の写真ですが、
 今回私が観たのもこんな感じ(+太鼓7台)です。

月曜日, 9月 14, 2009

文化部。

【告知】
ひょんな事から、今週末9/19(土)の
下北沢「おぼん・こぼん」のお笑いライブの
チケットを頂きました(ナゼ?というのは渡す人に説明します(笑))

私は別件で行けないのですが、
ペアチケットですんで、興味のある方はご連絡おくれやす!

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最近文科系が充実しているのは積極的な自分の行動?
それとも仕事からの逃避?(笑)

・・・マ、それはいいとして。


土曜日は友人のお誘いで、
平田オリザ脚本の舞台へ。

ある時期小劇団にハマったものの、
ここ10年は年に数回お芝居を観るだけなので、
こういうお誘いがとっても嬉しい。
「演劇ぶっく」の愛読者だったというのに!

今回の「青木さん家の奥さん」は、
酒屋の配達をする若者達が、町内一の美人「青木さん家の奥さん」
宅への配達を巡って繰り広げる会話がストーリーの中心。

結論から言うと、とても面白かった!


芝居中に、実際の「青木さんの奥さん」は出てこないんだけど、
配達のオニーチャンたちの話から、観客にもどんどん想像が広がって、
自分も「なんか、青木さんの奥さんに会ってみたい!」とか思っちゃう感じは、
お芝居のひとつの定番スタイルです。


私は平田オリザのお芝居は観た事がなかったんだけど、
元々「芝居を、いかに日常との接点を持ったままで作るか」って
いうのが基本にある方らしくて、芝居が始まる前から、
既に舞台に役者が“それとなく”いたりして、芝居の始まりがとても曖昧。

この芝居でナニを伝えたいか?みたいな
根底にあるメッセージは分からなかったけど(笑)、
なんか「マ、それでいいや!」と思わせる面白さがありました。
展開がとても自然で、私個人の笑いのツボにもハマってた。

そして青年団の役者達がとても若いので、
話自体は若いバイト君達の話だからチャラ男風なんだけど、
なんかすごい「若々しいサワヤカさ」があって、
甲子園を観たときのように感動してしまったよ(笑)。


平田オリザ世代の演劇人は、唐十郎あたりを筆頭に
難解な脚本を書く人が多い(というイメージ)ので、
彼の脚本に、こんなに素直な感じのものがあるなんて
知りませんでした。またゼヒ観たい!


*****

日曜は、スッカリおなじみ? ハッチハッチェルライブ。

・・・といっても、とある場末(!)の喫茶店での
ハッチさん1人のワンマン。

店の(ライブの)お客も、近所のオジサンとか
子連れのおかーさんばっかりで、雰囲気は150%「寄り合い」(笑)。

私は今回一応ライブのお客として行きましたが、
なんだか店の下町然としたナイスキャラのマスターに
ビールなんか頂いちゃって(店なのにお金も払わず・・)、
いいのか? って雰囲気。


そーいや昔、ウチの実家の近所の大人たちって
こういう感じだったよなー ってーニオイがプンプンで、
ハッチさんも、まるで昔気質の流れの弾き語りよろしく
ギターをかき鳴らしてまして、
なんとも居心地のよい空間でした。


・・・・ダメだ・・・。ああいう空間、超スキ。

時々出会うんだよね。
ああいう場所に。だから酒が辞められない(笑)。


オシャレでもクールでもなくて、店には家で使うような
座布団があったり、もうメニューの紙なんて
端っこが日焼けして茶色くなっちゃってるような店なんだけど、
ああいう空間にどうしようもなくシンパシーを感じてしまう自分は、
やっぱりどうしようもなく「下町の商売人の子供」
なんだなー と思う。

ハッチさんの歌も、まさしく「ああいう店にいる人達」を
主役にしたものが多いから、すごくしっくりくる。

思わず「お父さん、元気かな・・・」とか思ってしまう(笑)、
そんな郷愁そそるライブでした。


惜しむらくは、日曜日だったので長居出来なかったこと。
ああいう空間では、知らないオジサン達と
だらだらと酒を酌み交わしたかったよ。

いつものハジけたライブもいいけど、
またああいうの、絶対やって欲しいっす!

木曜日, 9月 10, 2009

やりすぎもダメ、やらなすぎもダメ。

東西線の事故、絶対居眠りだと思ったのに違ったー。
でも 居眠り だと思う。それかケータイ見てたか。
そういうトホホな展開がいい。

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もうお腹いっぱいですか?

ハイそうですか。でも書きます。

昨日は隔月恒例の「立川志の吉独演演会」。
私はもう何回目だ? 10回目?11回目? 来たな~。

回を重ねるごとにどんどんお客さんが増えてる感じで、
とにかく今後が楽しみな噺家さんです。

もう完全に自分用メモになってますが、
一応演目をば・・・

・金明竹(前座)
・ぞろぞろ
・オリジナル(プロレスファンと三沢に捧げる)
・片棒
・千両みかん


あくまで個人的な印象ですけど・・・
今回、なんかいろんな趣向をやりたがった様子が見えたんだけど、
個人的には「マクラと落語」という実直なスタイルで2~3席
やってもらう ってほうが好き。


最後の「千両みかん」は、高座で聴いたのは初めて。

サゲも含めとっても分かりやすい噺なのだけど、
昨日は微妙~な違和感を感じつつ聴いていたら・・・・
さっき、これが元は上方の噺だと知って、納得。

やっぱりねー。商いの話は、絶対上方のがしっくり来るんだよね。
どっちが良い・悪いはないけど、「お金」に対する
感覚って東西で全然違うからなんだと思う。

だから「文七元結」とか「井戸の茶碗」は逆に上方では
すごく違和感のある話だと聞いたことがある。

自分の娘が身売りして作った大金を、
見ず知らずの自殺しかかった人にあげちゃうなんて、
関西では「美学でもなんでもない」という感じでしょ。

日米の経済感覚の違いに似たものがあるというか。


あとは、昨日の志の吉君のみかんは、
身体を使った演出が派手すぎなんだよな~。。。
あくまで個人の好みの問題ですけど。

噺の実力がちゃんとあるんだから、
もっとちゃんと噺だけで笑わせられるのに。もったいない。

もちろんお客さんの客層とか、落語体験の度合いで
派手なアクションは必要だと思うけど、
独演会って「彼目当て」で来てる人ばっかりなんだから、
もっとシンプルにチャレンジしてもいいのにな、と思いました。

・・・アラ。
噺家に嫌われる エラソーな落語ファンになってるわ。私ってば(笑)。

ま、芸能に限らず、どんな仕事でも
「サジ加減」って難しいものですよね。

火曜日, 9月 08, 2009

力を抜いて会える。

父の誕生日に携帯をプレゼント。
70ウン歳にして携帯デビュー。

着信音にビクっとなってた。
カワイイ人だ(笑)。

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久しぶりに高校の部活時代の友人に会う。

マメに会ってる人もいるけど、
10数年ぶりの人もいる。

私の代は部員が9人で、そのうち5人が
来たんだから、まーすごいよね。

5人中3人はもうお母さん。

高校を卒業して20年弱。
当たり前なのだけど、
みんなが変わってないだけに
時の流れを感じずにはいられません。

もちろん「変わってない」といったって、
外見はもちろん、それぞれの人生の積み重ねが
あって、それは確実に変わってるわけなんだけど。


今は、もしかしすると「みんなそうだったのかも」と思うんだけど・・・

思えば私は高校生くらいまでは、
いや、もしかしたら20代前半くらいまで、
すごく「自分らしくない」生き方をしてたなと
実は思っていて、どこかで「マイノリティに魅力を感じる自分への否定」とか
「楽しまなくちゃいけない強迫観念」みたいなのがあって、
はたからみれば、その時代の「若い女の子」らしく
やりたい事やってるように見えただろうけど、
無理して“らしくしてた部分”も多分にあったなと思う。

いや、楽しかったんだよ。楽しかったんだけどさ。


そういう意味では、今の自分の生き方のほうが
圧倒的に「ラク」だなと思うし、
だから久しぶりに会った学生時代の友達とも、
なんというか変に肩に力入れずに
無理にはしゃいだり、懐かし話ばっかしたり、
空白の時間に自分がどれだけ充実してたかをことさらに語ったり 
・・・しないで済むんだと思う。


学生時代の友達を、本当に「いいな」と思うのって、
もしかしたら自分が大人になれる30代以降だったり
するのかも。

なーんて事を思った休日でした。


マ、あとは私には旦那も子供もいないので、
「自分のために使える時間」が圧倒的に多い分、
そういうアホな事をいっぱい考える っつーのもあるかもね(笑)。


*同窓会って、この年になると男性のほうが
 悲劇だったりするよね。髪の毛まわりとかさ・・・

木曜日, 9月 03, 2009

感動しません。泣けません。 それが何か?

ピクルス漬けた。
うまーい。

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映画を観たので その話なぞ。

「英国王給仕人に乾杯」


チェコの映画監督、イジー・メンツェルの最新作です。

チェコに住んでいる友達がいる事や、
実際にプラハで見た文化への関心、
そして先日観た同じくチェコの監督
ヤン・シュヴァンクマイエルの映画が面白かったので、
ある意味「チェコもの」のリピートです(笑)。

物語は、再教育施設(まーようは政治犯なんかが入る監獄です)
から出てきたチェコの老人、小男ヤンの回想で進みます。

舞台の中心はドイツ占領下前後のチェコ。

この時代の中欧・東欧あたりは
東西の圧力がすごかったし、いわば“当事者ではない”
戦争の巻き込まれ方をしているので、どうしても苦労ネタが多い。

でも主人公ヤンは、「百万長者になる」という夢を土台に、
ラッキーあり、でもその後必ず不運あり、
数々の美女と出会って寝たりなんかもして、
でもってなんとなく、飄々と、小賢しく、
なのに波乱万丈に年を重ねていくわけです。

テーマは暗めなんだけど、全体としてヤンの人間らしい毒っ気と、
コミカルで明るい性格が、思わずクスっと笑えるシーンをたくさん作っています。


前にも似たような事を書いたけど、
日・米なんかの大作と、ヨーロッパのこういう映画の
一番の違いは、米は「プラス」の文化で、欧は「マイナス」の文化
なんじゃーないかなと。

制作費の違いもあるけれど、
音楽や演出をゴテゴテを付け足していくのが米流、
不要な要素をできる限りそぎ落として作品を作っていくのが
欧流って気がする。もちろん、そうやってカテゴライズできない
作品もたくさんあるわけなんだけれど。


話をだいぶ横道にそらしますが・・・・

カルチャーの話でいうと、
世の中の「主流(マジョリティ)」は、
いつの時代も経済力と政治力のあるものだと思うけど、
過去を振り返ると、時代は定期的にその主流に反発するものを生み出す。

60~70年代のカウンターカルチャーしかり、
日本なら安保後しかり、バブル崩壊後しかり。

反骨心に溢れて、独創性に富んでいて、
それでいて屈折してまとまりのない・・・・・ そんな文化。


ここ数年、以前ならB級と言われてしまいそうな映画が
ちゃんと表舞台に出て、多くの人に支持されるという
傾向が強くなってきている気がする。
前述の、「文化の定期的な反発期」が確実にやってきている。

今までのように「対権力」とか「対戦争」とか
分かりやすい圧力がないだけに、やや変化形の反発だなとは思うけど。


喜ばしい事だと思う。

今の世の中、
「心を健康にして」生きていくのはとても難しい。

だから、
「こう生きなければならない」という型もないし、
「これが正しい」というモデルも存在しない今、
本当に必要なのは良質なカルチャーと、それを積極的に
開拓し選択する個々の気持ち、なんじゃないかとシミジミ思う。

そうでもしないと、大衆性が高くて量産される
「受身専門」の文化・情報にどんどん毒されてしまうと思う。

それって主体性がなくなるという事で、
もっと分かりやすく言えば「分かった気になる」
というヤツで、そういう人が増えるのは
とてもオソロシイ事だということを自覚しておいたほうがいい。


そういう風に、自分が“日々、毒されている”と、
気付きすらしない人は・・・・

・・・・まー それはそれで、
オメデタイ人 って事で仕方ないですけど。

でもメイワク。