水曜日, 1月 27, 2010

本当にありがとう。

10年以上ウチの子だったうさぎが
天国に旅立ちました。

老衰が原因だから天寿を全うしているし、
生きとし生けるもの、
命に限りがあるのは仕方がない事なのだけど、
やっぱり哀しい事に変わりはないよね・・・。

***

みるく(名前)は、2000年のちょっと前に
ウチにやってきました。

元々前飼い主が、諸事情あって
飼えなくなったので里子に出されたのが、
ウチにきたいきさつ。

その人がペットショップで買った時点で、
いわゆる「大きくなりすぎて売りどきを逃した子」
という扱いで、結構寒い中、外のケージにわりと
ゾンザイにされて売られていたそうです。

最初は私のひとり暮らしの家にいて、
ウチに来た時点で、既に人格(兎格?)は
出来上がっていたので、特に人間にこびる事もなく、
なんとも淡々と生きていました。

私も、寂しがり屋だと日中ひとりにしておけなかったし
ちょうど良かったとばかりに、とてもドライなんだけど、
そこにはちゃんと関係性がある、という付き合い(笑)でした。

案外そういう関係が私も心地よかったし、
本当にゆっくりではあったけれど、
だんだん私を「ソバにいる人」として認識し出して、
外に出してやると足にまとわりついてくる様子が
なんともかわいかった。

私がNZへ行くのを機に実家に預けられて、
帰国してみると、わりと実家になじんでて(特に父親が)、
やっぱり日中家に人がいるのは快適みたいだったので、
そのまま実家預かりになって早6年近く・・・。

私も含め、家族も「途中から来た子」という思いがあるのか、
みんな名前ではなく「うさぎ」と呼んでいて、
なんだかそれがもうウチで付けた名前みたいになってた。

でも、それは冷たく突き放した感じではなくて、
なんというか、その“名前”で、ウチの子になったという感じかね。

病気もまったくしないし、本当に手のかからない子
だったんだけど、昨年の秋辺りから急激に老いがきて、
ちゃんと習慣になってた場所でのトイレができなくなったり、
後ろ足を引きずるような動作が出てきて、病院に行ったり
ケージを工夫したりしたけど、やはり老いには勝てず・・・・。

人間でいうとたぶん80~90代で、
最後の数週間は足を引きずってかなりシンドそうだったけど、
最期はわりと顔は安らかだったように思います。

でも、本当に息をしなくなる直前まで
ほんの少しだけどゴハンは食べてたみたい。
動物の「生きたい」っていう気持ちってすごいね。
学ぶところが多い。


・・・考えてみたら、かなり長い間一緒にいたんだな。

それは、とても淡々とした日々だったけれど。

私が30代になってからは、「売れ残りの女のコ」って事で
なんだかシンパシーがあり(笑)、確実な老いがきてからは、
人間の何倍も早い老いの進行に、ウチの70代の親も
身につまされるものがあり。。。


ウチはせいぜい鳥や金魚くらいで、これまで
「抱くと温もりが感じられる」動物を飼ったことがなかったので、
最初に亡くなったと実家から連絡もらったときは、
覚悟はしていたものの結構自分でもビックリするくらい動揺した。


決して、ハタから見て「蜜月の時」を過ごしたわけじゃないけど、
私も含め、ウチの家族なりの愛情表現で接していたんだと思う。


最後の数ヶ月は、完全におばあちゃんで、
自由に歩くこともままならなかったから・・・、
「よく頑張ったね。」
というのが、とにかく最後の言葉です。

本当に どうもありがとう。


天国にいったら、また若返って
あちこち飛び回れるのかな。

きっと最後のほうにはできなかった、
体中の毛づくろいとか、そこらじゅうの紙を
びりびり齧る遊びとか、そんな事もいっぱいできるのかな。

だったらいいな。

水曜日, 1月 20, 2010

痛い目に遭う

客先のアポで、
大崎のゲートシティで待ち合わせたのに、
品川のインターシティに行ってしまった。
地図までもらってたのに
(でも場所分かってるからと思って見もしなかった)。

久々に新人みたいなミスだった(苦笑)。

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日曜にちょっと用事があった以外は、
ずっと引篭ってインドア趣味を満喫。
ゴハンや掃除も、いつもより丁寧にやった。

「夏に遊び、冬はスイッチを切って冬眠」。

欧米風のホリデーの使い方みたいで、なんかゆるくてイイな。

でも、ずっと変な姿勢で本読んでたら
首が疲れていたたまれなくなったので(笑)、
夜になってテレビをつけてみた。

・・・あ。そうか。
今日(17日)は阪神淡路の震災の日だったんだ。

もう15年もたつのか・・・。驚きだね。

私が、
「その事件の時、どこで、何をしていたのか
 わりと鮮明に思い出せる事件」って、

・日航ジャンボ墜落
・昭和天皇崩御
・地下鉄サリン事件
・阪神淡路大震災
・アメリカ同時多発テロ

の5つだと たぶん思う。

どれも衝撃的だったし、もちろん社会的にも
大きな話題になった事件だけに、
その後も何度もドキュメンタリーやドラマ等に
取り上げられるので、余計記憶に染み付いてるんだとは思うけど。

この中で、唯一「発生直後じゃなくて、ずっと後になって
その影響力に衝撃を受けた」のが、阪神淡路。

震災当日は、例の高速道路が倒れてる映像を見て
「大変な事になってるぞ」という思いはあったけど、
自分のところが揺れた訳ではないし、当時は近しい人が
関西にいるわけではなかったので切迫感はなかった。

その後私は社会人になり、震災のほぼ1年後に、
宝塚周辺に出張に行く機会があった。

そこで見たのは、震災から1年たっているというのに
いまだ青いビニールシートで屋根を覆った家が立ち並ぶ一角。

宝塚は震災で大きな被害を受けた地区からは
少し離れているんだけど、
その時仕事で会った人は、割れた食器で足を切ったし、
西宮に住む知り合いは数ヶ月入院したんだそうだ。

ただ・・・

これはよく聞かれる事だし、その人も言ってたんだけど、
あの震災以降、「人付き合い」が密になったそう。

これまで挨拶程度だったご近所さんと
頂きものの交換をするようになったり、
疎遠になりがちだった祖父母との行き来が頻繁になったり。

今まで「他人は他人」という気持ちで
いた自分に反省したんだそうだ。


・・・・これはちょっと語弊があるかもしれないけど、
人間て、よっぽど優れた人でもない限り
「痛い目」に合わないと分からないんだと思うんだよね。

「痛い目に遭う」って、
とてもダイレクトに学ぶことができる最良の機会だと思う。

そして初めて、注意深くなったり、
他人の気持ちを慮れるようになったりするんじゃないかと思う。

「若い頃の苦労は、買ってでもしろ」って、昔の人はいい事言うよね。

でも最近は、なんでも便利で危険はナシ。
オマケに親が子供に手を上げる事もないときちゃー、
「痛い目に遭う」事なんて、それこそ天災にでも
遭わない限り皆無なんじゃないかと思う。


「痛い目に遭わないようにしてあげる」行為は、
助けてあげるのでなく、「学習機会を奪う」行為だと
言えるのかもしれない。

そういう機会を奪われて大人になった人間ばかりの世の中は、
いったいどうなるのでしょう・・・?
長生きがちょっとオソロシイ。


痛い目に遭っても、また同じ過ちを繰り返すのは、
恋愛だけで十分だと思うぞ。

金曜日, 1月 15, 2010

部下から尊敬されない上司の10の特徴

南半球最大の夏の音楽フェス「Big day out」
今週末から開催。てかNZは今日。
私が行った年はわりとドメなアーティストが多かったし、
NZは「AUSのついで」感が否めなかったんだけど、
今年は なんか いいんだよな~。ラインナップが。
普通に行きたいんですが。

んん~~~っ  行っちゃうか!?
会社辞めて(笑)。

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ランキング物の記事というのはニーズがあるので、
いろんなテーマが様々な場所でランキング化されている。

そんな中、仕事である情報を探していた時に
見つけたランキング。

 「部下から尊敬されない上司の10の特徴」


上司というのは非常にシンドイ生き物(笑)で、
中間管理職ともなると、上と下両方からの圧力があって
なかなか大変だと思う。

若い頃はやみくもに上司に噛み付く事もあったけど、
今はもっと「自分と同じビジネスパーソンとしてどうか?」
という指標で、冷静に見ている、と思う。

でもって、そのランキングがこれ↓


1位 正当な評価ができない
2位 部下にすぐ責任転嫁する
3位 決断力がない
4位 差別、ひいきがひどい
5位 信頼感に欠ける
6位 人間的な魅力がない
7位 部下の失敗をまったくリカバリーできない
8位 話を聞いてくれず、自分の話しかしない
9位 面倒見がよくない
10位 教え方が下手


5位・6位の「信頼感に欠ける」「人間的な魅力がない」
って、スゴイよね。ザ・全否定(苦笑)。
これって全体的な話だから、これ自体を
順位に入れるべきものじゃナイんじゃ・・・。

ま、それはイイとして。


このランキングって、(特に下位の項目は)
20代の回答が中心なんだろうなと思う。
だってちょっと偏ってないか?

30過ぎて、上司に「教え方がヘタ」とか言っちゃうのはヤバいでしょう。
その年齢で、ご親切に「教わろう」とする事自体、アンタが失格だし。
7位の「部下の失敗をまったくリカバリーできない」も、
そもそも「リカバリーをしてもらおう」っていうのは、
どっちかっつーと対上司ではなくて「親」への期待って感じ。

リカバリーしてくれる上司は確かに尊敬できるけど、
リカバリーしてくれなくても「そんなモンかな」と思うだけで。

・・・こーしてみると、なんだかこのランキングって、
例えば、3人兄弟の真ん中だけを集めて「尊敬できない親ランキング」を
作ったら、こんな回答になるんじゃないかって気がするよ。


このベスト10の性格をイッコも持ってない上司なんて、
たぶんこの世にいないんじゃないのかしらね?
もっと言えば、この10の要素をイッコも持ってない「人間」って、
いないと思う。

要は・・・何が言いたいかと言うと、
このランキングって、
すごく意味がないなーと私は思ったわけだ。

私がもし「上司に求めるもの」を聞かれたとしたら、
たぶんランキングになんかできなくて、項目はたったひとつ。


 仕事ができる人

それだけです。

もちろん、部下時代の「仕事ができる」と、
上司という立場になってからの「仕事ができる」は違う。


上司は、親でも友達でも旦那でもないわけだから、
そんなにいろんな事を求めない。
個人的には、良くも悪くも「上司とはそういうものである」という諦めがある。

だから、責任転嫁されたり、差別されたりしたところで
仕事ができる人なら「まあ仕方ないよな」と思ってしまうかな。

逆に言えば、仕事ができない上司の場合は、
何を言ってもことあるごとに「こいつ最悪だ!」と思うだろうけど(笑)。


・・・なんにせよ、最近みんな「面倒見てもらわれすぎ」
だな~と、こういうランキングを見ているといつも思う。

もちろん、サイテーな人が自分に決定的なダメージを
与えることだってあるけど、最終的には
上司に限らず、親も、恋人も、旦那も、「頼るべき人」
ではあっても「過度な期待を持って依存すべき人」ではない。

究極、
「最終的に人間はひとり(物理的にひとりかどうかとは別の次元で)」
という感覚が今の世の中の多くの人になくなっている事が、
社会をダメにする要因なのかもしんないな。

水曜日, 1月 13, 2010

気が強い女は ダメですか

乃南アサの「晩鐘 上/下」(超長い)を
7時間かけて1日で読んでしまった・・・。

読後にエライ疲れたのは、救われないエンディングだから?
それともダレた1日ゆえ?(や、いい本でしたけどもね)

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なんだかテンション低い。
そんな訳で、軽めの話。

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大森南朋という、私がわりと好きな
俳優が出ているビールか何かのCM。

店の女将(?)に女性のタイプを聞かれて、彼が
「気の強い女性は、ちょっと・・・」 と言うやつ。


はて。
「気が強い女性」って、どういう女性の事を言うんだろう?

このCMにおいては、「ちょっと・・・」
と言われるわけだから、つまりは
「男性一般が敬遠したくなる女性」という事だよね。

というと、例えば

男性と喧嘩になった時に、
言い返してくる女性

とか、

会議で、納得のいかない事があった時に、
「それっておかしくないですか」とか言う女性


・・・・そういう事かしら?

でもそれってさ、逆にそういう時に
何も言わないのは、「気が強くない女性」っていうより
単に「“自分の考えがない”女性」ともいえるよね?

男性(というか、あのCM)の考える
「気の強い女性」って、要は、

 ギャーギャーと金切り声で楯突いてくるウルサい女

って意味なんじゃないかな。

だとすると、「気が強い女性」っていうのは
別に「ギャーギャーと楯突く」事とイコールではないと思うし、
悪くないんじゃないのかしら?

大体、「気の強い女性」って言葉は
わりと使われるけど(特に男性に)、
そこに若干の侮蔑的な意味が込められている場合も多いよね。
でも「気が強い男性」とはあまり言わないし、
むしろホメ言葉にさえ聞こえるかも。


女性も社会の第一線に進出している今、
時にはきっぱりと、強い口調でNOを
突きつけなくてはならない時もあるでしょう。

そういう時に、男の人が「気の強い女だな・・」と
思うんだとしたら、それってなんだか違う気がする。
まったく同じ事を男性がしても、わずらわしいと思いこそすれ、
「気の強い男だな・・」とは思わないんじゃないかと。


女性自身もきっとみんな、春の日向のような暖かさと、
威圧的な人と戦う強さの両方を持てるのが理想
だと思っているけれど、女性が今のように
「社会でも」「プライベートでも」責任を持ってやっていかなくては
ならない現在では、それってなかなか難しい。


北風と太陽?

・・・・そうだね。
みんな本当は「太陽」でありたいわけなんだけどさ。


いや、この話。別段しっかりと結論が
あるわけじゃないんだけど。


変な話、「仕事だけ」「プライベートだけ」で
いいとか、仕事でも日常生活でも、コンセプトが同じでよい
と思ってる女の人はわりとラクだと思う。
(例えば、日々家庭でニコニコと暮らし、
 仕事でも「いつも笑顔の○○さん」というボジションで
 よいと思ってる人)。

でも女性だって、真剣に仕事をしていれば
仕事に欲も出るだろうし、自分の企画や想いを
なんとしても実現させたいと思う事だってある。
そういうときには、「いつも笑顔の○○さん」では、
どうしてもダメな時があるからね。


女は時には「気が強く」なくちゃ、
この世の中、生きていけない気もするが。

「気が強い」って、
そんなにいけないのかしらね・・・・?

木曜日, 1月 07, 2010

まだ宇宙には・・・住めませんねえ。

2010年って、すごい収まりが悪いよね。
特に「'10」って書いたとき。

酢豚のパイナップル並みにシックリこない。

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また映画かよ、ですが。

 「2001年宇宙の旅」 ~A SPACE ODDESAY

 地球生物の進化の過程でいつも存在していた謎の物体「モノリス」。
 時は過ぎ、人類は月に居住できるまでに進化。
 そんな折、このモノリスを巡って木星探査のプロジェクトが発足。
 最高の知能を持ったコンピュータ「HAL9000」を搭載した探査船
 ディスカバリーは、木星に向けて旅立ったが・・・


キューブリックの映画はわりと観てると思うけど、
なんとコレは未観でした。
観たかもしれないが100%記憶にない。代表作なのに。
SFは嫌いじゃないんだけど、
何故か積極的に手を出さないジャンルでね。

この映画って「2010年宇宙の旅」っていう
続編があるんだけど、今年はまさに2010年だから
そんな記念の年って事もあっての再演なのかも。


結論から言うとですね~・・・・ 私は「好きか?」と
聞かれかたら、「うーーーーーーん・・・」かもしれない。
もちろん嫌いでもないのだけど。


とりあえず、あの時代にあの映像を作った事自体は
間違いなくすごいと思う。あの映画、公開が1967年だって!
アポロが月面着陸したのはその翌年だから、
いかにあの映像がすごいかがわかる。

そういや今でも、アポロの月面着陸が「実はセットだった」
って噂がまことしとやかに流れてるけど、あの映画を観ると
さもありなんって気がする。だってそっくりなんだもん。ホンモノに。
というより、宇宙の映像って空気とか風がないから、すごく
立体感がないというか“オモチャっぽく”写るんだよね。


この映画って、これ以降の宇宙モノ映画のフォーミュラ
になっていて、どんな宇宙映画も
(たとえ無意識であっても)影響を受けたんだと思う。

ビートルズがすべてのロックのベースにあるように、
60年代というのは、まさに“今”に繋がるカルチャーが
開花した時期なんだね。すごい時代だよなー。60年代って。


ただこの映画・・・・今となってはいろんな意味で冗長。

あのド迫力の映像は確かにすごいけど、
ストーリーはキューブリックらしい難解さなので、
途中一度でも、「?」という気分になると、
今となってはのんびりしたその展開が、逆にソワソワ落ち着かなくさせる。

最初と最後にある、3分近い「暗転・音のみ」という展開も、
私にはちょっと長すぎ。
帰ってサイトとか見て、ようやく意味を理解したけども。。。

プログレのCDに、「キライじゃないけど、時々ダレるんだよな~」
って気分になるヤツがあるけど、あれに近いかもしれない。


ただ、話の後半に「暴走を始めたHALが、乗組員を次々殺害するが、
最後に残った船長が探査を続け・・・」ってシーンがあるんだけど、
その部分は、すっごいサイケで個人的にはわりと好き。

なんか、映画というよりトランスのレイブでVJが流す映像みたいで、
完全にキまってるんだよね。ま~ LSDカルチャー全盛の時代ですから、
間違いなくキューブリックもヤッてたんだと思うけど(笑)。


好き嫌いとは別の次元で、「すごい!」と思ったし、
かなり時代を反映した映画でした。
絶対スクリーンで観るべき作品だね。


今回は人と映画を観たので、
それはそれで、帰りに感想言えたりして楽しいもんだった。

60年代のカウンターカルチャー繋がりってことで、
帰りはなんとなく Grateful Dead 聴いて帰ったっす。


*コアなファンが多い映画なので、
 ファンが色々分析したサイトがチョー楽しい。

火曜日, 1月 05, 2010

あけまして いきなり映画。

ついに携帯変えた。

考えてみると、私の携帯の機種変って
ポケベル時代からたぶん約3.5~4年サイクルで、
記憶をたどると、大体いち端末につき
大きな「幸せ」と「不幸」の想い出が
1つづつ入ってる(要は人生のサイクルと似てるんだな)。

新しい携帯に入る想い出は、
できれば 幸せ だけにしたいモンだ。

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で。
正月とはなんの関係もありませんが、
まあ私は三が日には本当に飲み食いしただけなので、
年末に観た映画の話なぞ。

「麥秋」~ばくしゅう~
      監督:小津安二郎


小津映画はわりと好きで、「東京物語」始め
何本かは名画座なんかで実際に観てる。

コレもキャストも脚本も「これぞ小津」って内容で、

 舞台は戦後間もない日本。
 28歳になる紀子(原節子)は、周りの友人も
 ほとんど結婚してしまい、周囲の家族(ちなみに兄は笠智衆。若い!)は
 やきもきしている。しかし本人はわりと悠長。

 そんな中、悪くない縁談の話が持ち込まれ、
 家族は乗り気になる。
 一方、近所に住む幼馴染の男ヤモメとも仲良くしている紀子は・・・


ふむ。

あえていうなら 大人の映画 だった。

時代が時代だけに、「片付く」とか「嫁にやる」とか、
言葉はことさら女性に対し侮蔑的なんだけど、
娘の将来を心配したり、でも本音では親は嫁に行かれたら寂しい
とか思ってたり・・

いつの時代も、「家族」ってなーんにも変わってないんだ。

小津映画が時代を超えて支持されるのは、
まさしくそういう「普遍的な家族観」をたくみに映像にしているから。

しかし原節子 ってホントに綺麗だよな。
ああいう人は、たとえ“アバズレ女”役をやっても品がある。
あんな女優、たぶん吉永小百合で終わりだね。

もう無理だよ。
男の人って、ああいう女性に対して
いまだに一種の理想像を見るようなところがあるけど、
いまの時代にああいう女になるためには、天皇家みたいな
生活しなきゃならないんじゃーないかしらね。。(苦笑)

この映画は、まだまだ女性が自分の人生を自由に選べなかった時代
のものではあるけど、それでも自分の「想い」に対して
素直でいようとする娘の姿には、個人的に身につまされるものがありました。
好き勝手やってる自分に痛みはないけど、
周りは心配するばかりだもんね。。。


・・・今年は、年の初めにちょっと傷付く事やら
虚しい事やらが立て続けにあって、
正直エンジンかかっておりません。。

これが今年の「厄落とし」だったと思って、
残りの359日はイイ日だといいのだが。