水曜日, 12月 16, 2009

唄うの1分、“本当に”唄うの三十ウン年。

なぜだろう。
最近、高田渡とボブディランの歌詞が気になって。
「日本平和神話」が崩れつつあるから?

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昨日は今年最後のヴォーカルレッスン。

この春、先生の自宅スタジオを使えなくなってから
レッスンの回数が多くても月2回、ほぼ月イチに減ってしまったので、
あんまり「習ってる」と、大きな声で言えないのだが。

だから最近は、たまに単身でバーのジャムセッションに
参加したりして武者修行しています。
「本番に弱い」性格を見せつけまくっておりますが(笑)。

でも、こういうのってやっぱし場数だからさー。
ある程度上手くなろうと思ったら、なんかやんないとね。

私は普段あまり季節感とかで歌を選ばないんだけど、
クリスマスの時期だけは、クリスマスソングが課題曲として出ます。
今年は3曲目だから、なんだかかんだで、習い始めてもう2年半も
たってるんだなー。うーん・・・育ってナイ(苦笑)。
もはやピアノは完全に諦めモードに入ってるしな。

でも。

習い始めの頃は、4ビートの楽しい曲が好きで
そういうのばっかり歌ってたんだけど
(そういう曲のがゴマカシが効くっていうのもある)、
最近ようやくバラードっぽいのとかの「良さ」が
分かるようになってきた。

当然Jazzは黒人音楽だから、
大体Jazzのバラードって、ベッタベタ過ぎか、救いようもなく暗いか で、
例えば「Misty」とか、

Look at me. I'm as helpless as a kitten up a tree
and I feel like I'm clinging to a cloud
I can't understand
I get misty just holding your hand

(私を見て! まるで木から降りられない子猫のよう。
 雲を掴んでいるみたいに頼りない。
 どうして? あなたの手を握っているだけなのに)

みたいな、もう「大甘」を通り越して、
「勝手にすれば?(笑)」みたいな恋の歌だし、
有名な「Summertime」は、

Summertime and the living is easy.
Fish are jumping and the cotton is high

(夏になれば、きっときっと暮らしは楽になる。
 魚達は飛び跳ね、コットンは値が上がるわ)

みたいな、“有り得ない”黒人の暮らしが
ラクになる様子を延々唄った悲壮な歌なんだけど、
どちらもものすごーーく奥の深い歌で、
繰り返し唄えば唄うほど、

「あ。この歌、もしやこういう事が言いたいんじゃない?」

みたいな発見はある。


・・・前も書いたかもしれないけど、私は基本的に
Jazzは日本人には唄えない歌だと思っていて、
それでも何度も唄っていると、

 歌を歌うのはほんの数分だけど、
 その歌を「形にしていく」には、自分のこの“数十年間”の
 いろんな経験・蓄積を使う事が必要なんだ。

という事が見えてくるから不思議。

2年半、歌の力はまったく成長してない気がするけど、
得たものがあるとすれば「それが分かった」って事なのかもなー。


ちなみに先生が、来年早々から「ピアノとヴォーカルで
世界一周客船に乗り込む」、というモノすごい仕事(笑)のため、
3月までレッスンはお休み。
横浜から出る豪華客船で、毎晩のようにホールでダンスパーティが
あるんですってよ。まーセレブ!


*豪華客船、と言えばコレ。
 レオはパッとしないが、ケイトはこの頃より
 今のが全然いい女優だと思う。だってコレの時は、
 二の腕が太すぎて、ねえ~・・・(笑)。
 極寒の海でも生き残るわよ。そりゃ。

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