水曜日, 4月 07, 2010

似たような事を前にも書いたけど。

先日倒れた巨人のコーチ・キムタクが亡くなった。
享年37歳。ニュースを聞いて自分でも驚くほどショック。
とてもファンに対して温かい人で、
カミサマは何故ああいう人を先に連れて行ってしまうのかな・・
と、つい思ってしまいます。

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草野球シーズンがスタート。
週末は決起会も兼ねて仲間と試合後に花見。

今年は寒暖の差が激しくて
桜が長持ちしてくれているけど、
花見中は寒くてたまらん。トイレが近くて。

10代からの友達が多い仲間なので気楽な反面、
毎年、嫁や子供の参加者が増えていったり、
生活環境の変化で、家族持ちとひとりモンの私では
いろんな考え方や意見が少しづつずれていくので、
立ち位置が難しくもあるのだが・・・(苦笑)。


さて。
この花見で、登山の話になった。
私以外、登山をやる人はいない。

聞かれるがままに答えたのだけど、
彼ら(=登山はやらないが、体力にはわりと自信がある人)
にとっては、登山というのはヒマラヤやK2にでも
登らない限り、「体力さえあればなんとなるスポーツ」で、
特別な技術はない・・・と思っているんだよね。

「俺も数年前富士山に登ったよ。」


・・・ああ~ 分かるな。彼らの気持ち。

私も初めはそうだった。
登山というのは、技術というより体力勝負だと思ってた。

だから、事前の準備や、自分は自分で守るという
「自己責任感」みたいなものが欠けてたなと思う。

でも、ある程度足を踏み入れた今は、
逆に昔よりずっと登山が怖くなった。

登山の「本当の姿」が見えつつあるからだと思う。
本当の姿を知ると、その奥深さが分かるので
知らなかった頃より、いい意味でも悪い意味でも慎重になる。


趣味に限らず、仕事や、日々の生活の中でも
知ってるつもりになっているケースは多々あるよね。

特に危ないのが、登山のように
「一見誰でもできちゃいそうに見える」もの。

フィギアスケートだとか、スキージャンプだとか、
誰が見たって「誰でもできるもの」じゃない場合は、
話はわりと簡単。みんなが「できない」を共有しているから。

でも、芸能で言えば落語や歌手なんかは、
ちょっとしゃべりや歌が上手ければできちゃうと
勘違いしてる人もいるし、もっと顕著なのは仕事や日常生活。

他の人が「当たり前のように作った資料」が、
誰にでも作れるものというわけではないという事実に
気が付いていない人は多い。


「あ~ それでしょ。知ってる知ってる」
「別にできるでしょ。俺でも」
「別にすごくないよね。それ」

・・・言葉に出さないまでも、そういう態度を
丸出しにしている人の、なんとみっともないことか。

「知ったかぶり」とは違う惨めさがある。

自戒の念をこめて、自分を卑下しろって言う事ではないけど、
いつも「等身大の自分を把握」できる人でいたいと思う。



今年の新人が、今日から全体研修を終えて
各部署に配属になり、ウチにも1人営業の子が来たけど、
あの新人クンたちもいつか知るんだろうか。

「知っていた」「できていた」と思っていたことが、
実は「知ってたつもり」だったことに。


でもな~。
「本当の姿」から目を背け続けてきたまま大人に
なった人もたくさん見ているからな~・・・。

どうなることやら。


*花見の帰りがけ(17時近く)に撮った一枚。
 まだ結構いるな。。 もー我慢大会と化してるよ。

1 件のコメント:

かつを@松山 さんのコメント...

知らないからこそできることってありますね。
例えば、技術的な背景を知らない方が営業がしやすかったります。
知っているがゆえにお客さんの前でYesと言えない自分が居ます。

山で言うと富士山なんかは特別な山中の特別な山。
日本にある他の山とは全く条件が異なる山。

あの山に登れても何の自慢にもなりません。
さっくり登れて余裕のよっちゃんで帰って来られたのは、たまたま運が良かっただけだ。
と言うことをいつか知るのでしょうか。
そのときは手遅れでないことを祈るばかりです。