月曜日, 6月 14, 2010

見えてるものは「正しいもの」?

グラタン作ったらどーも牛乳がビミョーだった・・。
賞味期限内だったけど、牛乳っていうのがコワイ。
そう思って使ったので、お腹痛い気がするから不思議。

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行ってきました。

 「三三・喬太郎二人会」@北沢

友人が出張で行けなくなったチケットを
譲ってもらいました。わーい。


開口一番:子ほめ(さん喬弟子)
漫才  :ロケット団
柳家三三:おばけ長屋
  --仲入--
林家しん平(挨拶)
柳家喬太郎:心眼


今回はやはり「心眼」が刺さりました。

「心眼」は、私の大好きな話のひとつです。
落語には「爆笑噺」「バレ噺(色っぽい噺)」「人情噺」など、
ある程度カテゴリーがあって、「心眼」は人情噺といわれる事が多いけど、
私はそのどれにも当てはまらない気がしていて、
あえて言うなら「哲学噺」とでもいいますか・・。含蓄の多い話だし。
内容は全然違うけど、「宗論」とか近いかな。


 *自分に尽くし、労ってくれる素晴らしい女房を持った盲目の按摩の男。
 *ある日男は「目が見えるようになりたい」と
 *薬師様に日参する。満願の日、ついに男は目が見えるようになる。
 *見るもの全てが珍しく、なじみの客にも「初めまして」と挨拶。

 *そして男は、自分の容姿がかなり良い事(今で言うイケメンですね)、
 *自分の嫁が稀代の醜女であること、
 *自分に惚れている芸者がいる事を知る。

 *目が開いた興奮さめらやらぬまま、芸者と飲みに出た男は、
 *芸者に「ずっと好きだった」と告白されて
 *「ウチの女房のような醜女となんぞみっともなくて暮らせねえ。
 *追い出しておまえをめとって所帯を持つ」と言い出す。

 *そこに現れた女房が、怒りのあまり男の首を絞め・・・


・・・サゲは、実は落語ではポピュラーな「夢オチ」です。
今の小説やドラマでそれをやったら素人同然のラストですが、
落語の世界では許されますよー(笑)。

女房に首を絞められた男は、胸苦しさに目を覚まし、
それが夢だった事に気が付きます。そして男はひとこと、

 “不思議なもんだな。めくらっていうのは、
  寝ている時ほど、物がよく見えらぁ・・・・   ”

というサゲです。

この噺、たぶん一番言いたいのは
「見えないモノを見よ」という事なんだと思います。

この、

「実体のないものにこそ物事の本質がある」

という考え方は、ある意味とても
現代的でアーティスティック。だと思う。

自分の心の目で見たものを信じて、
それを絵や音楽にするアーティストはたくさんいます。

たった50年100年前、例えば、絵画で言えば印象派の時代は、
見えていないものを描くことは「稚拙」とすら言われていた
時代があったわけです。
遠近感や質感のない絵は、ただの「下手な絵」で、
より写実的に、より明るいトーンで描くのがよいとされていた。

でも現代アートは、ピカソやダリを始め、
誰にも見えないものをキャンバスに残しているよね。
そして、ありえない人間の姿や、ありえない形の壺の絵が、
見る人の感情に訴えるわけです。

私は、ゴーギャンやルソー、ロートレックの絵が好きだけど、
あれだって、写実的というより「人間の持つあふれる生命力」を、
なんとか絵にしようとした作品だしね。
モデルはいると思うけど、「その通りに描こう」とは
ハナから思っていない。

・・・この「心眼」という噺にも、それらの絵のような、
哲学的というか、言葉では説明できない「パワー」
のようなものがあると思います。

人間の幸せが、お金・容姿・地位といった
「見えるもの」にだけあるのではないことを、
日本人はもう何百年も前から、ちゃーんと知っているのですね。


個人的には、久しぶりに喬太郎の古典がじっくり聴けてよかった。

また聴きたいな。

3 件のコメント:

あっつ さんのコメント...

言葉、人物、現象などの本質をみることって大変ですよね。
でも、訓練次第なのかもと思います。

0は0のままだけど、0,000001でもあれば、1になり、そのうち∞になるので。

でも、その訓練が、意識をしないと難しいんだけど(笑)

ヨヨ さんのコメント...

あっつ さん>

> 言葉、人物、現象などの本質をみることって大変ですよね。
> でも、訓練次第なのかもと思います。

本当にシッカリ者だー。

・・・私も基本は「考える人」なんだけど、
それは後付けの理論であって、
20代の頃は、傷つけたり傷付いたり、
見栄はったり、大騒ぎしたりしてただけ。

そこにある「本質」がナンだったのかを
考えるようになったのなんてずっと後だもん。

結局、考えすぎも考えなさすぎもダメで、
たとえそこに重要な本質があったとしても、
相手が「気付いてほしくなさそうだ」と感じたら、
見て見ぬふりをしてあげたほうがよい・・・って時もあるけどね(笑)。

うーん。ムツカシイねー。

あっつ さんのコメント...

本質を考えるようになると、
上っ面だけのことがたやすく見えてきますよね。
でも、もちろん見えたところで、真実とは限りませんが。

目的とか、本質とか、難しいけど、考えて損はない行為ですよね。
でも、掘り下げて根本的なことを見極めたいと思っても、
日常生活では意識的にやらなければ習得できない技のような気もします。