月曜日, 5月 16, 2011

新しい料理法で、「マッチ売り」はどう変わるか。

こないだ、電車で読んでた本(ちなみに三浦しをんのエッセイ)が
超面白くて、思わず声を出して笑ってしまった。「ヒャヒャ」っと。

ええ、もちろん隣の若者にヘンな顔されましたともさ。

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また友達が誘ってくれて(ありがたい~!)
青年団のお芝居2本立て。

「ヤルタ会談」
「マッチ売りの少女たち」


お目当ては後者。

これは別役実の戯曲で、こないだわりと脚本に忠実な
演出でやった同じお芝居を観たので、同じ脚本を
平田オリザさんがどう料理するかが、すごく楽しみでした。


 # 年末の雪が降る夜、ある初老の夫婦の下に
 # 見知らぬ少女が訪ねて来る。
 # 少女は突然言う。「私、あなた達の娘です」・・・・


前回の演出の時は、登場人物は初老の夫婦・少女・少女の弟(と名乗る青年)
の4人だけで、かなりシリアスなトーンで進むお芝居。

今回は、突然「あなたの娘です!」とたずねてくる謎の少女が
一気に3人に増え、前作で会話中だけに出てくる市役所の戸籍課職員、
近所の主婦などが実際に登場して、かなりにぎやかな舞台になっていました。

なので、前作よりも格段に観やすくはなっていたかな。

とは言え・・・この話、根底には「戦後の復興期に貧しい少女達が、
マッチを売って、客にそのマッチの灯で自分の下半身を見せる」
という、実際にあった一種の売春行為がベースにある。

それに、突然現れた少女に「あなたの娘です」と言われる老夫婦も、
自分達が「善良な市民」であることをことさらに強調するんだけど、
実はその「善良さ」に隠れた、どうしようもない「負」の要素を
舞台中でどんどん突きつけられていく

という、モノすごい暗~いテーマが根底にあるので、
あんまり「やかましい」感じの演出にするのも、どうなのかな
という気が、個人的にはしたけども。


・・・・今の時代にも、実際に声にせずとも、

「私は善良な市民です」
「私は普通です」
「私はマジョリティです」
「私の声は、世間の声です」

という風情をことさら強調する人って結構いるけど、
正直そういう人ってちょっと気持ちワルイ。

ありていに言えば、「何が普通」で「何が善良」なのかなんて、
誰にもジャッジできないわけだしなー。


前にも書いたかもだけど、私はいわゆる「ランキングもの」の記事が嫌いで、
仕事(=記事やコンテンツを作ったりもする)をしてるときも、他の人が
ランキング系の企画を出してくると、あらかさまに嫌な顔する(笑)。

でも、現実問題、ランキングモノの記事って人気あるんだよね。
みんな、「他の人はどうなのか?」という事には、
無関心でいられないってことなんだろうなー。。。

私だって「私は私」と、言い切れる強さがあるわけじゃないから、
気持ちは分からないでもないけども。



同じ脚本が、演出によってまったく違うものになるのは、
「にんじんとじゃがいもと玉ねぎ」があったときに、
それをカレーにする人と、肉じゃがにする人がいるのに似ている。

ひとつのものを1側面だけで解釈するのは危険なことなので、
こういうお芝居の見方はかなり面白いと思いました。

別役作品はたくさんの人が演出するので、
今度は、この材料を「ホワイトシチュー」にする人の舞台が観たいなー(笑)。

1 件のコメント:

白鳥 さんのコメント...

私は合唱を長年やってますが、これは「合唱指揮者」によって同じ作品が色々にアレンジされているのと同じ雰囲気を感じながら読ませていただきました。
指揮者のみならず、ピアノなどの伴奏者が変わるだけで、歌う方の雰囲気も大分変わることが少なくないです。
私も「伴奏」の違いを楽しむこともあるので、とっても面白い視点の日記だと思いました。