木曜日, 5月 12, 2011

お。30年前の私が。

用事があって、会社の若手数名と
西麻布に行ったら雨だった。
ここで、咄嗟にとんねるずを思い出すか否かが
「人生のスキルの違い」ってやつだろう(違う)。

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さて。
私は、実家も含めると「墨田区⇒江東区⇒江戸川区」と
引越しているんだけど、江東区時代も学校は越境してたし、
実家の商売も墨田区だし、地元の友達も仲が良かったので、
私にとっての「故郷」は実質墨田区です。

ウチは両親とも墨田区出身なので、「田舎」も墨田区だし。

当時(70~80年代)の墨田区の子供にとって、「お祭り」というのは
切っても切れない縁があって、そういうイベントが嫌いな子でも
なんらかの想い出があるんじゃないのかしら。

まして私のように「祭事大好き」なガキ(笑)にしてみれば、
「御輿」「盆踊り」といった要素は夏の必須項目なんですよ。

「東京音頭」とか「隅田音頭」なんて、あまりに身近すぎて、
君が代くらい日本中の誰もが知ってる唄だと思ってたしねー(笑)。

中でも、私の育った地区の子供会は和太鼓の指導に熱心で、
私も小学校から中学校までの5~6年間、太鼓を習っていました。

私の時代には「地域活動」の延長レベルだったので、主なお披露目の場所は
夏祭りと亀戸天神の藤祭りくらいだったんだけど、
今では結構な規模の太鼓グループになっていて、
わりといろいろな行事で叩いていて、今後スカイツリーができてからは
さらに大きくなるんじゃないかと思います。


・・・・とマア前振りが長くなりましたが、その太鼓チームの
「30周年記念発表会」を観に行ってきました。

【30】周年記念に、もちろん創成期のOGとして(あーヤダヤダ(笑))。

ある事がきっかけて、ここ数年で付き合いが復活した
小中学校時代の友達と一緒に観に行ったので、もう気分は完全に小学生。

あの時代の友達しか呼ばないあだ名で呼ばれるのも久々だー。


私の時代は型もわりとテキトーだったんだけど、
今はみんなカッチョイイ。




*これは子供会を卒業したオトナチームのほう。
 私も続けてればこっちになってたってことです。


一般的な「○○音頭」みたいな曲のほかに、
音楽のない組太鼓とか、普通の歌謡曲
(オギノメちゃんのダンシングヒーローとか(笑))もありました。
これは当時とあんまり変わらないかな。

和太鼓の音って、聴くというより「腹で感じる」ものだね。元気が出るな。
私にとっては、ある種の原体験だし。


今は結婚なんかで地元を離れてしまった友達も多いし、
私も本祭りの年に顔を出す程度なんだけど、それでも、地元のカルチャーが
脈々と受け継がれているのを見るのは、なんともうれしいものがありました。

古い家は次々なくなってビルが建ってしまったので、
地元の周辺の景色はずいぶん変わってしまったけどね。


しかし・・・・先生始め、運営をしているのは私が子供の頃と同じ人たちなのね。
当時も「オトナ」、今も「オトナ」な人達なんだけど、
当たり前だけどみんな年をとってきていて、流れた年月の長さを感じずにはいられません。

亡くなった方もいるしね・・・。


年をとるって、まー嫌ではないんだけど、
それだけ「出会いや別れ」をたくさん経験する事なわけで、
なんか切ない気持ちになるよ(苦笑)。


帰りに実家に寄った時も、母親と久々に何十年も前の思い出話になったりして。
なんとも不思議な気持ちの1日でした。




*コレ↑もらった。
 パンフレットの「会の年表」コーナーに、自分の小学校時代の
 写真が出てて衝撃。丸々太ってパンパンな自分も、
 さすがに今ならギリギリほほえましく見れるわ~(笑)。

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