木曜日, 1月 20, 2011

「囚われた過去」の調理法

BEADY EYEの記事を読むたび、
やはりリアムは兄弟そろってこその魅力なのではないかと
思ってしまうのは私だけ?
(曲はあんまり聴いてないので分からないけど)

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今年1発目の映画、ようやく時間が取れました~
開演1分前の駆け込み乗車。

『瞳の奥の秘密』
監督:ファン・ホゼ・カンパネッラ

 # ブエノスアイレスで刑事裁判所を定年退職したベンハミンは、
 # 25年前に担当した、新婚女性の暴行殺人事件を小説にしようと考える。
 # 想いを寄せていた元上司のイレーネをはじめ、当時の関係者に再会するうち、
 # 新たに不可解なことが分かり始め・・・・。


アルゼンチンの映画です。
前に恵比寿でかかっていた時に観たかったんだけど時間が取れず、
今回ようやく鑑賞。

ラティーノの映画ですが、全体にわりと重々しい空気感がある。
ストーリーには思わせぶりだったり難解なところはあまりなく、
ミステリーとして純粋に楽しい。

この映画、ひとことで言えば

「過去の呪縛」

というテーマなんだと思う。

最愛の新妻を殺された旦那の、その後の25年間の人生、
そしてその事件を追っていたベンハミンにもまた、
25年間とらわれ続けている想いがある・・・・。


当たり前の事ですが、今生きていて「過去のない人」
っていうのはいないわけだ。

「過去」の中身は人によっていろいろだけど、
「後悔している過去は1つもない」とか
「鮮明に覚えている過去はない」人っていないんじゃないかと思う。

それに、その「過去」の価値や重さは、当事者にしか分からないよね。
(だから少なくとも私は、自分にとって重要度の高い過去を、
 あまり人に話したいとは思わない)。


良いことであれ、悪いことであれ、
人にはなんらかの「いつも頭の片隅にある過去」というのがあるし、
それは、年をとればとるほど多く・重くなっていくのじゃないかと思う。

ただ・・・・・

これは、この映画の主眼でもあるんだけど、
人間にとって「過去」というのは、ひらたく言えば「料理の材料」
なんだと思うな。

材料は人に恵みをもたらすけど、
それをどう料理し、糧とするかはその人次第。
場合によっては、自分の身体に害を及ぼすものであるかもしれない。

「過去」もそうで、同じような経験をした人でも、
その過去をどう捉え、そこから自分が何を見出していくのかによって、
その人の成長や、その過去の価値はまったく変ってくるわけで。。。


映画では、妻を殺された銀行員の旦那の壮絶な25年間と、
その後、個人的には若干「?」という気分になるラストなんだけど・・・・


いずれにせよ、「過去」が大事じゃないという事ではないけど、
一番大切なのは

「いま」

なんだという事なんだよね。要は。

まさにその「いま」を豊かなものにするために必要なのが
「過去」であって、それに縛られたり、苦しめられたりする過去に
いったいなんの価値があるのか、と。

言っとくけど、

 囚われている過去 = 忘れたい(忘れるべき)過去

って意味じゃないよ。

忘れる必要はないけど、「調理法」を間違えるなって話。

モノによっては、何十年も囚われ続けた過去に、数十年たってケリを
つけることだったできるわけで(映画のラストもまさにこれ)。

『あの過去があるからこそ、今の私は豊かだ』
って、自信を持っていいたいよねー。


・・・しかし、ラテンの女性ってビューティホーだね。
しなやかな体と彫りの深い顔立ち。

あんな見た目に生まれてたら、
私の人生、いまとは全然違うモノになってそうだ(笑)。

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