今の自分の会社への思いは、
昔の彼氏への思いに似ているな。
「感謝してる。でも愛はない。」(笑)
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「旅立ち」がキーワードの連休でした。
3月は色々と動きが多いからかね。
登山の基本を教えてくれた山師匠の
転勤による送別会(×2回笑)
前職の社長が退職されたので、
当時の部署仲間が集まってのお疲れ様会。
そして、友達のバンドのメンバー入替えに
ともなう、バンド“一旦”解散ライブ。
・・・それぞれいろんな理由があって
“変わって”いくわけなんだけど、
どういう形であれ、別れというのはシミジミ寂しい。
もちろん、一生会えなくなるとか
そういう事でもないのだけど。
様々な別れは、大抵「送られる側」がその後
色々と大変なケースが多い。
転勤なら新天地の家探しから、土地になじむまでは大変だし、
退職は、その後の生活が完全に様変わりする。
そう考えると、「送る側」は
本当は笑顔で見送ってあげたいところなんですが、
心情的にはやっぱりなんとなく湿っぽい。
それは、その人と今までのような付き合いが
できなくなる寂しさと同時に、自分が「置いてきぼり」
を食ったような気持ちがあるからなのかも。
学生時代のように、同じ学年の友達が一斉に
卒業する時なんかには、そういう感情はあまり生まれないけれど、
大人になってからの「別れ」には独特の焦燥感がある(私だけ?)。
それは、私自身が「送られる側」であったとき・・・
例えば前職を辞めた時とか、海外移住を決めた時なんかの、
不安な気持ちと「新天地へ羽ばたく」独特の高揚感が
ない交ぜになったあの感覚が、大好きだからなんだと思う。
「変わる」というのはリスクが多い。
変わった後、しばらくすると待っているのは
「日常」である事も知っている。
・・・でもやっぱり、個人的には「イイナ~」という
気持ちのほうが大きいかな。これは人によるんだろうけど。
その変化が大きければ大きいほど、
不安も、期待も大きい事を経験から知っていると、
「停滞」している自分がイヤになったりもする。
・・・もうすぐ春か。。
私もなにか、変わってみようかな。
それぞれ「旅立つ」みなさん、本当にありがとう。
どうぞお元気で! Please Keep in touch!
そして、新天地で“ワクワク”してくださいね!
5 件のコメント:
ほんに・・・
いつもヨヨさんは、いいことを書きなさる。
不安とないまぜになった高揚感。
まさにその通りだ。
朝起きたとき、ふと隣りに寝ている娘の顔が見られなくなるのかと思うと寂しくなります。
ド頭の恋愛のたとえがツボッター。
>私もなにか、変わってみようかな。
あ、それはかせも、そうしよう!
さっさと仕事決まんねーかな……。
わたしは
別れ
というと
死
だな。
あとは 生きてれば会える と思って
送ることにあまりまじめに取り組めない。
それに
死に関しても
なるべくさわやかに受け入れたいのだが
それはまだまだ修行が足りません。
あと 個人的に 人とケンカしたくないね。
この何年間かで 3人も絶縁した。
人を見る目を養いたいし
そこまでムカつかないでやり過ごしたい。
あと かつをさん
娘だけじゃなく
奥も入れましょうよー。
かつさん >
> 朝起きたとき、ふと隣りに寝ている娘の顔が
> 見られなくなるのかと思うと寂しくなります。
♪ 会えない時間が~
♪ 愛そだてるのさ~
と、ひろみ郷も歌っていたよ(笑)。
はかせさん >
> ド頭の恋愛のたとえがツボッター
何事も恋愛に例えるのは
私の前職時代の「職業病」です。
春は気分を変えるチャンスだからね。
新しいことにチャレンジしたいよね。
旧ヤハギさん>
> それに死に関しても
> なるべくさわやかに受け入れたいのだが
別に「死」は、さわやかに受け止める必要
ないんじゃないかしら。個人的には。
生きている人間が、泣いて、叫んで、取り乱す。
それもまた、その人が確かにここに「生きていた証」
なのではないかと。
> あと 個人的に 人とケンカしたくないね。
> この何年間かで 3人も絶縁した。
基本的には「原因自分論」だよ。
私も人に腹が立つことはいっぱいあるけど、
人って、そう思う事でしか「ムカつかない人」
にはなれないと思う。
どんなに人を見る目を養っても、
どんなに付き合う人を選んでも、
自分と合わない人、そもそも誰とも
合わない人はいるし、そういう人と対峙する事を
ゼロにはできないよ。引篭ってない限り。
「自己評価を下げろ」って意味でも、
「ガンジーのような聖人になれ」って意味でもなくて、
少なくともそう心がけておくことが大切なのではないかと、
僭越ながら 思います。
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