月曜日, 8月 22, 2011

スターと「それ以外」の役割 ~白酒独演会@中野

週末の沢は雨天中止。
今年の夏は、週末になると雨が降る気がするな・・(泣

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落語は天気の良し悪しとは関係ないからイイね(笑)。


『白酒むふふふふふ』

開口一番「金明竹」
白酒  「明烏」
 -----仲入-----
ゲスト 「ハッチハッチェル弾き語り」
白酒  「妾馬」



桃月庵白酒師匠の独演会。

・・・ハイ、番組を見れば分かりますね(笑)。
そうです。ハッチさんを見に行ったわけです。元々はね。

このところハッチさんのライブに全然日程が合わず
この後は地方回りが続くので、なんとか駆け込み乗車。

ハッチさん、落語ファンばかりの究極アウェイ感の中で、
しっかり弾き語っておりました。やっぱ素敵すぎ~!!


とは言っても、もちろん落語のほうも聴く気満々でしたよ。
結果・・・・すばらしい出来でした!

白酒が五街道から桃月庵になりたての頃、
寄席で、時間がなくて10分でまとめた「壺算」を聴いた事があります。

でもまったく違和感がなくて「ウワっ、器用な人だな~」と
その時に思ったんだけど、今回もかなりその器用さが炸裂しておりました。

見た目のわりに(失礼 笑)とてもサラリとした
落語をやる人なので、良くも悪くもズドンと心に残るようなアクがない。
でも安心して聴けるんだよね。

食事で言うと、なじみの定食というか、白飯というか。

これを「個性がない」「スター性に欠ける」と捉える事もできるけど、
私はどんな世界にもこういう人は絶対必要だと思っていて、
そういう「自分の求められるポジション」みたいなモノを
本人も分かってるんじゃないかな と。そういうところもとても器用。


・・さて。で、噺はというと。

後半の「妾馬」は「八五郎出世」のところまで。
私はこの噺を全編とおしで聴いたことないかもなー。


今回は、(やっぱ私の大好きな(笑))廓噺「明烏」でしょ。

 # 堅物で有名な若旦那、時次郎。家に篭って本ばかり読んでいる。
 # そんな時次郎を心配した父親が、町の札付きのワル2人に頼んで、
 # 息子を吉原に連れて行ってもらう。
 # 
 # 「お稲荷様へお篭りに行こう」と騙されて吉原の大門を
 # くぐった時次郎は、やがてそこが吉原である事に気がつく。
 # 時次郎はひとりで帰ると言い出すが、ワル2人に「ひとりで帰ったら
 # 大門で門番にふんじばられるぞ!」と脅かされ・・・・



・・・現代の人にとって「吉原」っていうのは想像の付かない場所で、
よく「ソープランドとキャバクラとディズニーランドが一緒になった・・・」
なんて説明されるけど、そこにさらに「パリコレ」的要素もあった。

つまり、流行発信源だったわけです。

ナンバーワンの花魁は、博識でオシャレ。
男性のみならず女性にとっても流行の先端をいく憧れの存在。
風俗嬢でもないし、今のAKナンチャラみたいな、プロだか素人だか
分かんないようなタレントとは根本的に違うわけですよ(笑)。

だから、父親が世間のイロハを学ばせるために
騙してでも堅物の息子を吉原に送り込む、という話も不自然ではないわけです。
今も昔も、男の人にとって「女を知る」というのは
大人の階段の第一歩なんだろうしねー(もちろん私には知りえないわけだが)。


今は「クリーンな社会」「品行方正」がことさらフォーカスされて、
みんなが「同じ幸せの方程式」を導き出そうとするけど、
人間ほど多様な生き物はいないし、人が生きるってそんなに綺麗事じゃないじゃん?

裏切り、失望、嘘、皮肉、歪んだ嫉妬・・・・ 人間てそんなことの繰り返し。

だけど、「水がキレイ過ぎる場所に魚は住めない」ように、
人間だって、そういう大きなストレスの中にいて初めて、
「自分が幸せと思えることはなんなのか」って事が整理されるんだな
・・と、この年になると分かってくる(笑)。

10代の頃にみんなが画一的に描くような、ある意味分かりやすい「幸せ」
(例えば、いい会社に入って、お金がいっぱいあって、いい家に住んで・・・みたいな)
を、30になっても40になっても追いかけてる人って、すごいオメデタイなと思うよ。
相当温室育ちで、それにさして疑問も持たずに来たんだろうな~ と思っちゃう。

私はそういう人にもし想定外の災難があっても、すぐに助けてあげたいとは思わない。
冷たいかもしれないけど、それは「何があっても自力で踏ん張って立ち上がろう」
という覚悟と努力をしてこなかった本人のせいだと思うから。

そういうのを取り上げて、「冷たい」「人助けをする優しさがない」と
糾弾するのは、とんだ甘えというかお門違いだと思う。


・・・おっと。話がずれた(苦笑)。
閑話休題。


吉原の女性と、メデタクバラ色の一夜を過ごした時次郎。

最後は、時次郎を置いて帰ろうとするワルに、
「そんな事してみなさい!門番にふんじばられますよ!」と
時次郎が言い返すという、とてもわかりやすいサゲで終わるこの噺。

噺としてはココで終わりなワケですが、
私が気になるのは「明烏、その後」。

この噺にもし続きがあったら、いったい時次郎はどうなるのかな・・・?

「お見立て」の若旦那のごとく、それこそヒヨコのインプリンティングのように、
“最初の女”に入れあげて吉原に通い詰めるのか、
女の味を知って「船徳」や「湯屋番」の若旦那のように、ナンパな男に変貌するのか。

はたまた、一皮むけて、落語の世界にはナカナカいない
しっかり者の若旦那になってゆくのか・・・。


男の成長を見守ってゆくのは、女の(私の?)ヒソカな楽しみです。

だから、「成長しない男(高値安定で、成長を放棄した保守派も含め)」には
まったく魅力を感じないのよね(笑)。
時に弱音を吐いたり、休憩するのはいいけど、男には
命が終わるその直前まで、「前進する人」であって欲しいなー と思うわけですよ。


満足度の高い、いい独演会でした。白酒師匠に感謝。

たまには変わった食材や肩肘張る高級レストランもいいですが、
やっぱり「なじみの定食の味」はホッとしますね。


1 件のコメント:

白鳥 さんのコメント...

実は終盤の部分(男の)私も同じ事考えたことあります。
私は演者の「若旦那の演じ方」に寄るんじゃないかと思います。
特に「下げ」の部分をよりいたずらっぽく切り返せるかどうかでしょう。
 私は三遊亭円窓師匠(本当は「円」は旧字のはずだけど私のパソコンでは入力不可能)のものを最初に聴いたんですが、可也いたずらっぽくやってました。
「堅物」からは脱しただろうと思いましたよ・少なくとも私は…。
それでも「頭の良さ」までは失われないだろうから、仰るところの「三つ目」の例のような気もしますねぇ!!
本文の言葉を拝借すれば「そういう『万能な若旦那』が落語の世界に一人位いてもいいんじゃないの?」ってところでしょうか!!?