月曜日, 12月 06, 2010

表現はしても、伝えることはない。

先日、年代がバラバラ(私は真ん中)な人がいる宴席で、
ラジオの話で盛り上がった。
私より少し上の世代は「スネークマンショー」、
私達の世代は「オールナイトニッポン」や「ヤンパラ」が響くわけで。

でも、今の20代ってそもそもラジオを聴いた記憶が
あんまないみたいなんだよね。

ラジオが若者の新しいカルチャー発信源になっていた時代は、今や昔・・・・。

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お芝居を観てきました。

青年団リンク本広企画
『演劇入門』
原作:平田オリザ/脚本:岩井秀人/演出:本広克行


やーーー 良かった!
すごく良かったよ!

演劇に興味がないというか、
芝居独特の「オオゲサ感」に違和感を感じてる人にこそ観て欲しい。

これまで友達の縁で平田オリザさんのお芝居は
何度か観させてもらっていて、わりと関心を持っていたので、
このお芝居の原作である「演劇入門」も既読でした。

原作は別に脚本になっているわけではなくて、ごく普通の文体。
平田さんの真骨頂である「お芝居と日常の境目を究極に曖昧にする感じ」の
理論が、とても分かりやすく書いてある本です。

今回の芝居のほうは、脚本家である岩井さんがこの原作を大幅にアレンジし、
若い頃に様々なお芝居を経験する岩井青年が、「なんか違うな~~」と
思っていた芝居の手法に少しづつ手を加えて、
自分なりの方法論を見つけていく・・・というスタイルで進んでいきます。


すごく印象的だったのは、途中平田さん(のダミーである人形(笑))が
解説する人役で出てくるシーンがあって、その平田人形に、演出家役の人が

 「この芝居で君が伝えたい事はなんだ! メッセージは!?」

と詰め寄った時に、平田人形が

 「表現したいことは無限にあるけど、伝えたいことは特にない」

と言う場面。


・・・モノっすごい共感しました!!

私も、考え方はかなりそれに近い。

自分が生み出すものは、文章やデザインに特定の「意味」を持たせない事で、
観る人の感性が強く刺激されるモノであって欲しい、と、思ってる。

私の書くものは、「私を理解してもらうため」のものでも、
「人を感動させるためのもの」でもなくて、
「無限に生み出される自分の中に存在する“表現”を、アウトプットする手段」だと思っている。


・・・こういう考え方って、落語とかもそうなんじゃないかなー。
落語も、古典は噺の本筋が決まっていて、そこに演出家である噺家が
様々な表現を加えていくわけだ。

だけどそこに、噺家独自のメッセージが加わる事はあまりないし、
舞台装置は扇と手ぬぐいだけだから、高座に広がる世界観は、
すべて聴き手の想像力にゆだねられるわけで。

聴き手はそれだけ難易度が高いわけだけど(何しろ全部自分で考えないと
いけないわけだから)、その分、共鳴した時の感激とか、自分なりに
理解が深まった時の「なるほど!」って感じはひとしお。


もちろん私は、宝塚や劇団四季のようなお芝居を否定しているわけではなくて、
当然ながらあれもひとつの方法論で、あの舞台の中に日常では到底あり得ない
言ってみれば「汗臭くない」ドラマを観て感動する・・っていう考え方もあると思う。

観客の目の中にハートマークが出て、「わ~~~ 素敵ね~~(ウットリ)」
みたいなね(笑)。

新感線とかナイロンのお芝居も、今回の平田さんの考え方とは全然違うし、
昔の状況劇場とか天井桟敷みたいなアングラ系なんて、もっと違う・・・
というか、そもそもみんな「演劇」という概念でくくる事自体に無理があるような(笑)。


・・・なにはともあれ、目の前で、役者さんの息遣いが分かる距離で
観ることができるのが芝居の醍醐味。

演出の本広克行氏は「踊る大走査線」なども手がけた
売れっ子演出家だし、こういう著名な人の名前をきっかけに
お芝居を体験してみるっていうのもいいかもよ。

商業演劇は、チケット8000円、1万円が当たり前の中、
3000円台で楽しめちゃいますし(笑)。駒場で今週末まで。よろしければゼヒ。


*原作の本のほうも面白いのでおすすめ。

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