こないだ友達(NOTクライマー)の前で手帖を開いたら
「グレード比較表」がハラリと落ちてきて「何?」て聞かれたので
その用紙が何かを説明したところ
「なんでそんなん持ち歩いてんの?」と聞かれた。
や。持ち歩くでしょう、フツー!
女子の定番アイテムでしょう!?
------
冬って映画を観るのにいい季節だと思う。
身も心も乾燥してて、物悲しくて、そして映画館が暖かい(笑)。
『エッセンシャル・キリング』
監督:イエジー・スコリモフスキ
出演:ヴィンセント・ギャロ 他
# アフガニスタンの渓谷をアメリカ軍の追跡から逃げようとする
# アラブ人テロリストのムハンマド。
# 一度は捕まったものの、移送の途中車が道から転落し。
# ムハンマドは事故に紛れて雪に覆われた山の中へ逃げ込み、
# 孤独な逃亡が始まる
「ムハンマド」って・・・ギャロ、アラブ人じゃないじゃん。
というツッコミはこの際置いといて。
ギャロさんといえば、「バッファロー66」ですよ。
以降、音楽や芸術など、相当多方面に彷徨いつつも、
俳優業も引き続き行っております。
「バッファロー66」では、「ああいう役」なんだという認識
だったけど、どうも彼は正真正銘の「ダメボクちゃん系」なんじゃないかと思う。
自分の才能を信じていろんな事やってみちゃったりして、
でもどれもわり中途半端になっちゃったりして、
で、「どうせ俺には才能がないんだーー!」とか言って、
女の胸に飛び込んで、「ヨシヨシ」って頭なでなでしてもらう・・・
みたいなねw
ダメんず系女子(←私だ)にとって、
「腹が立つのにほっとけない系」とでもいうか。
以前フジで、グリーン(メインステージ)の前を通ったら
ステージでなんだか微妙に音がずれるギターをかき鳴らしてる人がいて、
「なに?音声テスト中?」と思ったら、ギャロ@本番中だった、という事があり。
・・味があるよねー。ギャロさん。
そんなギャロさんが、ただただ逃げる・・・今回の映画はそんなお話です。
込み入ったストーリーは一切ないし、
逃げている場所もよく分からず、
本当にただただ逃げてるだけなんです。
なのに、中盤少々退屈なところがあったものの
わりと最後まで観れたのは、「人って“生きる”という欲望があれば
なんでもできるんだぜ!」っていう気迫が伝わってきたからかも。
映画のタイトルが「エッセンシャル・キリング=不可欠な殺人」
であるように、ムハンマドは生きるために人殺しもいとわないわけなんだけど、
それよりも、ある時は木の皮を喰い、ある時は赤ん坊のいる女性を襲い
母乳を啜って(!)でも“生き抜く”ことにこだわる姿は、
なんていうか「滑稽」ですらある。
結局、生きることって、かなり「滑稽」な事なんだよね~
そのある種の滑稽さを出すのに、ギャロはベストキャスティングだったなとは思うw
人間の人生において、「いらん事」をぜーんぶ削ぎ落とすと
ああなるんだろうな。
ただ「生きる」って、「呼吸して食べること」ではなくて、
趣味とか人間関係とか仕事とか、「文化的な営み」ってやっぱり不可欠で、
社会学的な「生きる」と、今回の映画のような生物としての
「生きる」とは全然意味が違うんだよね。
映画は、最後ちょっとモヤモヤした感じで終わるんだけど、
今思えばあれは、生物としての「生きる」と、
文化的人間としての「生きる」の境界線みたいなものを
見せたかったのかもしれないな~ なんて思ったりもした。
「バカと天才は紙一重」っていうけど、
「笑いと慟哭も紙一重」だなって、最近本当によく思う。
それが分かるだけ、私はいろんな事を積み重ねてきちゃった
(=要は年をとった)ってことなんだろうねえ(笑
よろしければ。
0 件のコメント:
コメントを投稿