木曜日, 5月 14, 2009

仏流哲学事情

「私はあなたの意見には反対だ。
 しかしあなたがその意見を主張する権利は全力で守る」
-- by ヴォルテール

資本主義下における健全な議論の基本です。

人の意見に反対する事と、相手を不快にする事は
本質的に違うわけなんですよ..。

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と。全く関係ない始まりですが、
皆様、初夏のひとときをいかがお過ごしでしょうか?

あたしは仕事っすけど。

今日は映画の話なぞ。・・・って、もーイイっすか?(笑)
たぶんここ半年は、人生で2度目の映画熱期に入っておりますので
何卒ご了承ください。

今回は、エリックロメールの「春のソナタ」

ちょっと前にゴダールの映画を観た時に
ロメールの映画の予告編やってて、
10代の頃「夏物語」を観たのを思い出しました。

私の1回目の映画熱期は20歳前後だったように思うんだけど、
あの頃は、観たい・観たくないじゃなくて、
「B級」「サブカル」という基準で映画を選んでいたような気がする。

なんつーか・・・・要は“カッコツケ”?(笑)

そういうある種難解な映画を観る事で、
なんとなく自分も「文化人になった気がした」っていうか。

あの頃、そういう映画をなんとな~く観てたのは
無駄ではなかったと思うけど、そういう鑑賞法ゆえに
あまり覚えてる映画がなくて、今、新鮮な気持ちでまた見られるのは
返ってラッキーなのかもしれません。

20代も中盤になると、音楽とかスポーツとか合コンとか(笑)、
興味の範囲が移っちゃって、あまりまとまって映画を観た記憶がない。
もったいないな~。いま思えば。

 ・・・と、余談が長くなりましたが、
 そんなわけで「春のソナタ」。

80年代の映画なので、さすがにファッションとか
かなりクラシック(しかも80年代って、まだ「レトロ」
とも言い切れない中途半端なダサさがあるからね・・)。

でもなんかねえ~・・・・いい映画だよ。ジワっとくる。

「春のソナタ」ってタイトル、最高だと思う。
本当にそんな感じなんだもん。

すごーい乱暴にあらすじを言うと、「18歳のナターシャが
知り合った女性ジャンヌがとても魅力的なので、自分の父親の
恋人にしたいと考える。でも色々ありまして・・・」という話なんだけど、
とにかく全体に漂うフランスな感じがとっても自然。

父親の恋人が娘と同世代とか、親子ほど年の離れた友達とか、
こういう設定って日本ではあまりなじみがないけど、
個人的にはすごく自然に受け入れられました。

男女や年齢に関係なく、「惹かれあうもの同士」が近づく時って
時代とか文化を超えたものがあるしさ。

ジャンヌの仕事は高校の哲学の教師なんだけど、
作中にも哲学的な会話が随所に出てきて
すごく難しいんだけど、つい聞いちゃう。


・・・・てゆーか、フランスて、高校に哲学の授業が
あるんだ!ってことにビックリしたよ。

哲学って突き詰めると「人は何故存在するか」
っていう学問なので、それを高校生が勉強するって
相当早く大人になるよね。。

日本の高校にもあればいいのに。

そしたら、30にも40にもなって
子供みたいに自己中だったり、
様々な配慮のないアホな人間が少しは減るかもよ
(と、フランス映画っぽくシニカルに終わってみた)。

2 件のコメント:

りりか さんのコメント...

またこんな事言うと日本批判だとか
非国民とか言われそうですが、
日本人に足らないのは圧倒的に“哲学”だと思います。私もwwww

ヨヨ さんのコメント...

りりか さん>

>日本人に足らないのは圧倒的に“哲学”だと思います。私もwwww

私の知り合いで「弟が東大の哲学科卒」って人がいてさ、
まーとにかく就職できないらしいのよ。哲学科卒って。
弟はいたって朗らかな人なんだけど、やっぱ「頭でっかちで
扱い面倒なヤツ」って思われがちみたい。

日本の哲学って、英語の「Philosophy」とは
ちょっと解釈が違う気がする。

日本の「哲学」にはすごくアカデミックなニオイが漂うけど、
「Philosophy」はもっと日常に密接してる感じ。

私はお勉強としての哲学は全然わかんないけど、
「自分の存在と、自分以外の生きとし生けるものすべてとの関わり方」
(つまり平たく言えばコミュニケーション術だと思うけど)
を考えるうえでは、「哲学的な考え」は常に持ちたいな~と思うよね。