火曜日, 6月 29, 2010

自由 は 責任 in Okutama

ボーナスが驚愕の金額になってた・・・。
10ウン年若返った気分だわ。

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農家の皆様にはめぐみの雨ですが、
アウトドアにすっかり魅了されてしまった人には、
梅雨のこの季節は憂鬱なのです。

でも、そんなことを言って家に閉じこもってる
性格でもないので(笑)、奥多摩に行ってまいりました。

今回は20数名の大所帯で、日本人と外国人が半々という構成。
国際交流的なノリのアウトドアチームで
登山もできて、英語も使えるならコレ幸い というわけでの参加でした。


結論からいうと・・・・ユルい。なんともユルい(笑)!

いや・・・「ユルい」というかですねー。
強烈な個人主義 とでもいうのかな。

リーダー(英)の事前の計画の立て方が強烈にユルかったので、
もうその時点でかなり危ないと思ってたんだけど(笑)、
実際行動をともにしてみて、「“自己責任”とはこういう事だ!」と、
改めて突きつけられたというか。

まず、集合がユルイ。

新宿での待ち合わせ。
車で現地に行く人とか、四谷から奥多摩まで自転車で(!)
行く人とか、色々な人がいたのにも関わらず、
リーダーが新宿集合の人を把握していたわけでもないので、
点呼するでもなく、目的の電車が来たら乗っちゃう。
いいんだ、それで(笑)。

途中、青梅下車して買い物。

夜のBBQの食材調達だったんだけど、
みんなでまとめて食事を作るというより、
適当にグループになって、何人かで何作るか決めてくれと
いPotluck式で、そこら辺の人と適当にグループを作って、
メニューもその場で決めて、個々で買い物。後で清算。
いいんだ、それで(笑)。

で、ロッジ着。

ロッジはすごいイイところで(またゼヒ使いたい!)、
1部屋4~5人を5グループに分けて泊まったんだけど、
事前の部屋割りに納得の行かない人もいて、
仏人チームにひとりだけ入ったアメリカンが部屋替えろと
言い出したり、安いならベッドじゃなくて寝袋でいいといったり、
もう収集つかないことに。
でもそんな感じでも、その横で我関せずで
BBQの火を起こし始める人がいたりして・・・なんつーか自由すぎ。
いいんだ、それで(笑)。

夜はBBQ。いろんな人と気兼ねなく
話ができるのがとても良かったし、
参加者の国籍がばらばらなので、BBQとはいっても、
インドカレーから、タイサラダ、中華炒め、お好み焼きまで、
本物の(まさに本場の)のワールドワイドな食事がいっぺんに
楽しめるのはある意味とても贅沢だった。

でも、とにかく無計画に買い物をしているので、
食材の余り方が半端ない(苦笑)。
元々バラバラで買い物しているうえに、
荷物担当で車で来てくれた横須賀のアーミー(米)がいて、
その人が、基地で調達した肉を大量に持ってきたので、
もう残り物が原始人の肉塊のように・・・。
いいんだ、それで(笑)。
(あ、でもモッタイないので、それは翌日のランチになったけど)。


初日は何もしていないので、夜、体力のあまった人たちで
ナイトウォークに。

元々リーダーが「探検志向」な人で、
道なき道を行きたがる人だと他の人から聞いてたんだけど、
そのナイトウォークも、ナゾな藪道をひたすら前進するルートで、
本人は分かってたのかもしれないけど、付いていくほうは半端なくコワイ。

・・・ていうか、途中まで行った道を、「この先は川だった」
という理由で一度引き返したので、絶対分かってなかったと思う(笑)。
実は結果として、これはチョー楽しかったんだけど・・・
いいんだ、それで(笑)。

翌日も、まあ起床時間も特に決まってないので
なんとなく集合で、小雨のなか、奥多摩湖周辺を歩くルートに
でかけるのも、チェックアウト10分前に決まり・・。


・・・・とまあ、書いてるとキリがないほど、
とにかくやることなすこと自由奔放なんですよ。これが。

なんか、NZに住んでた時、アヴォンデールという湖畔に
住んでた友達のフラットが、外人(つまり私も外人)の
たまり場になっていて、そこの雰囲気を強烈に思い出した(笑)。

イイとか悪いとかではなく、とにかく日本人とは
違いすぎるので、「前に、別の場所でロッジの使い方
などで管理人の人と揉めて出禁になったんだよね」・・・・という
エピソードも納得ですわ(苦笑)。


でも、実は私は結構学んだこともあって。

まず、無計画でもポイントポイントを抑えてさえおけば、
むしろハンドルの“遊び”のような余白があったほうが、
コトがスムーズに進むこともあるんだな とか。

今回は、山らしい山には登ってないけど、
登山はやっぱり強烈な自己責任の元に楽しむスポーツなので、
余力のあるうちに、自分判断で途中ギブアップしたりするのは
絶対必要なことだな、とか。

 # 余談だけど、スポーツクラブのスタジオに、
 # 「体調が悪いと思ったら、勇気をもって運動を辞めましょう」
 # なんて貼り紙がしてある国、日本だけだと思う。


あと、今回は当然共通語が英語なので、
意思疎通はすべて英語なわけだけども、
英米以外の、英語が公用語じゃない人(もちろん私以外の日本人も含む)は、
みんなフランクな会話も含めてまったく困ってない人が多かった。

難しい単語は一切使ってなくても、ちゃんと英語を
「ツール」として使ってるんだよね。

こういう事があると、
自分の英語のハンパさ加減に絶望するし、
相手の言ってるコトが半分も分からなかった時は
恥ずかしいをとおり越してもう開き直るしかないんだよ(苦笑)。

でも今回、「だからイヤだった」んじゃなくて、
こういう風に自分を定期的に鼓舞することで、
もっと英語を身に付けたい!という欲求が出てくるって分かった。

やっぱり生活において
適度なストレスというか、刺激は必要です。


・・・・私はどんなスタイルの登山もアリだと思ってはいるけど、
正直、難易度の高い山を、性質的にまったく違う
このチームで登るのはちょっとコワイ(苦笑)。

でも、「使い分け」というと言葉は悪いけど、
簡単なハイキングなんかには、また参加したいと思う。

なにしろこの自由さは、
捨てがたいものがあるね(笑)。

*2日目は、小雨降る中ではピッタリの
 湖畔ウォーク12km。なかなかいい。

金曜日, 6月 25, 2010

地球の声を 聞いてみる

会社の冷房が例年になく寒い。
私に冬山の訓練をさせているのか?

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友達のお誘いで、パタゴニアが主催する
登山家・戸高雅史さんのスライドイベントに行ってきました。

戸高さんが20~30代の頃に登った、K2やチョモランマ(エベレスト)
のスライドを中心に、普段撮りためた雄大な自然写真を
語りと音楽で紹介する1時間半。

以前、戸高さんがガイドするツアーに
参加したことのある友人から、「雅さん、変わった人だよ」
と、事前に聞いてはいましたが・・・・

確かに。変わった人 でした。

突然歌いだしたときは、
どーしたのかと思ったし(笑)。


でもね、全然イヤじゃないの。

だって本当に自然なんだもん。

自然の中で、突然何かビビっ!と身体全体で
インスピレーションを受けるときがあるそうで、
そういう刺激の結果、勝手に沸き出てくるものを
リズムや歌にしてどんどんアウトプットしてゆくんだって。

アーティストだよね。
・・そうか! 山屋はアーティストだったんだ! 発見!

そんな戸高さん、K2やチョモランマでは
無酸素・単独にこだわった方で、
当時は、「孤独」ではなく「単独」で8000m峰に登る事の意味を
ずっと突き詰めてたって言ってました。

私、その話にものスゴイ共感!

・・・そうなんだよね。

物理的に「独り」でいるのはむしろ良い時間だと思うけど、
「孤独」というのは、それとはまったく違う概念なんだよね。

戸高さんのように、
そういう極限状態に一度向き合った経験がある人は、
本当の「孤独」の意味を知っているから、人に優しくなれるし、
ああいう「宇宙的」(スケールが違う感じ)な人になったんだろうなー。


戸高さんは、チョモランマでは山頂を踏んでいないようなんだけど、
私は「ピークを踏まなかったから分かったこと」っていうのが、
たくさんあるんだと思う。

それは、逆に言えば登頂に成功した登山家には
決して得られない経験なわけで、ある意味登山の本当の意味は、
そういう人のほうが分かっているんじゃないか とも思ったりした。

成功よりも、挫折の中にあるもののほうが深い と 思う。


今はあらゆる情報があふれているけど、
やっぱり結局は、自分の身体をフルに使って
経験したことのみが大切なんだな。

あんな風に、周囲の空気に風のように
溶け込める人って本当に尊敬します。

戸高さんはすごーくユルい感じの方だけど、
人間のベースにある“芯の強さ”みたいなものを感じました。

大いに刺激を受けた。

私も、自分の「こうありたい」
という登山スタイルを見つけていきたいな。

*パタゴニアの商品は、お値段の都合上、
 なかなか手が届きませんが・・(笑)。

水曜日, 6月 23, 2010

カッコ悪くていいじゃん!

とうとう“ヤツ”に
出会ってしまいました。。。

真夜中の突然の出会いでした。

30分以上の格闘の末、
勢い余ってソファから落ちて
したかかに腰を打ちました。

大好きだけど、憂鬱な夏が始まるな・・・。

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映画です。久々の邦画。

「ボーイズ・オン・ザ・ラン」
原作:花澤健吾
監督・脚本:三浦大輔


正直、漫画原作の映画は、これまで100発100中で
ガッカリしているのですが、今回は原作を知らない
のでそこはオッケーです。

今回は、監督の三浦大輔(ハマの番長ではない)興味で。

彼の本業は「ポツドール」という劇団を主宰する劇作家で、
実は昨年ある雑誌の対談で彼の記事を読んで以来、
「この人の芝居が見たい!」と、ずーっと思っていたんですが、
今日までチャンスがなく来てしまいました。

で。先日、彼が映画も撮っていることを初めて知り、
この映画を観に行ったわけです。


 # 弱小オモチャ会社の冴えないサラリーマン、田西敏行。
 # 年齢=彼女いない歴の29歳、人付き合い下手、実家暮らし、
 # 自分の誕生日をテレクラで迎えちゃうような
 # ダメ度100%の男にも、恋の予感が訪れた・・・。


やー。すごかった。

後で原作者の花澤健吾のことを調べて納得したんだけど、
彼の作品の根底には「女尊男卑」精神があって、この世の中、
生き抜いてゆきやすいのは女で、
非モテのダメ男は世間からゴミ同然の扱いじゃないか!という
叫びがあるわけです。

まー・・・・「女尊男卑」は大げさだと思うけど、
確かに人生においてダメになった時の
「悲壮感の強さ」は、男性のほうが数倍大きい。

男性は、本当に惨めになると「明日死んでもおかしくない」みたいな
生気のない姿になるけど、女性はあるところまで落ちると、
根性発揮して逆にドーンと立ち直っちゃったりしちゃう人、多いしね。

この映画にもそのパワーがいかんなく発揮されていて、
主人公・田西の救いがたい“ダメさ加減”とか、ヒロインちはるちゃんの
カマトトぶってるけど、ものスゴイしたたかっぷりがある意味リアル。
映画として脚色されたりオブラートに包んだ感じはまったくなくて、
ダメで、ズルくて、エロくて、コ汚い日常が、当たり前のように描かれています。

みうらじゅんの撮る映画に似てるかも
(ま、主演が銀杏BOYZの峯田君って時点で似てるね)。


しかし。男の人にとって、恋愛ウンヌンはともかく、
「モテるか否か」というのは死活問題だなー。

でも、私はそれでいいと思う。

男性は、そういうモチベーションが自分の人生を
変えるきっかけを作った人はたくさんいるし(生涯の趣味に出会ったとか)、
極論を言ってしまえば、人間(特に男性)の生きる
モチベーションなんて、それだけでしょう。

これも批判を承知で言ってしまえば、
男の人のほうが、「バカでエロで単純で気が小さくて
まっすぐで純粋で正直」・・・・に、決まってるんですよ。

だって、オスってそういう生き物じゃないと困るでしょう?
遺伝子的には。

そういう男性達と、「ズルくてアホで狡猾で残酷で
可愛くてセクシーで頭の切れる」女性達が一緒になるから、
恋愛は面白いし、素敵になるんだもん。


・・・あ、いかん。
ダメんズ思考の女性を無駄に刺激する
映画だったかもしれない(笑)。

だってカワイイよ。主役の田西君。アホだけど(笑)。


三浦大輔さんのお芝居、
今度こそ必ず観に行こうと思います。


* 二本立てで「(500)Days of summer」も観た。
 ビバヒルっぽい、青春恋愛ムービー。
 「私にも、まだまだこういう映画でキュンとなる
  部分があるんだわ!」という事は収穫でしたが(笑)、
  ま、テレビ(DVD)でも十分かと。



月曜日, 6月 21, 2010

もっと「好きだー!」 と言おう

gmailで、文中に「添付」という言葉を使って
メールを送信しようとすると、
「添付と書いてあるけど、添付がないのですが
 お忘れではないですか?」
っていうメッセージが出る事を発見。

gmail、よく気が付く嫁みたいだっ!

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「家飲み」づいた週末。
金土日と、毎日誰かのウチで飲んでました。

そんな中、土曜日は先輩の家でサッカー観戦パーティ。
最近ホームパーティというともっぱら
Potluck(持ち寄り)が多かったけど、
久々に、手ぶらの“お客様状態”でのお邪魔です。


ワールドカップは、前回も前々回も
1回は人んチなりスポーツバーなりで観戦をしたけど、
私は完璧な にわかサポーター なので、
サッカーのルールらしいルールをほとんど知りません。

・・・まあ結局、私にとってサッカーは、誰かの誕生日とかと同様、
「飲み会の言い訳」になっているだけなんですが(笑)。

でもそんな私でも、こういう大会があると
突如として愛国心が芽生えるから不思議。

まあ、欧米は普段から愛国心の強い人が多いので
あれには負けるけど。
特にアメリカに至っては、辟易するほどI love USA.
正直あれはどーかと思う(笑)。


・・・少し話は飛ぶけど、昨晩NHKで、
中国残留孤児の方達が日本に帰国してからの
暮らしを追ったドキュメントをやっていた。

姉妹は、6歳・9歳の時に満州の解体とともに
大陸で悲惨な暮らしをし、
その後2人とも中国人に育てられた。
中国で中国人として中国人の名前で60年を生き、
中国人と結婚し、もはや日本語は話せない。

そんな70代の姉妹が、そろいもそろって
日本への帰国を決めた。

70代の彼女達にとっては、既に慣れ親しんで、
子供達もいる中国での暮らしのほうがラクに決まってると思う。

しかも妹は、10年前、自分の日本での身元引受人を、
復員後に自分だけ日本に戻っていた実父に頼んだところ、
「今は自分にはその余力もない」と断られたという悲しい経緯がある。

それでも彼女達は、人生の幕引きを日本でしたいという。

彼女達は言う。

「私達は既に中国に60年住み、生活に困ることはないけれど、
 その生活は、常に頭を低く下げ続け“お邪魔します。お邪魔します”
 と唱え続けている人生でした」

彼女の夫たちは言う。

「日本に戻ってきた彼女を見ると、まるで水に放された一匹の魚のようです。
 彼女の中に、こんなに抑圧されていた部分があったなんて、
 私は彼女と50年近く一緒ですが、知りませんでした」

と。


・・・結局、愛国心ってそういう事なんだと思う。

どの国がいいとか悪いとか言うことではなくて、
育った場所の水・空気・匂い・音・光。そういったモノへの郷愁。

私も、日本の「結局は責任の所在を曖昧にして
しまうような、ゆがんだ合理主義」とか大嫌いだし、
死ぬまで日本に住み続けたいとも別に思わない。

でも、やっぱり私は「日本人だー」
と実感する瞬間は、特に海外にいるときなんかは
強く感じるし、日本の事をバカにされた時は悔しいし悲しい。


日本は、戦争の歴史から「愛国心」という
言葉に抵抗がある人が多いし、確かにこの言葉には
強烈なイデオロギーがあるので、だったら「愛国心」
って言葉は辞めたっていい。

なに? 「日本愛」?「自国愛」?

ま、なんだっていいけど。


サッカーの結果はご存知のとおり残念だったけど、
最近はみんなが少しづつ、素直に「日本が好きだー」と
言えるようになっている気がして、ちょっと嬉しい。


世界中の人が自分のお国自慢ができて、
それを世界中の人が笑顔で聞ける世の中に
なればいいよねー。

木曜日, 6月 17, 2010

メイワク デモ ニクメナイヒト

googleツールバーのバージョンを
上げてから、「急上昇」という
直近に検索回数が急上昇したワードを見れる
メニューを使うのが楽しみだ。

ちなみに最近1ヶ月の「急上昇」第4位は、

 「夫 死んでほしい」


・・・・私、ニッポンの行く末が激しく不安なんですが。

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落語連チャンだけど。

「立川志の吉独演会~その21@八重洲」


21回かー。ヒト桁台から見ているけど、
最近は、空席がまったくといっていいほどなくなりました。


番組はこちら↓

・湯屋番(前座:立川こはる)
・看板のピン
 --仲入--
・寝床


前座のこはるちゃんは、談春師匠の弟子で
立川流(たぶん)唯一の女性。

私は過去に何度か彼女を見ていて、
前座さんらしいまっすぐさで、
つい応援したくなる彼女が気になっていました。

女性の噺家は何人かいるけど、
落語という芸能は、さまざまな側面で「女性が難しい」芸なんだよね。。
実際、過去の女性噺家は、聴いてて「ん~~~~」と思ってしまうヒトも多い。

同姓としては応援したいんだけど、
こればっかりは、男女差別とかではなくて、
どうすることもできない部分なので。。。


彼女は、そういう先輩女芸人の挫折を知っていて、
そのうえでこの世界に飛び込んでるわけだから、
覚悟はいかばかりか・・・。

「芸」がすべての世界だから、同情とか、アイドル的な「応援精神」が
いいことがどうかはわからないけど、私はこれからも是非応援していきたい。


さて、そして本題の志の吉君。

ここ数回は「文七元結」とか「芝浜」とか、
真打意識しまくりの演目を並べている彼ですが、
今回も、明らかにチャレンジネタ「寝床」をもってきました。

 最近、義太夫に凝っている大店の旦那。
 へたくそな義太夫を聞かせられないよう、
 なんだかんだと言い逃れをするご近所や長屋の面々ですが、
 いよいよ逃れられず、「義太夫の会」に参加せざるを得なくなる。

 気持ちよさげに自身の義太夫をご披露する旦那だが、
 ヒドイ芸をなんとかまぎらわそうと、ギャラリー達は早々に酒をあおり、
 そのうちみんな眠気に耐えられず・・・・


寄席では長いので滅多に聴けませんが、
独演会などではわりとやるヒトが多い演目です。

登場人物、場面展開が多いので、
かなり難しい噺のひとつだと思います。


この噺、たぶんドラえもんの「ジャイアンリサイタル」の
ネタ元になっているんじゃないかと思うんだけど、
要は、「下手の横好き」を笑うお話です。

いるよねー。こういう人。

決して芯から憎めないんだけど、
細かいところで人にメイワクをかける っていう・・・(笑)。

こういう人は、最近はわりと排他される傾向にあるけど、
私は、この程度の「他人に迷惑をかける人」が
笑って済ませられるくらいの、包容力のある文化であってほしいなって思う。


なんでも「ウザい」とか
ひとことで済ますのって良くないよ。

特に人間同士の関係って、そんな貧相な言葉で
済ませられるものじゃないし。
例え自分が「合わないなー」と思う人だったとしても、
単に「面倒」で済ませず、何故合わないのか?
他の側面から見たらどうか?とか、みんながもっと
掘り下げて考えるべきなんじゃないかと思う。


ま、そのうえで「合わない」のであれば、
それは無理に付き合う必要もナイんだけどね(笑)。


今回の志の吉君の「寝床」は、正直50点てトコかなー。
(などとエラソーに)。
でも、少なくとも「芝浜」よりは彼に向いている気がするので、
「寝床と言えば志の吉」と言われる大名跡になるようになってほしい。
私もそれまで応援したい!

・・・ま、大名跡っていうのは70過ぎてからだから、
ほぼ同世代の志の吉君がそう呼ばれる頃には、
私も生きているかどーかすらわからないわけですが。

月曜日, 6月 14, 2010

見えてるものは「正しいもの」?

グラタン作ったらどーも牛乳がビミョーだった・・。
賞味期限内だったけど、牛乳っていうのがコワイ。
そう思って使ったので、お腹痛い気がするから不思議。

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行ってきました。

 「三三・喬太郎二人会」@北沢

友人が出張で行けなくなったチケットを
譲ってもらいました。わーい。


開口一番:子ほめ(さん喬弟子)
漫才  :ロケット団
柳家三三:おばけ長屋
  --仲入--
林家しん平(挨拶)
柳家喬太郎:心眼


今回はやはり「心眼」が刺さりました。

「心眼」は、私の大好きな話のひとつです。
落語には「爆笑噺」「バレ噺(色っぽい噺)」「人情噺」など、
ある程度カテゴリーがあって、「心眼」は人情噺といわれる事が多いけど、
私はそのどれにも当てはまらない気がしていて、
あえて言うなら「哲学噺」とでもいいますか・・。含蓄の多い話だし。
内容は全然違うけど、「宗論」とか近いかな。


 *自分に尽くし、労ってくれる素晴らしい女房を持った盲目の按摩の男。
 *ある日男は「目が見えるようになりたい」と
 *薬師様に日参する。満願の日、ついに男は目が見えるようになる。
 *見るもの全てが珍しく、なじみの客にも「初めまして」と挨拶。

 *そして男は、自分の容姿がかなり良い事(今で言うイケメンですね)、
 *自分の嫁が稀代の醜女であること、
 *自分に惚れている芸者がいる事を知る。

 *目が開いた興奮さめらやらぬまま、芸者と飲みに出た男は、
 *芸者に「ずっと好きだった」と告白されて
 *「ウチの女房のような醜女となんぞみっともなくて暮らせねえ。
 *追い出しておまえをめとって所帯を持つ」と言い出す。

 *そこに現れた女房が、怒りのあまり男の首を絞め・・・


・・・サゲは、実は落語ではポピュラーな「夢オチ」です。
今の小説やドラマでそれをやったら素人同然のラストですが、
落語の世界では許されますよー(笑)。

女房に首を絞められた男は、胸苦しさに目を覚まし、
それが夢だった事に気が付きます。そして男はひとこと、

 “不思議なもんだな。めくらっていうのは、
  寝ている時ほど、物がよく見えらぁ・・・・   ”

というサゲです。

この噺、たぶん一番言いたいのは
「見えないモノを見よ」という事なんだと思います。

この、

「実体のないものにこそ物事の本質がある」

という考え方は、ある意味とても
現代的でアーティスティック。だと思う。

自分の心の目で見たものを信じて、
それを絵や音楽にするアーティストはたくさんいます。

たった50年100年前、例えば、絵画で言えば印象派の時代は、
見えていないものを描くことは「稚拙」とすら言われていた
時代があったわけです。
遠近感や質感のない絵は、ただの「下手な絵」で、
より写実的に、より明るいトーンで描くのがよいとされていた。

でも現代アートは、ピカソやダリを始め、
誰にも見えないものをキャンバスに残しているよね。
そして、ありえない人間の姿や、ありえない形の壺の絵が、
見る人の感情に訴えるわけです。

私は、ゴーギャンやルソー、ロートレックの絵が好きだけど、
あれだって、写実的というより「人間の持つあふれる生命力」を、
なんとか絵にしようとした作品だしね。
モデルはいると思うけど、「その通りに描こう」とは
ハナから思っていない。

・・・この「心眼」という噺にも、それらの絵のような、
哲学的というか、言葉では説明できない「パワー」
のようなものがあると思います。

人間の幸せが、お金・容姿・地位といった
「見えるもの」にだけあるのではないことを、
日本人はもう何百年も前から、ちゃーんと知っているのですね。


個人的には、久しぶりに喬太郎の古典がじっくり聴けてよかった。

また聴きたいな。

木曜日, 6月 10, 2010

「好きな事は仕事にしないほうがいい」、のか?

今年サマソニにスマパンが来るけど、
オリジナルメンバーはビリーコーガンだけなんだよね。。
最近、そういう再結成が多いな。

それってもはやスマパンと言えるのか・・・?(苦笑)。

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最近取材の仕事で、若手ベンチャー社長(30歳前後)に
定期的に会うのだけど、会うたびに彼らが
私のような団塊ジュニアとは
完全にひと世代違っている事を実感する。


私は20代の頃、仕事柄わりとIT系の“当時”若手のベンチャー社長と
呼ばれた人たちと話す機会が多かったのだけど、
その当時はインターネットの黎明期で、とにかく「ネット」という
無限の可能性を秘めた新たなチャネルができた事に
興奮している人が多かった。

90年代、ネットが今後爆発的に普及してく事は容易に想像できたし、
それでいて歴史がないので、「完成されたライバル」がいない。
何より、モノを仕入れたり作ったりする類のものではないので、
元手やリスクが少ないという、若くして「起業したい!」という
野心のある人には最高の素材だった。

でも、ソフト(=インターネット)があっても、
ハード(=会社・組織の運営ロジック)に目新しいものがあった
わけではないので、あの当時は、ある種体育会系のガムシャラ感を
持った旧来型の社長も多かったし、ネット系の広告代理店とか
WEBサイト作成など、「ネットそのもの」を商材にしている人が多かった。

でも今の若手社長は、対外的にIT社長と呼ばれたとしても、
本人は「僕はIT系社長じゃないです。
Webはあくまで“いちメディア”であって、
そこで扱っている商材が何か が勝負どころ」という人が多い。


そして何より、最近の若手社長の話を聞いて
大きな違いだと私が感じたのは、

 『起業が先か、テーマが先か』

ということ。


昔(と言っても10年位前なんだけどさ・・)は、
まず「起業するぞ!」という情熱ありきという人が多かったように思う。

起業のために様々な金・情報・人脈を集め、
その中で資金的に実現可能で、かつビジネスとして成立しそうなテーマを
探していく・・・というパターンが多かった。

でも、今の若手社長・・・・つまり、ITバブル以降に
社長になった人は、まず
「こんなテーマでビジネスがしたい」
「これで世の中の役に立ちたい」
という事ありきという気がする。

昨今のソーシャルアントレプレナーは、
完全に20代社長中心だしね。

だから、そのビジネスに対する愛情は深いし、
何より自分が、楽しく・そのテーマに興味を持てるかという事に
高いプライオリティーを置く。当たり前のようだけど、
実はちょっと前の起業家はそうじゃない人も多かった。

極端な事を言えば、会社を大きくしていく事は、
二の次三の次で、会社を大きくして次世代に繋いでいこう
なんて事には興味のない、まったく新しいタイプの社長さんなのだ。


ひと昔前なら、

 「好きな事を仕事にすると後が辛いよ」

なんてアドバイスが聴こえてきそうだよね。

これって結婚なんかでもよく言われる、

 「2番目に好きな人と結婚するのが幸せだ」

というのとちょっと似てる。


私は、まさに団塊ジュニア世代なので、
この意見はすごくよく分かるし、納得感もあるんだ。

私たちの世代は、どんなに振り払っても、
「楽しくチャラチャラと仕事する事への罪悪」
「若い頃の苦労は買ってでもしろ、という言葉の重み」
という呪縛が、わずかながらあるような気がする。


でも・・・・若手社長と話していると思うの。

彼らは、「好きな事を仕事にすると後が辛いよ」なんて
言ったところで、「なんで? 仕事を楽しむためには
好きな事のほうがいいじゃないですか?」と返すだろう。

確かに。そりゃそーだ。

それに若手社長達は、取材でも、プライベートな事も含め
なんでもあけすけに話してくれる。
いい事ばかりでなく、「今回の商品に関して、妻に○○と説教された」
なんてことまで。
公私の垣根が非常に低いのだと思う。

ひと昔前なら、「家庭の事情を会社に持ち込むな」
などと説教され兼ねないスタイルだよね。


団塊ジュニア社長のやり方と、20代若手社長のやり方。
どちらがいいかどうかは分からないし、
きっとどちらも「アリ」なんだとは思う。

でも、「好きな事を仕事にすると後が辛い」なんていうのは、
もしかしたら、好きな事を仕事にできなかった人や、
「泥臭い努力や苦労」「懲役のような上の理不尽にひれ付すこと」
を無駄だったと思いたくない年長者たちの
単なる“言い訳”や“嫉妬心”なのかもしれないナ。


「仕事は好きな事、楽しい事のほうがいい」
「仕事と私生活の垣根は特にない」

という若手社長の声は、ある意味
とてもシンプルですがすがしい。何より正直。


若手社長から学ぶ事はとても多い。

こういう経験をすると、
「学ぶ」というのは、何も年上の人や
著名な先生からだけじゃないのだ という事を痛感する。

様々な経験を経て、既に自我が確立されつつある
「ミドサー(=ミドルサーティ。アラフォーとは言わんぞ(笑))」
の自分だからこそ、
頭を柔らかくして、社会立場や性別、国籍、年齢等に関係なく、
どんな人の言葉にも柔軟に耳を傾けられるヤワラカサを
持ち続けたいなー と 思う。


*やわらか戦車。
 ・・・そーいや、「やわらかあたま」は糸井重里の
 名コピーだったような。違ったかな? 古いな。

火曜日, 6月 08, 2010

天上の国

よく「歴史的な名言」みたいな表現ってあるけど、
あれって結局「何を言ったか」じゃなくて、
「誰が言ったか」なんだと、シミジミ思う。

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はるかなー尾瀬ー♪ です。1泊で。

尾瀬というと、「湿原」「木道」「ミズバショウ」。
スニーカーに小さなバックという軽装で、
老若男女が自然を楽しめる場所・・・というイメージでした。

しかーし!
なかなかどーして、これがまたバリエーション豊か。

まず鳩待峠をスタートすると、
湿原はアップダウンのない木道が続きます。






今はミズバショウが最盛期。
最高の天気の中、背中に至仏山、前には燧ケ岳を
従えた道を、ひたすら前に進みます。
標高1400mの山の上にこんな天国のような世界が
広がっているなんて。。とにかく、歩いても歩いても
まったく飽きることがありません。

ところどころにミズバショウの群生地があって、
短い命を競い合って咲かせていました。




命短し 恋せよ乙女。

初日は木道のみの4時間程の行程。

小屋は、山小屋とは思えないような
充実の設備で、ナント温泉も楽しめちゃいます。

食事もとても充実していて、夜の宴会では
ツマミがお腹に入らなかったかったほど(笑)。
てゆーか宴会できる小屋(個室だったので)自体、
異例っちゃー異例です。

満天の星空は、なんだか自分が一瞬どこにいるのか
分からない気分にさせてくれます・・・。


翌日は、名瀑として名高い(らしい)
三条の滝からスタート。
このルートは、尾瀬の湿原からやや外れるため
昨日から一転、きちんとした登山装備になります。

1時間ほど歩いてたどり着いた滝には、
尾瀬の雪解け水がとめどなく、力強く流れていて、
単純往復2時間の道のりを歩くだけの価値はある雄大さ!




滝の後は、目指せ尾瀬沼。
道中では6月だというのに、まさかの大量残雪!




アイゼンがなくてもなんとかなるとは言え、
多くの人が漫画のよーに豪快に転んでいる姿を
何度も目撃しました。

・・・10年位前、スキーに熱中していた時に
たぶん一番来たのが尾瀬岩鞍スキー場。
考えてみたら、あの頃から尾瀬が有数の豪雪地帯
だという事は知っていたんだよね。

でも、改めてこれだけの雪が今も残っているのを
目の当たりにすると、自然の力に圧倒されます。

尾瀬沼は、ココが山の上である事を忘れてしまうほど
豊富な水をたたえていて、飽きる事無く水面を眺めていました。


「自然を大切にしよう」とよく言うけれど、
都会に住んでいるとどうしても実感を持つ事はできないよね。

でも尾瀬の力強く、あらゆる美しさを内包した姿を見ると、
心から「これは守らなくちゃ!」という気持ちになります。


・・実は先週近しい身内に不幸があって
精神的には不安定な状態だったので、
今回の尾瀬行きも行こうか迷っていました。

でも結果として行って本当ーに!良かった。

圧倒的な自然の力を目の当たりにすると、
心の中にある「なぜ」「どうして」という
答えのない叫びが、少しづつ消えてゆくのが分かります。

「世の中なんて分からない事だらけだ」

という事実を、妙に納得させてくれる強さが、
自然にはあるんだよね。

きっとこの世に別れを告げた魂は、
こんな風に雄大な湿原に延々続く道を、
時々咲き乱れる花々を楽しみながら
歩いていくのじゃないかなーと思うと、
とても穏やかな気分になります。


2日目は10時間近い行程で、
さすがに帰りのバスでは疲れを感じたけど、
心地よい疲れなので、まったく後には引かなかった。


週が明けて日々の生活に戻ると、
また心の中にギスギスしたものが溜まってゆくけれど、
「リフレッシュ」という言葉にふさわしい週末でした。

こりゃまた行きたいぜ!

月曜日, 5月 31, 2010

穴ラバー

実家の近くに中国人学校があり、
その生徒さん達のサワヤカすぎる挨拶に、
ウチの父親の中国人に対する評価がうなぎのぼり。

単純なヒトだ。しかし単純って、実はシワワセ(笑)。

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ツーリングに行ってきた。

過去、このメンツで行くと
「雨でもなく、晴れでもなく・・・なーんともビミョウ」
という天気になるというジンクスがあるのだか、
今回もご多聞に漏れずドンヨリ天気。
しかも1ヶ月前の寒さというから、ここで中止にしても
よかったのだけど、先行で伊豆方面に入ってるヒトがいて、
「こっちは薄日が差して気持ちいいよー」という声に負けて、
朝からいそいそと出かけてまいりました。

このメンツでのツーリングは、
天気も曖昧なら企画そのものもやたら曖昧、
毎回、はっきりした目的はない。

でも、ご存知の通り(笑)私はそういうのが
嫌いではないので、ガチガチの行程より
わりと気楽に行けたりします。

※だいたい、先行で伊豆に入ったリーダーが、
 旅立つ木曜日に「じゃー、待ち合わせは11時に伊豆で!」
 という、あまりにもザックリすぎる無謀な場所指定の言葉を残して
 出かけてしまうという時点で、もう曖昧さ炸裂です。


今回は、「どこに行こうか」という話合いの段階で、何故か

「穴」

がキーワードになっており、基本「穴」中心に
攻めることに決まっていました。

穴ってねー 日本に本当にいっぱいあるんだよ。
それも、穴の成り立ちによって、噴火が原因だったり
海に侵食されたりと色々あって、その表情はかなり違う。

今回は、そんな「穴ラバー」達が愛してやまない、
富士山麓エリアを目的地としました。

待ち合わせを沼津にしたのに、ルートが悪く
海を見る事は一度もなく内陸に入ってしまい(ザ・無計画!)、
おやつタイム前には目的地直前のドライブイン着。

しかし、寒さと曇り空のせいか、ドライブインは
ヤル気のかけらすら感じられません。




「グルメソフト」という看板の「グルメ」の
部分だけを隠している意味も全然分かりません。


それでも! 富士山は裏切らないね!
私たちに素晴らしいお姿を見せてくれました。





・・・・という事はもちろんあり得なくて、
これは撮影スポットの写真。




晴天時には、この方向に写真のような
富士山が見えるらしいのですが、
まー「影も形もない」ってこういう事を言うのね。

でも、人間て不思議なもんで、
最初からダメだと分かってた事には
あまり落胆しないですよね。


この後、主目的だった「鳴沢氷穴」「富岳風穴」の、
「穴のハシゴ」を実行。

走ってる間、ずーっと「寒い寒い」を連発していたのに、
駐車場の入口で「本日の洞内温度・・・・0度」という看板を見て、
「ゼロ度だってー!」と、テンションを上げる私たち。アホか。

結論から言うとですね。
穴、いーっすよ。なんか妙に楽しい。
母体回帰の気分とでも言うんでしょうか。

鳴沢氷穴にいたっては、奥にヒトの入れない横穴があり、
そこは昔から「江ノ島に繋がってる」という伝説まであるらしい。

あり得ん!都市伝説!(笑)

しかし、今回の洞窟は、青木が原樹海のすぐ横にあるため、

「樹海で自殺しそうな人に、どうせ死ぬならこの穴で
 江ノ島までいけるか試して欲しい」
だの、
「でも、本当に江ノ島にいけたら、きっと生きる気力が沸いてくる」
だの、
「樹海がよく火サスで使われてた」だの、
「火サスのタイトルは何故あんなに長いのか」

・・・・だのと話しているうちに、あっという間に
穴を歩き終えてしまい、なんだか全然内部を
鑑賞できていないのでした。

でも、昔ここで氷を切り出して
江戸の殿様に献上しただとか、
そういうあまり役立たなそうなコネタは学んだ。


帰りは中央道で、案の定八王子の手前で
雨に降られたものの、基本的には楽しく走れました。


今回の件で、ちょっと穴に興味を持ち始めております。

登山家は自分達の事を「山屋」というけれど、
穴を愛する人たちにも「穴屋」という集団がいて、
世の中の様々な穴を渡り歩いているらしい。

「作業洞窟(石炭の掘り出し跡等)」
「観光洞窟(鑑賞できるよう整備されている)」
「廃洞(今は既に入る人もいない)」

・・・などなど、洞窟にも相当数のバリエーションがあり、
上級者になると、人ひとりがやっとという太さの縦穴を
何十メメートルも下って中を探検する人もいるらしい。

そして! 素晴らしい事に、「穴屋」の多くは、
同時にクライマーだったり、沢登りのスペシャリスト
だったりするようだ。

登山関連の趣味は無数のバリエーションがあるな。。
私もいつか、険しい竪穴に入りたいぞ!

木曜日, 5月 27, 2010

「自分と同じ人」が どこかにいる。

先日営業課の人に、ある書類が
どうしても間に合わないと言われ
特別に早く対応してあげたら、
「頼めばやってもらえる」と学習されて、
またもギリギリで頼まれた・・・・  くそっ。

そこで一句。

 “3度目は あると思うな イレギュラー”

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さて。映画。

ふたりのベロニカ
監督:クシシュトフ・キエシロフスキー

監督はポーランドの人ですが、
映画はフランスとの合作(1991年)です。

 同年同日に生まれた、フランスとポーランドの
 二人の「ベロニカ」。
 容姿・性格・才能までが酷似した二人のベロニカは、
 互いの存在を知らないで生きていますが、どこかで
 「もうひとりの自分」の存在を感じている。
 ある日、ポーランドのベロニカは、舞台上で死んでしまう。
 一方フランスのベロニカは、人形師の男に何故か惹かれ・・・


「自分に似た人は世界中に3人いて、
 その人に会うと死んでしまう」という
 ドッペルゲンガーの話があるけど、
 着想はその辺からなんではないかと。

事実、ポーランドのベロニカは
フランスのベロニカを目撃してしまって
(ただ相手側は気付いていない)、
その直後に突然死してしまうし。


二人の関係(互いは互いを知らないが、
その存在は、それぞれなんとなく感じている)とか、
そのあたりの神秘性は、フランスと言うか、
中央ヨーロッパ“らしさ”が溢れてます。

わりと極限まで説明を排除している映画なので、
難解といえば難解かなー。

でも、場面展開とか、音楽を効果的に使った
ベロニカの心の描写がとても美しいです。


恋愛とか人間関係において、
ヨーロッパは、日本人とあまりにも違うと
本当にいつも思います。

恋愛にも性にも奔放。
だけどすべてが自己責任。
彼らは自分の感情に対してとても正直。

・・・・「和を以って尊し成す」「以心伝心」という
日本の考え方は嫌いではないけれど、
結局、言いづらい事をオブラートに包んだり、
体裁だけを整えた言い方って、
後で人によって捉え方が違うと
TPOによってはそれが諍いのタネにもなるよね。


余談だけど・・・たとえば

「嫌いじゃない」とか、
「機会があれば」という言い方は、

日本ではよく使われるけど非常に曖昧で
言われた側は戸惑うことが多い。


私は、30代になってから思うところあって
できるだけこういう曖昧な表現を使わないように
意識しているけど、やってみて分かるのは、
そうすると、ダイレクトな表現をした事で傷付けた
相手にちゃんと謝るとか、自分のほうが間違っていた
という事に気付かされるとか、
ちゃんと「自分のケツを拭く」事を求められる機会が増えた。

本来の遠回りな言い方をしていれば、
本音を言えないフラストレーションがたまる代わりに、
人と衝突してイヤな思いをする事もないからね。


「自己主張」を、単なる「欧米的合理性」や
「自論の押し付け・我侭」として実行している人がわりといるけど、
本来「自己主張」というのは、

自分の発言と行動に責任を持ち、
場合によっては、素直に過ちを認めたり、
きちんと人に謝罪したりできる事

が前提なんだと思う。


「オイシイとこ取りの自己主張」
ではいけない事を、
ヨーロッパの映画は教えてくれます。

火曜日, 5月 25, 2010

YOUKOSO JAPAN

エライ雨だったね。
低い雲が垂れ込めて、上部がまったく見えない
スカイツリーは、まるでバベルの塔みたいでした。

私、あの建物がどうも苦手。
人間の奢りの象徴みたいな気がして・・・。

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箱根に行ってきました。

「あれ? 先週、金時山に登ってなかったっけ?」

と思ってくれたあなた、ブログ常連さんぷりに感謝です。

そうなんです。
諸事情ありまして、2週連続箱根に行ってました。
ナニやってんだって感じですな(笑)。

先週は登山が目的だったので
ほとんど街に入っていませんが、
今週は「箱根と言えばコレ」的な
ベッタベタな観光旅行で、

・ケーブルカー
・ロープウエー
・大涌谷
・芦ノ湖遊覧船
・食事と温泉
・湿生花園
・ポーラ美術館

と、文句なしの鉄板コース(笑)。

箱根に保養所がある関係上、箱根には何度も
足を運んでいますが、山登りが多いので
わりと観光スポットは知らなかったりします。

なので、こういう「お約束」的な旅は、
それはそれで楽しかったりするなー。

ポーラ美術館はなかなか良かった。
特別展では、杉山寧という日本画家をフューチャーしていて、
この作家の作品がわりと自分に合ったからかな。

この人の作品って、なんていうか・・・
絵に全然「感情」がないの。言い方が変かもだけど。

筆致はシュールレアっぽくて、
過剰な陰影で造形物を引き立たせているんだけど、
そこから喜怒哀楽をあえて排除していて、作品の解釈は、
あえて見る側に委ねられている感じ。また観たいなー。


しかし・・・。
1泊2日の旅行で、ナニがビックリしたって
外国人観光客の多さ!!

もー、「日本語ではないどこかの言葉」が
これでもか、これでもかと観光スポットに錯綜していて、
ここが日本であることすら忘れてしまいます。

私が子供の頃(20~30年前?)は、
外国人を目撃すること自体が珍しかったような
気がするんだけど、今じゃ場所によっては日本人と
同じだけ外国の人がいるんだもんね。

中国・韓国が圧倒的に多いのはまあ分かるとして、
東南アジア・中東系の人とか、ヨーロピアンもかなりいる。

こうやって、日本が中と外の両方から
どんどん柔軟に変わっていけばいい。

仕事関係の知り合いに、外国人向けのフリーペーパーの
広告営業をしている人がいるんだけど、
飲食店なんかでは、まだまだ「外国人に来てもらって
マナーを乱されたら困るから・・・」という理由で、
外国人招致に消極的な店もあるらしい。

今、客商売でそんな事を言ってちゃ、
全然ダメなんじゃないだろーか。

これまでは「グローバル」というと、
日本の外に飛び出していく というニュアンスが
強かったけど、これからは「グローバル」というのは
日本国内でどれだけ外国人と上手く共生していくか・・・
極端な話、自国民と外国人の垣根がまったくないくらいに
生きていけるかどうか という意味合いになってゆくのじゃ
ないかと思う。

大きな 大きなビジネスチャンスが ある気がする。

*遊覧船から写真を撮ったら、外国人ばかり写る。
 後姿のおにーさんも、どこぞのアジアな人です。

金曜日, 5月 21, 2010

手がプルプル。

なんだか急に夏気分だ~。
でも冷房きつくなって寒い・・

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クライミングジムに
行ってきました。

随分前に吉祥寺のジムで、いわゆる
「お試し」をやった事はあるのですが、
その時は今ほど登山に入れ込んでなかったし、
遠いこともあって通うには至りませんでした。

最近、家の近所(自転車で行けるような距離)に
ジムができた事を知ったので、
やまライフを充実させる一助になればと
お得なレディースデーを狙って(主婦!)
行ってまいりました。

実はひとくちに「クライミング」と言っても色々で、
道具を多用するものや、ロープを使うものまで様々
なんですが、ジムで主力になっているのは「ボルダリング」
と呼ばれる、カラフルな石がついた人工壁をよじ登るもの。

ロープもハーケンも不要、
道具は実質チョークとシューズだけという気軽さが魅力です。

基本的なルール(レベルごとに同じ色のテープのところを登る)は
どこのジムも同じですが、実質初めてのようなもんなので、
スタッフの方に簡単なレクチャーを受けて、さっそく開始。

この日は割引デーだった事もあってとても混んでいたので、
ヘタくそとしては背中越しに見られて恥ずかしい限りなのですが(笑)、
そんな事を言ってると練習にならないので、ガンガン登ります。


結論から言うと、

 見た目と実際にやった時とで、
 こんなに印象の違うスポーツも珍しい

というのが、個人的な感想。

上手な人を見ていると、まるで手が岩に
吸い付いているようにスイスイと登るので
ものすごく簡単に見えるんだけど、
実際にその岩に手をかけてみると、つかみどころのない
ツルツルの岩だったりして、「なんでこの岩がつかめるんだ?」と
ビックリしてしまいます。

結局3時間近くジムにいたけど、
登ったのは、失敗も含めて正味10本ちょっと。

混んでたので待ち時間が長かったのもあるけど、
何よりそんなに何度も連続で登れない。
それくらい、一度の登坂で一気に筋肉が疲労する。


ボルダリングは、高く登る事が目的なのではなく、
あくまで難易度の高いコースを制覇する事が目的だし、
身体の確保なしでするスポーツなので
壁の高さはせいぜい5~6m。

だから、正直見た目はジミ(笑)。

レディースデーって事もあって
女性のグループが結構いたんだけど、
「そういうスポーツかなー?」て思っちゃった。

女子がワイワイと、かしましくやるというより、
わりと一人ストイックかつ地味に、黙々と練習するほうが
イメージには合ってる。精神論では、マラソン的な
要素が多分にあるんじゃないかと。


負けず嫌い・・というか、Mッケがあって、「自分に負けたくない」
みたいな感覚がある人には、なかなか魅力的なスポーツだ(笑)。

ジムではロープクライミングもできるので
そっちも興味あるんだけど、
「○○登り」のすべての原点はボルダリングにある気がするので、
家も近い事だし、しばらく定期的に通ってみようと思う。


ちなみに筋肉痛は半端ないです。

痛さはさほどでもないけど、
翌朝はヨーグルトのスプーンすら持てず、
コップを持ち上げるとプルプルして危ないので、
机に置いたコップに口を付ける「犬食い」で朝食食べました。

できれば休み前にやるのが望ましいのでは(笑)。


クライミングジムは一般にシャワールームはないのですが、
まー私のウチにかなり近いので、
ジムにお越しの際にはお気軽にお立ち寄りを。

シャワーとお食事を格安でご提供しますわよ(笑)。

●RockLands
 江戸川区東葛西(東西線:「葛西」駅より徒歩)

水曜日, 5月 19, 2010

ヌーーーーヴェルヴァーグ

こないだ飲みに行った店は、
グルメな知り合いのチョイスなんだが、
予約の際に「ウチは酒屋母体の店なので、
来られる方全員がワイン飲めないと予約は受け付けない」
と、言われたんだそうです。

なんつー強気なっ!

・・・いいよ。いーんだけど。全員飲むから。でも ねー。

でも、すごい美味しかったので
まー文句は特にないです(笑)。

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基本、チェコ映画はなるたけ観るのです。
で、これ。

ひなぎく - Sedmikrasky -
監督 ヴェラ・ヒティロヴァ


1966年公開の、チェコスロヴァキア時代のチェコ映画です。
「チェコ・ヌーヴェルヴァーグ」
(なんてのがあったのね。フランスだけかと)の代表作だって。


・・・「ヌーヴェルヴァーグ」って聞けばお分かりかと思いますが、
全然分かりません(笑)。

基本、観念的な映画なので、
筋を追いかけようとして観る映画ではないことは確かです。

でも、ゴダールに比べるとひねくれてない気がするし、
何よりオンナノコはわりとこういうのが好きな人がいる。
私もそうだけど。

ギャルでもコンサバでもストリートでも森ガールでもゴスでもなくて、
キッチュでラヴリーでクールな感じ。・・・お分かり?

個人的には、ゴダールよりは「観ている人に歩み寄ろう」という感じがした。
「アメリ」を、ものすごーく分かりずらくしたバージョンとでも言おうか(笑)。


イェツィンカとヤルミラのふたりの姉妹が繰り広げるいたずら、
そして、おかしくも退廃的な世界観。

二人の姉妹の行動はいつも突然で、とても奇異なんだけど、
レストランのシーンなんかではそれに眉を潜める
「一般の常識人」がたくさん出てくるので、
そこが現実の世界(=なんでもありのフィクションではない)である事が分かる。


でも・・・なぜだろう?

周りの人に眉を潜められる二人の姉妹のほうが、その一般人たちより
「生きてる!」って感じがするし、なんか正しい感じがするんだ。

それは単に「好き勝手やってる」っていうんじゃなくて、
自分の心の中身を、すべて明け透けに人にさらけ出してしまってるから。
だから、単なる「エゴ」ではなくて、同時にすごく「危うい感じ」も
あるんだと思う。 


・・・しかし、60年代の共産主義下のチェコスロヴァキアで、
こんな映画が作れたって事自体が奇跡だ。

まー 案の定監督は、当時この作品を発禁にされて、
しばらく表舞台から姿を消していたらしいのだけど(苦笑)。


60年代の欧米で作られた芸術は、本・映画・音楽、
どれをとっても良質で、今でも十分通用するものが多い。
社会が混乱している時っていうのは不幸だけど、
アートにとっては決して悪い事ばかりじゃないよね。

よく、欧米の芸術はキリスト教を知らずして
理解できないっていう話があるけど、それは当然って気がする。

だって、誤解を承知で言えば
「アート=宗教」といっても過言ではないでしょ。

アートも、宗教も、結局は人が

 「救いと答えを求める場所」

なんだと思うよ。私は。

・・・と、30ウン年間、たくさんの
映画や本、芝居や絵画に触れた私は、
そういう事を、最近ようやく実感として思うのでした。


アートの理解は一日にしてならず。
漆塗りのように何度も何度も塗り重ねて、
ようやく、「自分なりの解釈」が見えるのがアートなんだね。


今度は一体、どんな作品との
出会いがあるのかしらー。

月曜日, 5月 17, 2010

「私」以外は、「私じゃない人」。

ジュースをこぼした友達(29歳)に、
「わーっ ちり紙ちり紙!」と言ったら、
「ちり紙って・・・。お母さんじゃないんだから(笑)」 といわれた。

ガーン。
ヤング達は「ちり紙」て言わないの?

ベストは「チョッキ」だし、生地は「コールテン」でしょ。
パフスリーブ ってなんだよ。アレは提灯袖って言うんだいっ!

-----
まず、「山の前日に飲んではいけない」という前提が
あるわけなのだが、悲しいかな、週末休みの
サラリーマンではそう簡単に調整もできず
そういう事もあるのです(言い訳)。


****
というわけで、土曜日はご主人がフランス人の
友達のお誘いを受けて、お誕生会(メインは別の女性の
誕生会だったらしいが(笑))に行ってまいりました。

日本って、この10年で本当に外国人が
増えたよなーと、ああいう景色を見ていると思う。

素晴らしいよね。
そうやって外の価値観を受け入れていく事で、
柔軟な心が培われていくのだと思う。

主役も外国人なので、集まるお友達も外国人が多い。
奥さんが日本人という人も多いが、そういう会に
来るような奥さんはとても社交上手だ。見習いたい。

ああいうタイプのパーティ(=一応開始時間はあるものの、緩やかに始まり
緩やかに終わる。繋がりが不明な人もたくさん来るので、改まった乾杯や挨拶はなく、
もちろん三本締めはしない(笑))は、日本人がなかなか自然に振舞えないものなので、
こういう会があると練習になってよいかもしれない。

というより、私はこういうパーティは、
むしろ郊外に住む人のほうがスムーズに
受け入れられるんじゃないかと思っている。

郊外の人は住環境もいいので、
好きな人は自宅でしょっちゅうバーベキューやパーティを
やるけれど、あれはとても外国的だ。
私も家に庭があったら絶対やりたいもん。

私はNZに住み始めた時、着いた翌日に
ホームステイ先のマザーに、車で2時間の
姪っ子のホームパーティ(向こうでは、21歳の誕生日を
盛大に祝う風習がある)に連れていかれ、今以上に英語が
まったくダメだった私は、ある種いきなりの外国の洗礼を浴びた。

こういう経験は本当に貴重だ。

ただ・・・私は、最近はああいう場面に出くわすと、
自分の英語力が、もはやどーしようもない状態に
なっている事を突きつけられるので、実はちょっとヘコむ(笑)。

それに、私は初対面の人に会う事が好きなので
わりと心臓に毛が生えてる系だと思われるが、
そんな事はないのよ。

私なりに緊張するから、座を保つために
逆に余計なことを話してしまったりして、
それで後でいたく反省することなんてしょっちゅう。。

もう大人なんだから、
そういう失敗はもう辞めにしたい(苦笑)。

*結婚式以外ではめったにみかけない
 シャンパンタワー。絢爛。








*****

そんなわけで飲酒してしまったため、
下北沢の先輩の家に泊めてもらい睡眠時間を稼いで
(先輩、マジお世話になりました!)
日曜日は、やまへ行ってまいりました。

今回は、箱根・金時山です。

♪ マーサカリ かーついだ~

でおなじみ、金太郎伝説のある山ですね。


会社の保養所があのあたりにあるので、
ここ数年でずいぶんと箱根は詳しくなりました。

でも、金時山は実はまだ2回目。

山頂までのラスト20分位はわりとハードなところもあるけど、
基本的には「箱根の高尾山」と言ってもいいほど、登りやすい
やまなので、天気さえよければ鼻歌気分で登れます。

今回は天気はよかったものの、
ガスがかかっていて、雄大な富士の姿は拝めず。・・・残念!

山頂に到着すると、本当に「高尾山かっ!」と思うような人手!
前に来たとき、こんなんだったかなー・・・?

登山ブームを実感しますね。

金時娘(有名らしい)には会えませんでしたが、
山頂の茶屋で昼食を取った際、そこのおじさんが
ともかく陽気な人で、店中のお客さんをいじりながら
笑いをとっていくので、
そのオジサンの芸(?)を見れただけで満足です。

個人的には、おじさんが容姿も芸風もちょっとヨネスケ風だったので、
それに気付いて、ひとり心でウケていた(笑)。

帰りは、お約束の温泉&ビールコース。
やっぱ山はコレっすよ。


・・・今回は初めましての方と登ったのだけど、
登山という共通の目的があるので、
そういう意味ではとても話が早い。


蛇足だけど、先日の講演会に影響を受けて、
いま「フィンランドメソッド」の本を読んでるんだけど、
フィンランドでは学校に「部活動」というものがなく、
基本学生は、地域のスポーツ部や文化部に所属するのだという。

学校でもそれは「勉学の一貫」とされているけれど、
実際は地域が運営していて、その団体には男女・年齢・職業問わず、
様々な人が所属しているので、若者は早くからそういう雑多な社会に
なじんでいく術を身につけていくのだという。

とてもいい事だなーと思う。
日本もやればいいのに。


今週末は、結果として初対面の人と
話す機会が多かったわけだけど、
「人から知ること」「人から教わること」はとても多い。

それは、単に「人が何か貴重な事を教えてくれる」ってだけじゃなくて、
初めての人と話しているうちに、その人に自分を照らして、
自分の良い部分や悪い癖に気付かされることも多いから。

・・・なんか、コミュニケーション論的な話が続いたな。


ま、そんなコ難しい事を考えて人と話すわけではないけど、
そういう事を「大切だ」と思える精神だけは失いたくないな。


*山のお昼は、茶屋の名物 「まさカリー」。
 ダジャレかよ と(笑)。

金曜日, 5月 14, 2010

まず、「人は違う」事を知る。

こないだ久々にJAZZの生演奏を聴いた。
詰めれば40人は入るバーに、私たち入れて計3人。
一方バンドメンバーは5人。

もちろんちゃんとしたプロで、上手な人でした。
ある意味すごい贅沢な時間だったんだけど、
なんだろう・・・この例えようのない居心地の悪さは(笑)。
混むのもイヤだけど、すき過ぎるのも悲しいわね。

-----

前にココでもお知らせした
講演会に出かけてきました。

サンタカフェ
http://www.office-santa.co.jp/cafe/index.html


元々は、「演劇ワークショップ」という
演劇を通じてコミュニケーション能力を培っていこうという
企業向けプログラムの販促イベント的な講演会なんだけど、
トークセッションに登場した、劇作家の平田オリザさんのお話が
とにもかくにも面白かった!!

今回、明確なテーマは決まってなかったみたいなんだけど、
やはり「演劇とコミュニケーション」というのが軸です。


ノッケから、学生時代平田さんが韓国に留学してた話で、
いっきに「おおー」と興味津々。

私、以前ココに「女房に逃げられた」みたいな、「メイワクの受身」
という表現が、日本人の主体性のなさを現してると考える言語学がいる・・・
って話を書いたんだけど、文法の似ている韓国語でもそれは同じらしいのね。

韓国語も日本語同様、主語がハッキリしない言語だし、
受身の表現にも独特なものがある。

でも、韓国の言語学者は「我々も似たような文法の言語を使っているが、
日本人のように主義主張をハッキリ言わない文化ではない。一緒にするな!」
と、日本の言語学者に噛み付いてる人がたくさんいるんだって。

・・・そっかー。確かに、コリアンってアツイもんね。

だとしたら、今の日本人の主体性のなさは
どこから来ているのかしら・・?


ほかにも、平田さんご自身がたくさんの小学校を回った中で、
コミュニケーションの授業を子供達が面白いように吸収していく様子とか、
観光事業が成功している北海道・富良野のお隣、厚別の悲惨な観光業事情とか、
重度の自閉症の方のコミュニケーション法とか(=自閉症の方は、その病が原因で
“他人の気持ちを理解できない”人が多いので、人付き合いがとても難しい)・・・・・

とにかく具体例をたくさん交えながら、


 「人と人が交わるという事は、一体どういうことなのか」

という事を、すごく分かりやすく話されていました。

本当に「話の上手い人」と言うのは、コ難しい事を難しく話したり、
思いついたままを話したりするのではなくて、
自分の中で、きっちり物語ができてる人なんだなー 
というのが改めて分かります。


「会話(対話)」上手な人ってたくさんいるけど、
そういう人って無意識に会得した能力だったりするから、
人に説明したり、教えたりするようにプログラム化するのって
かなり難しいと思うんだよね。

そういう意味で、平田さんのように、それをしっかり言語化し
人に伝える手法を持っているっていうのは、すごい「強い」と思う。


講演の終盤、昨今話題の「フィンランドメソッド」の話の中で
平田さんがおっしゃっていた

 これからは、インプットはみんなバラバラでいいと思う。
 でも「アウトプットはひとつに束ねる」という事がとても重要だね。
 つまり、「まとめる能力」がある人というのが、大きな力を発揮するんです。

という話が、とても印象的でした。

・・・確かに日本の文化は、国語のテストで
「この作家の考えを40字以内でまとめなさい」
的な問題が出ることに象徴されるように、
考えを画一化する教育をしすぎていたんだと思うんだよね。

逆に仕事・社会では、実際にお金や作品を生み出す人が重用され、
「束ねて、まとめて、整理する」というディレクション的な仕事をする人が
軽視されすぎてきたきらいがある。


 「それでも僕ら(平田さんはたぶん50代)の世代は、
  友達や周りの大人との関係性の中で人と対話する術や、
  社会での自分の立ち位置を学んで行く事ができたけど、
  日常生活でそれが学べない今の子供がこのままいくと、
  世界の中では日本は絶対に生き残っていけないよね」

という平田さんの言葉に、ふか~~ぁく
うなずいてしまいました。


ITが普及し、合理化万歳の現在の風潮の中で、
実は大変面倒で手間のかかる「人と人との生の繋がり」に、
真摯に向き合っている人って、いったいどれくらいいるんだろ?

「必要な手間」と、「いらない手間」との見極めが
しっかりできる人でありたい・・・ と、思います。


*「他人と自分は違うんだ」という前提に立つ事が
 コミュニケーションのスタートライン。
 言うのは簡単だけど、本当に分かっている人が
 果たしてどれだけいるのか・・・。

水曜日, 5月 12, 2010

身体は嘘をつかない

谷亮子、出馬ってなんなのさ。
嫌い度アップ。

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なんか今週は忙しいな。

だからというわけではないですが、
ほぼ月イチで通ってる、川崎の仁鍼堂にいった。

最近は、鍼独特の“響き”(痛いような、神経が無意識に
動いちゃうような感覚)にも慣れてきて、そういう感覚がないと
逆に「なんか効いてない・・・」と、思ってしまいます。

私の場合、立てないほどの腰痛とか
吐き気がするほどの肩こりとか、
そういうものを抱えて治療に行った事がないんだけど
(個人的には、そういう症状が出たらもう遅いと思っている)、
今回、たまたま治療の数日前から暴飲暴食が続き、胃か疲れていた。

でも、原因が飲酒だと分かっていたし、
そういう意味では自業自得なので問診の時に特に何も言わずにいたら、
ベロ見て「あれ、胃が弱ってるね?」だって。

・・・バレバレじゃーないっすか(苦笑)。


治療前には「舌診」と呼ばれるベロを見て
その時の体調を見る診断があるんだけど、
最初、それまでベロなんてまじまじと眺めた事がなかったから、
そんな事で体調が分かっちゃうなんてすごい不思議でした。

今回は、治療しているその時に「体調悪いなー」と
感じていたので、リアルタイムに「お、良くなった!」
という感じを実感できました。

マッサージとかと違って、治療直後に
「あ~、気持ちよかった!」みたいなスッキリ感が
あまりないのが鍼治療(と私は思ってた)なので、これまで物足りなさを
感じる事もあったんだけど、実際に体調が悪い状態で行くと、
わりと実感できるんだなーって思った。

だからって、「体調悪くなりたい」わけではないのだが(笑)。


・・・・「健康」って、「なくなって初めてありがたみが分かるもの」の
最たるものなんじゃないかって最近よく思う。

私はいわゆる「健康オタク」ではないので
健康食品とかに詳しいわけでもないけど、
本当は、できるだけお日様のサイクルに合わせて生活し、
バランスのよい食事と、運動、睡眠をとることが、
結局心にも身体にも一番よい事だし、
自分もなんかイイ気分でいられる って事なんだと実感する。
年とともに(笑)。


今後も、夜遊びや美味しい物を無理して我慢はしないけど、
そうやってできるだけ“自然のサイクルと同化”する事で、
「心身のグラフ」のようなものが乱高下しないように
していきたいなー と思います。

規則正しい生活と鍼で医者要らず。(あ、鍼もお医者か)


* 人生、「晴耕雨読」といきたい
 もんですがねー。

金曜日, 5月 07, 2010

都民ですから。

今年もあと2/3ですな。
うひゃー。

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こんなに天気のよい日が続いた
GWも珍しいんではないかと。

毎日バラバラの用事があって
わりと外出してたんだけど、それは室内モノが多かったので、
なんといってもこの「お天気」の恩恵に預かったのは
雲取山への山行です!

雲取山は、いわずと知れた(でもナイ?)、
東京都の最高峰(2017m)。

富士山にも百名山にも興味がないわたくしですが、
実は全国の各都道府県の最高峰っていうのには登ってみたい。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~happy-sanpo/shiryou/kenhighyama.index.htm

千葉県サイコー。
あえて、最低峰コンプリートなんてのもいいな。天邪鬼なもんで。


今回は、アルプスなどの3,000峰の
前哨戦的な位置付けでテント泊をしてきました。


行きの道中では、さすが好天のGW、
150%登山スタイルに身を包んだ人たちがテンコ盛り。

鴨沢バス停からの初日の登りは5時間強。
頂上までの登山道は、正直ビックリするほど整地されていて、
2000オーバーの山ですが個人的には難易度はさほど高くないと
感じました。さすが人気の山。さすが百名山。

テント泊で荷物が(たぶん)今までで一番重かったので、
まーアレくらいの感じのほうが助かったけれども。


一応「東京都最高峰」として有名な山なんですが、
県境の山なので、頂上には「東京都」「山梨県」「埼玉県」の
3つの山頂標識があって、各エリアの自己主張っぷりを感じました。







ちなみに東京の標識が一番ボロかった。
石原さぁーん、オリンピックとか呼んでる場合じゃないから。
まず標識直してよ。

山の夜は早いので、ビールと焼酎で小宴会しつつ、20時には就寝。
年をとってからのほうが、わりとどこでも寝られるようになった。ナゼ?


翌日は、寝たらわりと復活したので
予定を変更して奥多摩駅までの縦走コース、8時間超え!

途中平坦で退屈な道もあるんだけど、
キツイ登りの後には、ちゃんと絶景という“ご褒美”があったりして、
腕試しにはピッタリ。

最後の最後でアスファルトの林道が
20分位あって、それがさすがにキツかったんだけど、
ものすごい達成感がありました。

帰りは、大混雑必至の奥多摩周辺を避けて、
拝島まで戻ってひとっ風呂。ビールが半端なく進みました。



・・・・と、こうやって書いてしまうとアっという間だけど、
休憩も入れて正味13~14時間歩き続けてるわけだからね。

途中、

 「・・・わたし、なんのために歩いてるんだ?」

とか思わないわけがないんですよ。ジッサイ。

でも、それが「私にとっての山登りの醍醐味」
なんじゃないかと最近は思い始めてる。

自分でも、数年前まで週末の夜に昼夜逆転で遊んでた人と
同じ人間とは思えないんだけど、あの時もたぶん自分の中に
「なんでこんな眠くて死にそうになってまで遊んでんだ?」
とか思ってる部分があって、要は、そういう“Mっ気”のある
遊びが好きなんだと思うんだよね(笑)。


今年は、いろんな山に登れそうな予感。

お天道様を味方に付けられるといいな~。

金曜日, 4月 30, 2010

プロにも色々ある。

友達の制作会社で、ちょっと面白そうな
セミナーやります。

私も行くんで、よかったら一緒にぜひー。
人と会うこと、人に影響を受けることが好きな人にお勧め。
http://www.office-santa.co.jp/cafe/index.html

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定期的に通う店がある。

そこのマスターは20代の頃からの友人なのだけど、
そのマスターと、こないだ「プロとは何か」という話になった。

その人はバーのマスターだけど
音楽関連の興行を取り仕切るもうひとつの仕事を持っていて、
どちらが本業という感じでもなく両方をこなしている。

イベントの内容によっては、地域団体や自治体なんかと
打ち合わせの上に実施するものも多いらしいんだけど、
興行を取り仕切る際に同じスタッフ仲間が
「素人が口出しする」のを極端に嫌がり、
打ち上げなどで「これだから素人は……」
という愚痴を聞くことに違和感を感じるんだそうだ。

素人とは、得てして思いつきを口にする。

例えば興行で言えば、「ここの休憩を10分から15分にしたい」
なんてことを、開催日ギリギリになって言い出したりするわけだ。

確かに素人から見れば、たかだか5分の延長は
どうという事のない話。

けれど、すべての段取りを分刻みで組んでいる
プロデューサーから見れば、その5分を変えた事で
多方面に影響を与える事はわかりきっている。

だからこそ、そういう「思いつき」の進言を
毛嫌いするのだと思う。

すご~く気持ちは分かる。私も、WEBの知識がない上司に
思いつきや、個人的な好みで改修を指示されて腹を立てた
事は一度や二度ではない。
※上司は上司であっても、WEBの「プロ」ではないから。


ただ・・・、
「素人の口出し」を全否定することには
私も強い違和感がある。

確かに、思いつきや個人的な好み、
自分がこの場に口を出せる権利がある事を主張するためだけの提案・・・
そういうものはできる限り駆逐していきたい。

でも、そのタスクに関する「強い情熱」から
“素人”が意見をしてくるケースというのもあるはず。

イベントの興行で言えば、確かに素人は全体を俯瞰できる視点はなくても、
そのイベントに対する熱い思いが溢れ出るケースもあるよね。

知識がないと、それを上手に言葉で表現することはできないし、
自分の提案がどれだけ多方面に影響を与えるか想像できないけど、
そういう「少しでもこれをいいものにしたい!」という熱意から
生まれた提案は、少々強引であっても、
「なるほどな」と思わせる一面が確かにあるんじゃないかと思う。


そういう意味でいうと・・・

 「プロ」ってなんなのか?

その答えは、大きい時限で言えば、何かやってお金を頂く人は
すべて「プロ」だと私は思っている。もちろんサラリーマンも。

でも、今回の話をしていて、
プロっていうのは

 「【本物】を見分ける能力があるか否か」

というところが、非常に大きいのではないか?
と思ったりした。

例え、その分野に関して高い知識があったとしても、
「ワガママ」と「情熱」、「本物」と「偽者」を見分けられない人は、
プロではあっても、プロとしては失格ではないのではないか、と。

極端な事を言えば、野球で言うと「いつでもホームランを打てる人」
であっても、試合の局面を読んだうえでの判断でなければ
それはプロ失格だし、冷静に試合展開を見て、必要に応じて
地味なプレーもいとわない人はプロとして本物なんだと思う。


結局突き詰めると、「プロ=○○が上手い人」ではなく、
「プロ=判断力」なんだと思う。

 「判断力」というのは、普遍性があり、汎用性が高い。

だから例えばイチローは、別に野球をやってなくても
ビジネスマンとして一流にもなっただろうし、
音楽をやったならその世界でも一流になれた人なんだと思う。

もちろん、「その世界を選んだ」からこそ
より高みに上ることができる・・という部分もあるわけなんだけど。

翻って自分はどうだろ?

・・・・う~ん。

「プロ」の道は険しいな・・・。


*プロ論、という本もあるよね。

火曜日, 4月 27, 2010

ストレス解消は「忘れる行為」

春だね。

私にとって 暖かくなる=お金がかかる。

外出・娯楽が多くなるからな。
ボーナス大幅減、痛いよな~ぁ。。

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天気のよい週末は気分もいい。

てなわけで、週末数年ぶりに
友達とテニスをしてまいりました。

私の時代、テニスというと
短いスカートからヒラヒラなパンツが見えて
「セクシー」と「健康的」のギリギリのラインを
いかに維持するか という感じの格好が多かったけど、
いまはそんな格好でテニスしてる人っていないね。

・・・他のスポーツでも思うんだけど、
水泳しかり、ダンス系しかり、
スポーツにおける女子の露出度は、この数十年で
南極の氷が溶けるスピードに反比例して減り続けていると思う。

それがイイとか悪いとかではなくて、
そういうところも、「男子の女子化」「女子の男子化」に
影響を与えてるのかしらねー なんて思ったりした。

あと、男子がカワイソーだ。楽しみが減って。


正直テニスは得意じゃないので、
力の調節ができずに次々にホームラン。。。
ボール取りに行ってる時間が相当長かった気も・・(苦笑)。

でも、スポーツは何であっても気持ちがハツラツとするのでいい。

場所がわりとセレブなマダムがいるエリアだったので、
帰りにちょっとオサレなカフェでお茶でも・・・なんて
立ち寄ったら、おしゃべりが止まらずお茶で4時間居座り!

庶民の女子高生がマックで長居するのと全然変わらん。
成長してねー。


****

で、日曜は恒例のライブ「キンシノ Vol.6」。

今回のテーマは「ものの覚え方、忘れ方」。

・・・といっても、このライブはテーマは
毎回あってないようなモンなので、
テーマの話がたまに混ぜられつつ、
フリートークで話は進んでくんだけど。

・・・確かに、人間の「忘れる」という能力は
偉大だし、不可欠なものだと思う。

試験の前だとか電車に忘れ物した時なんかは
アチャーと思うけど、やっぱり人間はいろんな事を
忘れていかないと生きていけない。

辛く苦しい思い出を、体験したその時と同じ濃度で
覚え続けてたら、人なんてみんな狂っちゃう。

「忘れる」という能力は、人が「優しく」
なるために必要な能力なんだと思います。

そーいや、キンさんも似たような事を
言ってたけど、私もモノを覚える時は
「関連付け法」を使います。

例えば、今晩家に帰ったら必ずやらなくちゃいけない事が
ある場合、朝、わざと椅子の上にいつも置いてないモノを
置いたりとかしておくんです。

そうすると、家に帰った時に、
「あれ?なんでこんなモノがこんなところにあるんだ?」
っていう違和感から、必要な記憶が呼び起こされるわけ。

暗記系の試験(歴史とか)で、覚える時に練り消しの
ニオイをかいで、試験の時にその練り消しを筆箱に
入れておき、ニオイをかいで思い出す・・・なんて方法もあるね。

でも、高校の頃一度それを実践した私は、
筆箱の中で練り消しの匂いがまざって
異臭を放って以来、使ってません。。。


悲しい事も、嬉しい事も、その時の衝撃が
大きければ大きいほど、記憶として残りやすいもの。

そういう自分の「記憶」は、
良く悪くも「今の自分を作った財産」なわけだから、
悲しい記憶であっても大切にして
これからも付き合っていきたいと思う。


ちなみに今回志の吉君の高座は「金明竹」。
俗に言う前座噺なんだけど、
笑いどころの多い話で私は好き。

あの関西弁、関西出身の人でも
全然わかんないらしいけどね(笑)。

*こちら、会場の晴れ豆

水曜日, 4月 21, 2010

音と空想の世界に遊ぶ

最近ガッカリしたこと。

 図書館で借りた本が、
 両方とも「上巻」だった。。

ガッカリを通り越して、
自分のアホさに悲しくなったよ。

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一旦エンジンがかかると、
しばらく続く傾向がある私の映画熱。

というわけで、また観てきました。

THE LIMITS OF CONTROL
 by ジム・ジャームッシュ

 「自分が一番偉大だと思っている男を墓場に送れ」
  ・・・謎の指示を受けた男が、スペインの街をさすらい、
  その場所場所では、わずかなヒントを与える人物に
  次々出会い・・・


私のホームとも言える早稲田松竹は名画座なので、
2本立ては1度の入場で両方観れるんだけど、
今回同時に上映した「コーヒー&シガレッツ」は
前にみたことがあるので、今回はこちらの1本を。

この人の映画も、こないだのゴダールじゃないけど
「意味を探そう」とすると難しいんだよねえ~。

でもジャームッシュの映画は、
観る私のほうが、映画ではなく「音楽」として
捉えているようなところがあるので、
ある意味「安心して」観ていられます。

ジャームッシュは音楽業界との繋がりが深い人で、
ジョーストラマー(クラッシュの)、ディランなど
60~70年代のビッグアーティストの映像も多く残しています。

そんな事もあってか、作品全体がPVっぽい
というか音楽っぽい。
当然、作中に流れる音楽がすごくイイ!(私好み)。

ストーリーは結局「?」って感じで終わるんだけど、
退屈しないし、それが許される映画なんじゃないかと。

感覚的には、シュールレアの絵を見ている時のような感じ。

作品に「意味付け」をしない事で、
逆に自由度が高いものになるというか。

例えば推理モノの映画を観て、「あのシーンで
主人公のネクタイが赤いのは矛盾がありおかしい」
とか指摘したりするようなタイプの人は、こういう映画観れない。

そーいう人には、
なんじゃコリャ? だと思う。


ちなみに工藤夕貴が出てます。

この人、すごいと思う。
当時は、結構アイドル顔なのでそのままアイドル路線で
行くのかなーと思いきや、ハリウッドの厳しい世界に
自ら飛び込んで、それなりの功績をあげたわけですから。

自分の感性と現実とのギャップを埋めるために、
そして、世の中で「常識」「普通」だと言われる事を捨て、
あえて新しい世界に飛び込んでゆく人は、どんな人でも美しいと思う。


映画に、わりとはっきりとした「ストーリー性」
を求める人は眠くなっちゃうかもね。

私も、中盤同じようなシーンが続いたところでは、
「おなかすいたなー」とか思って集中してなかったしね。

あ~あ~。
結局人間は、業と本能には勝てないんだわ(笑)。